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アレイニの挑戦②

 キリコの帰還は、二十日という予告より十日も遅れた。そのぶん大きな成果を上げての凱旋である。さすがはキリコ博士、と、アレイニは感嘆して彼を出迎えた。


「お帰りなさい、お疲れさまでした。何か、飲み物を入れましょうか」


 扉を開けて、アレイニ。キリコは眉を少し、持ち上げた。

 旅行用の分厚いジャケットや帽子よりも先にメガネを外し、洗浄機にかけながら、


「ただいま。……なんだか研究室が様変わりしているね。君の仕業かい」

「ええ。居心地よくなったでしょう? これなら、来客だってここで迎えられますよ」


「ふうん。まあ今までも、星帝夫妻だってココに通してたけど。確かに心地悪そうにはしていたな。オストワルドは将軍なんてのに収まってから、なにやら急に質実剛健な軍人ぶりだした。星帝皇后となってからはオンナぶりっこまで始まってすこぶる気持ち悪い。薬品臭いだの飾りがないだの、女性の感性としてはこのラボは許容しがたいのだと。なにが女だ。諜報部隊にいたころなど、夜中に食堂に忍び込み、冷凍庫から生肉盗み食いして医務室行きしたくせに。だいたいまず貴様の鞄の中を片付けてから言えといいたいね。言ったけど。

 ……君とオストワルドは気が合いそうだね。星帝の宮殿に、インテリアコーディネーターとして勤めるといいんじゃないかな」


「そ、そんな私が星帝の宮殿に……だなんて。こんなのただの手習いで……恐縮です」


 キリコはごく短く、声を立てて笑った。


 狭い研究室に、ひとつだけあるロッカーの前で外套を脱ぐキリコ。アレイニは手早くハーブと茶葉を量ると、蒸らしている間にまくし立てた。


「博士、お疲れのところすみません。お茶を飲みながらで構いませんから、私のレポートを見てもらえませんか?」


 キリコは返事をしない。その背中に、構わずアレイニは続ける。


「あの、それほどたくさんのページ数ではないので。博士がお出かけの間に、実は私、ひとつ、医薬品の研究を……思いつきを煮詰めて、あの、それでまだ構想段階なんですけど、一応、理論的には成立していて。……これが、もし完成して、市販できれば、ラトキア人の文化革新になるかもしれません。見て下さい。

 ――ラトキア人専用の、経口避妊薬です」


 ぴくりと、キリコの耳が震えた。感触をつかみ、アレイニの声にも熱がこもる。


「いまのラトキアに流通しているのは男性側に一任される避妊具だけですよね。でもそれだと女性側に選択権がない、不公平だって、私ずっと思ってたんですよ。

 それで、あの……オーリオウルやほか文化先進星では、女性の服薬による避妊が一般流通していると、それは学校で習ったことがあって。コレが、おもしろいんですよ。『妊娠できなくなる薬』っていうとなんだか体に悪そうですけども、違うんです。むしろ――」

「『疑似的に妊娠している状態にする薬』、だろう? 人類は基本的にはらむと排卵が止まり、妊娠が重なることはないから」


 あっさりと重ねられ、アレイニは一瞬たじろいだ。だがすぐに胸を張る。


「そうです。ピル、という名称だそうです」

「原料は自然の草だったか。しかしそれはラトキア人には使えないね。やはり種族が違う」

「ええ、その通り。そもそもラトキア人は後排卵、精液が体内に届いてから卵子がそれを迎えるシステムで、排卵日なんていうもののあるオーリオウル人とは大きく異なります。……月経、という、なんだか死ぬほど面倒くさそうなものが、ラトキア人にはなくてよかったと安堵してますけども」


「それで?」


 キリコは荷物をすべてロッカーに入れ終えると、そこでようやく、帽子を取った。


「わざわざ違うモノを説明にあげたということは、そこからヒントを得たということだろう。しかしお前が作ったものはラトキア人に効果のある経口避妊薬、となると分類としてはいわゆるアフターピルになるのかな」


「そ……そう、です。その、ピルの原料である草と同じように、このラトキアにも、動物の妊娠ホルモンに作用する薬草ハーブがあるんです。排卵を促す者や、想像妊娠を起こさせるもの、あるいは不妊を引き起こすもの、流産してしまうもの……。

 それらを調合してできた避妊薬……これは、正確には『卵子を無精卵として完成させて排出させる薬』です。『卵子を疑似受精させる、偽物の精子』といったほうがわかりよいかもしれませんね。未受精の状態で卵膜を張らせ、本物の受精を妨げるのです。あとは二日以内に無精卵が廃棄されるのを待つだけです。軽度の出血はあるかもしれませんが、量も痛みも、自宅で対処可能な程度です」


「それは、もしかしたら堕胎禁止法に引っかかるかもしれないね」

「……大丈夫だと……思いますけど」


「調べたかい?」

「……いいえ……」


 まだ研究段階だから、と、アレイニは弁解を続けた。


 ここに至るまで、膨大な資料を読み込み、理論を煮詰めてきたのだ。試作品一粒のために、薬部と王都のハーブ卸店とを何往復したことか。ここで法律がどうのまで話を持ってくるのは、いささか、意地が悪いように思う。


 しかしキリコは、今回ばかりは意地悪で言ったわけではないらしい。自分も大丈夫だとは思うけど、と呟いて、少しだけ思案にふけった。


「しかし、別のものでひっかかるかもしれないね。これ以上研究予算を引っ張るなら、先にそっちを解決するべきだな。どのみち軍の認可がなければ医薬品など世に出すことは出来ないし、サンプルを自分で服用しても、下手したら逮捕されるかもしれないよ」


「えっ? ど、どういうことですか」

 面食らって、アレイニ。


 キリコはジャケットを脱ぎ、ハンガーにつるした。ロッカーを閉じると、そこにもたれて腕を組む。怜悧な水色の目が、なんとなく、好奇心に輝いているように見えた。


「なぜラトキアに避妊具が無いか――王都外やオーリオウルからの輸入じゃなくて、なぜ国で生産しないのか、だよ。

 ラトキアはね、なるべくたくさん、子供がほしいんだ。ラトキアの政治経済が安定したのはこの百年足らずだけども、食糧生産ラインを確保した今、国力アップ――すなわち、富国強兵を目指して政策をとっている。いつまた侵略者が来るかわからないんだから当然だね。政治経済、生産、開発、人材の発掘にも天災からの復興にも、ヒトの数が欠かせない。なるべく避妊なんかされたくない。産めよ増やせよということだな」


「そ――えっ? そんなこと……それは、学校では、習いませんでした……」


「ああ、『なぜ』という部分は半分くらい私の憶測だ。しかし法典にはキッパリ、避妊禁止法というのが載っている。こちらはさすがにお目こぼしというか、発覚してもまあ、逮捕なんかはされないけどね。しかし露店での売買や王都外の土産物ならまだしも、医薬品を販売するとなるとラトキアがそれを是認したということになってしまう。実質あるのかないのかという薄っぺらい法律でも、国が破るとなると一度、国会を通して法改正をしないと。

 ……そこまで大きな手間暇かけて、さらに国が弱くなるんだ。さて、あのオストワルドが国会まで持って行ってくれるかね。君を逮捕して、三日ばかり拘留して、薬を取りあげてオシマイだと、私は思う」


「…………」


「なに、落ち込むことはない。オストワルドは今、優秀な女性の社会進出にも力を入れている。それに寡婦家庭や孤児の保護にかかる福祉費用も抑えたいはずだ。たとえば軍人女性や、あるいは売春婦、既婚者でも子供が三人以上いるだとかに限って処方するというような限定をつけて、一度直訴してみるといい。国民感情の代弁や、博愛主義で推すのではなく――要するに、国のメリットをプレゼンするんだ。通る可能性はそこそこ高いと思うよ」


「は、はい! はい――ありがとうございます。わかりました。ありがとうございます」


「私に礼を言ってどうする。そもそもまだ構想段階、ひとまず完成を目指すことだな」


 キリコは苦笑して、チェアを引いた。そこにあるクッションを速やかに外し、アレイニに手渡す。その上に淹れたてのハーブティも乗せて。


「座布団は、屁がこもるから嫌い。あのコーヒーは安物だが気に入って取り寄せているものだから、それを淹れてくれ」

「え? あ、はい」

「香水は、薬品をかぎ分けるのに邪魔になるから厳禁だ。それに君のセンスとは合わないなりに、私にも嗜好というものがあり、同時に利便性も追求しての現状だよ。資料や器材を利用はしてもいいが元に戻しておきなさい」

「はい」

「ファイルを色形で分けるな、雑貨屋じゃないんだぞ。左から、資料番号の昇順で並べるように。一番手前のものは今まさに使っているものだから動かさないでくれ。……フラスコを磨いてくれたのは礼を言おう。気にはなっていたんだ。どうも、ありがとう」

「は……いえ、はい……」

「ところでレポートを見てくれと言ったね。もっておいで」

「はい!」


 話があちこちに飛び火して、めまぐるしく一喜一憂させられる。アレイニはあわてて資料棚へ駆け寄った。

 たしかピンク色のバインダーに挟んだはず、と、それらしい色味のものを数冊出して、一つずつめくって探し出す。

 キリコは無言で待っていてくれた。


 レポートと資料、自分用のメモまででたらめに捧げたのを、すべて読んでくれている。無言で読了すると、フウムと低い声を漏らした。


「一応、臨床実験までやったのか。うん、立派立派。十回で四度の反応成功、優秀な数字だよこれは」


 アレイニは紅潮する。だが続いた言葉には、絶句せざるを得なかった。

 キリコは言った。冷たい水色の目でレポートを見下ろしたまま、こともなげに――


「じゃあもう少し精製して、試作が出来たら飲んでみるように。彼氏はいるかい? いなければ私の知り合いに声くらいかけてやるけど」


「…………えっ?……」


 アレイニは、素っ頓狂な声をあげた。



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