再三百四十七話 もの思い その2
侍女をスゥツのもとへと寄越す、それがつまらぬ挨拶ならば。
庭の景色に魅かれたふりで、御簾に寄らぬのもつまらぬ意地。
互いに何かと忙しく、中途半端に疎遠になると、妙な遠慮が働いて。
「いったい何をやっているやら」
俯いて眺める池の面に、見慣れた顔が映っていた。
「継承レースの話は論外ですが、いざ足を向けたところで話題が無いのに困りました。……伯爵閣下、立花領の作柄はいかがです? 王都に回せる余剰はありますか?」
「後宮でする話かね、それが。しかしなるほど、玲奈の前に顔を出さぬのは正解か。期待をさせて花より団子、ではねえ」
人影に期待したのだろう、顔を出した鯉が口をぱくぱくさせている。
ひと任せでよかろうにと呟いた立花伯爵、慣れた手つきでえさを投げ始めた。
ぬっと身を乗り出した格別に大きな一匹、頭を左右に振り立てる。
盛大に散らかしたおこぼれが小さな波紋を起こし、やがて水面が沸き立った。
「若手にえさを配るのも、ヌシの仕事というわけか」
米麦を配って歩くわけもなく。
民部や兵部の職責で穀物を求める若手の愚痴に付き合い、作柄に恵まれた若手との調整に立ち働き、「某伯爵から良い話が聞けそうだから飲みに行くぞ」などと口を利く……伝統と栄光の近衛中隊長などと仰がれていても、日常業務はそんなもの。
「私も半年ほど中隊長を勤めたはずなんだがねえ。喉元過ぎればということかな」
立花家の正嫡ならば、半年以上任されるはずがない。
それも上半期と決まっている。五月の祭礼に勅使として立たせるため。
「凶作で助かったのかもしれないね、ヒロ君の場合」
調整、口利き。その内容が、凶作対応という真っ当な行政で済んでいる。
利権争いに椅子取りゲーム、陛下の御意のありどころ……衣食足りれば出てくる話はそんなもの。
「こちらのお局に足を向ける気持ちになれなかった、かもしれません」
凶作で助かったね、か。思ってもいないくせによくも言う。
口にするところから避けるレイナに比べ近寄りやすくもあるけれど。
御簾の内から声が聞こえたような気がした。いや、事実起きていた。
ざわめきの気配に背後を振り返れば、スゥツがこちらに逃げてくる。
「磐森のゆかしさなど語っておりました。庭園の雅、山野の趣、そして館にある皆さまの美しさ」
良い根性をしていると思う。
「典侍さまとは、そういうわけでは」などと口ごもった言い訳は、池のせせらぎに流されて。
「『女官の皆さまとお話をなされば、さような僻言を口にされることもありますまい。どうぞ、庭ばかり眺めている鄙の男爵など放っておいて』と、御簾のうちへお招きをいただきましたが」
俺を袖にして若い客人の来訪を喜ぶそぶり。
女官たちにスゥツとの出会いの機会を配りつつ。
「ヒロさんから預けられた渋柿のコンポートに、それこそ渋い顔をなさっておいででした。鄙と極め付けた手前、手放しで褒めるわけにもいかなかったご様子。『立花典侍さまのお気に召したならば、自信を持って皆さまへお届けすることかないますゆえ』と言伝しては、もういけません」
凶作だ、右京の民が腹を空かせている、そんな話を後宮に持ち込んでも仕方無い。
腹を空かせても飢えに苦しんではいない、レイナにそう伝えるのが俺の仕事だ。
「容赦が無いね、こちらの若君は。家名を伏せていた頃の男爵閣下とは天地の差だ」
小娘にいいように振り回されていたものさ。
そんな含み笑いから向き直ったスゥツの生温かい視線、身に覚えがある。
「家名を背負った今となっては、後が怖いからほどほどにしておくかね。それよりもヒロ君。渋柿と言えば安酒に漬けるものとばかり。良ければ教えてもらえないかな? ……幸いにして、当立花家も現状多少は余裕もあることだ」
酒精が苦手な方もいますし。干し柿も良いですが、見た目のみずみずしさを求めました。氷に漬け込むのも良いと聞きます……そんなレシピと作柄情報、はたして等価にあたるかどうか。
果ては四角いのが甘いだの、ヘタの固さが面倒だの、熟柿の爆撃がどうのこうの……年長者の間抜けなやり取りに苛立つわけにもいかない少年が慎ましく戸惑いの表情を作って後、ややしばし。
「『豊かな実りに触れ、心温まる思いです。これよりデクスター男爵夫人のお招きに預かるところ、エスコートを願えますでしょうか』と、主より」
待った甲斐あり。
凶作対応、及第点をもらえたらしい。
「花より団子が正解とは、色気の無い」
花を添えてからコンポートにすれば良かったかな。なに色が映えるか、合う香りは。
いずれにせよ。
「やはり良いように振り回されているようです」




