第三百五十三話 訪問 その1
「卿の独断か?」
アスラーン殿下の瞳は、空の色を湛えている。
輝く初夏の水色を、また初秋の淡青を。
「陛下の御許には奏聞に及びました」
中隊長の報告に、蒼天の深きを映したのは束の間のこと。
「専行のあげくご裁可のみを求め、懇意の王子を選んで漏らす……良い根性をしている。アレックスめ、面倒な監視役を送り付けてくれた」
ターコイズのきらめくさまを目にしては。
腹の探り合いなど、するだけ馬鹿らしく思えてくる。
「釘を刺す程度ならば、近衛中隊長の裁量事項と判断しましたが……」
相手が公爵連だけに、ことによっては刺し違えるぐらいの覚悟はあった。
そうなっていれば、独断専行の謗りは免れないところで。
しかし全ては結果論。なるほど、アレックス流には違いない。
「『裏打ち』に関して、殿下におかれては?」
小さく頷いておいでであった。
「中務宮さまもご存じのはず。『管理人』ご当人、四公爵家とその正統。あとは弟のスレイマンが存じおるか、否か……いや、立花を忘れていた。そこに卿が勘付いて」
白い歯がこぼれる。
王国貴族の仁義はどうした、裏帳簿の存在が伝わることに責任を感じないかと言わぬばかり。
「メル家には、漏れます」
嗅ぎ当て噛み付く伝手として、ギメ家を使うほか無かったから。
父の復帰にエリク・ギメ改めメル家諜報担当のガイ・フーシェが、探りを入れぬはずも無い。
「が、開発は粛々と進むでありましょう」
露見せざるを得ないのだ。
責任は全て、企画を立ち上げた四公爵家にある。
そもそもイーサンの、デクスター家の構想――ファシル・エシル両州の総合開発――は、アスラーン殿下も含めた閣僚級なら誰しもご存じのはず。
「中東は極東にも劣らぬポテンシャルを秘めている」、それがデクスターの試算である。ゆえにこそ、腹を立てつつもアルバ家主導の構想に乗ったのだ。
……東西を意識する国家戦略は殿下の思惑とも重なる、のか?
……いや、思惑は各人各様としておくほうが良いような。
なお、しかしながら。
記念すべき最初の投資先は、「右京南部」と「ナンチュウ家采邑」に決まった。
企画に乗ったのは何のためかと言わんばかり、イセンが吠え続けたから。
我ら――インディーズ・立花・デュフォー連合――にしても、噛み付くことが目的ではない。
狂犬ではないと分かれば、アルバ公爵も眉間の皺を伸ばす。「大規模開発には時間も金も必要だ。まずは試運転、小さな地域から始めようではないか」と鶴のひと声。
デクスターは、譲った。
開発構想、大目標を実現する目途が立ったから。小目標(上流貴族を広く巻き込む)も達成のうえで。
投資先の選定に我を通したイセンも、いっぽうで譲歩した。当事者の地位を降りた。
今後、右京開発は経産畑のノーフォーク家によって主導される。
「誰の手柄でも良いさ。右京が機能するなら」……言い放った笑顔の晴れやかなこと。
初めて見せた年相応の華やぎは、エドワードや兄君ロシウにも劣るものでは無く。
「手に余る厄介事をうまく切り捨てたのさ」などと、下種な口を叩く者も出たけれど。
ともかくイセンは上を目指す足がかりを得た、それがチェン家の「分け前」で。
そしてアルバ家は今回、「四家を主導する」名誉を得た。
公爵閣下の花道に……。
「ご老人、引退する気はまだ無いらしい。曾孫が来年任官するまではと」
四世同堂、自宅ではなく朝堂においてこれを成す。
勢威ここに極まれり。
「何ごとも、先は長いと申すべきでしょうか」
無言で肩を竦めるあたり、同意はいただけぬ模様。
さりながら、初秋の高い空を思わせる明るい瞳に焦りの色は伺えず。
これは秋の夜長を楽しまれるおつもりでもあったかと。
野暮な話を持ち込んだ我が間の悪さに頭を垂れる。
「今宵は雅院にて、宿直を務めん」
宴遊のお相伴に預かるのも業務の一環だから、多少はね?
関係者への連絡を兼ね、大きくなってしまった声に乗せて呼ばわれば。
「中隊長殿を煩わせずとも」
得たりと応ずる掠れ声は、苛立ち多き年頃をそのまま現すかのようで。
やがて近づいてきた小柄な影が、御簾の向こうに揺らめいていた。
クラースの弟ヴィル・ファン・デールゼンには、帯刀先生(雅院警備隊長)を任せている。
しかし雅院の警備は事実上、メル一党が仕切り回しているわけで。
ヴィルが張り切ってみてもその職責は有名無実、いまの彼は殿下個人の侍従職と言って良い。
やる気は買うが、さすがに何かと実力不足なのだ。
成長期の夜更かしもお勧めできない。
「騎兵は攻めの兵科。だからこそ守りを、また各家との折衝を学んでほしいと父君から」
カレワラ氏はファン・デールゼン家とのかかわりが深い。
縁ある上官に優しく諭されては、任官早々やらかした(そのうち触れる機会があれば)ヴァン君としても大人しく引っ込む他あるまい……と思いきや。
「『雅院女蔵人頭さまのご機嫌を伺われては?』と、女官を通じて妃殿下から」
フィリアとは、明日ふたりきりで――お供をたくさん引き連れて――出かける予定を立てていた。
だから今宵は良かろうと思っていたんですけれどね。
「『くれぐれも』との仰せでした」
ヴァン少年、なかなかに可愛げが無い。
クラースとは違う「お坊ちゃん育ち」だろうと思っていたのだが。
思えば彼の母君は、安定継承のためにクラースをいびり出す根性と慧眼の持ち主であった。
「……どうぞお気をつけください」
近づけて来たその横顔には、父君の面影が濃くて。
「ようこそ我らが社交場へ、そのうちカレワラ談話室にも」と申し上げたくなるところ。
参加資格は充たしている。男性にして、苦労性であること。
しかし、気をつけると言って。何のこっちゃと思いつつ足を運べば。
雅院女蔵人頭さまのお局(事務棟)は、あたかも臨戦態勢で。
「陽も暮れてまいります。これより先はお控えいただきたく」
いえ何も、夜這いに来たわけでなし。
お茶でもいただきながらおしゃべりなどいかがかと。
それなりの時間になりましたら、お局に付属する来客スペースに引っ込みます。
今までそうしてきたでしょう?
不満に一歩を踏み出せば、横ざまに人の影。
ついたての向こうから押し出されて来た侍女に袖を引かれる。
見慣れたメガネ、その反射。カレワラ党からの出向社員(?)オーウェン夫人カタリナ女史。
「ご主君とデュフォー侯爵いえ男爵閣下との接近が、こちらでしきりに取り沙汰されております」
何のこっちゃ(二回目)と首を傾げて。
デュフォー閣下のお顔と、これまでのいきさつに思いを馳せれば。
あっ。
デュフォー男爵は極東閥、それも総領ご夫妻と仲が良かったから。
カレワラがフィリアとの提携を「切って」、ソフィア閥への乗換えを企んでいると?
これはいけません。
(朝倉、ちと頼まれてくれ)
妖気を極限まで収めるのは窮屈らしいのだが。ともかく腰から外す。
注視されていたのだろう、ざわめきと小さな悲鳴が耳に届いたけれど。
あえて無視する。鞘を掴んだ我が右腕を、御簾の中へと差し入れる。
「お預かりします。明日のお出まし、お召し替えは?」
聞き馴染んだ声は、落ち着いていた。
悪戯めいた響きまで含めて。
「共に参るのです。彩り組み合わせ全てお任せいたします、女蔵人頭さま」
再び小さな悲鳴と嬌声が上がった。
皆さんそういうのお好きですね。
時を超えようが世界線を超えようが変わらない。
男に何を身に着けさせるか、その選択は妻の高権に属する。
演技……と言えば格好もつくが、この年になっておままごととは思わなかった。
だが、なるほど。親密ぶりを侍女連中に見せておく必要はある。
ここはツラ厚かましくもう一歩踏み込んで……と。
御簾を二尺ばかり撥ね上げ滑り入ってみれば。
刀掛に朝倉が横たわってあるばかり。
目当ての気配はもう一層を隔てた向こうへと消えていた。
まあね、信用が足りぬことは自覚している。
「今宵はこちらで宿直させていただきます」
真面目にやる気はないけれど。
どうせ警備は万全だもの、明日に備えてふて寝させてもらう。




