再三百四十七話 もの思い その3
この日は私的な談話会、顔を出したのはなぜか極東暮らしの経験者。
ならばトモエ夫人も出てくるだろうと思いきや、隔てていたのは御簾どころではなく部屋の壁、つまるところは不参加で。そんな彼女につきあって、レイナも男どもの会合に顔を出すことはなく。
「まさかと思うがイーサン、くだんの噂」
作られた顔、「鳩が豆鉄砲」……は、イーサンの鉄面皮に腰砕け。
おどけつつ切り込むのが好きな割に毎度のごとく空回り、せっかちで生真面目な中弁エルンスト・セシルのこれはご愛嬌。
「頬を歪めて煙に巻くのが談話室の流儀でしょうが、こればかりは」
やおら立ち上がり、部屋の扉を開いておいて再びこちらに振り向いた。
押し出しの効くがっちりした胸板は、父君よりも舅殿・アサヒ閣下を思わせる。
ふたりのきっかけ、案外そんなことかもしれないな……などと微笑する間もあらばこそ。
「シアラ殿下がデクスター家にご降嫁されることは絶対にあり得ない、そう申し上げます」
邸に居合わせた寄騎に郎党、果ては侍女から従僕にまで聞こえよがしにイーサンが言い放った。
「聞きしに勝る恐……愛妻家ぶりだな」
硬口蓋に当たる息、k音の気配は殺された。
付き合いの長いアルバートがエルンスト兄上のアバラを小突いたから。
いま混ぜっ返すと後が怖い。
イーサンとトモエの夫婦生活は4年目に入った。仲睦まじさは誰しも認めるところだが、子に恵まれず過ぎてきた。
よそで子を生すことを善しとせぬのは愛ゆえか恐れゆえか、はたまた堅物なるゆえか(多少の出入りは存在するが、その程度では堅物の認定を免れないのでありまして)。
控え目であった親戚筋も「娘を侍女に」「息子を養子に」とやかましくなってきたところ、そこに内憂外患ではないけれど、チェン家の噂が取り沙汰されて。
「『当デクスター家にも、王室の女性を!』などと言い出す者が出る始末」
不届きなる連枝、デクスターの一党に算えてなどやるものかと。
温厚なイーサンだが、「わきまえ」を知らぬ者に向ける目は冷たい。
だいたい優等生然とした外見の裏で、武術大会で怪我もすれば病で倒れる手前まで職務にかじりつきもするあたり、本質は相当な頑固者……もとい、義務と責任からは一歩も退かぬ貴族の中の貴族である。大戦の経験者、どころか弱冠にして十万の兵站と百万の銃後を支えた立役者。
「言っちゃ悪いが、シアラ殿下じゃ格落ちだしな。デクスターがチェンの下風に立つことになる」
だからアルバート君、わきまえというものをだね。
なんでお呼ばれしたゲストの俺が冷や冷やしなくちゃいけないの。
「むしろ兄貴がお迎えしたらどうだ?……なんだヒロ、その目。ああ、俺? 畏れ多いことを言うな、それぐらいのわきまえはある」
嘘つけ絶対めんどくさがってるだけだぞ。
「実の兄がロシウとイーサンの下風に立つのは当然だと?」
めんどうから逃げると別のめんどうが舞い込む……それとは違うか。
ともかくセシル兄弟は尚書(次官)級の侯爵家、これも立派な家柄であって。
だからこそ身内といえど不適切発言は咎めねばならぬ、それが総領であって。
「お詫び申し上げます、親愛なる兄上。次男の目に映る葡萄は常に酸っぱいのです」
「当デクスター家自慢の葡萄酒ならばアルバート君の口にも合うかと。……エルンストさんと奥方さまに乾杯」
まだ根に持っているみたいですねイーサン君。
「そうだったな、義姉さんの実家にも顔向けできない……陛下のお声がかりがあればともかく」
さすがに言葉を選んではいたけれどアルバートめ、「最低限、陛下から頭を下げてもらわないことには」と来た。このあたりトワ系はインディーズに比べふてぶてしいのか、俺が卑屈に過ぎるのか。
「と、君の父上にまつわる噂を陰ながら祝福する私宴のつもりが、空気を読まぬ中隊長閣下のおかげで珍かなる客人の来訪というわけだ。改めて、はじめまして。歓迎するよスゥツ君」
談話室にふさわしきご挨拶、イーサンの機嫌もどうやら危険水域を脱したらしい。
6歳差のスゥツ、これまで行き来の無いはずもないけれど。祖父なり父なりの「お付き」ではなく「ひとり前」の客人として遇されるのは初のこと、これも他家修行に出ていればこそ。
「父が婚礼を挙げた暁には、私も陰に回って祝福の言葉を紡ぐ身の上。参加資格を認めていただき光栄に存じます」
そしてホストとゲストがひとわたり、カタい話やわらかい話と回していってはみたものの。
今年の話題はどうしても、不作と絡まずにはいられない……その認識ばかりが深まるばかりで。
「では空気を読まぬ中隊長から、野暮な話ですが」
向ヶ丘の件である。
ノーフォーク公爵家の全面バックアップのもと、老練トリシヌスが動いたのだから騒動が収まるのは当然として。
「領村の召し上げとトリシヌス家への下賜についてクリスチアンの名義で叩き台を作成した旨、私のところに上がってきました」
書類を投げればグラスが卓を叩く音。
トワ系は活字中毒、いや文書の虫である。おもてなしには美酒佳肴より紙筆簡牘。
「中隊長殿の名義で近衛府の実績として中務省へ提案するのは年末か。そして新年早々、景気の良い話が中流貴族諸君を奮い立たせると。働かずに得る手柄は美味しいかい?」
「陣定(閣僚会議)に向け、お歴々のご当主へはノーフォークが根回しするとして。その後は弁官局と蔵人所へ降りて来るでしょう? ひと足先にお伝えする誠意を認めていただきたいものです」
クリスチアンの叩き台に事務方の要求をできるだけ盛り込みますから、ね?
後から細かい手続でいじめるのは勘弁な?
「領村をひとつ召し上げる代わりに、残した村には財政援助。面白く思わぬお歴々にはこれまでの貸しで話をつける……落とし所、だろうね」
召し上げられる近衛兵に因果を含めるのも俺の仕事なんです。
だから事前の会議でも優柔不断、ほとけの役に回ってみせた。
「チェン家とは別の形で、ノーフォークの若君も突き上げ始めたか」
単独で武力介入し乱を鎮圧、有無を言わせず結論だけを押し付ける。
鬼の顔を作ってみせたのはクリスチアンで。
「兄貴は年が離れてて接点が少ないから……焦ってたんだよクリスチアンは。俺たち極東組には大戦の実績があるだろう?」
エルンストとアルバート、セシル兄弟も立役者だ。
兵站はデクスターが集め、セシルが運び、カレワラが配った。
スゥツに書類を回す。
そう、下を向いていて良いんだ。
今はまだアルバートに、俺たちに返せる言葉がないだろうから。
彼も焦りを、もの思いを抱えている。
だから後宮に、デクスター邸にと連れ歩いた。
数日前のこと。蔵人頭リーモン子爵の私邸にお招きを受けていた。
そこで「かち合った」のがクリスチアンとエミール、仲が良いのか悪いのかよく分からない、すなわち分かりやすく貴族的な交際をしているふたりで。
「大戦のことならば中隊長どのにも聞くべきだろう?」
ウォルターさん?
何ですその取ってつけたような口実は?
「戦時の活躍については、日頃お話を伺っておりましたので」
エミール君?
年少者相手にしじゅう自慢してるみたいに聞こえません、それ?
「『戦は事前の準備で決まる』と聞きます。急遽極東に派遣されてなお活躍された蔵人頭どのにこそ、日頃の心構えを伺いたく」
「それは正面切って聞きにくかろうな。伝来の財を持たず準備も何も無かったご落胤・ヒロには」
脳内で騒ぐなアリエル、事実だろうが!
「翻って『出世が遅れても、腐らず過ごすための心構え』を聞くならばこのウォルター、目の付け所は悪くない。私はアレックスとロシウ、年下のふたりに遅れて中隊長に就任したのだから」
ああ、私が来るまでそういう話をしていたんですか。
しかし「出世が遅れてた時期ありましたよね?」なんて、さすがに言いはしなかっただろうけど……。
若い人には勝てません。十代の少年少女はね、最強だから。
でもね? 少し年を取るとね? 何かといたたまれなくなるの。
「前子爵閣下のご不予にともない、公務を後輩に委ね孝養を尽くされたと伺っております。領地で蓄えた民力を背景に鍛えた精鋭は、大戦でも固い団結を見せつけてくれたものです」
これ幸いと公務をサボり、地元で羽根を伸ばしつつ領地経営、そして軍事演習。
軍人貴族の本懐だよなあ。
「役人として付き合い始めて三月かそこらだが、妙なところで不器用だなヒロは。言葉を選ぶことに照れると言葉を飾る癖がある」
極東にあった時は軍人の付き合いだった。
言いにくい話は口を濁したけれど、もう少し率直だったことは確かで。
「実のところ、父ほど重くは無かったが私も病みついてね。婚姻の約束も先延ばし……と来れば、代わりに活発になってくれる連中が現れる、それが一門というものだろう?」
自分だって言葉を飾ってるじゃないですかやだー。
「そうした時期は必ず、誰にでも訪れる。介護に相続、身辺整理に急の病。家臣団の引き締めに領地の整備。中央の仕事には集中できず、出世も滞る。だが疎かにすれば」
……向ヶ丘。まさにクリスチアンが取り組んでいるところ。
ウォルター・リーモン。この人は初めて会った時から変わらない。
年少者の非礼を、至らぬところを指摘しつつ、こだわりなく質問に答えてくれる。
「だいたいクリスチアンは15、エミールは18か? ヒロやエドワードあたりが任官した年だろう?トワ系の公侯爵とは異なり、インディーズは天井が見えているから気楽に言えるところでもあるが」
うちで預かっているスゥツ君が、やはり15歳デビューになりそうで。
後宮に、顔見世に連れ出そうと決めたのは、クリスチアンの焦りを見てしまったから。
「近衛中隊長は有事とあらば将軍格、万からの軍を率いる。実績を挙げたければ……いや、王都の平穏を思えば無難に過ごすことこそ肝要で、そのためには経験が必要だ。今にして思えば当時のアレックスなど粗だらけ。さっさと辞めて極東に居着いたから良いものの、あのまま王都でキャリアを重ねていたら危ういところだった」
……お招きに預かった理由、分かったような気がいたします。
今の俺は「あんた出世が遅れてた時期あったじゃん?」とか何とか、飾った言葉の裏でミエミエのぶちかましを食らわせた少年と同じぐらい生意気に、危うく見えるものらしい。
「ヒロにも言えるが、アレクサンドル・ヴァロワ。特殊な事情で早くから戦場に臨み経験を積んだ。ロシウ・チェン。任に堪える男だったことは今の姿が証明している。だがふたりには無理をさせた。南嶺との戦争、また流行病で若手に欠員が続出したゆえの緊急事態。年長者……諸君の父君にあたる世代は負い目を感じていただろう」
涼しげな目が……泳いだ。左上を見るのは記憶の喚起、だったっけ?
イーサンの父君、立花伯爵、アルバ公爵の子息・伯爵あたりを思い返せば……そんなタマでは無い、面倒はこっちになすりつけてくる皆さまだ。
せっかく良いことを言ったんだから、そこは流せばよいものを。
やっぱりオサムさんの親戚なんだよな。
「若い諸君には分からないだろうけれど、ね」
三十男がそれを言う。四十の立花伯爵も口にする。
いくつになっても、おそらくは。




