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第三百四十八話 盗難 その3


 

 何の論拠も無いただのラベリング(レッテル貼り)。

 交渉を求める際に取る手法ではない、普通ならば。

 なぜまたそんな、互いに信用はあるはずなのに。


 「決め事に厳格ならば、それに沿った対応を。お願い申し上げる」


 ようやく気づいた。

 賭博が許せない――いや、理屈抜きで絶対に許せないのは薬物か――好きになれない俺。

 厳しく当たると、李老師の目にはそう映っているらしい。

 そして今の俺の立場で「厳しい」とは。「俺が法だ」とか何とか、背負っているならば……。


 「申し上げます。先ほどの若者が、『老師にならば申し上げられる』と」


 幸先良い情報のはずが、声に弾みが無い。むしろ切りつけてくるような厳しさを帯びていた。

 他人の危うさにはよく気づくんだよな、アカイウスは。

 嫌な想像を遮ってくれたことは素直に感謝だけれど。情報を自分のところで押さえておいて、悪びれもせず割り込んでくるところがね?

 俺も文句を言わないものだから、家臣団に憚られることこの上なくて。

 


 「信用の差です(・・)の」


 俺とアカイウスの話ではないはず、さすがに。

 天真会会員どうしの絆は、周・李とヒロの個人的な信用より重い。

 当然か、李老師にも立場がある。


 「『人には立場がある』……息苦しいようで、気楽でもありますね」


 「俺が法だ」の人治主義を張り通すならば、事が起こるつど判断の必要が出てくる。過去の判断との整合性まで求められる。

 決め事……個人を立場に抽象化して、手続に放り込んでしまえば、労力は省けるし判断が安定する。

 

 「ご領主さまのお耳にも入れなければなりませぬ、のー」

 

 だから。「ヒロ君ならば、聞かせて構わんの」とは言わない。

 手続を、法を無視した「柔軟な対応」と言えば聞こえは良いけれど。

 それは歯止めや歩留まりを利かせにくいやり口だから。

 

  

 若手実習生が実はご領主さまと知った作業員の青年が、目を丸くしていた。

 カッコ悪い話だよな。何をコソコソ嗅ぎ回ると、誰がそう思わなくとも俺が――「立場」の問題でゴタついた今回に限っては――そう思わざるを得なくて。

 (小さいことだから気にせず首突っ込んで回ってよ。その小ささも含めて面白さだけど)などと、膝の上で丸くなるミケが暑苦しくて。しかしその暑苦しさが快くもなってくる季節。

 などと思ったが心の隙間。

 


 「気の弱いやつを無理やり博打に誘い、金を巻き上げている連中がいるんです」


 なるほど老師の予想通り……と納得もしたけれど。

 なぜ先ほどそれを言わなかったと、身を乗り出した視線の片隅。

 アカイウスがまさに「つかつかと」歩み寄っていた。


 「『言いつけても無駄だ、ご領主も認めているから』と」


 椅子から跳ね起きる前に、馬鞭が唸りをあげていた。

 引き裂かれて青年の身代わりとなった老人の扇子が床に落ちた。

 

 「やはり、のー。『人足に払った賃金を、やくざ者が博打で巻き上げる。上納金として回収する』、悪辣でしみったれた領主が使う手よの。だが安心せよ。天真会はこの道1000年、対策マニュアルも整備されて……」

 

 「天真会は当家を愚弄されるか」


 「これは失礼を、郎党頭どの。ではさっそくマニュアルに則るかの。……ご領主さまに伺います」


 何を他人行儀な。まだるいことを。

 柔軟な対応は、一歩間違えば……脳裡を掠めた小さな焦りは、湧き上がる怒りに塗り潰されて。


 「そんなとこまで気が回るか!」

 

 ゲスな手口にも、予測して夜中の見回りを命じることにも!


 中央政府で仕事しながら王族の動向に目を配り貴族なかま相手にど突き合い。

 磐森で政策立てて、あっちの予算を増やしこっちを減らし、武具穀物の備蓄に人事案。

 それが俺の仕事だろう!? 目の前のお前らも、見えないところにいる連中も、それを俺に求めてるんじゃなかったのか!?


 「八つ裂きに……」


 してやりたい、近衛府で飛び交う軽口である。上司を愚痴るときなど、ぜひどうぞ。類義語として「運河にポイ」「城壁からどーん」などがございます。

 だがここ磐森で、俺が口にしてしまえば。


 「潔白だと主張なさる、ならば天真会で調査しても構いませぬな?」


 裁量について改めて言質を取りたかったのだ、李老師は。

 虫の居所ひとつで八つ裂きにできるどころか血の雨を降らせる、「作業員を全て殺せ、もう天真会には頼まない」と命ずることが許される相手だからこそ。

  

  

 「ま、こうなってしまえば簡単な話よ……ヒロ君もご一緒に」


 再び場に現れた「頭立った連中」に話を聞かせてしまえば、顔色を見るだけで犯人が分かった。

 その程度の何だ、覚悟とも言えないような腹で。悪知恵ばかりに頭を働かせて。


 にらみ渡せばその中に、涼しい顔ひとつ。

 

 「ひどい剣幕だ、いえ、ですね。お人が悪い」


 指摘されなくても、自己嫌悪してるところだよ。立場を偽る居心地悪さときたら。

 だが似たようなもんだろう? あるべきところに無い、為すべきことをしない。


 「その腕があって、なぜ見逃した」


 「たかが博打……お嫌いだとは伺いましたが、目くじら立てなくとも」


 息抜きぐらい許せって? 汗流して働く庶民の気持ちが分かってない?

 それは認めるさ、どうしたって俺は「お上品」な部類だ。


 「そこじゃない。気の滅入る賭場、見ていて何も思わなかったか?」


 多少のことなら構わない、そういう気持ちはある。

 俺だって――日本で健全な小市民やっていた頃に比べて――好き勝手やってるんだし。


 (そうだねヒロ君、男女は一対一なんでしょ? 見せてもらった断片的な記憶から想像するに)

 (断片的な記憶から想像するに、そうとも限らないみたいだけど)

 

 無言で肩に手を置くのはやめろネヴィル!

 今は尋問のお時間なの。武芸者ってのは気合しだいで……ほら、余裕の表情。


 「『ぶちのめして気さくな賭場にしてくれても良かっただろう』とおっしゃる?」


 まっすぐに俺を見た。何かを量ろうとするように。

 もごもごと言葉を選んでいた。


 「小銭をもらって『センセイ』と持ち上げられて、酒に困ることもないご身分。小さな世界でも王様だ、それが何より嬉しいんですよ、うだつの揚がらぬ男には」


 もう一度俺を見た瞳が、流れた。隣のヒュームに向かって。

 

 「いや、立場より年の違いかな。俺はもうじき四十です。からだひとつが資本もとでの商売、先が見えてきますとね? 死ぬ覚悟は固まっても、生きる覚悟が出て来ない」


 衛兵に手を振る。

 その間合いでは武器を奪われかねないから。

 アレックス様が時折浮かべていた苛立ち、「上司の悩み」をここに知る。


 「ご家来に恥をかかせず済んだこと、汲み取ってはもらえませぬか? お手ずからとは申しません」


 死に場所を得られる、その期待に目を輝かせている。

 毎度毎度、こういう連中を相手にするのも疲労の種で。



 「あの、せっかくですから、もうひとつ!」


 隙を見せれば乗ぜられる。

 分かってはいるつもりだけど、押しきれないものかなあ。


 (そりゃあね? 顔が違うから)


 相手に集中すべきところであった。

 ユル言うところの「寄合衆」。粘っこく厚かましく、根を生やして生きる人々……その予備軍。

 

 「年末にもらう賃金、今年は穀物でお願いできませんかね」


 金でもらっても、食に替える必要はあるわけで。不作の今年はインフレだから。

 しっかりしたものだと思う。生きる覚悟って、こういうところかな。

 


 「お前たち、いい加減にせぬか!」


 出たよ老師の気合声……にしては、何か足りない。

 俺も腕が上がったか?


 (本気で言ってるなら師匠にぶちのめされて来い。ジジイが衰えたわけでもないからな?)

 

 分かってるって朝倉。それにしても、この声の弱さ、焦りか?


 (ひとには立場があるって、さっき思い知ったばかりじゃないの)


 ああ、そうか。

 ここで俺が机を蹴倒しでもしたら、全ての努力が水の泡。

 

 (でもさヒロ君。李老師、アレックス様の前ではいつだって強気だったよね)

 (ケンカは吠えるとこから始めるんだぞ。黙って飛び掛かるのは狩りだ。うー? 飛び掛られる?)


 何を言っているのか、生前ならば耳を傾けねば分からないところだが。

 幽霊になれば通じ合ってしまう。

 

 「同類ならば、同類なりのお約束がある」。

 どう出るか分からないのは異種族で。それも、俺が捕食者だと?


 (ヒロだって、勘で気づいてたぞ)

 (無闇に古臭い慣習や堅苦しい礼儀にこだわってたのはそこか)

 

 社会で求められている「型」に自分を放り込むことで、お約束を守る同類だと、良き隣人だと主張するあり方。いつだか誰かに指摘されて、自覚を得たけれど。

 その態度を徹底するなら、他人にも「お約束」を要求しなくては整合性が取れないから。その強迫観念があるはずだから。そう、かつて手にかけた聖堂騎士オーギュスト・ハラのように。

 宗教家ではない世俗の権力者、「良き領主」としてそれが現れるならば……。

 

 「ここ磐森では、私が法だ」


 老師が青くなってる。初めて見た。やっべ、楽しい。


 「その私が、『現場は天真会に委ねる』と決めた」


 あ、赤くなった。怒ってる。


 「だからお任せいたします。李老師ならば、私にも納得の行く結論を出してくださるはず」


 全部自分でやるこたない。

 アカイウスに目を向ける。珍しく頷いていた。



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