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キリコとアレイニとクーガ

 アレイニが発した、壁が震えるほどの悲鳴――キリコは耳をふさいで呻いた。


「うるさいねえ。声のでかい女は本当に嫌いだというのに……」


 キリコの隣で、少女が動いた。

 白い手足がシーツから抜け出す。全裸ではなかった。肩と腿が剥き出しになった、薄手の寝間着姿だ。

 彼女は八割がた眠ったままのぼんやりとろける視線で、キリコ、部屋、アレイニの順で見渡していく。キリコが大きくため息をついた。


「ああ、もう、起きてしまった。せっかくよく寝ていたのに」

「……キリ、コ……客……?」


「気にしなくていいよ、もう一度お休み、クゥ」


 背中を撫でられて、クーガは素直に目を閉じ、再度寝転がった。アレイニは再度、悲鳴を上げた。

 キリコはもう何度目かわからないほどのため息をついて、半身を起こしアレイニをにらんだ。


「……お前、いったいなんの用で来たんだ。わざわざ私の部屋にまで。遊びに来たと言うならまだ出迎えてやるものを、もごもごとはっきりもしない。まさか、ラボの鍵を届けにきただけとは言うまいね。そんなもの、警備室にでも預けていけばいいだけだ」


 うっとアレイニは喉を鳴らす。鍵を後ろ手に隠し、たどたどしく、言葉を紡いだ。


「……あ……いえ、昼間の……鍵のこともあったんですけど、それは関係なくて、ただ急にいなくなったから。博士が……」

「私は元々、今日は休みだよ。長期出張期間当日は普通そうだろう。ラボには荷物を置きに行っただけだ」

「…………」


 このやりとりで、やはり目を覚ましてしまったらしい、クーガが完全に身を起こした。わずかにふらつきながらも立ち上がる。


「俺、団長室に帰る……」


キリコが目を細め、それを引き留めた。


「長居する客ではないよ。ミルクでも飲んで待っていたら?」

「んん……もう、一人で、眠れそう」

「……そうかい。じゃあ、足下に気をつけて。すぐ近くだけども暗いからね」


 クーガは素直にうなずくと、枕を抱き抱えて出て行った。


 扉でアレイニとすれ違う。壁に張り付くほどにのけぞって避けた。


 明かりの落ちた部屋を、亡霊が去っていく。


 白い背中を、視線だけで見送って――


 壊れた人形のように首を回し、アレイニはキリコへと向き直った。


 キリコはベッドサイドに立ち、髪を結んでいた。

 その横顔が明らかに機嫌を損ねている。

 大きな男ではない。強面でもなかったが、異様な近寄りがたさがあった。


 彼はアレイニの方を見もせずに、低い声で吐きだした。


「……可哀想なことをする。アレは一昨日から一睡も出来ないで、さっきようやく眠れたところだったんだ」

「あ……あなた……たちはっ……こんな……」

「それで、明日からまた遠征。騎士団長が過労で死んだら貴様のせいだぞ。『声が大きな肉事典』が、いくつ舌を噛みきってもあがなえる損失ではないというのに――」


「あなたたちは――これは、犯罪です!」


 アレイニの絶叫に、キリコは今度こそ、彼女をにらみつける。

 冷たい水色の目に貫かれて、アレイニは凍えた。


 距離を詰めて、彼は明確に、アレイニを侮蔑する。


「……私の、今の話を聞いていたか? つまらない邪推をするんじゃない。ただ、添い寝をしていただけだ」

「……だ、だって、だって……!」

「アレは帰還後はいつもそうだ。戦場では体力を回復するためだけの、仮眠の連続だからね。夜襲に備えた緊張状態で、帰還してもしばらく癖が抜けないんだと。睡眠不足が続きすぎると、かえって神経が高ぶって眠れなくなるものだ。それを取り除くのに、人肌というのはどんな睡眠ガスよりも有効なんだよ」


「そんな、そんなの――嘘です」


 アレイニは首を振った。


「男と、女が、こんな夜に一緒にいて――そのつもりもないのに、訪ねる女も迎える男も、いるわけがないわ。私のことを騙そうとしても、私は、騙されませんから……!」


 キリコは眉を上げた。腕を組み、鼻を鳴らす。


「おかしなことを言うやつだ。……手を出したら犯罪になる子供だといいながら、男と女だと続けて言う。やれやれ、つっこみどころが多すぎて、寝起きの舌が回らないよ」


 そう言いながらも、キリコの口調はいつもの早口、いつもの滑舌に戻っていた。

 氷色の目がアレイニを射抜く。

 彼は惜しみなく皮肉げに、アレイニに向かって言う。


「未成年でも、軍人として仕官していれば成人とほぼ同じ権利をもっている。そうでなくても十六は元服も済み、己の意志で婚約が出来る年。同意があれば何の罪にもならない。純真無垢な少年をかどわかしたなら、それはそれで私が悪いのだろうけど、今、貴様は訪ねた女にもその意志があると言ったな。

 仮に――私がクゥとセックスをしていたとして――それを、なぜ私がお前に隠すと?

 わざわざお前を騙してまで、その仲を否定する理由なんかないよ」


「だって……睡眠薬、なら、薬を飲めばいいのに……あなたの部屋に迎える理由なんてなにもないのに……」


 キリコはもう、アレイニへの説明という親切を放棄した。

 もう一歩、距離を詰められる。


 手を伸ばせば届く距離で、キリコは目を細めた。


「黙れ、下衆女。私は、貴様の中身になど何の興味もない」


 キリコの手が、アレイニに向かって伸びてきた。


 首を、締められるかと思った。だが予想に反しキリコの指は優しく、アレイニの顎に触れ、持ち上げた。

 剥き出しにされた喉笛に、キリコの言葉が刺し込まれる。


「――お前が言う、他人への侮辱はすべて、己の履歴書だ。ヒトへの悪口は自己紹介――己の脳味噌に、その考えがあるからそう思いこむ。己のコンプレックスで他人のことが目に付いている」


「な……に……?」


「お前は下衆だ。馬鹿で無神経で傲慢で、劣悪な生まれ育ちで非力で、いやみで、ひどく性格が悪い」


 アレイニの頬を、キリコの手のひらが包む。ひどく冷たい手をしていた。


「己が美人で、男を魅了していると自負し、それに縋っている。なぜなら根幹で、己の醜さをも自覚しているからだ。それを謙遜しているふりをして、自分はオンナを売っていないと吹聴しているだけだ。男に求められるのは迷惑だと――本当はそれだけが自慢で、なにより依存しているのにな」


「そ……そんな、ことは、ありません」


「お前の言葉は嘘ばかりだ。いつも、他人のせいにする。他人のため、他人のせいで、社会がわるい、これは常識、私個人ではなく国民の総意、私には悪意なんかないと嘯いて、本当は何もかも貴様のせいだ」


「ちがいます、私は――!」


「加害者のくせに被害者ぶる。自意識過剰。全人類が、自分に対し好意か悪意を持っていると思いこんでいる。それは誤解だよ? ほとんどの人間は、お前になんの興味もないんだから」


「私は――」


「お前は下衆だ。淫猥で、強欲で――」


「ちがうわ!!」


 アレイニは叫んだ。



  アレイニの絶叫は、自分でも耳障りだと思うほどひどくしゃがれ、爛れていた。

 呪詛の声に、キリコは表情を変えない。喉がつぶれかねないのをそのまま、アレイニは叫ぶ。

 キリコに顎を捕まれた至近距離で、声量を抑えようともしなかった。


「私は――確かに、未熟だしひとより色々と劣ってるわ。だけどそれでも、それなりに頑張ってやってるの。あなたがなんて言おうとも、そんな私を好きだって言ってくれるひとはたくさんいる。友達なんて、むやみに数が多ければいいと言うものじゃないでしょう? 卑俗で下賤な連中とつるんで、なんの得もないんだから。

 あ――あなたが、どんな言い逃れをしようとも、今私がみたことが事実、だもの。さっき、クーガ騎士団長はあなたの隣で寝ていた、それが事実だもの!

 私の下衆なかんぐり? 何を言ってる。百人が百人そう思うわ。私が研究所で話したら、みんなそういう! 絶対に!! 絶対にワルイコトなんだからっ!!」


 キリコは笑った。ただそれだけだった。


 キリコの手首を振り払い、アレイニは胸を張ってみせた。誰よりも鮮やかな青い髪をかきあげて、何よりも煌めく青の瞳で、キリコを毅然と睨みつける。


「私の生まれ育ちが、劣悪ですって? ……それこそ、あなたの、自己紹介ですよ。そっくりそのまま、あなたと同じ」


「……ん?」


 初めて、キリコの目がほんの少しだけ興味に輝く。アレイニは言った。


「同じ家です。私とあなたは同じ家で生まれた。あの輝く白亜の、『光の塔』で――」


 ああ、と、頷くキリコ。そしてそれだけで、急速に色を失った。


「そういえば、ばあさんの前の亭主は『光の塔』の男だと聞いた覚えがあるな。……しかし、それがなんで『同じ家』になる。私は普通に王都で生まれたよ。祖母ですら塔を出て以来一度も戻っていないのに、何の関係もないだろう」

「私は、塔の第二継承者です。兄は二年前、塔を飛び出し、いまも行方がしれません」

「……答えになってない」


 キリコの声音に苛立ちが含まれる。それでもアレイニは気にせず告げた。


「私は……そのために、この科学研究所へ来たのです。次なる後継者を――『光の塔』を継ぐ男を連れ戻す。兄がいない今、それが私の義務だと、そう言われて、私は研究者となったんです。――キリコ博士!」


 キリコはいよいよ興味を失って、アレイニの体を押し退けた。扉をくぐり、リビングへ入ってしまう。アレイニは駆け寄り、声を上げた。


「あなたは『光の塔』の主になれる。ならなくてはいけない。その義務と権利があるのですよ」


 キリコは、冷蔵庫から水差しを出し、グラスに注いで、一口だけ飲んだ。

 アレイニは叫ぶ。


「キリコ博士!」


 彼はグラスを置いた。リビングを横切り、歩きながら吐き捨てた。


「興味ないね」


「キリコ博士っ……この名誉があなたにはわからないのですか。ほかのラトキアの民がどれほど願ってもかなわない、貴い血が自身に流れているのです。『塔』の住人になれるその栄誉が」

「なんだいそれ。長兄に逃げ出されたくせに。そんなにヨイモノならば君が継ぎたまえよ」

「私は――雌体優位です。女は当主にはなれないのです。だから」

「じゃあ男になりなさい。雄体化周期に適当な女と毎日遊んでいれば、一年以内に優位性が交代するよ?」

「そ……そんな、ひどい。自分が男になるためだけに、女性を弄べとおっしゃるの? そんなこと、私にはできません」

「はあ? ああ、もうまた、他人のせい、他人のため、か。これはもう君のサガなのかねえ。私は何より君のそこが嫌いだよ」


 キリコは心底うんざりと吐き捨てて、アレイニに背を向けた。


 壁の突き当たりには一枚の扉、その向こうはシャワールームがあった。アレイニに構わず、キリコはシャツのボタンを開き始める。さすがに近づきはしなかったが、それでもアレイニはそこにいた。


 脱衣に何の躊躇もなく、背を向けたまま、キリコは言う。


「自分の薄汚い所もさっさと認めて、そのまま素直に口にすればいいのに。無駄に飾ろうとするから醜悪になる。お前のような根っからの下衆は、ワルイコトだと大声で自他に言い聞かせたって、どうせ我慢出来やしない。事実ちっともこらえきれていないじゃないか」


 キリコの肩が剥かれた。

 明かりに照らされ、彼の皮膚が眩しい。アレイニは目を細めて、それでもそこから目を離さない。

 お世辞にも逞しいとは言えない、痩せた男の肌を、骨と筋で形造られた意匠を、青い血管を、湿った産毛を、見つめていた。


 女との討論を諦めた男の声は、驚くほど優しい。


「私だって、他人から好意を寄せられればそれなりに嬉しいし、懐かれれば可愛い。実害のないお願い事ならたいていのことは聞いてやる。

 抱いてほしいと訪ねてきた女を追い返しはしないんだよ」


 アレイニは息を飲んだ。

 結んだばかりの髪結い紐を解く――青い髪が、裸の背中に広がった。アレイニは後ずさり、悲鳴じみた声を上げた。


「い……嫌……そんな……私に、何をしようっていうのよ」


 キリコは高らかに笑った。初めて聞く、彼の心の底からの大笑いだった。


「ははは! いいねえ、面白い。うん、今のはウケた。この二、三年で一番面白かったな。

 クゥの体温で寝汗をかいたから、風呂へいくだけだよ。残念だけど、私はお前を『強姦してあげない』。

 ――まあ、お前が泣いてねだるのは、それなりに面白い見せ物かもな。素直にオネガイシマスと言えたなら、抱いてやってもいい」


「はっ? なっ――なにを……誤解してるんですか。私は、私はただ、仕事で。鍵を。塔からの伝言を――」


「『夜に、そんなつもりもなく男の部屋を訪ねる女などいない』……だったかな? おまえ自身がそう言ったんだよ」


 そして、バスルームの扉が閉ざされる。壁の向こうから、残酷な言葉がアレイニに届いた。


「そのつもりなら、服を脱ぎ、足を開いて待ってなさい。私は長風呂ではない」


 優しい口調ではなかった。


 甘い声でもなかった。まして愛のある言葉などでは全くなかった。


 だがキリコの声は、アレイニの腹の奥底まで染み込み、彼女の内部から魂を揺さぶった。全身に鳥肌が立ち、身震いする。ぞくぞくと総毛立つ怖気が治まったとき、アレイニの体は急速に火照りはじめた。



 キリコという男は、ハンサムではない。だが、このラトキア屈指の人物に違いない。

 あの選民意識の強い『光の塔』の者たちですら、彼が後継者となるならば大歓迎するとそう言った。


 アレイニが塔を出て、雌体優位では珍しい、学問の道へ進んだのも、叔母からキリコの存在を聞かされてからだった。そこから彼の業績を調べ上げるのは容易だった。キリコの立身伝は書店にいくつも並んでいるし、在学中、講演会にだって何度も行った。

 キリコの講義は聞き応えがあり、それでいてユーモラスで、誰よりも知的だった。彼よりも優れた男など、この惑星にひとりもおるまい。アレイニは心から、彼を尊敬していた。


 叔母の言葉は、いつものように厳しかった。

「彼を連れてきなさい。あなたの夫として。そうして二人で塔を継ぐのです。逃れることは許されない。あなたにはその義務と責任があるのですよ、アレイニ様」

 だけどそれは、いつもよりなぜか、甘く優しく聞こえた。


 敬愛する、天才科学者キリコ博士――彼ならば、『光の塔』の主にふさわしいと、アレイニもまた同意であったから――



(――いや。違うわ)


 胸中で、呟く。


 二つ目のボタンを外しおえて、三つ目のボタンを摘みながら。


(そんなきれいな理由じゃない。そんなものは全部後付け。私は、私はただ――)


 愛してはいない。人間として好きになってもいない。

 ただ、一目見たときからずっと――あの男と性器を繋げたかった。


 それだけを期待していたのだと――最後のボタンを開き終え、アレイニはようやく、己の本性を知った。



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