アレイニとクーガ②
構わず、キリコは少女の乳房をまさぐった。
お世辞にも豊満とは言えないが、たしかに膨らんだ少女の胸に、骨ばった男の指が沈んでいた。
「だいぶ縮んだな。雄体優位に傾いてはいるようだ。第二性徴期の今を越えたら、かなり男の身体に近くなるとは思うが」
「……キリコ、少し、痛い」
「ああ、すまない。今まだ雌体化周期の途中か。そうだクゥ、私がいない間も毎日身体測定はしておきなさい。疑似性交の効果が出てなかったら、あれはもうやめるからね」
少女が頷くと、キリコはその手を離し、代わりに旅行鞄を持ち上げる。そしてアレイニに簡単な注意事項だけを告げて、さっさと出かけてしまった。
アレイニは相づちすらも打てないまま、呆然と、その後ろ姿を見送って――
はっと正気に返ったとき、黒髪の少女がずいぶん遠くにいることに気がついた。
「ま、待ちなさい!」
大きな声を上げる、と、少女はすぐに振り向いた。アレイニが駆け寄るまでもなく、こちらへ戻ってくる。
意外なほど素直な反応に拍子抜けしつつも、気を取り直し、アレイニは傲然と背筋を伸ばした。
「あなた――クゥ? ええと、今年度からの新しい騎士団長といえば確か……」
「クーガ」
少女が答える。
「そう、クーガ……あなた、年はいくつなの? き、騎士団長ということだけども、未成年よね」
「十六。元服はすんでいる。それに高級軍人として就業している場合、少年は成人と同等の権利と義務を持つから、法律上ほとんど成年と変わらない」
淡々と、クーガ。
キリコの前ではボソボソとしていた口調が、やけに明朗になっていた。口下手というわけではないらしい。
むしろ理路整然とした主張にたじろいで、アレイニは虚勢を張った。
「そんなことは、私だって知っています。話を逸らさないで」
「……何の話かわからない」
一片の感情も映さぬ無表情で、言い返してくる。怜悧な目だ。愚かな学生アガリの科学者見習いの思いなど、何もかも見透かすような眼差し。アレイニは何か、猛烈に腹が立った。怒鳴りつける。
「あなたね、あれは犯罪ですよ。あなたは犯罪被害者なんです。少しは動揺とか、悲鳴の一つも上げたらどうなの?」
「……あれ、とは」
「今、キリコ博士に胸を――身体をさわられてたでしょ。それに人体実験。先月のこと、私、見てたんですから。バーチャルセックスだなんて、ようするに脳に直接卑猥な動画を送り込んでるようなものでしょ」
「違う。行為者の脳波をトレースで再現しただけ。動画じゃなくて電気信号だ。『偽物の性行為をしている』ではなく『性行為状態を疑似的に再現している』。目を閉じても何も見えてないし身体の感覚もない」
「そ……な、なんだかわからないけど、とにかく、未成年への猥褻な行為は犯罪なんです!」
アレイニは叫んだ。
「それに、睡眠薬も、専門の処方無しでは与えてはいけない。常識でしょう」
「キリコは薬剤処方の免状を持っている」
「正式な診断なくして処方するのは、医師だって違法よ。勝手に身内に分け与えちゃいけないの」
「俺は毎月、キリコから全身の身体測定と高度医療健康診断を受けている。眠剤もその中で処方されたもので、だけど雌雄同体で体重や体質がそのつど変動するから小出しで調合してもらっているだけ」
言葉をなくすアレイニ。クーガは、それを鼻で笑いなどしなかった。だが何の感情もないその面差しは、まるきりアレイニを相手にしていない。
少女はさらに言う。
「バーチャルセックスも、身体を触るのも、キリコが医師であり生物学者だから。雄体優位になりたいという、俺の望みをかなえるためにやってくれている。違法だというなら、依頼主である俺の罪になる。
服毒もそうだ。来月に出征予定のヒスタニア星は毒霧に覆われていて、マスクはつけるが、付け替えや飲食などでわずかに大気を吸入してしまう。そこで前後不覚になるより、今すこし苦しい思いをして耐性をつけた方が、俺にとってずっと安全なんだ」
「あ……あなたが、戦場へ行くの? だって、あなたは騎士団長で……いや、まだ子供で……女の子じゃない」
その言葉に、初めて少女は表情を変えた。かすかに目の形を変えた程度だが、確かに、不快感を顔に出したのだ。
少女はアレイニに対峙する。
「俺は戦闘力を買われて騎士団長になれた。だから、もちろんこれからも戦う。姉妹星であるオーリオウル以外の渡航は、騎士にしかできない。毒耐性は幼年のうちの方がつきやすい。また、ヒスタニア星人の平均寿命は二十五歳だ。若い騎士の方が潜入しやすいメリットもある。だから俺がいく。誰かがやるしかないなら、誰がやったって不思議はないだろう」
言葉をなくして立ち尽くすアレイニに、少女は不意に、また表情をゆるめた。
「……それに、俺はどちらかというと雄体優位で、来月には男の姿になっている。
……雌体とは考え方が違うんだと思う。キリコとも……わからないものは仕方ないけど、彼を変に疑うのはやめてほしい。俺は彼を頼りにしているんだ」
少女の意思は、久しく掛けられた覚えがないほどに優しく丁寧な説明口調でもってアレイニに伝えられた。だが、キリコの痛烈な皮肉などよりよほど冷たく突き放す、拒絶の言葉であった。
下腹のあたりにずっしりと重い、しこりが一つ出来たような鈍痛。
アレイニは不意に、目に痛みを覚えた。その痛みのせいで――あくまでも、その痛みのためだけに、青い瞳が濡れる。少女はそれを見て取り、ぎくりと身を震わせた。
「ごめんなさい、鍵は届けなくてもいい。夜にまた来る。仕事の邪魔をしてすまなかった」
足早に立ち去る少女。
可笑しな子だ。己も女の身体をしているくせに、女の涙で逃げ出すだなんて。
アレイニは乱暴に目元を拭うと、少女の逃げた道とは逆方向へ歩き始めた。
――気分転換をしよう。
こんなに気分が悪いのは、きっとこの空気のせいだ。前から思っていたことだが、この研究所施設は日当たりが悪すぎる。照明と空調設備で快適な環境に整えていても、やはり、自然の風や日光がなくては人は生きていけない。
そうだ、そうよ、とひとり呟く。
(こんなところにこもりきりだから、キリコ博士もあんななんだわ。あの子も、あんなに色が白くて人形みたい。不健康よ)
(お日様を浴びてこよう。今日くらい、日焼けをしたっていいわ……)
あの心地よい日だまりで、濡れた皮膚を暖めよう。
歩幅を無理矢理大きくとって、アレイニは研究所を抜け、中庭に出ていった。