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新人騎士アレイニ①

 王都を騒がすテロリスト集団の中に、キリコ博士がいる――

 そう聞いたとき、アレイニの心臓は止まりそうだった。


(私のせい? 私を恨んで――)


 分厚いめがねの奥で、アレイニの青い双眸が歪む。

 もし、アレイニが女だったら――いま雄体化していなければ、ここでもう泣いてしまったかも知れない。


 だが、その知らせをもたらしたオストワルドの口調にその気配はない。


 帝都研究所、かつてキリコが使っていた個室ラボである。そのまま引き継いだアレイニの元に、彼女がやってきたのは初めてではない。キリコは確かにデータをすべて残して去ったが、活用するには、知識のある科学者が必要であった。


 そうでなければ、将軍が遊びに来るわけがない。


 三年前より、はるかに雄体優位に傾いたアレイニは、美女であった頃と様変わりしていた。


 男性として、中肉中背。鮮やかに青く長い髪は適当に結び上げ、瑠璃玉のような瞳は、洒落っけのない眼鏡の奥に隠してしまった。もって生まれた美貌は健在であるが、常にうつむきがちで、人前にさらされることもない。


 報告を受け、さらに陰鬱に沈んだ科学者に、オストワルドは構わず書類を突きつけた。


 癖のある長い黒髪をかき上げて、マイペースに、いつもの傲然とした調子で言い放つ。


「これを見てくれ。最近、王都の薬剤店や露天商で、ちょっと珍しいものがやたらと売れてね。これの購入者をたどっていくと、テロリストの買い出し部隊に行き着いた。とっつかまえて白状させたら、それを買い集めるよう依頼したのが、キリコだと。

 しかしその使用目的までは知らされていなかったらしい。わたしにも、リストを見てもなにがなんだかわからないが――どうだろう、アレイニ?」


「……猛毒と、それの解毒剤。体力回復薬。傷薬」


 原材料を頭の中で組み合わせ、アレイニは次々に、完成予想図を口にした。途中で眉をしかめ、


「それと……筋肉増強剤……男性ホルモン、精力剤?」

「ふむ。戦闘力を高めるために投薬しているのだろう。それに、テロリストらの半分近くは雌体だ。雄体化を促進させようとしているのかな」

「これだけで雌体優位が雄体優位にはならないと思いますが……一時的にでも投薬期間中は雌体化させない効果はあると思います。それと消毒薬、麻酔薬――治療を内部でやっているなら当然あるべきものですけども、これくらいなら製品を買った方が安いのに、なぜわざわざ化合を。環境整えるのに結構な手間なはず」

「そりゃあ、奴が根っからの研究オタクの変態だからだろう」


 きっぱり言い切ったオストワルドに、アレイニは苦笑した。


「将軍、それはその通りですが、キリコ博士――キリコは、『研究』オタクであって『化合作業』が楽しいわけではありません。こんな初歩的な化合に手間をかけるくらいなら、創作料理でもやってるほうが彼らしいかと思いますよ」

「キリコが料理? ははは。上手そうな気はしなくはないが、絶対に毒がはいってるだろう、食べたくないなあ」


 笑うオストワルド。


 あなたの弟君はたぶん何度か食べてますよ、という皮肉は飲み込んで、アレイニは再びリストに向き直る。


「創作……そう、やっぱり、そういうことだと思います。キリコは、『すでにあるもの』に興味は持ちません。これらを材料に、これまでにない、なにか新しいものを生み出しているのでしょう。政治に関心がない彼がテロ団体などに参加したのもそれが理由だと思います」


「……人体実験か?」


「死にゆくものと、新鮮な死骸には事欠きませんからね。しかしそれだと、私には、どのようなものが作り出されているかはわかりません。私は……キリコの軌跡をなぞるだけで……新しいものを生み出す力は、ありませんから」


 独白のように吐き出すアレイニ、オストワルドは眉をしかめる。


 女だてらに将軍となり、今は星帝の代わりに政治家として国を動かす女傑には、アレイニの消極的な態度は気に障るのだろう。


 この研究室を継いで三年、見目だけ凛々しく雄体化しても、アレイニはなにも変わってはいなかった。


 オストワルドはフゥムと唸る。しばらく天井を見上げ、思案してーー

 デスクについたアレイニの肩を、ぽんと優しく叩いてきた。


 「……アレイニ。これは将軍からの辞令などではなく、個人的な、提案なのだけど」

 「はい?」


 振り向くと、オストワルドはわずかに目をそらす。


 明後日の方向を向いたまま、なにやら複雑な面もちで、とぼけたように、続けた。


「この研究室を離れて、現場に出てみないか。

 ……お前がしている研究の成果……日々の、仕事の結果というものを見てみることが今のお前にもっとも必要なことだと、わたしは思うのだよ」




(聞かなきゃ良かった。将軍の口車になど乗るのではなかった。来なければよかった!)


 謎の悪臭、謎のシミ、謎の毛玉、謎の有機物を片っ端から清めて回りつつ、アレイニは半泣きになっていた。


 ティオドール、ミルド、そしてアレイニがこれから三人で暮らす部屋である。お世辞にも広いといえない一間に、二段ベッドが二つ。一台の下部分が、三人共有のクローゼットになっている。ほかはなにもない。手洗い場も、キャビネットも本棚も、なんとびっくり、デスクすらない。


 風呂やトイレは共有、食事は共同食堂があるとは聞いていた。それは覚悟を決めている。だが寝癖はどこで直すのだ。お茶はいったいどこで飲む。勉強は? 夜の日記は? 花はどこに飾ればいい? 眠るしかできない部屋なのに、なぜこんなに汚れているのかもさっぱりわからない。


「あーもう!」


 ナニカの塊を自前のゴミ袋にぶち込んで、アレイニはとうとう叫んだ。


「どうしてこんなところで眠れるんだよ! 本当に、男ってのはコレだから――!」


 と――開いた口を、アレイニは閉ざした。艶のない唇を噛み、俯く。


「……私も、男だけどさ……」


 鈍い痛みを感じて、アレイニは胸を押さえた。ふれた掌に柔らかな肉の弾力はない。


 キリコ博士が軍を去り、三年が経っていた。あれからアレイニは少しずつ、雄体化している日数が増え周期が縮み、女である日より長くなりつつある。


 雄体化すると、ものの見え方が変わってくる。かつてあれほどいじましく小狡(こずる)く見えた女共が、不思議と許せるようになってくる。かわいらしい、とすら思えてきて、試しに数度、(ねや)をともにした。


 続けて交際する気にはなれず連絡を絶ったが、女を抱いた翌日はなぜか仕事に集中できる。


 慰めを求めるには、美しい女よりも無口な醜女のほうが心地よいらしい。


(……こっちの愚痴にうっかりアドバイスなんかしない、ほどよくバカな女が楽だ。体だって、自分が雌体のときは痩せたいばっかり思ってたけど、骨ばってりゃいいってもんじゃないね……)


 そんなふうにすら思う。

 彼女らの価値を知るほど、アレイニは自身の雌体化を否定したくなっていった。


 男の姿は、便利がいい。


 かつてより伸びた背丈を使って、二段ベッドの上段をのぞき込む。


 シェノクという、赤い髪の男は本当に気が利く騎士なのだろう。クリーニングしてくれるというベッドは現状、薄汚れていて触りたくもない。だが、ティオドールなら――アレイニが、完全に男であったなら、気にせず大の字になれただろう。その程度の汚れだった。


(……雌体優位に見えたんだろうなあ)


 嘆息する。アレイニは決起して、ハシゴをのぼった。クリーニングされていない、汚れたベッドに、エイヤと寝転がる。わずかに埃が舞い上がった。だが、それだけだった。

 ふふん、と一人、笑い声をあげる。


「どうってことないですね」


 いっそこのまま眠ってやろうか。業者を引き連れて戻ったシェノクが、呆れて文句を言うだろう。クリーニングされていないベッドで眠るだなんて、なんて剛胆な奴だと噂になるかもしれない。なんて男らしいんだ、あれでも雌雄同体かと、ティオドールらも舌を巻くだろう。


 テオ……ティオドール。


「男らしくなってた。私よりも背が高くって」


 つぶやきが唇から漏れる。それは、異性への感嘆などではない、同性としての、ちょっとした嫉妬からくるものだった。


「だけど目はあのときのまま……きっと中身も、コドモのまんまなんだろうな」


 ふふふ――天井を見上げ、目を細めていたアレイニのうなじに、なにかソロソロと奇妙な感触。

 視線をやる。アレイニの首から、耳たぶを経て、頬へやってきたそれは、足が二十本ばかりはえていた。


「!!! ヒィッぅアキャァ――――――ッ!!」


 騎士団寮棟中に響きわたる声で、アレイニは絶叫した。



 二時間ばかりあと。


 扉にはりつき部屋を封印しているアレイニの前に、一人の男が現れた。


 むやみに背が高く、猫背がひどい。長い前髪を垂れさせて、のそり、という擬態語を背負ってやってきた男は、ぼそり、といった調子で台詞をはいた。


「……誰。なにしてるの。そこは俺とティオドールの部屋だ」

「あっ、アレイニっ、です!」


 扉を背に庇ったまま、アレイニ。


「部屋、あの、今日から騎士団に入って、この部屋に私も暮らすことになりましてっ。えっと、あっと、お名前何でしたっけ、一緒になります、よ、ろ、しくっ」

「ふうん。ミルドだよ。よろしく」

「ミ、ミルドさんは、帰省してると聞いたのですがっ」

「明日早いから」


 それだけ言い捨てて、アレイニを避け、ドアノブを回そうとするミルド。


 アレイニはあわてて引き留めた。


「いけません! 今、この部屋は大変なことになっています。入らないで、開けないでっ!」

「は?」

「む、む、む、むし、むしです。あしがいっぱいあるやつです。おぞましい、こ、これくらいの。親指くらいある巨大なやつ! もしかしたら噛まれるかもしれません。危険です!」

「はあ? ……ああ、もしかしてヒバゾリムシ」

「今、殺虫成分のあるハーブを焚きしめています! あのタイプの硬虫だと、行動不能になるまで三時間、死亡するまで六時間が目安です。そ、それまで、ここは私が死守しますから! ミルドさんは安心して、どうぞ談話室でお茶でもしていらして――」


 ミルドはアレイニの制止も聞かず、気軽にドアノブを押し開いた。瞬間、床にいた糸くずほどの多足虫を発見。ハーブのおかげで多少動きの鈍ったそれを、ミルドはカカト落としでもって瞬殺した。


 指で摘んで、ゴミ箱に落とす。


「赤ん坊だ。虫は、帝都には滅多に出ないけど、遠征にいったときに、軍服にくっついて来ちゃうから」

「は……ほ……え」

「虫、苦手? なら俺やティオドールにいって。代わりにこのあと夕飯のデザートはもらうよ」

「え……ええ……はい」

「得意な人が得意なことをして、苦手な人は他のことでサポートする。団体行動ってのはそういうものさ。無理してみんなが同じ行動をすることじゃない。それが軍隊だから」


 ミルドは荷物を床におくと、ジャケットを脱ぎ、クローゼットに掛けた。


「自分がなにが苦手なのか、得意なのか、ヒトより優れているのか劣っているのか。そういうことを知るための三人部屋。

 ……これから一年、よろしくアレイニ。あれ、コレもう言ったかな」


 アレイニは苦笑し、首を振った。


「よろしくお願いします、ミルドさん」



 騎士たちの食事は、三食とも一階、公共食堂で一斉に行われる。


 いわゆる社食、である。

 騎士二百人を受け入れるために広大だが、それ以外は民間の飲食店と大差はない。

 長机には花まで飾られて、意外にも、居心地のいい空間になっていた。


 夕食の号令に導かれ、アレイニはミルドの背中についていった。寡黙な彼はなにも解説をくれなかったが、案内図に従って、カウンターを訪れる。


「新人騎士さん? IDをどうぞ」

「あ、はいっ」


 慌てて、アレイニはリストバンドを掲げた。


 受付の男が電子コードを読みとって、引き替えに木箱を渡してくれる。蓋の上に、もう一つ小箱。ぱちくり、瞬きするアレイニに、男は次がつかえているぞと叱った。


 歩み去りながら、ずっしり重い箱の蓋を開けてみる。弁当だった。


 4つの仕切に、それぞれパスタ、スパイスで煮込んだ青菜と豆、揚げた豚肉、生野菜の和え物が入っている。

 常温よりは、多少暖められている程度のホカホカ加減。湯気はなく、香りもほとんど感じられない。

 不味そう、とまでは言わないが、お世辞にもおいしそうという感想は出てこない。栄養バランスと量だけは豊富。誉れある騎士の給食は、かように質素なものだった。


「へえ……こんなの食べてたんだ……」


 学生時代は、構内に民間レストランが入っていた。それと比べれば相当に地味である。

 研究所にも売店があり、おそらく似たようなものが売られていたのだろう。アレイニは自炊弁当を持ち込んでいたので初めて見た。


「痩せられそう……」


 もうひとつついていた、小さな容器を開けてみる。


「あ、フルーツヨーグルト」


 弁当を抱えて食堂を見渡す。配給の時間だけは定められていても、全員一斉に食べ始めるルールではないらしい。


 なんとなく、知り合いの顔を探してみる。きょろきょろ見渡しても知人はいない。後ろからポンと肩をたたかれ、振り返るとミルドがいた。顔を輝かせるアレイニ――

 が、ミルドはアレイニのトレーからフルーツヨーグルトを取り上げると、なにも言わずに背を向けた。


「…………」


 はあ、と、嘆息。


「別に、一人でごはんくらい食べられるもん」


 ヒトの塊から外れた席に座って、アレイニは食事を始めた。案の定、薄味である。量だけは多いので、トータル的には塩分も糖分も多いくらいだが、ひとくちひとくちが味気ない。


 アレイニは半分も減らせず、弁当箱の蓋を閉じた。


「……夜ご飯のデザートはなんだろう……」


 そう口にすると、もうなにが何でも甘いものが食べたくなってくる。別に、本日からいきなり仕官というわけではない。腹ごしらえをしたら自宅へ帰り、冷蔵庫にある自作のゼリーを平らげてしまわねば。


 と――カウンターの側にドリンクサーバーを発見。さすが誉れあるラトキア騎士団寮。フレッシュジュース、コーヒー、ハーブ入り茶葉やミルクといった、贅沢品がずらりと並んでいる。

 アレイニは歓声を上げて駆け寄り、さっそくミルクティを作った。ティーカップが簡素なマグなのは残念だが、四の五の言っていられない。


 サーバーのすぐそばで立ったままあつあつの甘いお茶を口にふくみ、ホゥと息をつく。


「ああ、おいひい……」 


 ふうふう息をふきつけて、少しだけ冷めたものをもう一口――


「おい、聞いたか? 新人のティオドール。クーガ団長と決闘して、半殺しにされて入院だとよ」


――ぶはっ。


 口の中のものを一気に吹き出して、アレイニは悶絶した。


   


「あほですか!」

「あほだなあ」


 事情の説明にやってきたシェノクに、アレイニは即座に叫び、シェノクは即座に肯定した。


「団長もです!」

「……否定できないなあ」


 続く絶叫もまた、柔らかく肯定される。


 ティオドール、ミルド、アレイニの相部屋である。夜も更け、ミルドはすでにベッド上階で寝転がっていた。その下段がテオ。下段がクローゼットの方の、上階がアレイニの寝所だ。

 今夜は王都の家へ帰るつもりだったアレイニ。テオの話の詳細が気になって、連絡を待つ間にずいぶん遅くなってしまった。アレイニはもう、汚れたシーツで眠る覚悟を固めていた。それで聞かされた内容がコレである。あほらしくて笑えてくる。


 乾いた笑いを漏らしつつ、肩を落としたアレイニに、シェノクが皮肉げな笑いを浮かべていった。


「なんだアレイニ、あれだけティオドールと同室は嫌だとわめいていたくせに、今夜はいないと聞くと寂しいか」

「さ、寂しい? 寂しいだなんてそんな――」


 そんなことは、断じてない。そもそも再会したのが三年ぶり、それまでアレイニはひとり、研究室で仕事を続けてきたのだ。


 かつても、ほんの数度、会話をしただけ。アレイニの人生に、テオはどこにも存在していない。

 寂しいことはない。


 だが――やっぱり、何もかも手探りの新たな地で、知った顔がいて欲しかった。まして、あのテオなら、ぎゃあぎゃあと騒いで馬鹿笑いしている間に夜が更けて、どこででも眠れそうな気がする。

 アレイニは、素直に認めた。


「……そうですね。早く退院してほしいです」


 シェノクは笑う。


「なんでかねえ。あいつはどうも、肝心の所でポカをやるんだな。自分自身の大事なときもそうだし、こちらが一番いて欲しいときにもいないんだよ」

「なんですか、そのジンクス、ひどい」


 くすくす、アレイニも笑う。


 ティオドールはここにはいない。


 だがそれでも、アレイニの笑顔はティオドールに始まっていた。



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