昨日はどうも
僕は職員室を出ると教室へと歩みを進める。
だけどその途中で僕は足を止める。前方から昨日現れた男が歩いてきたからだ。
「昨日はどうも」
男は気だるそうとも興味がなさそうとも取れる声で言う。
なんだろう? まるで全てに絶望して諦めたような感じ。まるでかつての僕のよう。
男はそれだけ言うと僕の横を素通りしようとする。
僕は男の腕を掴む。
「……君名前は?」
気付けば僕はそう尋ねていた。
なぜそんな事を聞こうと思ったのか分からない。いや、きっと聞く内容なんて意味がない。ただ僕はこのまま彼と別れるのが嫌だと感じた。
男は空虚な瞳を僕に向ける。そして暫く僕を見つめたあと
「……人に名前を尋ねるときは自分からって教わらなかったの?」
と男は他人事のように言う。
「そうだね。僕は……」
「……黒崎集」
僕は固まる。
なぜ彼が僕の名前を知っているんだ?
「昨日、貴方の連れと……アイツ等が呼んでた」
ゆっくりなテンポで男は喋る。
時折その遅さのせいで彼が暗い印象の人間に見えてくる。
「そっか。なら君の名前は?」
男は暫く僕の顔をじっと眺めてくる。
男は僕より10センチ近く高く細身だ。
顔は僕と同じく前髪が目に掛かるくらい伸び、そこから垣間見える瞳は僕には空虚に見えた。
「俺は……川崎、川崎蓮」
川崎さんはそう告げると踵を返し歩いていく。僕はそれを暫く見届けたあと教室へ向かう。
教室に着きドアを開けて席へと向かう。その途中に……。
「……っ」
僕は足を引っ掛けられその場で転ぶ。
それを見た周りの連中が高笑いをする。
そして僕の前に1人の女生徒が立つ。
「アーハハハッ、アンタダサいわね」
櫻井智子。
僕は彼女の姿を見て一気に頭に血が上る。
『実は櫻井智子は、この山龍高校の教頭の娘なんだよ……』
教頭の娘だったら何やっても良いのかよっ。
「ははっ……」
僕は乾いた笑いを漏らす。
その様を見て櫻井さんもさっきより盛大に笑う。
「あら何〜っ、もうこんな事くらいで音を上げちゃったのかしら?」
「いやなに……。櫻井さんは1人じゃ何も出来ない無能なんだなと思ってさ」
櫻井さんが僕の言葉に目を剥く。
「……もう一度言ってみなさいよっ!?」
僕はそんな彼女に笑いかける。
「何度だって言うよ。櫻井さんは無能だ」
「どこがよっ!?」
僕はその言葉に考える仕草をする。
「うーんそうだな。例えば教頭の娘である事をいい事に好き勝手やってる……とか?」
彼女はその言葉に呆気に取られたかのように固まる。
「誰かの後ろ盾がなきゃやっていけないなら、最初からなにもせずに静かに生きろよ」
僕の心が喋る毎に凍てついていくのを実感する。
あぁ僕は本当に……去年からなにも成長してないな。
そう思った時僕を庇うように奏さんと冴島さん、天道が前に立つ。
「今の見てたけど、櫻井さん酷すぎるよ」
「本当……小学生からやり直してきたら」
「冴島、辛辣だな……。ま、俺もそう思うけどな」
3人にそう言われ顔を青ざめさせる櫻井さん。
「きょ、今日の所はこれ位にしとくわ」
そう言って彼女はそそくさと自分の席へと帰っていく。
僕はその後ろ姿を暫く見つめた後安堵の息を吐く。
「もう集君ってばっ!!」
奏さんが僕の方に顔を向ける。
その顔は大層ご立腹のようだ。
「少しは穏便にしようとか考えない訳?」
「は、はい。ごめんなさい」
僕は素直に頭を下げる。確かに今のは僕が感情的になり過ぎた結果招いてしまった事だ。もっと感情抑制を上手くしないと。……早く大人になりたいな。
「……っ」
と考えていると足を思い切り冴島さんに踏まれる。
「全く……。貴方バカよね」
すいません。返す言葉もございません。それより冴島さん、足痛いからどけて。
「でも集らしいと言えばらしいけどなっ」
笑顔で天道は言う。
おおう、今だけはお前が心の底から信じられる気がする。
「まぁでも、痴話喧嘩は犬も食わないっていうしな。後は頑張って」
そう言って天道は自分の座席へと向かう。
まじかっアイツ裏切りやがったよっ!! 僕達の友情はそんな程度だったのか天道〜〜〜っっっ!!!
「そ、そんな……ち、痴話喧嘩だなんてっ。集君と私はまだ、けっ、結婚もまだだっていうのに〜っ」
「奏……。自分の世界に浸っていい時じゃないわよ」
僕は目の前で行われているやり取りを暫く呆然と見届けた後チャイムがなったので、自分の席に向かって座る。
そして美紗ねえが来て今日の始まりを告げるSHRが行われる――。




