私の小説のテーマは「人間の意地」
皆様は作品のテーマというものについて、どうお考えでしょうか?
実は私は、作品のテーマについて真面目に考えたことは一度も無いんですよね。
何故ならば作品のテーマとは、意識高い系の人が掲げる「意識」と同じ様なものなので、ある程度の高みを感じさせる「型」にハマっていないと認めて貰えないからなんです。
「なろう」的に馴染みのありそうな小説のアイディアで、例を挙げてみましょう。
主人公は異世界に移転した足の不自由な料理人。
その世界は戦乱の最中で、足のハンデで戦力になる事が出来ない主人公は迫害を受けるが、偶然振る舞った料理が傷付いた兵士達の心を癒し、腕を買われた主人公は従軍料理人となる。激しさを増す戦況の中、主人公はこの世界で自分に何が出来るのかを探し続けていた……。
さて、このアイディアを前に、「作品のテーマは何だ」と問われた所で皆様は、
「グルメ知識と描写力をフル活用して、兵士を癒す料理の美味しさを表現する事」
「主人公を迫害していた奴等にざまあし、国王の専属料理人にまでのし上がって上流階級の女性でハーレムを作る事」
などと答える事が出来ますか?
余程の天才か、余程の天然作家で無ければ答えられません(笑)。
「戦乱の最中」、「足のハンデで迫害を受けた」というストーリーがある以上、料理の力は死にゆく兵士へのレクイエムや、和平交渉の場で停戦を早める等の「平和への意識と効果」を表現する必要がありますよね。
このストーリーの下で、敢えて「料理」や「ざまあ」にスポットを当てたい作者様は、テーマについて自らの本音を明かす事無く、読者様にテーマの解釈を委ねる形にするべきなのです。
私個人としては、上記のストーリーがある中で「ざまあからハーレム結成」みたいな結末を作れてしまう作者様は多分軽蔑すると思いますが(笑)、そんな作品が読みたいという読者様もおられるでしょうから、従いまして世間が納得する作品のテーマというものに縛られる必要は無い訳ですね。
しかしながら人間、或いは擬人化したキャラクターが活躍する作品であれば、どうしても避けて通れない表現があります。
それがサブタイトルにも掲げた「人間の意地」で、キャラクターの行動や決断の背景には必ずこの「人間の意地」が存在していますね。
これは普段、作者様は特に意識も無く描写しているものですから、昔は殊更テーマとして取り上げる必要はありませんでした。
ところが、昨今のライトノベルや「小説家になろう」での人気作品等に於いて、この「人間の意地」が希薄になっている印象が否めず、その事が結果として作品や作者様の独自性も薄めてしまい、淘汰のサイクルを速めてしまっているのでは?と私は考えたのです。
私の作品のテーマは「人間の意地」ですので、メインキャラクターには全員、サブキャラクターにも物語が破綻しないレベルでプライドや背景を描く様にしました。
私自身が、どんなにハイスペックでお金や女の子を引き寄せる知り合いが近くにいても、人間的に尊敬出来なかったり、自分自身にその世界に釣り合う実力が無ければ友達になりたいとは思わなかった事と同じで、主人公のイエスマンばかりではつまらないですからね。
私は、「小説家になろう」でも確固たる地位を確立している「チートハーレムもの」について、読む事にも書く事にも余り興味はありませんが、否定はしていません。
私も男として、成人向けの作品等ではそういった「ハーレム的な要素」を受け入れてしまいがちですし、イチャイチャぶりや喧嘩っぷりが微笑ましいハーレムものもありますからね。
でも、「人間の意地」がテーマの私がハーレムものを書くとしたら、当たり前ですけど、もっと「女性キャラクターの意地」は描きます。
私の作品に出てくる女性キャラクターが殆ど自立しているという事もあるかとは思うのですが、ヒロインが本当に主人公の事を好きなのであれば、曖昧な立場に悩み傷付いて、自らの修行の為に主人公のパーティーを脱退するストーリーを描きますよ。
やがてレベルとスキル(この表現は嫌いですが、便宜上使わせて貰います)を高めたヒロインは、強くなれば自分にすり寄って来る弱き者がいるという現実を身を以て経験し、昔とは違った毅然とした態度と想いを新たに主人公と再会する……という展開にしたいのですが、なかなかこういう作品には出会えませんよね。
こういった展開でもハーレムを描く事は出来るはずですが、まずはヒロインの成長まで描く余裕が作者様に無い。
或いは、成長したヒロインに釣り合うレベルに成長した主人公を描けない。
様々な事情はあると思われます。
「小説家になろう」のシステムで人気者になる為、或いは書籍化してプロを目指す為に、ストレス展開で読者様が離れる事を避けたいという現実があるのは確かだと思うのですが、果たして、私のアイディアはそれほど沢山の読者様が嫌がる展開なのでしょうか?
読者様の期待を裏切らない様に作者様が悩みながら努力した結果、決着の着かないハーレムやなかなか先に進めないストーリーのせいで感想欄に誹謗中傷を行うアンチが湧き、感想欄を閉じざるを得なくなった作家様や良心的な読者様にとって、その程度のトラブルはハーレムが崩れる程のストレス展開では無いという認識なのでしょうか?
私は勿論、批判を超えた誹謗中傷を行うアンチは許してはいけないと考えています。
しかし、「チートハーレムもの」は圧倒的実力差でヒロインやライバルの「人間の意地」を圧殺した世界観が築かれている以上、作者様はアンチから舐められたら言葉のチート能力でアンチを圧殺して見せなければいけません。
良心的な読者様は、感想欄で「読者の意地」を見せて戦っているのですから。
「人間の意地」が作品のテーマだと断言する私は、当然人間の意地にはいつも注目しています。
例えば、エッセイのコーナーに立ち寄ると、作者様の剥き出しの想いや、剥き出しっぽくセルフプロデュースされた巧妙な文章に感銘を受ける事が多々ありました。
その中には当然、私と意見の合わない方や、態度や価値観の点で受け入れたく無いな、という作者様もいます。
しかしながら、プラス面・マイナス面を問わず「人間の意地」で感情を揺さぶられる事には大きな意味があり、作者様の活動報告にまでお邪魔させていただくと、そこでも意地を見せ付けて戦われている方が沢山いらっしゃいました。
この経験で、私が「人間の意地」をテーマに作品を書き続ける事が間違っていないと確信を持てましたし、底辺アマチュア作家である私には、作品の評価や読者様の数よりも優先しなければいけないものがある……という認識を変える事も無いと思います。
それではまた次回!




