第二話 心の声
──次の日。
今まではB子達とお昼を過ごしていたが、今日は一人ぼっちだった。
遠くから此方を見て何やらヒソヒソと話しているB子達。
居心地の悪さに、外でお昼を過ごそうと立ち上がったその時だった。
「あっ」
突然声を上げた隣の席のA君。
割りと大きめな声だった為か、僕だけでなく教室に居た生徒達も一斉に彼に視線を向ける。
「どうやら妹のお弁当と混ざってしまったようだ」
彼は苦笑いしながら僕にお弁当を見せた。
二段重ねのお弁当なのに、両方とも梅干しが乗った白米のみ──その衝撃の光景に思わず吹き出してしまった。
「……良かったら私のお弁当のおかず、食べる?」
「……確かに白米のみ食べるのは中々辛いものがある。お言葉に甘えさせて頂いてもいいだろうか」
「はいはい」
僕は再び席に座り、結果A君とお昼を過ごすことに。
そしてその次の日も、更に次の日も、彼と他愛も無い話をしながらお昼を過ごした。
特に席を向かい合うこともせず、隣の席のままA君と過ごす時間はとても心地が良かった。
ある日、中庭のベンチで読書をしながら休憩していると、隣にA君がやって来た。
「やぁ。何を読んでいるんだい?」
まるで英語の教科書の例文のような台詞で話しかけてくるA君。
「何って、小説」
「そう言えば保戸塚さんはよく本を読んでいるよね。本が好きなのかい?」
「まぁね。本を読んでいる間は自分の世界に入れるから」
小さく呟くように答え、再び本に視線を戻す。
「……邪魔すると悪いから退散するよ」
音を立てないようにベンチから立ち上がろうとするA君。思わず服の裾を引っ張ってそれを制止した。
「いいよ。隣にいて」
すると僕の言葉にA君は嬉しそうに頷いて、再び隣に座った。
「……今日は天気が良いね」
青く澄みきった空を見上げるA君。
彼は大きく深呼吸をすると、ある一言を告げた。
「実はね、俺ゲイなんだよ」
突然の彼の告白に本のページを捲る僕の手が止まる。
大きく波打つ僕の心臓に気付く訳もなく、A君は話を続けた。
「ごめんね急に。君になら話せると思ったんだ」
何処か寂しげな表情を浮かべながら笑うA君に、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。
「……今まで誰にも言ったことが無かったの?」
「うん。怖くて家族にも友達にも言ったことは無かった」
「……どうして、私に?」
僕が身体が女性なのに心は男性だから?
同類……いや、自分の方がましだろうとでも思ったの?
自らの心に棘を刺すような言葉ばかりが脳内に浮かぶ。
しかし、彼の返事は違った。
「……隣の席にいたのが君だったから」
「……え?」
「自分に嘘をついて苦しそうにしている君が、どこか僕に似ていると思ったんだ」
彼の言葉に僕は言葉を失う。代わりに一筋の涙が頬を伝った。A君はポケットからハンカチを取り出すと、僕にそれを差し出した。
「……ごめん……」
手に持っていた小説を膝に置き、そのハンカチで涙を拭う。すると、自然と口から心に溜めていた言葉が溢れてきた。
「……私も……僕も苦しい。こんな女の子みたいな服装や髪型をするのも嫌だ」
「うん」
「好きな女の子と友達として過ごさなきゃいけないのはもっと辛い」
「うん」
「僕は……女性でいたくない。男の子として過ごしたい」
「うん」
心に溜まっていた物を吐き出す僕に、A君は優しく相槌をうつ。
「……こんな事、話したのは君が初めてだよ」
「……どうして俺に話してくれたの?」
彼は先程僕が問いかけた質問を同じように返した。
「……隣にいたのが君だったから」
そして全く同じように返答する僕。
僕達は顔を見合わせると、先程までの涙が嘘のようにお互いに笑いを溢した。
隣の席にいたのが君で良かった。
僕は心底そう思ったんだ。
しかし、それから何日か経過して事件は起こったのだ。
「A! お前ゲイなのかよ!?」
二時限目が終わった休み時間。
C太がA君に衝撃の一言を言い放った。
一斉にクラス中がざわつく。
「この間、中庭で保戸塚と話してるの聞いたぞ! 本当にそうなのか!?」
話を容赦なく続けるC太に、クラス中の視線が二人に集まった。
「……だとしたらそれは君に関係があるのかい?」
「マジかよ! 大人しい顔してお前……気持ち悪いな!!」
“気持ち悪い”
あの時、僕の心を抉った一言が脳内を駆け巡る。
「おーい。こいつホモだぜ! 近付くと病気がうつるぞ!」
面白半分で話すC太に、取り巻きも同様にA君をからかい始める。
こいつら……面白半分で人を傷付けて……!
怒りを抑えきれず、立ち上がろうとしたその時だった。
「確かに俺はゲイだよ」
突然のA君の一言で僕の動きはピタリと止まった。
皆の注目も一斉に彼に集まる。
「……でもそれが君達に迷惑をかけたのかい? 同じ性別の人間を愛することはそんなに悪いことなのかい? 僕はそうは思わない、絶対に思いたくない」
いつもは冷静なA君──机の下で握り締めた拳が微かに震えている。
A君はゆっくり立ち上がると、誰にも目を合わせることの無いままそのまま教室を後にした。
僕はそんな彼が立ち去る姿をただ見てる事しか出来なかった。
それからA君は学校に来ることは無かった。
当たり前だ、皆の目の前であんな酷い思いをしたのだから。
……でもね、A君。僕は君がいないと一人なんだ。お願いだから隣にいてくれ……
目から溢れ出しそうになる涙を堪えようと唇を小さく噛み締めたその時、教室の扉がガラリと開いた。
扉の前にいたのは、目の下を真っ赤にして神妙な顔つきをした担任。
いつもと違う担任の様子に、クラスメイトは空気を読んだのか無言で席に座っていく。
担任は教壇の上に立つと、深い息を吐いた。
「……皆さんに大事なお話があります」
そして担任は衝撃の一言を告げた。
ーーA君が、昨日交通事故で亡くなりました。
一斉にざわつく生徒達。
考えもしなかった担任の言葉に僕の頭は真っ白になった。
A君が死んだ?
そんな馬鹿な……嘘だ嘘だ。
それからの担任の話、周りの反応全てがモノクロームのように動いて見え、何も頭に入らなかった。
僕はただ誰もいない隣の席を見つめるだけだった。