第三百五十話 嫌な話 その1
「お呼び立ていただきたかったところです、ジーコ殿下」
その若き日王位継承権を放棄したジーコ殿下、籍はいまだ王室にある。
だが日々の暮らしは職人、いわゆる「工房付き親方」――一目置かれる立場であるが、「家名無し」には違いない――としてのそれであって。
そのジーコ殿下が、あろうことかカレワラ家の行列すれすれを騎馬で併走されたのだ。
暗殺未遂事件、当主権限で無理やり不満を抑えつけた直後だというのに……とは、こちらの事情に過ぎないけれど。
殿下と面識の無い郎党が「制圧」すべく飛び出したところ、小心者ランツが目ざとく気づいて危うく事無きを得た。
ジーコ殿下の側から用件を持ち込まれるのは初めてのことではある。
それでも手紙を書くなり弟弟子のランツに繋ぎをつけるなり、思いつかない人ではない。だから冒頭のようなご挨拶になってしまった。「このようなことをされては困ります」。
しかし若僧がようやっと口にする付け焼刃の嫌味など、人の間を五十年も生き慣れた相手には流されてしまう。
「用件が用件ですので。近衛中隊長閣下ならば『捨て置け』と命ずべき措置」
ご用の向きは先日イーサンから報告があった、「やらかし」。
王妃殿下の取巻きが庶民(市民)とトラブルを起こしたのだ。
だがこの件はあくまでも「庶民」vs「取巻き」広げても「王妃殿下ご一党」、それが構図であるからして。
護衛担当の近衛府には何ひとつ責任など無い。警察の民事不介入であります。
そうした「筋目」、かつて政治に関わっていたジーコ殿下には見えているはず。
「しかしヒロさんならば、多少なりと責任を感じておいでではないかと」
「やらかし」の内容は交通事故であった。
……俺の作った遊具が引き起こした。
少し前、春から夏にかけてのこと。
ちうへいと高速艇を設計するかたわら、ふと思い出した日本の景色があった。
スケートボードの上にヨットの帆を乗せたような何かで遊ぶ大学のサークル。ウインドスケボー……だったっけ?
操帆のちょっとした練習になるんじゃないかと、思いついてしまったのだ。
「舟でやりゃいいだろお頭」
ごもっともである。
だが王国における水路とは一面、公道であるからして。カレワラ・エイヴォン家でも操帆訓練や船団演習を行う場所の確保に苦労していた。
政教協約によりサシュア湖の航行権を、また先島村委任統治により鶺鴒湖の航行権を得たのは大きな収穫であった。
「だが、確かに。都から離れてるのは難だよなあ」
だからといってなおざりにはできない。
なるほど「お頭」は指示を出すのがお仕事で、応じて帆を動かすのは船員諸君のお仕事だが。
「いくら指示役でも、知らないってのは困る。だから帆の動かし方はガキのうちに身につけとくんだけど、そうだったよな……」
ひげをごしごし擦った末、「ま、やってみるかね」と。
エイヴォン家では慣れたる仕事とて、翌日には試作品が完成し。
そして部下たちと順番を奪い合うおおはしゃぎの鬚面もできあがった。
実際楽しいからね、しかたないね。
海の男・ファンゾ出身者にも好評で。
「稽古になるかは知らねっけんが、こいつぁおもしれえだよ」
続けて、磐森に不味いワインをたかりに来た男に見せたところが。
「餓鬼には良いんじゃねえか? 初っ端に舟から落ちて、海を怖がるようになっちまうのもいるからなあ」
赤毛をたなびかせて(想像以上にスピードが出る遊具であった)嘯きつつ、降りようとしない。
これはどうやら、異世界チート第三弾である。
観光パンフレット、木炭浄水器と来て趣味の遊具。
もう少しあるだろうにと、そう思わなくも無いけれど。まあこんなもんだろう俺の場合。
そしてジーコ殿下のおっしゃることにゃ。
「事故が起きたなら、発明者にも責任がありましょう」
「お譲りする際には対面の上、事前に注意書きをお読みいただいております。必ず護身具をつけること、場を弁えるべきこと……『当家では責任を負いかねる』旨も。そもそも事件を起こした遊具には、私の署名は無かったはず」
帆には各自の紋章を掲げられることでしょうから、と。
スケボー部分の裏に「○○さん江」もとい「親愛なるイセンへ、『尻に帆をかけることも覚えたまえ。骨を折ってくれるなよ?』 ヒロ・ド・カレワラ」などと、相手ごとに異なる小じゃれた()一句など書き込みつつ。
生産者の明記――よりて責任の所在を明らかにする、むしろ責任逃れだが――を優先したせいで、大量生産に至ることはなかった。やっぱり俺の異世界チートは儲けを生まないらしい。
だが貴族とは、なけなしの責任逃れすら……いや、およそひとの苦労を無碍にするのが趣味でもあるものか。
「おお、ヒロ。折れたからもうひとつ頼む」
親愛なるフィリアに贈ったはずなんですけどね、それ。
「無断で借り受けたが、乗ったとたんにバッキリ逝った。あんな危ない物をフィリアに?」
いかに貴族が身勝手か、もってお分かりいただけるかと思う。
逆ギレも甚だしい! 耐荷重ってご存じですか公爵閣下?
「フィリアが怒って口を聞いてくれんのよ。改めて贈ってやってくれ。私のぶんは当家でリサイズしたので構わん」
その改造品・模造品が問題なのだ。
しかも近衛府の鍛錬場で、得意げな顔に迎えられた日には。
「君が作ったあれでは、おもちゃにしか見えなくてな?」
帆の大きさ4倍、スケボー部分の大きさ半分。
高機動にしてハードステアリング、走り屋仕様に作り変えられたそれで鍛錬場のオーバルを攻める勇姿は……さすがお血筋のキュビ侯爵。
おもちゃで遊んでないで仕事しろ、近衛大隊長ども!
「なるほど、純正品以外には責任を負えぬと。しかしこう広まったからには」
男子はいくつになっても男子なのである。
まして近衛府は日本で言えば中学生から大学院生世代の男子が集まっているわけで、それは流行るに決まっていた。
その近衛府はみんなの憧れ、若者文化の発信地()。そこから王都の「ゆとりある人々」へと広がって行ったのは大変けっこうでありますが。
各々が出入りの鍛冶屋なり木地師なりに注文する過程で、値切り交渉なども行われた日には。
品質から安全対策に交通マナーまで、まさに「責任を負えぬ」にもかかわらず。
「少なくとも、道義的責任を感じられておいででは?」
PL法無き王国は、裏返せばすべてが政治と人間関係で決まる。
道義的な責任の有無も、それを感じるか、いや「押し付けられそうか」という属人的な条件のもとに定まってゆく。
納得できないおかしな空気に、ひとりの男が気を吐いた。
おっかなびっくり声震わせて。
「さすがに根拠薄弱です、ジーコ殿下」
そこで止まれば良いものを、気が回る男は損をするばかり。
「それでもなお当家に、その、『お話』を持ち込まれる理由は……責任を負うべき『加害者』の対応に、そうとうの難があったのでしょうか?」
もと王妃殿下の付き人、つまり「加害者の先輩」にあたるランツであった。
板ばさみに胃を押さえながら、しかし珍しくも目を剥いている。
「言いよどんだのは正しい、ランツ。『話』ではなくこれは『嘆願』だよ」
ジーコ殿下が弟弟子に向けたのは、見たことも無いほど優しい表情であった。
振り向いた時には、政治家然とした平板な顔色に変わっていたけれど。
「そこで嘆願らしく、閣下の行列に訴え出たというわけです」
王室と庶民と、顔や立場を切り替えるのだから性質が悪い。
やっぱり納得できない不機嫌に、今度こそ鋭い声が飛んだ。
「非礼でしょう。嘆願なれば、せめて工房の主。シンカイなる輩が参ずべきところのはず」
すこしばかり「嫌な話」ではあるけれど、これは貴族社会の正論で。
真正面から言い放つ嫌な仕事、毎度アカイウスには苦労を……感じていないか。
隊列が冒されるところだったのだ。軍人貴族ならば当主から郎党頭、末端の兵に至るまで、これは相当その、「頭に来る」話だもの。
とはいえ敬愛する師を「輩」呼ばわりされては、ジーコ殿下も収まらない。
名人と称されるこの方、刀匠である。鍛えられた二の腕がぼこりと膨らみを見せたので。
「お話は伺いましょう。ただ『中隊長閣下』はやめてください」
騎兵隊長アカイウスが先鋒に立ち出鼻をへし折ってくれるからこそ、俺の「弱気」も「寛大」の仮面を被れる。
言い訳はしない。ありがたく横着させていただく。これぞうるわしき君臣の道。
「ヒロさんもご承知通り、デクスター党の対応を責めるつもりは無いのです」
表通りの大路を、貴賓が通行する……その旨家人に先触れさせ、人を遠ざけた。
護衛がしやすい、通行人も乱暴な目に遭わずに済む。文句のつけようが無い。
ひとびとも素直に「裏道」、生活道路に場を移した。そしてあるいは往来し、あるいは辻々から行列を見物していたところに。
「おもちゃ」に乗った「家名持ち」が突っ込んだと。
「ゆったり進む行列に飽いたものでしょう。しかし言い訳が奮っています。『道中のつれづれをお慰めするに足る愉快なものはないかと探しておりました』」
嫌な話だ。
犯人は「家名持ち」と述べたが、それどころかはっきり貴族であった。
そこでイーサンが弾正台……アサヒ家に対し、非公式に解釈を問うたところが。
「加害者に対する裁判権は、検非違使庁でも貴族会議でもなく我々にあると思われます」
――それを犯罪に問うことができるならば――
弾正台は本来、涜職に対する裁判権を行使する官庁であるがゆえ。
「職務上の」非違行為かどうかが問題になってくる。
「『官吏の品位信用を貶める行為』と解釈できれば、手続に乗せられますが」
職務とは関わりなくとも、一般刑事事件的な意味での重罪(殺人、放火……)であれば、「行ける」。
ひるがえって、ただの事故では、難しい。
これで王国での役人生活も5年目である。精査するまでもなく、感覚的には想像がついていた。
本件は加害者と被害者の問題、だから近衛府は関係ないと。
そもそもおよそ役所が関わる話ではなく、民事、謝罪、和解、示談……そうした「何か」によって解決されるべきだと。
「しかしその後加害者からは何の音沙汰もなし、ですか」
それは問うまでも無いひと言だから。
当然のごとく、返答も無く。
「被害者は、鎧職人の妻でした」
徒弟から職人になるための「卒業制作」を仕上げたばかりの男。
夫婦ともこれから苦労が報われる、はずであったのに。
だがそれは、近衛中隊長閣下に聞かせるような話では無い。
そんなつまらないことをお耳に入れてどうするのかと。
嫌な話だ。
しかしおよそ近衛中隊長になってしまえば仕方無いところでもある。
そう、およそ。一般的には。
この話を聞いているのは「ヒロさん」である。
そして被害者の夫は「海竜の鎧」を作ってくれたミーナの、親父さんの、弟子であった。
「鎧組合の親方に言わせれば、近衛府への嘆願は『筋が違う』と。しかし弟子、広い意味では職人ですね。その権益を守れぬと見られては……」
職人層からの突き上げが厳しいらしい。
「今期中隊長ご愛用の鎧は娘が作った」と自慢していたではないか。面識があるはず、と。
「加害者から何か行動があってしかるべきだろう、何でも良いから」と。
その主張は「正義」と称してよいものだとは思う。
だがその憤懣、慷慨は「(貴族なら)誰でも良いから、何か。どうにか」の域にまで達していて。
だからミーナの親父さんは困っていて。
折りしも今年は凶作で、穀物を中心に物価が高騰しているところ。
生産者である職人衆も食については消費者で、不安と不満が下地にあって。
「王妃殿下のご一党は庶民・『家名無し』には特に厳しい、そのこと存じてはおりますが。職人のひとりとして、私にも何かできることはないかと」
「庶民」に対する「貴族」のスタンスは、人ごと家ごとに異なっている。
「ことさらな配慮をせず、中庸に」接するデクスター家。
イセンのように、「弱きを救い、導く」ことに意義を見出す者もある。
その盟友・コンラートは、「民にそっぽを向かれたら農政は立ち行かない」。
「厳しくあたる」ことを以て権威となし、「尊きを知らしめる」貴族も多い。
どれも間違いではない。
「近衛中隊長が介入して、丸く収まった……『良い話』でしょうね」
「しかし、やはり『目線が低い、生まれのゆえか』とも言われかねません」
分かっている。
何かを行えば、良くも悪くも何かを言われると。
やりたいようにやれば良いのだ、他人の評判など気にしても仕方無い。
だがそもそもこの話、「イーサンには関係ない」と俺は思っていたのだ。
「まして近衛府や俺が関わるのは筋違い」と、その感覚は拭えない。
事情が分かって、多少どうにかしたいと思っても。
そこへさらに「地位」と「立場」が絡んでくる。
「かかずらわってはなりません、ご主君」
滅多に聞けぬ言葉、ランツの声はまだ震えていた。
胃を押さえる手は白くなり、充血した目ばかりが赤く染まっていて。
「アカイウスさんの言葉もあります。工房の『主』が出て来ないならば、こちらもご主君の『下』で済ませましょう。どうか私にお命じください」
嫌な話とは思わない。
思えなくなった。




