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アレイニの挑戦①

 明くる日からの数日、拍子抜けするほど、穏やかな日々を過ごした。

 アレイニ一人きりの研究室に寝ぼけ眼の少女が訪れることもなく、やることもなくて、ハーブティのブレンドなど試作してみる。

 研究所内資料室にこもってみたり、研究室でストレッチをしてみたり。


「……さすがに、なにかしよう」


 と――髪を編み込みながらつぶやいたのは四日目のことである。


 決起したものの具体案が思いつかず、とりあえずアレイニは、主不在の一室を大掃除することにした。

 これがまた、はかどるのなんの。

 キリコは決してかさばる体躯の男ではないが、「ちょっとそこどいてください」が言えないアレイニにはやはり、いないほうがありがたい。


「あの人、潔癖っぽく見せかけて実はちょっとだらしないのよね」

 

 キャビンの埃をはたきながら、呟く。


 本人曰く、在処は記憶しているから整頓の必要がないという、煩雑な書棚。アレイニは背表紙の色形をそろえて並べ直す。年単位で使っていないと思しき器材はまとめて一番奥のほうへ。

 実験器具にまぎれて、キリコの私物であるマグカップが普通に置いてあった。何となく、手に取ってみる――安物の質感にこれまた安っぽいプリント、しかもずいぶんと剥げてしまっている。いったい何十年使っているのか、もしかして自分が生まれる前からあるんじゃないか――アレイニは苦笑して、カップの縁に指を沿わせた。

 一部だけ感触が違う。いつもキリコの唇が当たる位置は、ほかのどこよりも摩擦で劣化している。


 二十年――


 キリコがこの研究所へやってきて、もう、二十年が経つはずだった。


 ラトキアの大脳と呼ばれる天才科学者が、この二十年で及ぼしたラトキアへの影響は、はかり知れない。兵器、武器、医薬品、術式から民間の電化製品まで。


 そのわざがあまりにも多岐にわたるのには理由がある。


 彼がこの世に生まれる前、ラトキア王都は、三百年前の支配者が持ち込んだ科学装置にそのまま依存していた。実質、よくわからないままなんとなく放置して、利用していただけだった。故障しても直せない、新製品開発などもってのほか――支配者達を星から追い出し、高度な文明を手中に入れながらも、使いこなせるものが誰もいなかったのだ。

 いずれ、この星の文明は滅ぶ。

 ラトキアの誰もがそう知りながら、誰も動こうとしなかった――

 キリコという少年が、手製の発電器を軍部へ持ち込んだのは、今からたったの二十年強のことである。


 もしよかったらコレと、そしてボクを使ってください――


 ストレートな売り込み言葉を、一度、ラトキア人は誰一人理解できなかった。

 それはかつての支配者達が、自分たちだけで通じる暗号として利用していた言語。

 博物館に展示された支配者達の遺した書簡を読みとき、それを理解しているといったのだ。


「あとは説明書の通りにやってただけだよ。勉強すれば、君たちにだって出来る、出来る」


 学生達に囲まれて、キリコはこともなげにそう言った。それは謙遜ではなく事実なのかもしれないが、どちらにせよ大した問題ではない。キリコの業績は、支配者達の遺産を掘り起こしただけではない。その後もずっと、新たな技術をラトキアにもたらし続けてきたのだから。

 とはいえ。


「ねえ、キリコ博士って素敵だよね」


 ――という、女学生達の評判は、その業績は何の関係もないところにあった。


 一人が言い出すと、だよねだよねと賑わう。もちろん、首を傾げる者もいた。


「どこが? 不細工とまでは言わないけど、ひょろひょろで全然頼りないじゃない。尊敬はしても恋人っていうのはねえ」

「うーん、そうなんだけど、なんていうんだろう、なんかグッとくるっていうかぁ……」

「なんとなくエロいよね」

「上手そう」


 きゃあ、と大歓声。

 これを放課後、まだ人の残る講堂でやっているのだから、はしたないこときわまりない。


 こういう話題が、アレイニは大嫌いだった。それでもまだこの時点ではかわいい噂話だったのだ。


 キリコ博士が特別講師として招かれて、数日後、女たちの話題はさらに卑俗さを増した。


「――あたし、博士と寝たわよ」

 

 そう自慢げに言った女の、醜さといったら筆舌に尽くしがたい。彼女はまさに自慢げに、べらべらと吹聴していた。


「そんな、特別なアプローチなんかしてないわよ? 普通に、お昼ご飯食べに行きませんかってこっちから誘ったら即オーケー。お昼はあたしが案内して、お礼にって夕食は博士のおごりで。それがまたすごくカッコイイ、美味しい店でさァ――えー、意外? だって彼、オトナだもん、そりゃお金の使い方が上手よね。そうそう、お喋りも案外上手って言うか、おもしろいのよ、それに優しいの。彼ったらね――」


 彼女の口上は丸一日続いたが、翌日には閉ざされた。


「わたしも昨夜、あの方と過ごしたよ。今朝、博士はわたしの部屋から帝都へ出勤していったんだから」


 結局、この女もまた二日と持たず沈黙することになる。つまるところ、こういうことだ。キリコ博士は、自分からちょっかいをかけにいくことはないが来るもの拒まず、手中にあれば節操なく食い散らかし、そしてそのまま放棄する。

よくよく聞けば、はじめから、そのように彼は公言していたらしい。


 道理で、と、アレイニは思わず笑みを浮かべてしまった。

 一晩遊んでもらえただけ満足だもの、彼も楽しそうにしていたわなどと強がりを言う彼女たちはみな、お世辞にも美人とは言えなかったから。


 傑作、である。


(身の程知らずのブスがつけあがるからよ。バカばっかり)


 アレイニは笑みを噛み殺すと、教材を揃え、講堂を出ていった。

 その背中に、女達の潜めた声が届く。


「……なにあれ、あいつ今笑ったでしょ。あからさま、あてつけみたいにして」

「自分だけお上品ぶってるの、ほんといい加減にしろだよね」

「上品? アレが? うちらよりよっぽど……でしょ。シェリンカ、彼氏寝取られたってさ」


 取ってないわよ馬鹿――唇で、呟く。


 あちらからコナをかけてきたのだ。アレイニは断った。だが必ずシェリンカとは別れるからとしつこくつきまとい、強引にデートの約束を取り付けた、あの男が悪いだけ。そして少しだけ付き合ってやったものの、案の定、つまらない男だった。

 軽薄男と馬鹿女でお似合いだと、こちらから返還してあげた。今はヨリを戻し、仲良くやっていると聞くのだからもういいではないか。

 アレイニは後ろ手に扉を閉めた。

 だが女の甲高く耳障りな声は、換気口から漏れて、アレイニの耳まで侵すのだ。


「ワタシは雌雄同体ですオンナ扱いしないで下さいって、教授に取り入っていくくせに、いつもボディライン丸出しなの。セクハラされたくなきゃおっぱい隠せっての」

「あいつわかってるよ、自分で。チヤホヤしてほしいオーラ出っぱなし……キモチワル」


 ――アレイニは、思い切り机を叩いた。



 そこで、はっと正気に返る。


 一人きりの研究室である。自分が叩いたせいで、机上のハーブティがひっくり返っていた。慌ててそれを拭き取って、アレイニは頭を振った。

 ……こんな夢想をしている場合じゃない。いつまでもクサっていたってなにもならないのだ。


「仕事しなくちゃ。仕事……雑用じゃなくて、博士の手伝いなんかじゃなくて……」


 なにか――結果を出さなくてはいけない。


 模倣ではいけない。アレイニは研究者なのだ。軍部はアレイニに何も求めてこないが、それはあくまで新人の今だけ、キリコ博士の指導を受けていると思われているからだ。近い日に、戦力となれるよう成長中だと認識されている。

 虚構である。化けの皮など、すぐに剥がれる。

 キリコ博士が出来ないことをやらなくてはいけない。


(博士が出来ないこと……人の気持ちを慮おもんぱかる。それ以外にあるのかしら)


 キリコがこれまでやってこなかったこと、これからもやろうとしていないこと。


(……誠実な恋愛。結婚。絶対出来そうにないわよね)

(あんな無節操に手を出して。そりゃ、継続して連日性交をしなければ妊娠しないといわれてるけど、思い切り雌体優位なら、突然できちゃうってこともありえるのよ。そうなったらどうするのよ、どうするのよ、もう!)

 アレイニは舌打ちした。


 ラトキアの法では、非婚の出産は不可能である。妊娠すれば必ず結婚しなくてはならない。父親が逃亡、あるいは不明であれば、赤ん坊のDNAから全国民のデータが洗われて、たちまち割り出されてしまう。

 産後、女側が望めばすぐに離婚、夫と離縁する事は可能だが、いずれにせよ男側はひたすら受諾するしかないのだ。

 堕胎、という選択肢も許されない。

 それは『自己防衛のための殺人』――正当防衛のための過失致死よりも重い、れっきとした殺人罪だった。実質、母体の命と引き替えになるかという瀬戸際でなければ、禁止されている。

(……もっと、避妊具が手軽に使える世の中になればいいのに)

 アレイニは思う。

 ラトキアには、避妊具というものが無い。

 雌雄未完成な未婚者は妊娠しづらいせいだろう。本気で避けたいカップルは王都の外にいるラトキア星人――常に男と女に分かれて生まれてくる種族――から、信頼性の薄いものを買い付けたり、オーリオウルなどの高級輸入品を取り寄せている。それは金銭的にも手間としても、なかなかに負担が大きなものである。

 望まれない妊娠も多く、それにより、人生を潰えさせた男女は多いだろう。


(あのものぐさ、絶対そのまま、だわ。結婚する気なんかないくせに――いや、もしかしてそれすらどうでもよくて、ハイハイって婚姻しちゃったりして。ありえる……)


 ――と――ぐるぐる、低俗な思考に溺れている間に日が暮れている。そうしてまた無碍に一日を終えようとしていることに危機感を覚え、アレイニはぞっとした。頬を叩く。


「いけない、ほんとにちゃんとしないと。私がやりたいことをしてもいいって言われた。素直に、シンプルに、それでいいんだわ」

 アレイニがやりたいこと――

 そんなものが――

 自分の人生で、一つでも、何かあっただろうか。


 キリコが研究者になった理由は、ただの知識欲だと彼は言った。頭に浮かんだ妄想を、実現することは出来ないだろうか。アレとコレを組み合わせたらどうなるのだろうか。自分の仮説は正しいのだろうか。そういった疑問に答えを出すためには、莫大な資金と特殊な器材、恵まれた環境が必要だ。そのためにラトキア国庫を利用しているにすぎないと。

 自分も、そのようにすればいいのだと、アレイニは決起する。


 やりたいこと、知りたいこと、実現させたいこと――


 考える、悩む、頭を抱えてうめく。


 だけども脳裏をよぎるのは、学生時代の女どもの嬌声ばかり。

 それらをはねのけいくら考え込んでも、やはり答えは浮かばない。

 なぜならアレイニはもとより、ただ、キリコ博士のそばにいて、役に立った、ありがとうアレイニと――褒めてもらいたい。

 ただ、それだけだったのだから。


 綺麗に片づき、掃除が行き届いた研究室。アレイニは造花を飾り、お気に入りのコロンをそこへ吸わせた。デスクには若草色のクロスを張り、チェアにも同色のクッションをあつらえる。

 冷える足下にはラグマット、ふかふかスリッパ。

 これでもう、長時間座っても下半身が痛くならないだろう。

 ふかふかの綿にお尻を置いて、アレイニは伸びをした。


「よし……やってみよう」


 そして白衣を羽織った。


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