第三百五十二話 王の影 その2
解決策は、天……ではなく、神によりもたらされた。嬉しくも無い話だが。
福音(?)を告げるべくこちらを見上げていたのは、歳に似合わぬ真剣な目。
痛ましさを感じずにはいられなかった。第一声を聞いてしまうと、なおさらに。
「『そんなことをしなくても良い』って、ご領主さまは言いましたけど」
「俺たちで決めた。伝えるべきだって」
見た目に区別がつかない――霊気の「ありよう」には違いもあるが――カストルとポルックスが、案内してきたヴェロニカを押しのけんばかりの勢いでまくしたてる。
「疫病の神が『起きた』んです」
「今年は流行るぞ」
嘘だ、なぜ分かる、証拠を示せ……そう叱りつけるのは野暮だろう。
子供だもの、論理的な説明など不可能だ。そもそもこの世界には不思議が溢れかえっているのだし。
「説明させてください」
「俺たちのことも説明してかなくちゃいけないって、ポルックスが」
不思議が溢れる社会でも、異能者は世間と折り合いをつける必要がある。
その異能だが、現れ方まで多種多様。人に思わぬ禍福を及ぼし、人はそれを恐れる。
目の前の双子・カストルとポルックスが授かったのは神々の行動を「受信する」能力。聖神教団ではそれを「預言」と称し尊重しつつ……しかし恐れていないとも、言い切れないように思う。
代わる代わる口を開く、同じ顔をした子供たち。
ふたりの言葉を必死に聞き取り、こちらからも問い質し。
俺が持ち合わせている地球の知識とすり合わせてみた結果。
彼らの異能はいわば、VRゴーグルあるいは3Dメガネの右目と左目で。
かつ、ステレオサウンドスピーカーの右耳と左耳であったのだ。
「説明が難しいわけだ。よく頑張ってくれた」
ぽんと肩を叩いて、しかし改めて咀嚼するに。疫病神が「起きる」?
首を傾げた視界の端に、生暖かきは我が足の甲。尻を乗っけたミケがあくびをしていた。
(疫病の神なんだから病弱に決まってんじゃん。たまに体調が良くなると起きてはしゃいで、その反動でまた寝込む。なんの不思議も無いでしょ?)
ちょっと可哀想な気もするけれど。
人間と相容れないって、こういうことなんだなって。
後に聞いたところ、「魅入られた者も、社会とは相容れませんね」。「天真会も同じですの、ピウツスキ猊下。……分かるであろ、ヒロ君」とのこと。
だがすでに神が「起きて」しまった以上は、手の下しようも無い。
その事実に対して何を言えば良いのやら、ひと言を紡ぎ出す余裕も今の俺には無い。
「ともかくその疫病、『ひどい熱が出る風邪みたいなもの』ってことで良いんだな?」
おそらくはインフルエンザ、に類するもの、でよかろうか。
七日も安静にしていれば、大人ならまず死ぬことはないというあたりも含め。
良かった、ペストだコレラだ天然痘だってんじゃなくて。
……それぞれ具体的にどんな病気か、実のところは知らないんですけどね?
(何が良いの!?)
(落ち着きなさいピンク、もっとひどい疫病があるんでしょ「チキウ」には)
(ヒロが衛生にうるさいのはそういうわけか)
ともかく病気なら医者だ医者、というわけで。
レディ・インテグラ・メル……と、アンジェラ&ハルクを訪ねたところ。
「あのねヒロ君、インフルエンザは人類史上最悪の戦争と言われる第一次大戦を大幅に上回る死者を出してるんだよ?」
VIT全振りのアンジェラ女史は、口にしながら無警戒。
相変わらずの薄着であった。
「脅さないのアンジェラ! 『手の施しようが無い病気』じゃないことも確かなんだから。ええ、静養してれば何とかなる、ヒロ君も知っての通り。どうしたって犠牲者は出るでしょうけど……」
毛玉のハルクが音も無くしぼむ、ほんのひと周りだけ。
「そういうことだよ。分かるでしょ? 患者が七日間の静養……安静と栄養を確保できるなら、そりゃ問題ないだろうけど」
右京、いや北郊のやや豊かな民でもそれは難しい。
それでも俺は、できるだけのことはしなくちゃいけないから。
少なくとも貴顕また富裕層には対策を伝えるとして。
「伝染されないよう外出を控えましょう、静養してれば大丈夫……そのまま『貧乏人はエンガチョ』って、差別につながりかねないよね」
久しく聞かない言葉であった。改めてアンジェラがおっさんであることを思い出す。
「貴族政なんだから元々でしょ? ……って、案外緊張感がありますよねこの社会」
アンジェラとハルク、ふたりはプリ……もとい、歴史学者だったということも。
ガチガチに階層が固まっているわけではない、それゆえ逆に緊張が生まれる。
「上」と言われる人々――庶民に対する家名持ち、中流貴族に対する上流貴族――は、流動への警戒を心の片隅に留めている。
たびたび触れているところだが。
差別が存在していることは認めるし、それを撤廃する気も毛頭無い。
ただ同時に、王国の水準で「穏健派」に属する振舞いを心掛けていることも否定はしない。
元日本人の、抜き難き平等意識……に苛まれぬよう、心の平静のため。
上流貴族とは言え母は庶民という「設定」から来る負い目をかばう、保身のため。
少しばかり余談に流れたけれど。
その疫病が、なぜ「若手上流貴族たちの密談」につながるかと申しますと。
学者たちの巣・王都学園を辞して後。
近衛中隊長として聖上陛下に。ウォルターさんを通じて蔵人所に、エルンスト・セシルを通じて弁官局へ。雅院、メル家、キュビ家……事あらば即伝達、いいかげん慣れきっている。ゆえに滞り無く済むはずが。
「それで留めるつもりか!」と、珍しく血相を変えられたのが刑部卿宮さまで。
でも、こればかりは。宮さま個人の、男一匹の政治信条にあらせられるはず。
無言で見上げれば、その視線の意味はさすがおおどかな宮さまにも通じぬはずは無く。
翌日には管轄違いも何のその、有能秘書・刑部権大輔を引きずり回しては折衝に及ぶ、めずらかなる景色に後宮の皆さまが微笑みを浮かべていた。
と、閣僚が精力的に奔走するいっぽうで。
妙な荒れ方をする若者も現れたと、そういうわけで。
「右京で疫病? 確証は?」
「すでに流行は始まっている。確証……そうだね、『宗教界は動き出した』じゃあ不足かい? ああ、老人と子供、いや十代のうちはまだ、特に要注意らしい」
インフルエンザのたびに、少年が事故を起こしていたような記憶があった。
だがあえて付け加えたのは、目の前に立つ少年がまさに十代だったから。
眩しいほどに鮮やかな黒檀の肌艶、「健康」以外にどう評せと。
その上に乗るドレッドヘアを振り立てため息をつく様、これも一幅の絵……は良いとして。
クリスチアン・ノーフォーク、冷酷な少年ではないけれど。彼の性格いや立場なら、右京の民に犠牲が出ようと気にしないはずで。
……右京で疫病が起きると都合が悪い?
……右京を訪ねる、いや逗留するような用事があった?
少しばかりいやらしい穿鑿であった。
我は近衛の中隊長、粛々と公務に、治安維持に努めるべし。
まずは地元と言うべき北郊から……。
「よろしいですか、ご主君。北郊の職人街から陳情が。手打ちの仲立ち、いえ指導をお願いしたいと」
どうぞご自由に。「下」で手打ちをしてくれて構わないよランツ。
縄張り「争い」に様相が変わり、手打ちもできなくなった時にこそ調停に乗り出すのが「貴族」だろう?
「しかし、その。現地入りしたのは右京の業者だそうです。建築予定地が変わったとか。離宮や別荘のような大規模工事では無いのですけれど、敷地に蔵も建てるとか。専門業者の越境はめったに無い事とて、手打ちに自信が持てないとの申し出です」
……そこから探れば良かったか。
そうだよな、ヒトモノカネ、形而下の動きは誤魔化せないんだから。
上から目線上から目線と、みんなしてミスリードを誘いやがって。くっそ!
上流貴族は~金持ちだ~金蔵建てた~蔵建てた~っと。
世界線を越える致死性病原菌「著○権法」に対する耐性を持ってると気が楽だなあコンチクショー。
で、だ。金蔵建てて金をしまい込んで。それで何をするかって。
融資だよな、間違い無く。転生直前に話題になってたから知ってるぞ。
ADBだ。AIIBだこれ。政策投資銀行だ。
「だから左京に建てようと言ったじゃないか」
「左京北部では丸裸も同然、南部ではメル家に筒抜けだって言ったろ?」
「かと言って、どこかの家に置いては中立性が」
「たかが熱病に、ウコンが場所を変えろと言い張って聞かぬせいで」
皆さんずいぶんとまた、軽い口調であった。
どうせ探り当てられること、予測済みであったらしい。
まあねえ、近衛中隊長ともなれば王都全域の情報を網羅している「べき」ものですし。まして俺とティムル・ベンサムあたりの関係を思えば。
「で、ヒロ君。嗅ぎ当てたところで、噛みつけるかい?」
本題はそちらであると。
「大局的な視点から地方の開発を規整・指導する」のがイーサンの構想であった。
現に弁官局の下部組織として、すでに設立済みのはずだが……?
「規整の提言だけではお題目、金を重点投下してこその開発だ。財務のデクスターがなぜそこに思い至らぬ! 何? 『予算を引っ張ってくるのが難しい』・『他地域との公平性を言われる』とな? ええい、近頃は寒門木っ端役人共めの声がうるさくてかなわぬ! 資金は我ら公爵家で出し合えば良いだけのこと。私財ならばどう使おうが文句を言われる筋合いは無い。自らの財を、身を削って国家の発展に寄与する、これぞ青い血の義務であろう?」
そして余禄、じゃなくて名誉は後から美味しくいただくと。そこまで口にはしなかったであろうけれど、ともかく。
告げられたアルバ閣下の構想は、イーサンの発想をおとなの知恵に変えるもの。政策にして、政局。
国の「かたち」を、今後のありようを、自分たち「だけ」の色に染める可能性を秘めた組織であると。
悪いとは言い切れないんだけどさあ。やっぱり「おとなの」知恵なんですよね。
もう少しこう、「綺麗ごと」に寄せてくださってもよろしいんじゃありません?
……なんて、そんな文句を言える立場ではありませんので。
「すると『噛み付く』ための資格……は、ふたつ。資金を拠出できるか。新組織に運営メンバーを出せるか。それでいいんだな?」
なかばは「噛み付かせる」気でいたデクスター家・イーサンが頷きを返してくれた。
……「なかばは、そのつもり」に過ぎぬことを教えてもくれた。
「デクスター家では『さしあたっての』実務担当に、ヒロ君も知る前エシル知州……現・民部少輔と前極東道法務部長を出す。ともに父の寄騎だ」
各家とも、だいたい五十代・五位格、長年の実務経験者を天下りさせるらしい。
イーサンの寄騎アロン・スミスやクリスチアンの秘書ウコンあたりでは「軽きに過ぎる」。
つまり祖父が構想し、孫が汗かいて組織を作り、父が人を出す。金は一族総出……いや、おじいちゃんがお小遣いを奮発するのかな、事実上は。理事職にはどの世代が就くんだ?
カレワラあるいは「卿の家柄」に、その金が、人の伝手が、総合力があるのかと。
その力無き者に国のグランドデザインなど任せられぬと。
アルバ公爵からは、そう問われ……いや、極め付けられていると。
実際カレワラ家には、金の工面もそうとうな負担だが、何より人材の持ち合わせが皆無に等しい。
唯一、カイ・オーウェンが……いや、だめだ。カレワラ家の業務から切り離せないし、彼はもとウッドメル家・領邦貴族の家臣で。つまり陪臣だ。直臣、王国政府の官僚としては経験が薄い。
「遅くとも年内には頼むよ、ヒロ」
ついに「さん」づけまでやめたか、クリスチアン。
ああクソ、そのほうが気楽でありがたいけどな!




