再会の夜②
騎士団の共同浴場は、一階の大食堂の横にある。その建てましはひどく簡素であった。
大きな間口、引き戸をひらけばすぐに巨大な空間。手前が脱衣所で、なんの仕切りもないまま床の素材だけ変えて、奥にシャワーボックスが二十ほど横並びになっている。
二百人の騎士に対し二十の席。平常、とくに入浴時刻というのは決められていない。朝六時から深夜十二時まで解放されているが、やはり、終業直後と夕食後が混雑する。
アレイニはいつもそれらを避けて、閉場直前をねらって来ていた。たとえ雄体化していても――いやだからこそか、筋肉質な男共がずらりと並ぶ光景は見苦しく、慣れないものだった。
鍵もかからない、ただカゴがたくさん置かれているだけの脱衣場である。アレイニは小さく嘆息し、上着を取った。そして、
(あっ……)
思わず、悲鳴を上げそうになった。
視線の先に、自身のかすかに膨らんだ乳房があった。
あわてて前を隠す。すぐ隣には、同じく半裸のテオがいる。
(雌体化周期がはじまってた……いつもよりちょっと早い。油断していた……どうしよう)
「? どうかしたか、アレイニ」
「い、いえ、なんでも……」
前を押さえたまま、アレイニは首を振った。
体格はほとんど変わっていない。男の身体に、乳腺が発達し膨らみかけているだけである。アレイニはいつもそこから雌体化が加速するのだ。シャワーボックスは個室だし、タオルで前を隠しておけばバレはしないだろうが……
アレイニが逡巡している間に、テオは左手の包帯を取り除き、右手だけで器用に脱衣した。さすが少年兵あがり、小気味がいいほど脱ぐのが早い。
「じゃあお先」
と、さっさとシャワーボックスのほうへ行ってしまう。
その引き締まり筋張った、男の背中を、なんとなく見送って――アレイニは決起し、すべての服を脱ぎ去った。
テオは、一番奥のボックスに入ったらしい。
壁付けのシャワーひとつずつに、仕切パーティションがついている。湯気と床の水を逃すため、天井近くと足下は壁がないが、むやみに背伸びしなければのぞき込めはしないはずだ。
それでも一応、テオからは一つ開けて、シャワーボックスへ入っていく。
シャンプーとボディソープは各所に備え付けてある。だがアレイニは自前で持ち込んでいた。よく泡立てて、手のひらで体を撫でていく。
「なんか、いい匂いするなあ」
二つ隣で、テオが声を上げた。
「……自前のですよ。騎士団のは、品質はいいけど香り付けがないので。あとトリートメントも」
無愛想に、それでもちゃんと答えるアレイニ。
「とりーとー? 髪の毛のやつ?」
「髪と、体用と。どっちも」
「いろいろあるんだな、そんなの使ったこともねえや」
「そりゃ、あなたはいらないでしょ」
「だなあ。そうか、あんたの髪や肌が綺麗なのはそういうの使ってるからなんだな」
ザアアとシャワーの音。アレイニもシャワーを使い、全身の泡を流していった。
「あイタッ」
「! どうかした、テオ?」
小さな悲鳴に、アレイニは思わず声を上げた。また二つ隣から返事がやってくる。
「いや、ちょっと左手を、思わず使っちまった」
「え! バカ、なにやってるの」
「大丈夫大丈夫。あーでもめんどくせえな、片手でシャンプーのポンプ押すにはどうすりゃいいんだ」
「……だから言ったのに」
アレイニは口をとがらせて呻いた。テオのことは放っておき、自分の洗髪を始める。
たっぷりと量のある髪を丁寧に洗っていく。それでも、大した手間ではない。洗い終え、シャワーで流していく横で、テオがまだなにやら悪戦苦闘している気配がする。あきらめて湯だけ浴びていればいいのにと、アレイニは呆れた。
(絶対、手伝ってなんかやらないんだから)
と――
脱衣所のほうで、扉が開かれる音がした。
「よかった、まだ開いてましたね」
一人の声に、小さな相づちの声。どうやら二人連れらしい。
「……あれ? 先客がいるようです。こんな時間に珍しい。――おーい、もうすぐ閉場だぞー」
「あいよー」
かけられた声に、テオが返事。
声の主は、今度は連れに向かって言う。
「じゃあ、俺は書類出してくるんで……」
そして浴場の扉の開閉音。同時に、キィと扉を開く音が、すぐ隣から聞こえてきた。
無口な騎士は、テオとアレイニの間に入ったらしい。
アレイニは髪にトリートメントクリームを塗り込んだ。タオルで巻いてしばらく蒸す。
隣のボックスから、湯気が立つ。
そのまた隣からは、物音が止んでいた。
「……テオ? もう出た?」
声を掛けてみる。と、少年の細い声。
「いや……いま、またイタい所をちょっとぶつけちゃった」
「もう、なにやってるの」
アレイニは嘆息する。
「ほんとバカなんだから。……聞きましたよ。なんだって団長と決闘なんかしたんだか」
「うるせえなあ」
「勝てるわけがないでしょう。あの人は惑星最強て言われてるんですから」
「べつに勝負したかったわけじゃねえよっ」
「じゃあ何で喧嘩なんかしたんです?」
「喧嘩でもねえよ。どうでもいいだろ。うるっせえなあほんと、かーちゃんかよおまえは」
「かっ……なんですか、ひとが心配してあげてるのに!」
アレイニは叫んだ。負けじと、向こう側からテオも怒鳴り返してくる。
「心配って、ぎゃあぎゃあ喚いてるだけじゃねーか。だったら体洗うの手伝えよ」
「い、イヤですよ気持ち悪い。どうして私がそんなことを。なんだ、付いてきたのも結局そういうつもりだったんですか?」
「違ぇよ、口出しするなら手伝えっていうのは、手伝う気がないなら口出すなってことだよバカ」
「ばか!? バカって言いましたか今! 私に向かって、あなたが!!」
アレイニの絶叫に、さすがにテオも気色ばむ。
「俺にだけは言われたくないってか」
「その通りですが何か?」
「てめえなあッ――ぐ、あ!」
ガン! と、なにやら激しい物音。どうやらまたどこか、ぶつけたらしい。アレイニはわかりやすい高笑いをあげた。
「くそぉ……きれーな顔して、なんでそう性格が悪いんだ……」
「――顔は関係ないでしょう。性格も……あなたのことが嫌いなだけですよ」
テオは反論をしなかった。アレイニも黙り込み、髪を洗い流し始める。ぬるいシャワーを浴びながら、さすがに今のは言葉が悪かったと反省する。
すこし、意地悪が過ぎた。
十も年下の少年相手に、売り言葉に買い言葉で、意味のない喧嘩をしている。
少なくとも、彼のことは嫌いじゃない。
そう嘘をついてまで、傷つけたい理由はなにもない。
(ああ、私は本当に、どうしてこう……)
「……テオ。その……」
少しは、素直にならなくてはいけない。
大人の余裕で、かわいらしい物言いのひとつしてやってもいいだろう。
アレイニはシャワーを止め、うつむいて。
つとめて優しい声で、出来る限り優しい言葉を紡いだ。
「私だって鬼じゃない、から……ケガ人の入浴介助くらい、べつに。介護資格も持ってるし。どぉぉおおしてもって頭下げて向こう一ヶ月のデザートをよこすからお願いしますって言うなら考えてあげなくもないのですよ?」
あ? と、テオが怪訝な声を上げた。
と。
「俺が手伝おうか」
という声は唐突に、真横から聞こえた。
隣のボックスである。視線をあげると、背丈より少し高いパーティションの向こうに、黒髪の頭部がかすかに見える。
あちら側、テオのボックスにつながるパーティションを掴み、のぞき込んでいる。
自分と同じ疑問符の声とともに、見上げたらしい――テオが、金切り声で悲鳴を上げた。
「――だ、だ、だだだんちょぉおおっ!?」
「ん」
短い相槌を一つだけ、それで彼――誉れあるラトキア騎士団の団長にして、惑星最強の男、クーガは頷く。
絶句したテオを、まさか承諾と受け取ったのか。クーガは自分のボックスを出ていく。
「背中向けてろよ」
と、テオのボックスが開かれる音――
「う、うそっ?」
アレイニは慌てて追おうとした、が、足を止めた。
止める理由がない。
テオは反射的に従ってしまったらしい。すぐに水音が聞こえてくる。
「お湯、熱くないか」
「ひ。は……いや平気……え? えっ?……ぇえ……?」
わしゃわしゃ、泡立てる音。
アレイニは微動だに出来ず、ひとり、ボックスの中で硬直していた。
極端に敏感になった聴覚に、テオのか細い悲鳴が確かに聞こえていた。
「背筋を伸ばして」
「は、はい?」
「そんなに丸まってたら洗いにくい。……そう、それでいい」
「はひ……」
「ん。ここ、傷があるな。しみるか?」
「いヤ……ダイジョブ」
「そうか。じゃあもっと力を抜いてろ。なにを震えている。別に痛いことをしようってんじゃない」
「カンベンシテクダサイ……」
「? なにがだ。ほら、腕を上げて。腋が洗えない」
「カンベンシテクダサイ……」
「脱臼させるぞ。腕を上げろ」
「はい」
(どうしてこうなった!?)
壁に耳をはり付け、体を寄せて、アレイニは水浸しのまま懊悩していた。
深夜の公共浴場シャワールームに、騎士団長が居合わせていた。それだけなら、驚愕するほどではない。
団長私室にも個人用のシャワーブースがある、が、この浴場からは少々遠い。先の、連れ――おそらくはシェノク――の発言からして、日中、用事でこの付近に詰めており、休憩がてら入浴にきたのだろう。自室に専用ブースがあるからといって、こちらを団長が使っていけないわけではない。
ティオドールとアレイニの間にいたことも、不自然ではない。
軍人は常時、スペース管理を意識している。端的に言えば、空白を出さず奥から詰めるのが鉄則だ。クーガの行動は非常に規律に則のっとった、軍の常識的感覚といえよう。
そこで二人の会話が聞こえてきた――テオがケガをしていて、入浴介助を求め、アレイニがそれを拒否した。ならば俺がとの発想もまた、論理的である。
軍人の共同生活とはすなわち、助け合いだ。一定のレベルや努力は求めつつも、出来ないことは無理をせず、出来るものがそれを支える。そこに地位も身分もない。
誉れあるラトキア騎士の頂点、武成王の御曹司、現星帝皇后にして将軍の実弟、オーリオウルの英雄、惑星最強の男であり『黒髪』の美丈夫たるクーガ騎士団長が、少年の垢を流してやるのだって――
やはり別に、なにもおかしなことではない。
「う。う、ぁう」
「変な声を出すな」
「ちが……っあ、おれ、くひゅぐったがりなんれす、うひゃ」
「なんだ、こんなところで反応してたらこのあと攣るぞ。次、足を開いて」
「無理」
「折るぞ」
「はい」
……なにも、おかしなことにはなっていない。
アレイニの濡れた体はもうすっかり冷えていた。全身に塗ったボディトリートメントクリームも浸透し、無駄にテカテカと肌艶が増してきている。そろそろ洗い流さねばならない。
しかし、アレイニは動かなかった。
去ることはできず、かといって止めたり乱入したりなど出来るわけもなく、ただじっと、テカテカと凍えていた。
テオはそれでも、メンタルコントロールに成功したらしい。彼とて軍人である。徐々にリラックスしてきているのがわかった。
わしゃわしゃと髪をかき混ぜる音。結局洗髪までされながら、テオはホウと息をつく。
「あー……きもちいいー」
そんな言葉まで吐き出す。
くす、と笑い声。
「病院ではあまりしてもらえなかったのか?」
「三日に一回、なんか薬品かけてしばらく置いて、濡れタオルでゴシゴシ拭ってくだけっすよ。体の方も、愛想のねえオッサンがめんどくさそーに擦ってくだけ。あんなの風呂じゃねえや」
「そうか……患者の精神面にも配慮するよう病院にかけあっておこう」
「おぉ。騎士団長ってそんなとこまで口出しできるんすか。さすが。ありがてぇっす」
「ありがたがるより、もう入院しないようにしろ」
「ははは。あんたがやったんじゃねーか」
(なんか仲良くなってる……!!)
アレイニは戦慄いた。
「なんだお前、どこも垢だらけじゃないか。普段から適当にしてるだろう」
「ちゃうっす、代謝がいいんです。いくら食っても太れないし。あひゃっそこはこちょばい」
「……そう言えば、聞いたことがある。くすぐったいというのは脳の混乱からきていて、防衛本能と『これは攻撃ではない』という理性とがせめぎ合って起こるのだと。お前のように本能的な戦闘をするような者ほど、くすぐったがりになるのかもしれないな」
「へえ? なんか褒められてる」
「褒めてない」
「そっすか。あーでもそれ、わかる。母ちゃんに撫でられても平気だし、逆に敵に縛り倒されたときもくすぐったくはなかった――うひゃひゃ」
「……俺が怖いか、ティオドール」
一瞬の間。だが沈黙はやはり、一瞬だけだった。テオはすぐに応えた。
「怖かないです。ただ……変な感じ……です」
「変、とは」
「あー。いや、なんつうかうん……」
またしばしの沈黙。遠慮をして言いあぐねているのではない、ただ単に、うまく言葉に出来ないのだろう。
少年はウンウン唸ってから、ようやく胸中を語った。
「団長が、俺より強いってさんざん身にしみてるから。だから……気持ちいいのと、警戒しろってのとが、頭の中で喧嘩するんだ」
「……よくわからない」
「自分のことボコボコにした鉄みてぇな拳の記憶と、今のその、柔らかくてあったかい――女の手みてぇなのが……イメージ違いすぎて、わけわかんねえってなってるんですよ」
そう言って、テオはまたウヒャヒャと笑い始めた。
一体、今、どこをどう洗っているのか、アレイニは気が気じゃなかった。だがそんな自分を浅ましく思い、妄想を打ち消す。
(ばか、私の悪い癖だ。人の交流をすぐ男女のナニカで想定する――三年前から何にも成長してない)
首を振り、顔をたたく。
(キリコ博士にあれだけ叱られたじゃないか。ばかばか、下衆の穿ち。団長はもう『クゥ』じゃない、立派な男性で、ただ男同士で入浴介助をしているだけなんだから――)
自分に言い聞かせ、納得し、ホウと息をつく。
いつまでもこうして聞き耳立ててどうするのだ。さっさと熱い湯を浴び直し、部屋に戻って、顔パックをして眠らないと明日の肌に差し支える――
「ああ」
と、クーガ。そういえば今更気がついた、明日は雨が降るらしいぞというような、軽薄な口調で。
「それはそうだろう。俺は今、女の体だから」
がん。
「ぎゃ!」
ごん。
「いたッ!!」
音と悲鳴は二つずつ、テオとアレイニがそれぞれ上げた。
「大丈夫かティオドール。また左手を打ったな」
「なっ! な、なっななな」
「どうした。まだ首もとを流してない。後ろを向いてろ」
「ばっ――とぉ、あ、って、は? ああっ?」
「後ろを向け」
「はい! 申し訳ございませんっ!!」
何かが一線を越えたらしい、かつて聞いたこともないほど礼儀正しくなるティオドール。
「……ぇ? ぇ? ……な……おにゃこ……ぇ」
大混乱している少年の声が、シャワーの水流にかき消される。
パーティションに思い切り額を打ち付けて悶絶していたアレイニは、なんとか身を起こした。大量に破壊された脳細胞の断末魔で耳鳴りがする。
「う、あ、あああ」
ずきずき痛むのは額ではなく、大脳である。
テオはいったいどんな血相になっているのだが、あのクーガが、気遣う言葉をささやいた。
「気にするな。いま雌体化周期で外見が変わっているだけの、男だから」
「……え? あ、そ、そうすか……そういうもん、です、か……な、なるほど」
そういうことではない!
アレイニは胸中で絶叫した。声に出さなかったのは遠慮をしたのではない、あまりのことに声にならなかったのだ。
ラトキア人――雌雄同体。
誰しもが父にも母にもなれるよう、生まれてくる特殊な種族である。
だがそれは、全員が全員にとって「同性である」ということではない。全くない。
異性との性行為でもって繁殖するのだ。当然、異性の体は「異性」なのである。
周期的、一時的なものであっても、体が女になれば心は女。
いい年をした雌体なら、雄体の前で、普通は隠す。仮に当人が男の心であったとしても、男にとっては女の体なのだ。自己防衛のため、そして社会通念上、隠すべきである。常識だ。雄体優位だろうが軍人だろうが騎士だろうが騎士団長だろうが何も変わらない。
女の体をしていれば、女である。
「おとこ……おとこ? おんなってなんなんだ……?」
ブツブツつぶやくテオの声。クーガは返事ひとつしなかった。
テオとアレイニ、二人が混乱し続けるなか、マイペースに洗い流しまで完了。
一度シャワーを閉じて、クーガは言った。
「ティオドール。前も洗おうか」
「え」
「え」
アレイニの声はテオに重なり、かき消される。
「こっちを向いて」
こともなげなクーガの言葉。さすがのテオもそのまま言いなりにはならなかった。これまでのぶんを全部乗せ、絶叫でもってまくしたてる。
「無理っ!!」
「なぜ?」
「無理です! いや無理だろどう考えてもやっぱおかしいよあんた、あ、あんたが自分のことどう思ってようとやっぱり雌体化してりゃ女だろーが! 無理! 目ぇあけてらんねーよっ!」
「じゃあ閉じていればいい。顔も洗うし」
「そぉおおおいう問題じゃねええぇぇ」
「どういう問題。いいから前を向け。潰すぞ」
「いっそ潰してくれたら向きますけど! 無理ほんと無理ですカンベンシテクダサイおねがいしますっ!」
ふう、とクーガの嘆息。
「わかった。じゃあそのままじっとしてろよ」
「え? う」
そこで、ぴたりとテオの声がやんだ。アレイニは再び、盛大に額を打ち付けた。
もう何も考えない。とにかく慌ててボックスを飛び出し、二つ隣の扉に駆けつける。
と、突然向こうから扉が開き、アレイニの顔面に正面衝突。同時にテオが飛び出してきて、またも衝突。
「ぎゃ!」
瞬間、つるりと足元が滑って転び、アレイニの尻が宙に浮いた。石鹸とボディクリームの相乗効果、気持ちいいほど綺麗に転んで、思い切りひっくり返ってしまう。逃げてきたテオも泡だらけ、アレイニともみくちゃになり転がって、二人はそのまま転げて回る。
「あいたたたた……っ」
「いてえっ……あ、アレイニ?」
アレイニの上にテオが被さっていた。もちろん、お互い全裸である。
テオは半ば目を回し――アレイニの全身を視界に入れて、固まった。
「あ? え。有る、こんどは、両方?」
「きゃあ!」
アレイニは悲鳴をあげ、反射的に、テオの顔面を蹴り飛ばした。それがトドメか、テオは小さく鳴いて脱力した。完全に失神したらしい、テオの下から、抜け出すアレイニ。
たわんで揺れる扉が再び開き、中からスポンジを持ったクーガが現れた。
やはり――女性の姿をしていた。
面差しや体型は、男性であるときと大差はない。少々小柄になり、全体的に柔らかそうになったくらいのものだろうか。当人から言われるまで、雌体化に気づかなかったテオに落ち度はない。
だが、やはり女性だ。
濡れた黒髪、真珠のように白い肌。端正な顔に滴る滴。
憂いのある群青色の瞳を細め、クーガはアレイニを見下ろした。
アレイニはあわてて、股間を隠した。もとが雌体優位であるアレイニも、雄体化していれば、女性は異性である。
失神したテオ、赤面しているアレイニ――二人を見下ろして、何を思ったのだろう。クーガはその細い腰に手を当てて、フムと唸った。
「まだ洗い流していないのに、突然飛び出すなんて。浴室を石鹸まみれで走ればそりゃ転ぶ。おかしな奴だ」
「あは……ははは、ほんと……おかしー……」
もう、乾いた笑しか出てこない。
しかしさすがに騎士団の長、まったくの朴念仁ではなかった。なんとなく、自分がオカシなことをしたのは悟ったらしい。
居心地悪そうに眉をひそめると、全裸で、仁王立ちのままつぶやいた。
「……もしかして、俺は、謝った方がいいのだろうか」
「そうしてあげてください……」
アレイニは率直に、そう言った。
二分後――
シェノクが扉を開けた瞬間、フギャァと激しい悲鳴が響き渡った。
バスタオルを体に巻いたクーガとアレイニ、そのまんなかで、顔面に冷水をぶっかけられて悶絶する少年騎士。
彼がここを離れ、兵士長へ届け物をし戻るまで十分程度。なにがどうなってこうなったのか、十人が十人、頭を抱える事態である。
しかしシェノクはもう三年、クーガ騎士団長の補佐を務める。異常な展開の中心に主あるじあり。それでもう、だいたい事情を把握する。
「……団長」
「ん」
「現在騎士団には雌雄同体のものが四名、さらに雌体優位のアレイニ入団で五名。ここしばらくで、雌体化ピーク時には浴場を隔離してほしいという意見があがってきてます。増設建築は無理ですが、女性限定時間を設けるだけなら、明日からでも可能かと。いかがでしょうか」
「なるほど。そうだな。これを機に施行しよう」
「……できれば、昨日までにそうしてほしかったですねえ……」
アレイニは、素直にそうつぶやいた。




