第三百四十九話 瓢箪から駒 その7
唐突で何だが。
「人は自分が見たいようにものを見る」とか、それに類する謂いがある。
決してひと事ではない。
ユル・ライネンという少年いや青年の美点について、俺はこの箴言を頂門にぶっすり刺しておく必要がある。
「気が良くて、純朴で、毒気が無くて、可愛い顔の持ち主で……」。全て事実だが、強調しては現実逃避になってしまう。
ユルは東方三剣士にも引けを取らぬライノ・ライネン氏が後継者にと見込んだ斧使いにして、戦場を往来したウマイヤ将軍が真っ先目をつけた盾使いでもあるのだから。
これは大戦での話、出会ってまだまだ日が浅かった頃。
帰って来たユルが、ザリガニで一杯のバケツを抱えた子供と全く同じ顔を見せていた。
ギャップ萌え、かなりクルものがあったが俺も踏ん張った。
まずはしゃがみこむ。声に出して数える。
「いち、に、さん……はち。やるなあ、ユル! 怪我は無いな?」
つぶらな瞳を迎えるにふさわしき顔を、心を作ってから立ち上がった。
一部始終を見ていたアカイウスも珍しく頷いていた。ユルの肩を叩いて出て行く。
元気一杯の声だけが聞こえてきた。
「あ、そうか。持ち帰る暇があるなら、もっとたくさん取るほうが良いですよね」
以来ユルは、「いちばん大きくて見栄えのするザリガニ」だけを持ってくるようになった。ピーターに「泥抜き」してもらったうえで。やっぱりきらきらと目を輝かせつつ。
その頃には、俺の笑顔も作ったものではなくなっていた。
5年が経ち、そんなユルも大人になった。
偉そうだって? もともと中身は俺のほうが7つ年上なんです!
ともかく。
ユル・ライネンは「敵を殺し、味方を守る」男としてこそ称賛されるべきなのだ。
愛らしい人柄や行政官としての堅実さを以て評価するのは不当、少なくとも片手落ちだ。
先日の狙撃についても同じ。
カレワラ男爵の周囲を固めるのは、そのユルが曇り無き瞳で厳選し鍛え上げた十数人の盾持ちである。
「矢でも鉄砲でも持って来い」、ヤケ酒無しの真顔で口にされる言葉だ。
一事が万事、俺は周囲に恵まれている。
隙間無く周りを囲まれ、お小言の暴風にさらされるぐらいには恵まれている。
矢を盾が受け止めなかった? 誰もいないスペースだからカバーしなかっただけのこと。
馬が暴れた? 代わりの騎兵は馴れぬ馬を相手によく堪えてくれた。
周辺警戒が足りない? 主君に正対するのはこの場に限れば虚礼だと思う。アカイウスの目を見て言えるのかと。
「矢は当たらなかった。それが全て」
戦場ならばいざ知らず、街場である限り「当たるはずが無い」。
いや、戦場ですら。「千からの兵に守られる百騎長・千騎長。滅多なことで戦死などするものか」……石頭のジョーの言葉、今は受け売りでなく実感だ。
「諸君が防げぬものを、他の誰が防げる」
本気で言ってるからな?
傲慢とか部下(王国的には、俺の「持ちもの」)自慢とか、そういう話とは違う。
「警戒強化も犯人探しも無用。我々もヒマではない」
上下関係を抜きに「仲間」として言いたい。
もう少し自信を持ってくれと。お前らスゲーんだから。思わず語彙が貧困になるぐらいに。
嫌なんだよ、こういう雰囲気。
いじけちまってるの。能力あるのに縮こまってるの。前見るのを諦めちまってるの。足を引っ張り合ってるの。
「また不問に付すのですか? 寛大にもほどがある」
寛大、時として優柔不断の雅語。5年前の俺なら甘受せざるを得ない。
去年までの俺なら、おっとり刀(物理)で犯人を探し回っただろう。
だが手ぶらでデカイ絵を描こうと苦闘するリョウ・ダツクツを見て、思うところが生まれた。
地位を得たなら、相応に描く絵を大きくする……横着で欲張りになるべきこともあるんじゃないかって。
「代償は払わせるさ」
と言って。
大きな絵でも、描くときはひと筆ひと筆なんですけどね。
狙撃の翌日にはさっそく、エドワードを通じて言伝てがあり。
旬日の後、女子修道会の総本山に参じたところが。
「これを機に、正門の構造に手を入れようと考えております」
正門の背後に、壁に覆われた「コ」の字のスペースを作る。ざっくり言えば「虎口」とか「枡口」とか、それに類する構造物であった。
来客はそのスペースまで隊列を組んで入ることが許される。帰り際もそこで隊列を組み万全を期してから外に出るというわけだ。
「つきましては、近衛中隊長閣下から軍事的な技術指導を」
神が死んで久しい資本主義社会ならばデザイン料をもらえるところだが、異世界は全てあべこべと、これも定められて久しいわけで。
要は技術指導の一環として寄付を求め、もとい寄付する機会を与えてくださっているのである。
カレワラが襲撃されたことなど、女子修道会には関係ない。降って沸いたチャンス、瓢箪から駒。活かさぬ手は無い。
その厚かましさ――いや、当然のことと思っておいでなのだ――もとい自然さに呆れ顔を見せてしまえば、半ばは負けであるところ。
だがその話を受けるわけにも行かないのだ、今回は。
「女子修道会総本山の設計は初代王后陛下の手になると、伝承によれば」
「ええ。ご即位前のこと、御身に危険が及び、保護を――ご依頼があったか我らから申し出たか、そこは論争がありますが――ともかく、陛下はいったん修道会に所属されました。『王族の女子をひとりお預かりする』伝統の嚆矢でもあります」
そう、矢なんですよ。
「さすが、戦乱の時代を勝ち抜かれた方は違いますね」
ヴィスコンティ猊下が微笑を浮かべられた。
風向きがおかしいことにはお気づきいただけたようで。
「南北の尖塔、その敷地が西にやや張り出していることは当然ご承知かと。西を向く正門、押し寄せるであろう敵。クロスファイアを組むには最適の構造です」
その構造にも関わらず、何の言葉もいただけぬどころか、寄付のお願いをされるとは。
あるいはタマラの連絡に「抜け」でもありましたでしょうか?
「騎乗する人物を目掛け、矢を射ち込む。同じ高さにある騎兵の矢が外れたならば、壁に刺さります」
腹は立ったけれど。降って沸いたチャンス、瓢箪から駒。活かさぬ手は無い。
無表情で伝えれば、呆れ顔……というわけにもいかなくて。
「足元に突き立つのは高所から狙った証、ですか」
口元が苦く歪んだのは一瞬で、つるりとした無表情が返って来た。
「当修道院には閣下の命を狙う理由また背後関係を持つ者はありません」
この秋、改めて調査したのだろう。近衛中隊長、その程度には重みがある。
だが俺も、ヴィスコンティ枢機卿も、まだ認識が甘かった。
「ええ、殺意は無かった。当カレワラ家でも同様に解釈したいところです」
毒は塗られていなかった。雨あられと浴びせて来たわけでもない。威嚇か嫌がらせ、それが真相だろう。
だが、そうであったと解釈「できないこともない」と。
「近衛中隊長閣下に矢を射掛けた」事実について、「近衛中隊長ふぜいに」許される裁量など、それが限界だ。
「寛大にもほどがありますわね」
王国を代表する良識人が唇を噛む。
猊下の認識が甘かったせいで、末端も気楽に考えてしまったのだ。
例えば男爵家の侍衛は人を殺し、守ることができる。ユルの人柄とは関わりなく。
まつろわぬ者を殺戮できる近衛中隊長が見せる「寛大」、その代償は重い。
嫌がらせの代償に、実行犯はこの後何を求められるか。考えると気が重い。
だがそこに気を回すのは、もはや俺の仕事ではなくなりつつあるはず。もう少し大きな絵を描くべきなのだ。
政教協約を結んだ――すでにして代償であるにもかかわらず、さらに対価を求められた――あの頃とは、違いも生じ始めている。
なんと横着にも、対価無しで代償を頬張る。それが当然となりつつある立場だ。
「男子禁制を緩めていただきたいのです。いえ、立ち入り厳禁は当然として」
ただし、ひと筆ひと筆。
実利をこそぎ取るほど欲張りに、横着になってよい立場でもない。
「シアラ殿下に付け文をするチャンスが生まれるぐらいには、警戒を緩めよと?」
「世俗も宗教界も、必要以上に警戒してきたきらいがあるように思われてならぬのです」
「枢機卿ひとりで決められることではありません」
ことは近衛中隊長に対する暗殺未遂を「呑む」代償である。
やってもらわなければ戦争です。
目を怒らせるのではなく、悲しげな表情によってそれを伝える厚かましさ。
「やはり、軍事的な観点からの技術指導はぜひにお願い申し上げます」
宗教屋を黙らせるには色か金、モリーはそう言っていたけど。
ひとりでは決まらない……教団内での多数派工作のために「金を出させた」事実は必要だから。
「新たな――なんと言えば良いのでしょう、こちらには疎いものですから――『構造物』としておきましょうか、カレワラのお名前を冠することをお許し願えれば」
そろそろ大事になってくる、ような気がする。
アリエルの件があったからと言われ続ける歴史をここで終わりにすること。
あきらかに余裕のある口調、やっぱりただ押し負けてはくれないか。
まだ、まだまだ。
「後任人事の問題があります、カリンサさま。来年五月の祭礼は、やはりシアラ殿下にお願いしなければなりません。つまりまだ半年、ご降嫁までなら一年以上。それぐらいの時間はあることです」
王族の婚姻だもの、時間がかかることも「見栄え」になろうかと。
「あとはご本人のお考えしだいであるとおっしゃる?」
「殿下のお考えに関わらず、ご降嫁の流れは決定的です。枠組みは作り終えたと申せましょう」
方向性さえ定めてしまえば、あとは自然と決まっていくはずだから。
俺の仕事はそこまでとさせてください。
「言葉足らずでしたか。『シアラ殿下がお文のやり取りを、恋をして、ご自分で相手を決めることができる』と申し上げたかったのです。母親代わりとして、喜ばしくもあります」
喜ばしくはあるけれど、ね。
不満もあろうかとは思う。もっとはっきり形にしろ、誰にするかまで決めて来い。少なくとも絞って来い。
それがごめんだと申し上げているのです。
だから自由競争による自然淘汰……ではないけれど。
ご本人による選抜、女子修道会聖堂前をうろつく姿に対する世評、「親」の受け。
「時間をかけて見定めていただきたく」
そして競争の土俵を「色恋」に限ってしまえば。
選ばれなかった候補や推薦者の「権威」には傷がつかなかろうと。
選ばれた候補についても――かりにマックスであったとして――推薦者の、スレイマン殿下の影響力が増すことはない、はず。
ついでに。
「誰にでもチャンスがある、そういう建付けにしてやったから後は勝手に頑張ってくれ」と。ヘクマチアルだのシャガールだの面倒な連中には恩を着せる、いや絡まれずに済ますことができる。
さぼれる仕事はさぼらないと。
そう都合良く回るとは限るまい。
カレワラ家の名誉回復の件といい、粗の多い取り回しだが。
メル公爵やトワ系の大物を見ていて思う。でかい奴は粗が多くても回してしまえるし、細かく詰めるとかえってバランスに問題が出て転びやすいんじゃないかって。
誰が俺を狙ったか――どうせシアラ殿下の周辺だろうから、むしろなぜ俺を狙ったかだな――という、小さな疑問は生まれたけれど。
(気にしてもしかたない。刀ぶらさげる以上はそういうもんさ。そもそも……)
(軍人貴族もそういうもんだ。だいたい……)
(近衛中隊長よ? あのね……)
誰であれ相手にならねえよ気にするな小心者が、か。
確かにね。毎度のことながら、彼らが説くその心構えは大切だ。
これから先、大物相手に立ち回る機会も増えてくるだろうし。




