表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

972/1237

第三百四十八話 盗難 その1



 「近衛府で物の紛失が相次いでいる?」


 居合わせた人影に目配せすれば、片眉だけを上げられる。


 物資貨幣に布帛糧穀、およそ公共財と名のつく限り、イーサンに管理の懈怠があるはずもなく。

 厳しい視線を向けられたティムル・ベンサム、「いえ、私物です」と頭を下げた。


 「我らみな貴族ゆえ、管理がずさんであることは確かですが」


 最たる例が「片付けられない女」もとい「貴族の中の貴族」・立花典侍である。

 その才媛ぶりは「紡がれるお歌に筆が追い着かない」と称賛されるほど。

 「だから筆記具は出しっぱなし、ひと部屋に四つも五つも転がしてるの」


 日々の装いも「時節に添い、小物なども心利いて」と、宮中の侍女たちは目をそばだてるが。

 それも今日は何を着ようかといくつも衣裳を引っ張り出し、適切な組み合わせを吟味選択すればこそ。

 「選んで着付けたら、その後に時間が残ってるわけないでしょ?」

  

 貴族は風呂敷を広げるのがお仕事、お片づけは侍女のお仕事。

 だから侍女を連れ込めない学園では同室のマリア嬢を閉口させた。

 

 我ら公達もまた、ひとのことを言えた義理ではなくて。

 

 「そう言えば、机の上に置きっぱなしにしてた扇」

 「ああ、僕もしまい忘れたペンが無くなっていた」


 他に雨具手袋タオルハンカチ、軍服のカラーにモールなど。

 身から離して、ひょいとそのへんに置いてしまって忘れ物……ありがちと言えばありがちな話だが。


 「ここは近衛府、出入りの限られる場であれば、後日見つかるはずなのです。出て来ない以上、盗難に類する案件と見ています」

 

 (類するってどういうこと? 他人の物を取ったら泥棒じゃん。ペンも扇も、ハンカチだって安くないよ。まして貴族の持ち物でしょ?)


 小市民の感覚を共有できる、今となっては尊き我が友・シスターピンクは呆れるけれど。


 「と言っても、なあ」



 私物どころか、近衛兵は金貨銀貨まで「共有」してしまうから。


 「おーい、財布落ちてたから呑みに行くぞ」

 

 大声で呼ばわるあたりが救いではある。

 翌日「俺の財布知らないか」の呼びかけに「ゴチです」の声、礼節は大事。

 返礼に蹴りのひとつも入れて当然のところ、だが騒動になることは滅多に無い。


 「今度奢れよ?」

 「また財布落ちてたらな」

 

 小銭(少額とは言ってない)で遺恨をやり取りするより、一飯の恩を売っておくほうがお得だという事情もある。

 近衛兵は軍人なのだ。戦場で危機に陥った時、「しゃあねえな」とメイスぶん回して救援に駆けつけてくれる可能性を閉ざしたくは無い。


 (うーん、うーん? でも泥棒は泥棒じゃん? 軍規とかそういうのもあるんでしょ?)

 (そういうピンクの感覚、嫌いじゃないけどね)

 (泥棒はいけないんだぞ。聖神教ならもっと厳しく言われるんだぞ)


 そして脳内に響く深いため息ひとつ。


 (結局みんなお金持ちだからだよね。お金持ちどうしなら罪が罪じゃ無くなるってのもヘンな話だよ)



 そんなピンクの諦観をよそに、上流貴族の代表と言うべき公達は鷹揚なもので。

 

 「行政財産、金庫や武具に手をつけていないなら、僕()から言うことは無い」


 多忙を極める近衛中隊長閣下に持ち上げるべき案件に非ず。

 俺の意思を確認もせず極め付けたのは、イーサンの厚意だが。

 

 「累代引き継いだ小物を失くし、青くなる者が出る始末……妙なのです。これまで無かった。何か匂うんですよ」


 なお食い下がるベンサム氏に、発言を遮らないカレワラ氏。

 見やるやデクスター氏は苦笑い。


 「任せるよ、中隊長どの」


 貴公子は万事にこだわりが薄い。

 執念深き猟犬には嫌悪を抱くのが、まずは通常の反応で。

 「ま、現場はその執念で回っているのだろうし」と理解を示すだけ良い上司ではある。


 「王妃(第二夫人)殿下の護衛に出るべしとのご下命は、僕が承っておくさ」


 王后(第一夫人)陛下閥と目されている俺が出張っては無用の緊張を呼ぶばかり、だが。

 瑣末な雑事から身をかわし、そっとこちらに押しやる手腕はさすが一流で。

 

 「分かったよティムル。内偵を許す」

 

 陰陽師リョウ・ダツクツの逮捕を見送った件で機嫌を損ねたことだし多少はね?

 俺は本当に近衛府のトップなのだろうか、たまに疑問に思う。



 

 そして軌を一にする……轍と言えば道、そういうわけでもあるまいが。

  

 「磐森街道建設の件で報告があります、ご主君。人足が殺されました」


 街道建設はカレワラ党最年長のカイ・オーウェンに任せている。

 だから独断で裁決しても構いつけないところだが、ホウレンソウは宮仕えの習い性であるからして。

 「犯人は確保済み、刑はいかがいたしましょう」……と、裁可を仰ぎに来たと思いきや。


 「犯人はいまだ不明。手管は撲殺と判明しておりますが深夜の犯行で、目撃証言もありません」


 (さすがにこれは捕まえて処罰、でいいんだよね? ペンや扇とは違うんだし)

 

 間髪入れずつぶやいたピンクの言い分、しごくごもっとも。

 手間取りそうだから中間報告に来たのね? ならば「良きに計らえ」……

 

 「事故として不問に付すか、なお追及すべきか。方針につきご指示を仰ぎたく」 


 (何言ってんの!?)


 ピンクの疑問に答えるべく、もとい領主たる者の当然の義務として。いや、単に俺が聞きたくてしかたないのである、その背景を。


 「多種多様の打撲痕、深夜とはいえ目撃者が皆無とは考えにくいのです。おそらくは複数……いえ、集団ですね。私刑が行われたものかと」


 「ここ磐森で、私刑だと? 何があった?」


 俺の土地だ。俺の民だ。俺が全てを裁く。部下に委ねてるじゃないかって? 権原は俺だ。俺が法だ。

 ……と、まあ。そういう態度を示さなくてはいけない、もう慣れた。


 「お怒りはごもっともなれど、意見を申し上げることお許しください」


 ほっとしている。怒りの表情に、その演技に。

 そっちも隠す演技を、努力をしてくれても良いのよ?


 「建築現場は危険と隣り合わせです。岩や材木を動かす時など典型ですが、呼吸が合わねば大惨事を招きます。それゆえ団結が、『身内の理屈』が尊ばれます」

 

 (近衛兵、軍人と同じなんだね)


 だからバルベルク家はトワ系でありながら戦上手を輩出している。

 しかしピンク女史の納得はそこではなくて。


 (貴族と庶民の違いとか、そういう話じゃ無かったんだね。大人になる前に死んだ私は、知ってる世界が狭いのかな)

 

 「被害者は事件の前日、賃金について盗難の被害を訴えておりました。それが『仲間の和を乱すもの』と思われたのでしょうか。……いずれにせよ」


 (狭いも広いも無いわ! お金取られて殺されて、「身内の理屈だから許せ」!? 通るかそんなもん!)


 納得行かない、気持ちは俺にもよく分かる。

 だが無念を訴える被害者の霊は現れていない、そのことも確認が取れていて。 


 「建設を円滑に進めるため不問に付すか、権威を内外にお示しになるため追及するか。ご判断を仰ぎたいのはその一点です」


 方針とその根拠は、なるほど納得ゆくものだった。

 さすがこの道何十年のベテランは裁量というものを――その範囲、使い方、責任と権限の配分を――知悉していて。

 「ご領主さま」はそれだけ分かっていれば良い、後は臣下に任せるべきだと。教えてくれるのは大変にありがたいところだが……好奇心には抗えない。


 「盗難を訴えることが、なぜ和を乱す行いなのだ? 『賃金を奪われた上に殺された』では、被害者に同情する者も多いはず。なぜ目撃証言が出て来ない?」


 同調圧力があっても、堪えかねて真相を告げる者が出て良さそうなものだ。

 いつ自分が盗まれるか殺されるかと、その不安も大きいはず。

 

 「詳細は掴みかねます。が、つまらぬ話であることには確信が持てます」


 思案に沈めば、眼前には常に醒めた目つきと冷えた声。

 わが右腕、アカイウス・アンドリュー・シスルであった。

 さてはカイとふたり、事前に話し合っていたな?


 「つまらぬか否かは私が決める」 


 「仰せのままに」と、アカイウスの澄まし顔。さては示し合わせて挑発したな?

 俺は本当に磐森のトップなのだろうか、たまに疑問に思う。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ