別離
ドアフォンから聞こえた声は、シェノクのものだった。
『アレイニ、深夜にすまない、起きてるか?』
「……何の用でしょうか」
『お前に客だ。親戚で、事前に連絡はしていると。身に覚えがなければ――』
と、いう言葉の途中で、バシンと何かを打つ音がした。
『いっ――てっ! なにするん――』
『中継ぎなどしなくて結構。あなたがわたくしと姫様の間に入れるとお思いですか。身の程を知りなさい』
『あ!? ふざけんな、騎士団領は普通、民間人は立ち入り禁止だ。それを身内の訃報だの宿も取ってないだの言うから――ッ痛! なにすんだコラ!』
アレイニは笑った。
まったく、予想通りの来客らしい。
そう、これは予想のできたことだった。あの手紙を受け取るよりも前、兄が塔を逃げ出した時からずっと。
いつか、死神がやってくる。
次はお前の番だと。
アレイニはベッドから身を起こし、玄関へ向かった。だるい腕をのろのろと持ち上げて、扉を開く。
そこにはやはり知った顔があった。
額のあたりを抑えたシェノクと、黒服の老婆。
シェノクが小さく声を上げた。その反応で、自分が全裸だったことを思い出す。
しかしすぐに開き直り、アレイニはそのまま一礼した。
「お久しぶりです叔母様。父母が亡くなって以来でしょうか。こんな夜中に、ずいぶん急なお越しですね」
「お久しぶり、ごきげんようアレイニ様。風邪をひかれますよ。お着物をお召しませ」
「それよりまずお伺いしたい。――その方を殴りましたか叔母様。嫌な音が聞こえました。彼は私の先輩騎士で、とてもお世話になった方です。お詫びしてください」
「あらそうでしたか。ごめんくださいね」
叔母は簡単に頭を下げた。あっけにとられ、シェノクは仏頂面になる。
アレイニは扉を開けたまま、着替えのため部屋に戻っていった。玄関口から声が聞こえる。
「――つか、なんだよ姫様ってのは。いったいあんたらなんなんだ? あの馬車も、いったいどこから」
「ああ、あなたはもう必要ありません。お戻りなさい」
「お礼のひとつもないのかよ……こっちはわざわざ、明日の準備を置いて案内してやったのに――」
「姫様ァ。ついでですので暖かな格好をなさってください。手荷物は結構。身の回りの物はすべて、塔のほうに用意がございますので」
「こ、このババア、嫌いなタイプだっ」
まったく、叔母は相変わらずである。
下着を着けながら、アレイニは呆れた。あたたかい服にマントを羽織って、レースのシュシュで髪を結う。
衣服はトランクから出した。――その衣装は日中、テオを迎えるよりも前に、アパートから運んだものだ。
寝乱れたシーツを、ほんの一瞬、愛おしげに撫でて立ち上がる。
トランクを閉め、持ち上げた。
「忙しないこと。心配なさらないで叔母様。すでに――用意は済んでおりますわ」
大きなトランクを見て、叔母は怪訝な顔をした。
「まあ。それは……王都のアパートの?」
「ええ、ちょうどココへの引っ越しを考えて、荷造りをしておりましたので。十年以上も王都にいたのです、手放したくない服や雑貨くらいありますのよ――持ち込んではいけなくて?」
アレイニが言うと、叔母はすぐにニッコリ笑った。
「結構です。では、参りましょう」
「――おい、アレイニ!」
叔母に追従しようとしたアレイニを、シェノクが引き留める。
「大丈夫なのか? 今、団長は教会のほうに出かけているがじきに戻る。それまでくらいなら俺がついててやれる」
「……何の話でしょう。私はただ、親戚の叔母様と共に、実家を訪ねに行くだけです」
「しかし――」
「シェノクには関係のないことですよ」
アレイニの言葉に、シェノクは眉を寄せた。
シェノクとはそれほど仲が良かったわけではない。毎日のように顔を合わせはするが、雑談に興じたことは数えるほどだ。
それでも、アレイニは彼が好きだった。このラトキア騎士団では彼を一番に尊敬し、目標にしていた。
きっとアレイニを一番買ってくれていたのもシェノクだった。
彼がいなくては雌体優位の身で寮生活を送れていない。プライベート部分にも配慮してくれたし、要領の悪いアレイニに経験を積ませ、活躍の場を与えてくれたのはシェノクだ。それは下心などではないだろう。戦闘力のないアレイニを、純粋に、応援してくれていた。
今もそうだ。
謙虚な彼は、アレイニに拒絶され身を引いた。彼は大人なのだ。だがその赤銅色の眼差しは、たしかに傷ついていた――
(もしかしたら、友達だと、思ってくれていたのかもしれない)
ふと、アレイニは思った。それはとても嬉しい可能性だった。アレイニは頭を下げる。
「優しくしてくれてありがとう。……私はきっと、この騎士団に帰ってきます。その時は――」
言葉の途中で叔母に叱責された。赤い髪の男に頭など下げるなと。
アレイニはもう一度深く礼をすると、叔母について歩き出した。その場に取り残されたシェノクは一人、戸惑いの表情を浮かべている。
団長たちによろしく、も言い損ねてしまった。
そのことを、少しだけ後悔しながら、アレイニは寄宿舎を出て行った。
馬車は、寄宿舎のすぐそばに置かれていた。業者台の男はアレイニに一礼したが、トランクを運んでくれる気はないらしい。
重いトランクをなんとか持ち上げ、馬車に乗り込む。
するとそこに、先客がいた。鮮やかな青い髪をした、二十歳ほどの女だ。
どなたかしらとは思ったが、それ以上の興味はわかずに向かいに座る。
彼女は声をかけてきたのは、馬車が帝都から抜けたころだった。
「あたくしのことは、メイリでいいわ」
アレイニは返事をしなかった。馬車の中で、一番クッションのいい位置を探すのに懸命である。放置していると、メイリはさらに勝手にしゃべった。
「元服後いまの名前はメイルーイ。一応、ハジメマシテというわけじゃなくってよ。覚えてらっしゃらなくて仕方ないけれども。もう十年以上前、シルビア様の婚約者として――」
と、話している途中で、彼女は目を見開いた。アレイニを指さし悲鳴を上げる。
「きゃ! なに? どうして女なの!?」
「……叔母様、彼女はどうしてこの馬車に?」
アレイニが聞くと叔母は答えた。
「あなたの妻です。もともとはシルビア様のために用意した貴族の娘ですが、婚姻の前に出奔されましたのでね」
「私に、彼女と後継ぎを作れと言うことですね」
用意周到なことである。天皇に据えるため、雄体化を望まれるだろうとは思っていたがさっそくその馬車に妻を乗せているとは思わなかった。
気の早さには呆れ半分、恐怖を半分覚えたが、アレイニはあえて、鼻で笑って見せた。
「『孕み屋』まがいのことを受け入れるあたり、食い詰めた下級貴族なのでしょうけど……仮にも天皇の妻とするには不相応じゃなくって? 貧弱な娘ですこと」
「な! あ、あたくしが小さいんじゃなくて、あなたが無駄に大きすぎるんですわ!」
相手をしないアレイニに、メイリはさらに激昂した。狭い馬車のなか、甲高い声でわめき散らす。
「ヒルダ様、これはどういうことです。あたくしは雌体で完成してますのよ。これじゃどうにもなりませんわ」
「アレイニ様はもともと雌雄同体。心配せずとも、じきにまた雄体化周期が来て、完全な女性のあなたとも子をなすことができるようになります」
「いいえ無理よ」
アレイニは言った。
「叔母様、彼女の家は王都ですよね。ならばこのままおうちにお送りしましょう。光の塔へはつれてゆくだけ無駄になります」
「なんですって?」
眉を上げたのは叔母だった。メイリはむしろ同意らしい、マントの支度まで始めている。女のカンと思い切りは良いようだ。アレイニはそれだけメイリに好感を持った。
業者に自分の家へ寄るように告げ、メイリは吐き捨てた。
「天皇様、もう完全に『女』になってるわ。後継ぎを作りたいなら、天皇様を『女』にした男を連れてくることね」
「いいえ、その必要はありません」
アレイニは首を振った。叔母に向きなおると、自らの腹を抑えて見せる。
「後継ぎは――光の塔の次代当主、天皇はもう、この体の中にお住まいです。だからもう、何も心配せずともよいのです」
「な――なんですって?」
「えっ、もう妊娠までしてるの!?」
なぜかメイリが目を輝かせ、飛びついてきた。
「嘘。だってそんな風にはまだ」
「あらご存じないの? お腹が見るからに膨れてくるのは五か月ほどから。それでも目立たず気づかれない人もいるんですよ。生まれる前の二か月で急に大きくなるものです」
「えーっ、でもそんな……じゃあ今どのくらい?」
「相手の男は? まさかさっきの、『赤い髪』じゃないでしょうね」
メイリの問いと、叔母の詰問が重なった。
アレイニはとりあえず、叔母のほうに答えた。
「光の塔の男、キリコ」
「……まさか。彼は二年ほど前にラトキアを出て、今は裁判中でしょう」
「彼を地球で捕縛し尋問をしたのは私です。ラトキアに帰ってからも、何度か」
叔母は表情をこわばらせ、アレイニの顔、腹、全身を上から下まで観察した。
アレイニの言葉に、いくつかの嘘があることは見抜かれているような気がした。だが怖れを出したらなおさらボロが出る。つじつまは合っているのだ。自信を持っていれば、叔母は自分たちに都合のいい甘言を受け入れるはずだ――
やがて、叔母は嘆息した。
「……わかりました。それでは、アレイニ様お一人を塔へお連れしましょう。キリコならば『種』としてもなんの問題もありません」
馬車はメイリを送り届けると、そのまますぐに王都を出た。
舗装された王都とちがい。砂利の街道は揺れが激しい。アレイニは尻の下に、クッション代わりの上着を置いた。
叔母に伝えた嘘よりも、アレイニの中にある胎はあまりに幼く、小さいのだ。どれだけ大切にしてもやりすぎということはないだろう。
(そもそもまだ、どんな検査にも反応しないでしょうし)
知識のあるアレイニはそれを理解していた。
だが確信している。
今、自分の身体は、ティオドールの子を宿している。
それは妄信にも似た、しかし、真実であった――
王都が遠ざかっていく。アレイニは振り返ることもなく、ただ大切に腹を抱えていた。この子を守りきること、無事に生み出すことが、あの都へ還る唯一の手段なのだから。
森林が見えるころ、叔母がボソリと呟いた。
「……できれば、キリコが当主になってくれればありがたかったのですがね。御子が天皇となれるまで二十年、また天皇の務めを、我が夫が代行しなくてはならないなんて――」
「……叔母様。お尋ねしたいことがあります」
なんですか、と振り向く叔母。彼女の目を、アレイニは正面からじっと見つめた。
「女の私は、天皇にはなれない。天皇の仕事を代行も出来ない。……子を生んだら何の役にも立たないごくつぶし――それで、間違いないですよね」
叔母は眉をひそめた。それは確認するまでもない、事実であり、アレイニが幼少から言われ続けてきたことだった。おのずから言い出したことに訝りながらも、小名は頷く。
アレイニは安堵した。
微笑みを浮かべ、目を閉じる。
これで、なにもかも上手くいく。すべてが思っていた通りになる。
願いがかなう。
そう安堵して、アレイニは息を吐く。
(……よかった。テオ。あなたといっしょに暮らせるわ……)
目を開く。美しい顔に、女神のような微笑みを浮かべてアレイニは叔母へ言った。
「産んだ子を塔へ差し出します。それで私は、騎士団へ還してください」
なんの忌憚も懸念もなく、アレイニは晴れやかな気持ちであった。
ラトキアの大地を馬車が行く。
(――さようなら、共に戦った騎士たち。近いうちにまた会うときまで)
一年ほどで、アレイニはまた同じ道を帰ってくる。それまでのお別れだと、アレイニは胸中で手を振った。
(さようなら、団長。シェクノ、バンドラゴラ、ヴァルクス。仲良くしてくれてありがとう)
その伝言は、する必要が無いと思っていた。
たった一年。長期出向の多い騎士にとって、それはさほどの時間ではないはずだ。
何も言わずに出てきてしまったが、ひょっこりまた顔を出せば、受け入れ先はあるだろう。
テオは待っていてくれるだろう。
そしてまた、愛してくれるに違いない。
それでなにもかも元通り。
アレイニの胸には希望が満ちていた。
(すぐに戻る。またいっしょに働きましょう)
(愛してるわ。テオ)




