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アレイニの挑戦③

 キリコは笑いもしなかった。説き伏せるようなこともなく、ごく日常的な所作でもって、レポートをアレイニに返却する。


「データとしては、四ヶ月で50回程度で足り得るとは思うんだけど、国に認可させるなら二年くらいは継続してデータ取りが必要だな」

「……データ……データ? 私が――」

「ああ、でも君個人が生来の不妊症という可能性もあるから、一度普通に生んでおきたいところだな。できればあと数人は被検体がほしい。確実にするなら女友達にもあたってみたまえよ」

「そ……えっ。ちょっと。待って、下さい。待って……!」


 アレイニは震えた。耳はキリコの言葉を聞き取る。

 だがその奥にはいってこず、全く、意味が変わらなかった。

 いや違う。意味が分かって、それ故に、脳が拒絶しているのだ。


 そこで初めて、キリコはアレイニの愚かさに気がついたらしかった。科学者は眉間を曇らせた。


「なんだい? ……お前、まさか、自分がなにを作ろうとしているか理解していなかったのか?

 自分が努力をしているその先に何があって、そのために必ず通る道を考えもしていなかったのか?」


 絶句するだけのアレイニに、今度こそキリコは深いため息ををついた。知的好奇心に輝いていた瞳が失望で曇り、アレイニから背けられる。


 自分の仕事の資料を広げながら、デスクに頬杖をついて、キリコは愚痴のように呟いていた。


「人体実験なしで、科学の進歩なんかあり得ないんだよ。せめて豚、せめてウサギ……いや、やはりヒトだ。ヒトがいるんだ……」


 キリコは爪をかんだ。


「なぜ許されないんだろう。老人を安楽死させるなら、全身麻酔で腑分けすればいいのに。量が違うだけで同じ薬だし。なぜその死骸を使ってはいけないのだろう。健康な臓器は使い回しが聞く。脳死の子供だとなお良い。難病におかされた星帝の体を、なぜ私に渡さないのだ? どうせ死ぬのに、もったいない。なぜその肉を有効利用しないんだ?」


 つぶやきは熱量を帯び、キリコの喉から吐き出されていく。


「凶悪犯罪者を捕まえて、なぜ檻の中で太らせる? 死刑制度は必要なんだよ。終身刑受刑者の体を私に渡せば、それでみんなが幸せになれるのに。それを……マウスなどいくら腑分けしたところで……オストワルドは何もわかっていない!

 ……クーガは唐変木だ天然だとからかうが、クゥは貴様などよりよほど、このキリコを理解している。クゥは――くそっ」


 キリコの肘がデスクを揺らす。彼はそのまま全身を震わせた。水色の髪をかきむしり、せわしなく足を踏みならして、キリコは呪詛を吐き続けた。


「どいつもこいつも! 科学の発展よりも己ひとりの身を庇う。なぜだ? クゥだけだ。クゥが私の正式な助手ならば、頓挫しているアレもコレもとっくにこの世に出ているだろうに。この避妊薬だって、クゥならきっと飲んでくれる。クゥなら、それで私の子だって――!」


「あっ!」


 振り回した腕がアレイニに当たり、ティーカップを取り落とした。カップは床で砕け散り、ハーブティがアレイニに降りかかる。


「……すまない。大丈夫か」


 キリコは平静を取り戻し、アレイニの手を取り火傷を見た。。もうずいぶん冷めていましたから、と断って、陶器のかけらを拾う。


 チクリと、指先に痛みが走る。大きなかけらだからって素手で拾ってはいけなかったらしい。それでもアレイニは構わず、砂粒ほどのかけらまでもすべて、指で摘んで集めていった。

 どれほど時間が経っただろう。

 ふと振り向くと、キリコはもうそこにいなかった。


 キリコはそのまま、夜までラボには戻らなかった。鍵はひとつしかなく、普段はキリコが管理している。出張のためアレイニが持ってはいたが、退社定時を大きく回ってもなおキリコはいない。仕方ない、と割り切って、アレイニは施錠した。手荷物から付箋を取り出し、自宅の住所を書いて挟んでおく。

 もしも深夜どうしてもラボに入りたければ、こちらの家まで訪ねてくるだろうと。

 すっかりひと気のなくなった研究所を出て、帝都のバス停へ向かう。帝都から王都の中央バスステーションを結ぶシャトルバスはラッシュタイムを過ぎて、一時間に一度しかやってこない。

 しばらくそうして一人佇み、バスを待ち続けて――

 アレイニは顔を上げた。


 ローファーで石畳を鳴らして戻り、研究所入り口、警備事務所を訪問する。


 カウンター越しに声をかけると、夕食中だった警備員は振り向いた。実習生のときからの顔なじみである。彼はアレイニの顔を見るやごくりとパンを飲み込み、むせかえってあわてて水で飲み下す。アレイニを上から下まで眺めたあと、胸のあたりで視線を止めて、警備員は緩んだ頬で用を聞いてきた。

 アレイニは言った。


「キリコ博士は、寮住まい……ですよね。……急用でお訪ねしたいんです……。……部屋番号を、教えてもらえませんか?」



 キリコの部屋は、研究所のすぐ横にある、高級軍人用の宿舎にあった。

 騎士団敷地にほど近くにあるあたり、住人がラトキアで高い地位にあることを思わせる。

 アレイニは、この宿舎にはいるのは初めてだった。仮に寮にはいったとしても、ここではではなく敷地はずれの一般軍人寮となる。

 演習場の端にある兵舎や執務室を含む騎士団とちがい、こちらは純粋な個人宅、完全にプライベートな空間として建てられている。


 想像よりもずっと大きく、立派な建物。軍人寮というよりは、王都にあるホテルのような佇まいだった。住人の推定数で割ってみるに、かなりの広さを個人で所有しているはずだ。

 ふと、アレイニは今更のように気がついた。


(キリコ博士って、『著名人』で『おえらいさん』で、『お金持ち』なんだわ……)


 キリコの部屋は三階の角部屋。アレイニは手に研究室の鍵を持ち、逆の手で、厚い木の扉をノックした。


 スリーノックを二度行っても、返事がなかった。すこしだけ待ってからもう一度。今度は返事があった。はい、というキリコの声が耳元で聞こえて、アレイニは扉の横にインターフォンがあることに気がつく。

 そこへ、唇を寄せた。


「もうお休みのところを、失礼します。アレイニ、です」


 なにかくぐもった返事があったが、意味のある言葉ではない。どうやら本当に寝ていたらしい。

 やがて少しずつ覚醒したのか、暗に訪問の用件を促されたが、アレイニは鍵のことを言わなかった。お渡ししたい物があるとだけ言って、キリコの言葉を待つ。

 カチリと、かんぬき部分から音がした。


「――ロックを解除した。入っていいよ。ちょっと私は今、動けないからね」


 アレイニはドアノブを引いた。



 ひと世帯で暮らせそう、というのが、キリコの部屋の第一印象だった。そして研究室の様子から想像していたのとはずいぶんイメージの違うインテリアである。

 ポーチで靴は脱いだものの、スリッパがないので裸足で進んでいく。


 リビングルーム一面、豪奢な絨毯に深い緋色のカーテン。高級感のある家具が並んでいる。

 キャビネットの上に、白地に金縁の女性的なティーカップセット。絵画や美術品まで飾られていた。

 私服すら見たことがなかったが、キリコは案外、とてもお洒落な男なのかもしれない。


 奥に、半開きの扉があった。主の声に導かれ、アレイニはそちらへ入っていった。

 寝室、である。

 こちらはリビングとうって変わったモノトーン、広いだけで、飾り気のないベッドの上にキリコはいた。

 仰向けのまま、胸だけで身を起こしてくれる。


「こんな格好ですまんね。寝転がっているだけのつもりが、そのまま眠っていたらしい」


 胸ほどまである水色の髪をかきあげて、キリコ。留め紐をほどきメガネを外し、部屋着をまとった彼はやはり、職場でみるのと印象が違う。


 突然、夜に訪ねてきたのはこちらだ。くつろいだ格好をしているのを咎める気持ちなどもちろんない。

 寝室にまで入り込んだ失礼を詫び、一礼して――

 ――顔を上げたアレイニは、目を見開いて固まった。


 キリコの自宅、キリコの寝室、キリコのベッドに、黒髪の少女が横たわっていた。


 広いベッドのなかでありながら、キリコの腹を締めるようにして、眠っている。


 白い肌が暗がりでぼんやりと浮かび上がり、まるで亡霊か、死神のようだった。キリコの体にまとわりつく、長い手足。十六歳にして、ラトキアの誉れある騎士団長――クーガという名の少女が、目を閉ざしてそこにいた。


 アレイニは絶叫した。



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