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テオとの出会い

 軍人たちの憩いの場である中庭は、人工芝とバイオフワラーで飾られて、鮮やかな緑色の空間になっている。しかしそれはすべて作り物だ。

 花は品種改良を重ね、蜜も花粉も無い。人工生育に依存して、どこかからふんわり漂う甘い香りも、香料入りのスプリングシャワーを振りまいているだけだった。香水には防虫作用も含まれて、帝都には虫一匹寄りつかない。

 作り物の緑色。アレイニがほしいのは、こんなものではなかった。


 夢遊病のように、中庭を延々、縦断する。ようやく人工芝がとぎれた先は、安っぽい石畳の広大な敷地になっていた。一般兵の演習場である。軍人たちが銃剣を掲げて、エイヤアと踊りのような修練をしているのが見て取れた。

 中には女性もいるらしい。雌雄同体の者や、雌体でも独身のうちはこうして社会にでて稼がなくてはならない。それでもさすがに、兵隊というのは珍しいことだ。ひどく食いつめているのだろうか、あるいはどうしようもない醜女しこめなのか。


 演習の邪魔にならぬよう、壁沿いに移動する。遠目に、下等兵を導く兵士長の姿が見られた。


 小柄な女だった。淡い桃色の髪に、意外と豊かな胸の膨らみに細くくびれた腰、少年のように伸びやかな手足。顔立ちは、客観的に、かわいらしい。

 アレイニは顔を背けた。


(……あの見目で、未婚で軍人だなんて。よほど阿婆擦れなのでしょうね。それとも知能に障害があるのかしら)


 可哀想にと胸中で呟く。


 アレイニは兵隊が嫌いだった。


 あれは野蛮な連中ばかりだ。軍人といってもただ国に雇われているだけで、傭兵と何も変わらない。暴力稼業、命がけの肉体労働である。そんな仕事にしか就けなかった、能なし集団。

 騎士団だって同じだ。騎士団入試問題も一読してみたが、ため息が出た。ほとんどが実践用――人体の急所や緊急医療、銃の分解など、戦場でしか役に立たないことばかりで、数学などは学生レベル。哲学に至っては、アレイニが学んだことと真逆の理論が展開されていた。あんなことを言っている教授はひとりもいなかった。


(軍人なんて、馬鹿ばっかり……)


 わかっていたことだった。それでも――だからこそ――キリコ博士には、全幅の信頼を寄せていたのに。

 酷い裏切りだった。


 両足が止まっていたことに、アレイニは今更気がついた。勝手に身体が落ち着いている。

 天を見上げるとちょうど巨木が二本立ち、木陰と木漏れ日、日だまりのすべてを兼ねたすばらしい空間がそこにあった。


 壁にもたれ、嘆息する。ため息を深呼吸に換えて、そうしてどうにか、腹の中で燻るものを無くしてしまおうと努めた。


 だが、息とともに溢れだしたのは、涙だった。じわりと湧いた一滴を、慌ててグイと拭い取る。拭っても、拭っても、可笑しなくらいに水が湧く。

 アレイニはそのすべてを、こぼれるより早く消し去った。摩擦で見る見る赤くなる瞼、それでも決して、頬をぬらさない。

 濡らしてなるものか。

 アレイニは泣かない。


(どうしてあなたが泣くの、アレイニ。あなたは何も失敗なんかしていないのに)

(泣くな。これで泣いたらまるで私が負けたみたいじゃないの。泣いてはいけない……)


 指先が冷たくて凍えそうだった。

 泣いてはいけない。早く泣きやまないと、この涙を止めないと、指が凍傷でもげてしまう。アレイニは頬を叩いた。目を閉じたままの顔面に当たる日光が、さんざん擦ってすりむいた目尻を焼く。さあ目を開けて、立ち上がろう。


 しゃがみ続けて乳酸の溜まった膝を伸ばし、アレイニは立ち上がった。


 ――と。


 ばしゃっ。


 後頭部から、全身に、バケツいっぱいぶんの水をぶっかけられて、その場に立ちすくむ。


「………………」


「あ。あれっ?」


 素っ頓狂な声は、水が飛んできた方向から聞こえた。


 ずぶぬれで振り向くと、アレイニのすぐ後ろにあった窓が開き、そこで、赤い髪の少年が目を丸くしている。

 どこかで見たような、と回顧するまでもない。二ヶ月前、キャンディを手渡してきたあの少年だった。

 相変わらずの痩せっぽち。浅傷と日焼けで薄汚れたような顔に、きょとんという表情。巨大な目をパチパチ瞬きして、水浸しのアレイニを見つめた。


「なんでこんなとこにヒトが――さっきまでいなかったのに。あれっ?」

「……。窓際に……座り込んでいたんですよ」


 努めて平静な声音で、アレイニが説明する。少年はなるほどと手を打った。すなわち、手に持っていたカラのバケツを叩いた。


「そっかーごめんな! あ、ちょっと待ってろよ」


 一方的に言い捨てて引っ込んでいく。


(ここは……少年兵の、宿舎?)


 打ち水をするには季節が早いように思えたが、まあ、窓から水を撒くこと自体は責め立てることじゃないだろう。


 相手が子供とあって、アレイニは許すことにした。

 張り付いた前髪を横へ流し、袖口で顔面を拭う。なんかこの水、ぬるっとしているなあなどと思ったその瞬間。


 ばしゃんっ。


 二度目の放水は、アレイニの真正面からやってきた。先ほどと同じ水量、バケツいっぱいを顔の高さに思い切り浴びて、アレイニは今度こそ悲鳴を上げた。


「なにするのよ、このガキっ!」


 思わず、これまで使ったことのない暴言で怒鳴りつける。叱られたことが不本意だったのか、少年はバケツを抱えて唇をとがらせて。


「だって、さっきの水、パンツと靴下と靴を浸け置きしてた汚水だったから。洗い流してやった方がいいと思って」

「ぎゃあ!」


 アレイニは慌てて顔を拭ったが、拭うための服もまた濡れていることに気がつき途方に暮れる。結局は諦めて、少年に向かって身を乗り出した。


「ふざけんじゃないわよ、この私になんてもの浴びせるの! っていうかそもそも、そういう汚水を窓から捨てるんじゃない! いやもうそもそものそもそも、パンツと靴下と靴を一緒に洗うな!!」

「いや、だって、大体同じくらいの汚れ具合だったからよ」

「どうすればパンツと靴下と靴が同じだけ汚れるのっ!?」

「泥の中を匍匐前進する訓練」

「ふつうに答えないでください!」

「あー? なんだよそっちから聞いておいて、ほかにどう答えろって言うんだよ。めんどくせえ女」

「ごめんなさいが足りませんっ!」

「ごめんなさーい。でも俺、最初にちゃんと謝ったぜ」


 へらへらと悪びれもせずにそう言って――


 ――不意に、少年は眉を引き締めた。

 愛嬌のあった大きな目が、強烈な光を放つ。窓枠から身を乗り出して、彼はアレイニの顔を睨みつけた。

 鼻が触れるほどの至近距離で、視線を合わせる。

 いきなり雰囲気の変わった様子に、アレイニは思わず後ずさった。


「な、なによ……」

「お前、また泣いてんのか」


 ぎくりと肩を強ばらせる。それだけで答えになってしまったらしい。少年はすぐに諒解すると身を翻した。また窓辺から走り去り、間もなく戻る。その両手いっぱいのキャンディを広げて、アレイニの前に突きつけた。


「ほら、どれでも好きなもの取っていいぞ」


 と、言う、キャンディはどれも同じもの。

 アレイニはぼんやりしたまま、キャンディを一つ、つまみ上げた。今度は汚れてはいない。だが見れば見るほど安っぽい、子供向けの駄菓子だった。


「……どうして、こんなにたくさん持ち歩いてるの?」


 どうでもいいことを聞いてみる。少年はこともなげに答えた。


「ここ、俺の部屋だもん。コレ、一ヶ月分のおやつ。母ちゃんが送ってくれたんだ」

「それは……大事なものなんじゃないの?」

「いいんだ。母ちゃんの手紙にも書いてあった。泣いてる子がいたら分けてあげなさいって」

「……私は……泣いてません」


 そう言いながらも、アレイニは包みを開き、キャンディを口の中に含んだ。


 赤い玉は案の定、ひどく安っぽく甘ったるくて、香料が鼻孔をくすぐりクシャミが出そうだった。


 いけない、ここでクシャミをしたら、キャンディを吹き出してしまう。そうしたらきっと、正面にいる少年の顔を直撃するだろう。

 心配そうに、だが自慢げに、美味しいわというアレイニの言葉をすぐ目の前でわくわくと待っている少年の眉間にだ。


 自分の妄想に、笑いがこみ上げる。くっくっと肩を震わせ始めたアレイニに、少年はこれで用済みとばかりに背を向けて、さっさと部屋へ戻っていった。


 せっかちな去り際だ――と、思った直後にまたも何かが顔面直撃。


「うぶっ」


 今度は水ではなく、やわらかな布である。できればもうすこし丁寧に手渡してほしかったが、とりあえず有り難く髪を拭く。


「どうも、ありがとう。テオ――じゃなくて、ええと……」


 窓枠に乗り上げて、こちらをのぞき込んでいる少年の名を、アレイニは思い出せなかった。教官から呼ばれていたのが正式な名前に違いないのだが、脳裏をよぎるのは愛称ばかり。


 通常、二桁年齢になったもの――とくに男子に、幼名で呼ぶのはたいへんな無礼である。

 アレイニの困惑を悟ったのか、少年はまた、笑った。


「テオでいーよ。おなじ少年兵のみんなも、教官だって訓練中じゃなきゃそう呼ぶんだ」

「本当? それは怒るべきなんじゃないかしら」

「別にー。しょうがないや。テオって呼ばれてる間は大きくなれないわけじゃないし、俺がもっとでっかく強くなって、テオが似合わなくなればみんな、勝手にティオドールって呼びはじめるだろ」


 簡単に言ったものである。アレイニは何か反論しようとして、推敲している間に内容を忘れた。諦めて嘆息する。


「……君と話してると、なにもかも馬鹿らしくなってくるわ」

「よく言われる」


 なにやら嬉しそうに言うテオ。


 よく笑い、そしてころころとよく表情の変わる少年だった。一秒だってその眉が制止していることがない。

 高山の天気のようだと、アレイニは思った。


 タオルを返し、日差しで少し乾いた程度の濡れた服のまま、研究所へと戻るアレイニ。

 窓枠に乗り上げた姿勢のまま、テオは両手を振り回す。


「また泣きたくなったら俺んとこ来いよー!」


(……泣いてないって言ってるのに)


 大人の余裕で手を振って、アレイニは少年に背を向けた。水浸しにされた服はじっとりと冷たくて、春先の風に凍えてしまいそうだった。

 それでも、腹の中には熱が灯っている。砂糖の塊はアレイニの舌を慰め、エネルギーになってくれた。




 業務時間の終わる直前になって、研究室へと現れた少女に、アレイニは呆れ果てた。


 まだまだ宵の口、夕刻といっていい頃だというのに、寝間着で枕を抱えて参上したのである。


「あなた……その格好で、騎士団長の執務室から歩いて来たのですか」


 叱りつけるほど、みっともない姿ではない。柔らかな生地のシャツに白色のショートパンツという、ごく一般的な休日の部屋着だ。


 だが十六の女性としては余りにもはしたない。人形じみた美貌に未発達な胸元、目がくらむほど長く伸びやかな手足というアンバランスさが、奇妙な淫靡さを感じさせるのである。

 剥き出しの、無防備な白い腿。

 皮肉が通じなかったらしい、幼い騎士団長はうなずきもせずに押し入ると、慣れた様子で、実験室のベッドへ寝転がる。

 そのまま枕に突進するのを、慌ててアレイニは引き留めた。 


「ちょっと、勝手に寝ないでください。私、もう自宅に帰るんですよ。鍵はどうしたらいいんですか」

「……置いていっていい……」

「そういうわけに行きません!」


 アレイニの怒鳴り声に、少女はこれ以上ないほど億劫そうに寝返りを打った。瞼が半ば以上閉ざされて、伏せた睫毛に群青色の瞳が隠されている。


 ほとんど、すでに寝ている。


 彼女はしばらくモニョモニョと、意味のない言葉を枕に注いだ。一秒ごとに、睡魔におかされ緩んでいく眉間。


「もう……信じられない」


 こうなるとたたき起こすのも気が引けて、アレイニは戸惑いつつも、諦めるしかなかった。


 薄着の彼女に毛布を掛けてやると、目を閉じたまま礼を言われた。だがそれは毛布のことではなかった。


「ありがとう、アレイニ……毒薬……俺が飲みやすいように、美味しくしてくれたって、キリコから聞いた……俺が、吐いたり、汚したものを洗っていたのもあなただと……」

「……え……ええ」

「ありがとう、アレイニ」


 それだけ言って、少女はいよいよ眠りに落ちる。とたんその面差しから凛々しさが消滅し、幼さを感じさせた。可愛らしい、と、思える。


(……悪い子じゃないんだわ)


 それは、確信できていた。


(だけど変な子……)


 その年頃の雌体なら、いや、人ならばあるべき感情を、いくつも欠損しているように思える。


 弱冠十六歳の騎士団長。噂によると惑星オーリオウルに単身出撃し、数百人を惨殺した――その功績が讃えられての抜擢だという。


 本当だろうか。


 ほころぶ花弁のように、ふんわりと開かれた五本の指。しなやかな、女の手だ。厳しい訓練を経てきた手が、これほど白いままでいられるのだろうか。こんなに柔らかそうな手で、剣が振れるものだろうか。もっと別の手段で前期師団長に取り入って、のし上がっていったということはないだろうか。


 一瞬、ひどく卑猥な想像がアレイニの脳裏をよぎった。

 穿ちすぎだ。まさかこんな色気のない――姿形は美しくても、己が女であることを理解もしていない子供に、そんなことが出来るものか。


 アレイニは首を振って立ち上がる。研究所の鍵は掛けて帰ることにした。そうすると朝まで少女が出かけられないことになるが、緊急事態ならば内鍵を開けて出るだろう。この子ならトイレも機材洗浄場で済ませて平気でいるような気もするし。


 一人で確信し、アレイニは軍施設を立ち去った。



 アレイニの家は帝都の寮ではない。シャトルバスを使って移動した先、王都のアパート群にあった。帝都で暮らせば便利なのはわかっている。が、あの無機物で固められた空間で、衣食住を満たす気にはなれない。

 四階建て、ワンフロアが五室。二階の角部屋へと入っていく。


 広々としたリビングと、扉を隔てて寝室という間取りは、一人暮らしを少し持て余す広さ。もともと賃貸であるそこを買い取り、工事して取り付けた大きなキッチンはアレイニのお気に入りだ。学生時代から五年間、使い慣れた鍋で夕食を作る。


 食べて、片付け、入浴して、くつろぐ。本を一冊読み終えて、アレイニは寝室へ入った。

 枕に顔を埋め、目を閉じる。

 次に目を開けば明日の朝だ。


 また明日から、役立たずな一日が始まる。

 ……キリコがいないと何にも出来ない、秀才学生の無駄な日々が。


(……博士がいないと? いいえ、これまで博士がいて何か出来たことがあった?)


 自問し、自嘲する。


 少女への人体実験も、関わらせてもらっていない。ただ言われるまま材料の買い付けと、少女の吐瀉物の掃除、洗濯、洗浄。あとはコピー、配達、ファイリング。下女でも出来る雑用ばかりだ。ようやく評価されたのが、美味しい毒液だと。それもキリコからではない、ただ子供から礼を言われただけである。

 アレイニは思う。自分が役に立っていないのは事実、仕方ない。ではあの少女は?

 彼女はキリコを手伝わない。ただ寝転がっているだけである。ラトキアでは人体実験は禁じられている、それを破れる彼女の存在はなるほど有り難かろう。だがそんなもの、ただのマウス、モルモットでしかないじゃないか。


 誰にでも出来る。アレイニにだって――やろうと思えば出来ることだ。ただ、己の寿命を削るような愚かなことはしないだけ。


(それでも、ほかに候補者を募ったっていいんじゃないの? どうしてキリコ博士はあの子ばかり。あの子だけに――)


 どうしたのクゥ、と呼びかける、キリコの優しい声が思い出される。

 対して、アレイニをみる冷たい双眸も。二人の女を並べて言った、彼の言葉も。


 ――お前のほうが綺麗だよ。


 アレイニはきつく目をつぶり、耳をふさいだ。暗闇にぼんやりと、夕刻の記憶が思い浮かぶ。

 堅いベッドに横たわり、柔らかな腿をすりあわせ、無防備に熟睡する少女の姿だ。

 アレイニは、脳内で少女を罵倒した。


 あんたのせいで、私は眠れないのよと怒鳴っても、厚顔な少女は微動だにしないのだった。

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