最初の夜②
悲鳴は喉でつかえて出てこなかった。
混乱し、されるがままになっていたのはほんの数秒であるはずだ。
だがそんな短い間に、薄布の寝間着は開かれ、下着まで一気に剥ぎ取られていた。夜のひやりとした室温に、剥き出しの胸が弄られる。
裸にされた、と、アレイニはここで初めて理解した。
「な……何、テオっ?」
ようやく言葉を発しても、なんら抑止にはならない。テオは止まらなかった。骨ばった堅い手が、無遠慮に乳房を掴む。深爪の指がどこまでも食い込んでいく。
「痛っ――い、やっ――いや!」
それは、恋人の愛撫というには程遠い、ひたすらに乱暴な凌辱だった。男の体重と膂力を使って、テオはアレイニを拘束する。
アレイニは暴れ、テオを跳ねのけようと苦心する。それでもビクともしなかった。
その力の差は、もうずっと前から思い知っていた。彼と力比べをしたことも初めてではない。
ティオドールが、もしもその気になったなら、いつでもこの時を迎えることになる。そう実感せざるを得ない一年間だった。
アレイニは処女こどもではない。そのことは理解していたのだ。それでも、テオならば安全だと期待していた。
優しく、真摯で、子供みたいなテオならば。
いつまでも安寧な関係が続くと思っていた。
「やめてっ――!」
己の骨盤を抑え込む二本の手。彼の視界を夢想して、アレイニは枕に顔を埋めた。
自分の吐いた息が熱く、顔が焼けてしまいそうだった。
抵抗が無駄であることを悟り、アレイニが暴れるのをやめると、テオもすぐに力を抜いた。
ゆっくり、穏やかに――確かに、愛情を感じる触れ方で、アレイニの体を撫でていく。
眠気を覚えるほど優しく、暖かな手のひら。
暴漢の指で、アレイニはパニックを鎮めていった。
「……テオ……」
囁くことで、その名の男への気持ちを確立させる。
日中の騎士と同じように捕まえられても、嫌悪感は生まれなかった。
恐怖と羞恥、悲しみと、ほんのかすかな喜びとが、アレイニの胸にある。
期待していたのは安寧だけではなかった。
女の苦行を覚悟し、諦めていたわけでもない。
きっといつか、こうなることがわかっていて、こうされることを望んで、アレイニはテオのそばにいた。
抱かれてみたい、という願い。
確かにそれがあったことに、アレイニはもう目をそむけない。
「テオ。テオ……」
体をくねらせ、テオの背中に手を回す。
彼がこれから自分を貪るのを、ただ静かに待ち侘びた。
自分も衣服を脱いだティオドールは、熱した鉄板のような体を、アレイニの上にかぶせていた。
そのままの姿勢で、アレイニをギュウと抱きしめる。
髪を掻き混ぜ、肩を掴み、全身をさする。
しばらく密着して、体を擦り合わせたかと思ったら、不意に体を起こして身を離した。
アレイニの全身を視姦する。アレイニの顔を見おろし、首を撫で、豊かな胸に思い切り顔をうずめた。
(……なにしてるの?)
アレイニは薄目を開けた。
少年には少年のペースというものがあるだろう。早く来て、などと急かすつもりはない。
だがどうにも様子がおかしい。
少しばかり興ざめして、赤いつむじを見下ろす。テオは顔を上げた。
真顔であった。
「アレイニ。好きだ」
「へっ? ……え、あ、はい……」
不意打ちの全力投入にシャックリが出る。
「好きだ。お前の身体ってすごい。どこをどう触ってもめちゃくちゃ気持ちいい。最高」
「ど、どうも……体脂肪率高くてすみません……」
わけがわからないが、とりあえず礼と謝罪を入れておく。
テオは両手でムニムニ、アレイニの胸を揉みながら大きなため息をついた。
「マジで最高。ふわっふわだしぷにぷにだし細いとこびっくりするほど細いしトロトロだし可愛いし。ダメだ俺。いますぐ全部俺のもんにして離れられないように夢中にしたい。あんあん言ってヨガってる顔もぜったい見たい」
「…………はい?」
「あんたとセックスがしたいよ。けど――」
テオは再び、アレイニの胸に顔を伏せた。
そのままだらりと脱力する。
汗ばんだ皮膚は興奮を収めてはいなかった。言っている言葉も、真実だと容易に知れた。
アレイニの体を渇望する、その心のままで、少年は呟いた。
「けど、やっぱりダメみたいだ。……ちくしょう。あのクソ科学者、鬼畜な罠を張りやがって。ちくしょう……」
アレイニはすべてを理解した。
キリコ博士の調合した毒ガスには、神経に作用する効果があった。末端ほど麻痺が出やすい。
時間をかけて、きちんと慣らしながら耐性を付けた場合なら問題はない。だがそれを急いだ白鷺ディフティグに、勃起障害が残ったというのは本人の談。
捕虜にしたあと、それを聞かされて同情するものは誰もいなかった。自業自得だ。あの男は望んで服毒をしたのだから。
正しく処方をしたキリコとクーガ、右手だけ一時的に麻痺をしたヴァルクスからも、そんな話は聞こえなかった。
だからアレイニはすっかり忘れていた。考えもしなかった。
目が覚めて、元気に退院していった少年が一人悩んでいることなど、何も気が付かないでいた。
金色の瞳を細め、穏やかに笑うティオドール。
「……ごめんな。悪かったよ」
彼はアレイニの衣服を直した。一度だけ指が皮膚を撫でる。名残惜しそうに服を身に着け、立ち上がろうとするのを、アレイニは慌てて引き留めた。
「ま……待って!」
テオは取り合わず、ベッドから降りようとする。アレイニは彼の腰を掴み、思い切りのけぞった。不意打ちにまともに食らい、テオは気持ちよくひっくり返る。ゴツンと重い音、壁の振動。
「痛ぇっ!」
悲鳴を上げてもんどりうつのを、被さるようにして抱きしめる。
狭いベッドでもみくちゃになって、アレイニは暴れるテオを押さえつけていた。
「じたばたしないの! 隣に響くでしょっ!」
「うぎ、腹の上、おもいぃ」
「失礼ねあなたよりは軽いわよ、ちょっとだけだけど!」
仰向けにしたテオに跨って、叫ぶアレイニ。乱れた髪を適当にかき上げる。
はて最初に押し倒したのはどっちだったかと思いつつ、少年の腹の上、アレイニは優しく言った。
「あのっ、あ……諦めることないですよ。こういうのって、毒とか関係なくけっこうあることですから。気分転換して、ちょっと休憩してから――あ、お茶とか淹れましょうか」
「……退院してから何日経ってると思ってんだ。転換されすぎて気分の目が回っちまうわ」
「で、でもほら。相手が違えば……私以外となら、案外ふつうに出来たりするかも」
「あんたで駄目ならほかの誰とだって駄目だよ」
テオは断言した。そのあまりにもきっぱりとした言い切りに、アレイニは思わず言葉をなくす。
「俺はきっと、もう一生女を抱くことはない」
「……そんな……こと」
あきらめないで、という言葉はでなかった。
アレイニは医者と言う職業ではない。だが毒のことは理解しているし、医療にも造詣はある。
絶対に駄目、とは言うまい。
だがテオが悲観的過ぎるとは、お世辞にも言うことは出来なかった。
「……そんなに、気負わなくったっていいんじゃない? ……男の価値が下がるわけじゃない、子供のいない夫婦だってあってもいいでしょう」
先日とは真逆なことを、平気で言う。そんな自分に自嘲しながらも、アレイニは続けた。
「人生に絶対に必要なものじゃないですよ。今までと、何にも変わらないわ……」
テオは表情をゆがめる。目元に赤みが差した、途端、彼は両手で顔面を覆い隠した。
「もっと早く、口説いておけばよかった」
呻くテオ。アレイニの眼前で、独白のように吐いていく。
「もっと前に、好きだと言えたらよかった。ずっと前から、ちゃんと好きになってればよかった。――あの時押し倒してしまえばよかった。後先考えずに犯してしまえばよかった」
顔を隠す手が震えていた。
「こんなことになる前に、一度だっていいから、あんたを思い切り抱いておきたかった。――どうして俺は、どうして――」
「テオ……」
「ちくしょう。くそったれ――」
少年の喉が痙攣する。アレイニはかぶさるようにして抱きしめた。
テオは泣いた。
アレイニの肩にすがりついて、テオは声を上げて泣いている。
泣き顔は必死で隠しても、涙粒は果てしなくあふれ続け、アレイニの胸を濡らしていく。
泣きじゃくる少年、そのとがった赤い髪を、アレイニは優しくなでた。
白くふくよかな女の手が、ゆっくりと、テオのうなじをさする。骨ばった感触をもてあそんで、アレイニはそのまま、彼の背中へ腕を回した。
テオの体重につぶされたまま、指で、爪で、手のひらで、慟哭する背中を慰める。
しゃくりあげる、幼子のようなかわいい男に――
アレイニは優しく言い聞かせていった。
「……大丈夫。手足は、リハビリですぐ動くようになったんでしょ。要はそれと一緒よ。使ってくうちに脳が使い方を思い出す。……焦らないでいいの。ゆっくり、使っていけばいいんだから」
縋り付く腕を、アレイニはそうっと開かせた。
震える少年の耳元で、甘く囁く。
彼の下腹部へ手を差し入れながら。
「大丈夫。私に任せて……」
使い込んだ時間は、アレイニの感覚だとさほどの長さではなかった。
せいぜい夜が白み、遠くで早番の騎士が起き出す気配がしてくる程度。
初めは目を白黒させて、ひたすら混乱していた少年である。それでも徐々に平静になり、現況を理解した瞬間、彼は「うわあ」と声を上げた。
それからは、大した手間ではない。ほんの少しの導きで、もともとカンのいい彼はちゃんとコツを掴んでいった。
――いや、やはり、ずっと混乱したままだったのかもしれない。
大丈夫か、痛くないかと何度も確かめながら、かといって緩めることも止まることもできないで――
あとはただずっと、アレイニの名を呼んでいた。
同じ数だけ、アレイニもテオの名を口にした。
愛してる、なんて言葉もあったかもしれない。
そこにやはり同じように返したかもしれない。
アレイニは明確に認識はしていなかった。
ただテオと繋がる。そのことだけで夢中だった。
ラトキア帝都、秋の朝は寒い。
ずるりとシーツから身を起こし、その皮膚の感覚で、アレイニは現在の時刻を知った。
「……朝ごはん……昼ごはんまで食べ損ねた……」
目が覚めて、第一声がそれである。
もちろん、それしか頭にないというわけではない。恐る恐る横を見れば、目を逸らしたくなる現実がそこにある。
めちゃくちゃのシーツ、でたらめに散らかった二人分の寝間着と下着。それらに顔をうずめるようにして、いまだ熟睡している赤毛の少年。
すぅすぅと、そりゃあもう平和に幸福そうにして。
「……やっちゃったよ。どぉしよう」
呟いて、アレイニは一人、頭を抱えたのだった。




