2 一人ぼっちが二人、引き寄せられるように
しばらくすると、彼女はさっぱりと涙を止めて、泣きはらしていた顔も晴れやかに変わった。そして俺は、彼女がとても美しい顔立ちをしていることに気が付いた。今までは顔を背けたり、泣きはらしたりしていて、その容貌が掴めていなかったのだ。
柔らかそうにカールした髪も、あどけなさが残る瞳も、どこか大人びた唇も、どれもこれもが美しい。特に俺にとってはドストライクだった。
こんな美人を放っておくどころか、捨ててしまうなんて、そのパーティの連中も見る目がないな。もちろん、口に出したりはしなかったが。
「まずは自己紹介をするわね。私の名前はフランセット=アレグレ。フランって呼んで」
相当量飲んでいるように見えたが、彼女の顔は赤くないし、語調もはっきりしている。よほど酒に強いのだろうか、それとも……。
「フランか。よろしく。俺の名前はメルヴィン=スペンサー。メルヴィンでいい」
「メルヴィンね、覚えた。貴方は……見た目からして、重装歩兵って感じかしら。腰に剣も佩いてるし」
「まあ、大体そんなようなところだ」
「だからって、酒場にまで鎧姿で来ることはないんじゃない? 常在戦場でも気取ってるの?」
「いや――――」
「大体、それじゃ食事もまともにできないでしょう。酒場に来て、飲まず食わずで時間を過ごすなんて、勿体ないと思うんだけど」
「……大丈夫だ。鎧の隙間から酒を飲む技は身につけているからな」
俺の手には、中身が僅かに残ったミードのグラスがあった。ちょうどいいな、特技の一つを披露してやろうじゃないか。
「いいか、見てろよ……そらっ」
俺は天井を仰ぎ見て、グラスを高く掲げる。そして鎧の隙間から、そっとグラスの中身を注ぎ込む。そして鎧に触れることもなく、一滴も零すことなく空にして見せた。
どうだ凄いだろうとフランの顔を見たら、少し引いていた。おかしいな、仲間内では鉄板ネタだったのに。
「……そこまでして鎧に拘る? 脱いじゃえばいいのに」
まあ、普通はそう思うだろう。常識的に考えれば、俺だってそうする。だが、そうできないだけの理由もある。
「顔がな、醜いんだ。人前に出すと顔を顰められるくらいにな。だからあまりさらけ出したくない」
「貴方がどれだけブサイクか知らないけど、たとえこの世の終わりみたいな容姿だったとしても、鎧甲冑フル装備と威圧感大して変わらないと思うわよ?」
「……やはり鎧は駄目か。ものは変えられないから、せめてこぎれいにしようと気は使っていたんだがな」
「確かに、鎧の戦士って大抵汗臭いものなのに、貴方からはそんなに匂いしないわね」
すんすんと鼻を動かして、フランは俺の鎧に触れた。……! この子、距離を近づけるのに躊躇がないな……。だが、そのへんの拘りを分かってくれたのは嬉しい。そう、こんなナリだが俺は結構なきれい好きでもあるのだ。
「先入観で、勝手なことを言っちゃったみたいね。ごめんなさい」
「……十年来、欠かさず手入れを重ねてきたからな。旅を始めた時からずっと上から下まで傷ついていない部分はないが、それでもまだ現役を続けられているのは、錆も傷も負う度ごとに修繕して、普段のメンテナンスも欠かしてないからだ」
「へえ~……」
説明を聞くと、彼女はなんだか嬉しそうに手元のグラスを回した。
「私、そういうの好きよ。ものを大事にする人って、素敵だと思う。普通に考えたら、鎧なんて自分がいるレベルに合わせて上等なものを誂えるもので、旅の始めに買った装備なんて、早々に捨ててしまう人が多いけど……こうやって年季が入っても、使える限り大事に使おうとしてくれるのって、私とっても素晴らしいことだと思うわ」
そう言ってくれると、なんだか報われたような気がしてくる。実際、旧パーティの面々は彼女が言った多数派の急先鋒のような人間で……それだけに、吝嗇家で物持ちがいい俺はパーティ内では少し浮いていたところがあった。ひょっとしてそのせいかなあ……? いや、金遣いのスタンスが違うくらいで追い出すほど、あいつらは狭量な人間じゃないはずだ。
「……でも、鎧に塗る香油としては、ちょっと香りのセンスが悪いわね。そうだ、今度いい香油を持ってきてあげる。金属鎧に合う奴を持っているの。今は持ち合わせがないけど、きっと気に入ると思うわよ!」
そう言う彼女の服装は布製で、金属が使われている箇所すら見当たらなかった。そんな服装なのに、さび止めに使う用の香油と同じものを持っているというのが、なんとも奇妙だと思った。
「香油……? 持ち合わせ? 鎧用のか? 必要とは思えないけど、その細身で意外と……」
「ああ、そういえば言ってなかったわね。私の職業。言うより多分、やってみせた方が早いと思うわ」
彼女はポケットから、小瓶を一つ取り出した。それは小指の先ほどの小さな瓶で、中には水色の液体が入っている。
「嗅いでみて。零したら大変なことになるから気を付けてね」
蓋を開けた上で、彼女は俺にそれを手渡した。口の部分に鼻を近づけて嗅いでみると、ライムの爽やかな良い香りがした。
「良い匂いでしょ? それを作ったの、私なの」
「作った……?」
「私はね、香料術士なのよ」
「ふれぐ……らんさー? 槍使い?」
何のことを言ってるのか分からなかったので、俺は首をかしげた。すると彼女はむっすりと膨れて眉を逆立てた。
「違うわよ! 初対面の人って皆そう言うのね!」
「悪い……聞いたことがなかったから。でも槍術士って言っただろ? それでフレグ……フラグ? 旗手?」
「違う! フラッグじゃなくてフレグ! ランサーじゃなくてフレグランサー! フレグランスの使い手、香料使い! 香りを専門にする技術職!」
「香料使い……香り専門!?」
「ええ、そういうこと。常備している数十のアロマオイルで、どんな匂いだって自由に作り出せるわ。何か好きな香りとかある? お望みなら、この場で実演してあげるわよ!」
「……いや……今は要らない」
残念だけど、そんなニッチな職種ならパーティから追い出されても仕方がない。俺は思ったが、口には出さなかった。きっと彼女は、そんなこと気付いているだろう。ただ食い扶持だけを求めて仕事を選んだのなら、そもそも香料術士なんて選ぶはずがない。俺のように、存在すら知らない人間がいるほどのニッチ職だ。需要がないのだって百も承知のはず。
それでも彼女が香料術士としての道を選んだのは、きっとその仕事が好きで、誇りを持ってやっているからだろう。パーティを追い出されて、仕事がなくなって、それでも香料術士を名乗り続けているんだから、その覚悟も相当なもののはず。それでも時には辛くなって、酒場で吐き出してしまいたい日が来ることもあるだろう。それを誰が責められるか、誰が馬鹿に出来るか。
「それより、さっき言った奢りの話。俺も一杯頼もうと思う。お前は何がいい」
「ああ、そんなこと言ってたわね。じゃあ、フローラルウォーターを貰おうかしら」
フローラルウォーター。花を水に漬けて香りを移したやつか。それくらいなら俺も知っている。
「酔い覚ましか?」
「いえ、一滴も飲んでないわよ。酒場に来てから今に至るまで、全部ソフトドリンクしか飲んでないわ」
そう言って、彼女は乱雑に転がされていたグラスをまとめてウェイトレスに手渡した。
「さっぱり酔ってなかったのは、そもそも酒を飲んでいないからだったのか。グラスをあれだけ干しておいて素面だったから、よっぽどの酒豪かと思ったよ」
「アルコールの匂いがどうも苦手でね……人が飲んでるのを嗅ぐくらいなら大丈夫なんだけど、自分の体に取り込んじゃうと鼻がおかしくなるような気がして。だから、あまり飲まないようにしているの」
プロフェッショナルだ。
香料術士という彼女の職業は、なるほど需要こそあまりないのかもしれない。しかし、彼女はそんな中でも香料術士としての自分を常に意識して、研鑽に余念がない。自分を堕落させるようなことをせず、直向きにその仕事に向き合っている。それが形としてのリターンを殆ど生んでくれない閑職だったとしても――――だ。
「カッコいいじゃないか、お前」
思わず、口に出ていた。
「仕事に対して、とっても真摯だ」
すると彼女は、じっとりと俺の顔を睨めつけた。
「『カッコいい』? ……それ、女性に対する褒め言葉?」
確かにちょっと、不適切だったかもしれない。
「いや、他意はないんだ。別に悪意をもってそういう表現をしたわけじゃない。なんというか、その……アレだよ。『素敵』……そうだな、そういう表現がいいな」
気を取り直して、咳払いして、俺は改めて彼女に言った。
「お前の生き方は、素敵だと思う。たとえパーティから追い出されても、それでお前のがんばりが、生き様が、否定されるわけじゃない。だから、もっと毅然としていていいと思うんだ」
すると彼女は、少し照れたように顔を背けた。
「……! わ、分かってるわよそんなこと……貴方に言われるまでもなく。分かってるから、今まで頑張って来れたの。そしてこれからも……」
言われてみればその通り、俺が今更言うことじゃなかったかもしれない。自分の上から目線をちょっと恥に思った俺だったが、そんな気持ちは次の彼女の行動であっさりと吹き飛ばされた。
「でも、ありがとう。人にそうやって言って貰えるのって、やっぱり違うわね。嬉しかった、元気出た」
彼女はそう言って、僕に微笑んでくれたんだ。
「……」
ありがとうを言いたいのはこっちの方だ、と心の中で呟いた。そうやって、自分の力で誰かが笑顔になるのを見ると――――何の価値もないんじゃないかと思っていた自分が、それでも少しはマシに思えてくるんだから。その時の俺は、本心から彼女に救われた思いだった。
だからこそ――――この直後に『あんなこと』になるなんて、全く予想していなかったのだが。