第三百四十九話 瓢箪から駒 その2
鋼鉄の処女の園へ顔を出すのは何度目のことだったか。
例に漏れず年配の修道女たちが組むファランクスの中心に放り込まれて敷地を歩む。
「それで、シアラさまご本人からお話をと?」
当人の意思、また希望を聞かなければ話が始まらないと思っていたけれど。
「本人が情報を集めている」、犯人のそんな口実に囚われていたかもしれない。
「世俗でお決めになるかと、こちらでは」
声音から感じられた小さな非難、振り向いて確認しようにもヴェールに遮られた。
ヴィスコンティ枢機卿猊下、王国的良心の代弁者。彼女が口にすることは「正しい」。
「当人の意思を聞かない=悪」という図式が成り立つのは文学の中だけだ。
縁談は周囲が相当に気を使う。だから当然、幸せな結婚になるケースのほうが多い。目的が家の安定と発展にあるとしても。
「結婚は神聖なる秘儀……失礼いたしました、万一にも不調があってはと」
へこまされたらやり返せ、これも王国における良識だが。
宗教家相手に教義を持ち出すのは、さすがにね。
「難しい時期、ですか。影響の範囲、読めませんものね」
そうして政局に収斂していく。
その政局とはつまるところ縄張り・縦割り、「最近良くない」と自省したばかりのところ。
付け加えるならば。王女のご降嫁、言っては何だが陛下の家事で、要は「小さな話」と言えなくも無い。
「シアラ殿下? その話を近衛府でする理由は何だ、ヒロ? 兵部に聞かれたら……ああそうか。けっ」
自己解決したエドワード、赤毛をぐしゃりと掻いていた。
そう、兵部卿宮さまも王位継承権者なのだ。周辺の公達とも協力し、いろいろ見繕ってくるに違いない。
「いや待て、兵部省が関わるならなおのこと。近衛府こそが軍だと……」
ただの軍じゃない。いい加減目を逸らすのをやめろ。
口にしようとして、言葉の圭角に気づいたけれど。削り方を誤った。
「お前らキュビやメルには分からないかもしれないが……」
以前記したように、国王(個人)と王家(ファミリー)と王国は三位一体だ。
陛下のプライベートや家庭問題は国政と同じ重さを、意義を持つ。
近衛府も軍部にして警察、制度化された暴力装置であることは間違いないけれど。その原型は「国王の私的な取巻き連中」で。したがって国王のプライベート界隈も近衛府の本来業務なのだ。
ことにカレワラ家はインディーズ軍人貴族。昔の色を、影を、濃く引き継いでいる。
それでもやっぱり「大丈夫」の仕事とは、生き様とは、国政――広げても領地の差配や軍事活動、人によっては学問研究や信仰生活――にこそある、というのはこれ貴族社会の正論で。
対する俺の反論は、ひとを立場で極め付ける、少々卑怯な物言いだったから。
「お前らキュビ(You Qubeye……地球の言語に訳するならば)と言いやがったか?」
「言葉の綾とは分かっているが、ヒロ。一緒くたにされるのは不快だ」
口にして立ち上がったアルノルト・ヴァルメルのほうはぶっ飛ばした。
そうして得た優位を梃子に、いざ決まらなければシアラ殿下を押し付ける(失敬)ことも可能であろうかと皮算用したが。
おくびにも言い出すつもりはなかったのに、その翌日。
ご父君ヴァルメル男爵閣下名義の「絶対にノウ」という丁重なお手紙が先回りで提出された。
「王都の貴族令嬢との結婚など、田舎の男爵家には過ぎた話。すべてお断り申し上げます」
王女なる言葉、ましてシアラ殿下の固有名詞には一切触れていないその文面、日付ばかりが新しく。
インクの乾き具合から見るに、その筆跡は数ヶ月前。ご子息を留学させる際に持たせたに違いない。
ありとあらゆる事態を想定し手を打っておく、自他共に認める「秀才」・ヴァルメル男爵の真骨頂。まぶたに浮かぶ、そのしっかりと顎の張った横顔。懐かしさに、つい読み進めれば。
「今後も極東の連枝郎党と共に、サクティ・メル侯爵領の要地を守り抜く所存です」
(王室――カレワラ家――ヴァルメル家のラインで極東に楔を打ち込む気か? ソフィア様の領地に?)
そうでした。サーセン。
すると当然エッツィオ閣下も候補から外れるわな……と、文面から顔を上げ。だが軍人貴族・地方領主もやはり考慮に価すると再確認したところで。
とは言えもう一方の雄、「キュビの男は王室の女と結ばない」。
彼らの伝統ではあるが、改めてきっちり念を押されていた。
正論に引け目を感じていたせいで踏み込みが甘くなった、そのことばかりが腹立たしい……。
「打撲ですか?」
体が傾ぐ程度には痛かった左上腕がぐっと楽になった。
ヴィスコンティ猊下の治癒術は王国随一と聞いてはいたが、雑談交じりに歩きながらこの効果とは。
「近衛中隊長閣下をお迎えするには準備も整いませず、こちらも困惑しております」
ここを訪れるのは軽佻に過ぎる、か。
女子修道会とはアリエル絡みでしこりが残っている。
先ごろ修道女を雇い入れたため、期待を抱かせてしまうという問題もある。そういや「その気は無いから」と言って引き受けたヴェロニカを……まあ良い。
だがシアラ殿下のもとに寄越すべき人ともなれば、それなり格が必要で。
そして代理に最適の権中将も、こと今回に限っては。
エドワードは「男の仕事じゃねえ!」とおかんむり。
イーサンは、その。現状、シアラ殿下は夫妻にとって禁句であるし。
マグヌス・トリシヌスは戦争屋として抜擢したのであって、ではバックにあるクリスチアンは……それこそ現状、「強面路線」に身を置いたところで。
言葉に詰まる俺を眺める枢機卿猊下の目は優しかった。
栄光の近衛中隊長と言うけれど、所詮は二十代の若僧で。
五十代~が政策決定、三十四十が枠を仕切れば後は実働、その部隊長に過ぎないのだ。
「こちらからも立ち会いを複数付けますが、くれぐれも」
フットワークの軽い……軽率な男を、お預かりしている王女様の前に出すとあれば。
それは当然のひと言であろう。深々と頭を下げるほかは無いところ。
「今年は天候が不順であったと伺っております」
天候の話題、それは挨拶の常套句である……ことに面識の薄い者同士の間では。
思えば俺は、シアラ殿下のことをほとんど何も知らない。
「民草に影響は出ておりませぬか?」
「飢饉を招くことのないよう、全力で取り組んでおります。殿下におかれては、どうかお心安く」
軟禁状態に近い王女様が国政の心配をしているのに、こちらは官僚答弁とはね。
いや、道筋はつけていますし。だいたい行政には部外秘なところもありますし。
詳しく話そうものならば、「飢饉は無いと、確かな筋から……」と、貴族令嬢のお友達に伝わることは明らかで。
でもそれって、インサイダー情報って言われるアレですよね。
投機筋が大騒ぎ、穀物価格は乱高下、救荒のロードマップが水の泡。
「そうおっしゃる他、ありませんものね」
無理に踏み込むことはしない、か。
そして民生に関心が無いタイプではない。
高い霊能をお持ちであると、これは有名なところ。
(ヒロみたいだな)
(なるほど品の良い階層で、そのくせ庶民を知っていて、いまひとつ積極性に欠ける、か)
(似た者同士かぁ。それじゃあ結婚しても……)
ピンクが語尾を濁した。
ああ、うまく行かないと思うよ、俺が相手では。王国に生きる限りは。
(良いこと言うわねヴァガン、ピンク。探すべき相手の基準、はっきり定まったじゃない)
ごまかし励ますつもりではあるまいが――いや、むしろそうあってもらいたいところだ――明るい声でアリエルの口から飛び出した言葉は、なかなかに深刻な問題をはらんでいた。
(つまりよ。「ヒロなら抱いても良い、あるいは抱かれても良い」って思ってる男ならシアラ殿下とは上手く行くってわけ!)
脳内会話がフットーしている時、外から見た俺はフリーズ状態で。
その沈黙を会話のパスと理解したシアラ殿下が口火を切った。切っておいて、閉じた。
「結婚、ですか。全てお任せいたします」
口調に現れた小さなささくれは、怒り?
ヴィスコンティ猊下と言い、いま一つ掴みかねるところがあって。
カレワラ家の男にとって、ここ……聖神教女子修道会総本山は、小さな鬼門かもしれない。




