第三百四十六話 凶作 その2
「向ヶ丘の件、領主に任せて良いのでは? あれも近衛兵、小隊長の家柄だ。収められるはず」
視界の右端に収めていた老人の肩が小さく動いた。
近衛府は小隊長格専用ラウンジ、あえて円卓に人を集めたのだけれど。
中隊長を中心に左手には若手の公達、右手には叩き上げが集まってしまうのが身分社会というものか。
「領主に鎮圧できてれば、俺等の耳には届いてない」
嘘つけキュビが聞き逃すかよなどと軽口を返すわけにもいかない。
「ぬるい」と吐き散らすのを我慢したおかげで、権中将エドワード・キュビ閣下の眉は限界まで吊り上がっていたのだから。
「近衛府から兵站を提供すればいけるか? いや、貸付けだ」
心にも無い言葉、困り顔を作りつつ。
「近衛兵を投入して鎮圧もとい慰撫の後、不始末を理由に領主から村を取り上げる」、俺の中では既定事項。議論などするつもりもないけれど。
暴発と紛糾は避けたかったから、エドワードから視線を外した。左手遠くに投げかける。
「足りねえよ、中隊長殿? 頭数も必要だ。……大したことじゃない、経験だアベル。そのうち分かる。『複数の村落、単純にカバーすべき範囲が広い。間に山、複雑な地勢。まして相手は地元民』」
若い小隊長が同席していればエドワードは捌きやすい。
黙らせたいのがヒロならばスジ論を盾に取れ。相手がイーサンなら経済効率を持ち出すべし。
互いのツボを知り合う仲で一拍の間を外すなど造作も無い。
「近衛兵の手柄には……なりませんか。内乱は国恥、民を殺しても自慢にならぬ。だが業務実績には違いない」
「領主が派遣を受けますかな? 統治のヘマを同僚の目にさらすなど、耐えられないはず」
「恥ずかしさの裏返しで、鎮圧が苛烈にならねば良いのですが」
一拍でも間ができたならこじ開けろ、手練の武人の当たり前。叩き上げ小隊長たちによる慎ましきアドバイスにより、くだくだしさを増した議論は鋭い対立を免れる、はずのところ。
「手ぬるい!」
厳しい声音も、円卓に叩きつけられた拳が立てる重い音も聞きなれぬものだったけれど。
何より目を奪われたのはその歯の白さ。
4年の間、貴公子然とした姿しか見せて来なかったクリスチアンが牙を剥いていた。
「あの一帯、渟垂河流域は古より我らトワの『縄張り』。穏便に済ませんとする中隊長殿のご配慮には感謝申し上げるが、無用に願いたい……マグヌス・トリシヌス!」
なるほどね。
心にも無い穏健派を演ずる男がいれば、強硬派を演じなくてはいけない男もいると。
「はっ!……中将殿、ぜひ私に兵をお預けください。ひと月のうちに収拾いたします」
もうひとりの権中将が実のところ誰であるか、はっきりさせておくために。
会議を終えれば、日焼けの色が抜けなくなった青年二人に絡まれる。
誰も彼もが強気に出なくてはいけない季節、そんなこともあるのだろうか。
「穀物の放出を頼めないか、ヒロ君」
デクスターに融通し、ノーフォークの言い分を通しておいて、チェン家には何の挨拶も無しと言うわけにも行くまいと?
「栄光と伝統の近衛中隊長殿に対して何て口だ、イセン!」
小芝居は結構だ、コンラート・ケツアゴ・クロイツ小隊長殿。
お前ら同い年の幼馴染なんだし、クロイツ家は農政で鳴らす家なんだから。俺を頼らずとも良かろうに……などという言葉は予想済み。
「ヒロ、俺はまだ総領なんだよ。『王国は幾度となく凶作に見舞われたが、そのたび危機を救ったのが我らクロイツである。情に目が曇り判断を誤ればそれこそ飢餓地獄だ』……当主の親父殿から引き出せるのは、耳タコのありがたいセリフだけさ」
物言いとしては、これで優しい部類に入るのかも知れない。
酷吏とは言えないイーサンやエミールあたりにして、「右京の民に担税力はあるのかい?」だもの。
「だが俺はイセンに恩がある」
今期、出世街道である蔵人に就くはずであったイセンはこれを固辞。
手を尽くして親友コンラートをその地位に捩じ込んだ。
「俺はどこまでも間が悪い。これだから出世が遅れるんだよな。クリスチアン坊やが『トワ系の都合で近衛中隊長殿の顔に泥を塗るわけにはいかない』とか高らかに宣言した直後」
ぼやきをカットしてざっくり言えば、二人の依頼は迂回融資(?)であった。
「右京に流す」では、親が納得しない。だから「カレワラ家で穀物を求めている」と。
「近衛中隊長殿、凶作への備えが甘かった」……なるほど顔に泥をなすりつけておいでである。
「ミーディエ辺境伯夫人(クロイツ家出身)の耳に入れば一発でバレる嘘だぞ?」
ミーディエ家には今年の天候不順を連絡済み。
そして王国女性のお手紙ネットワークと来た日には……いや、その顔。バレてるんだな?
「『動きが鈍い』、それがウチの悪しき伝統じゃないかって思い始めたらしい。『時には動くべきか』ってな? そのくせ臆病なんだよ。何かあった時のための言い訳を欲しがってる」
愚痴っぽいのも親譲りか?
鬚に覆われたクロイツ侯爵のアゴが割れているかは不明だが。
「勘違いするなよ? 俺とイセンは何も思ってない。誰しも立場がある。いま為すべきことがある」
「流通量、また価格の統制には遺漏無きよう務める」
イセンの事務処理能力は塚原先生の剣術なみに信頼が置けてしまう、それが性質の悪いところで。
「僕らは当主じゃないから、君と張り合えない……『張り合うことを目的として、あえて立場を異にする』必要は無いんだ」
隠そうとして隠しおおせるものではない、分かってはいたつもりだが。
「政局が浮つき始めた今こそ、むしろ手堅く仕事をすべきだ。俺はそう思うんだがな」
ご忠告、ありがたく受けておくさ。




