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第三百四十六話 凶作 その1



 正月の磐森にクズリが現れたのが予兆であったか、どうか。

 この年、王国は凶作に見舞われた。

 そして凶作を不作にとどめるか飢饉へと押しやってしまうか、それが行政官の腕の見せ所であるからして。イーサン・デクスター氏からは内々の打診を受けていた。


 「余剰の穀物を引き取らせてもらえないか? 多少の色はつける」


 磐森に積まれた宝の山、ならぬ米穀の山。

 その匂いを嗅ぎ付けた財務官僚にお預けを食らわせて、クズリの如き凶相に変ずるのを眺める……のは、その場は楽しくとも後が怖いので。

 いや、飢饉から治安が悪化すれば、責任を問われるのは近衛府だから。


 「ああ、喜んで。足元を見るつもりは無いさ」


 爽やかに言い放ち数字を出したところがしかし、渋い顔。

 値段の問題ではなくて、量のところ。「もう少し頼めないか」と食い下がられる。つくづくタフでなければ務まらないらしい、王国の行政官ってヤツは。


 「中央政府に納める租税は例年通り、今年はそれも現物納付するから」


 「例年通りって、それじゃあ領民の生活は? いや、そうか……だが隠し切れないドヤ顔ほどみっともないものも少ないね」


 そういうこと。領民に対しては多少の減税を行い、中央には例年通りを納める。その補填はカレワラ家の自腹で行うと。カッコつけてると言われればそれまでだが、上下の世論を買うための必要経費で。

 

 「軍人貴族としては最低限の備蓄も必要、全て放出ってわけにはいかない。分かるだろう? 来年の作柄また国境紛争との兼ね合いもあるけれど、端境期まで残っていたら追加放出もするからさ」


 「すると、今年のカレワラ家では……総計これぐらいかい? ずいぶん買い付けていたようだね」

 

 一月、天候不順の危険を感じた俺は、その何だ、穀物の先物相場に手を出していた。

 いや、先物相場ならば金銭で返って来るわけだから少し違うか。もう少し原初の取引形態、「青田買い」に近いのかもしれない。

 

 そして麦秋を迎え、また稲穂輝く季節も過ぎた折。

 穀物メジャー・ビートホーヴェン商会の幹部が見せるえびす顔。


 「お約束どおり運んで参りましたこの穀物、売り捌きはあてらに任せてもらえませんやろか? いただいたお代の二倍三倍にしてお返ししますよって」

 

 詐欺師のようなセリフだが、高騰している現況では嘘にならない……いや穀物の先物ってそういうもんだよな、恐らくは。

 だいたい、詐欺を働こうものならば。


 「急場にあっては百枚の金貨よりひと粒の麦。当カレワラ家は軍人貴族(・・・・)である」


 「そこを何とか。半分だけでも、いかがですやろ」


 当カレワラ家は軍人貴族ながら、なにせご当主が間抜け面……いや、気さくなご容貌ゆえ。商会の皆さまも身分を忘れて商談に熱が入ると、そういうことがしばしば起こる。

 だから代わりにアカイウス・A・シスル氏が馬鞭をひゅうひゅう鳴らして切り口上。若手郎党など目も合わせまいとしているのに食い下がるあたり、この番頭はんよほどの大物なのか。その蛮勇に敬意を表して、男爵閣下おんみずからのお声がけ。


 「代金は正月に全額先払いしたのだから許せ。運用益、出てるだろう?」


 「あの時は『何をお考えでおますやら』と首を捻りましたけど。天候不順、見えてはったんです? さすが近衛の中隊長になる方は何でもお見通し、かないませんわー。ところで来年は売り相場ですやろか、それとも買い? 何か面白いお話、聞かせては……」


 さすヒロいただきましたー。アカイウス君の目の前で。

 目の前で馬鞭をまっぷたつにされれば、大勇の番頭はんでもそりゃ気づく。お顔が真っ青になっていたけれど……さすがにそのまま帰して、後々はかどらなくなっても困るところ。

 

 「言っているだろう? 当カレワラ家は軍人貴族、ゆえに買い付け専門さ。そもそも穀物ならビートホーヴェンの目利きに如くは無し。面白い話があったら、こちらこそよろしく頼む」


 これも子孫に伝えるべき家訓だろうか。「良い警官と悪い警官」……じゃなくて、「先物相場は不作の予感がある時、買いに限って許される」旨。

 何せ先物なんざ、投資じゃない。事前の説明で「追証」なんて言葉が出たあたり完全に投機、ギャンブルだから。

  

 だいたい今年先物に手を出したのも、不作を利して儲けようという動機からではない。

 「ほら、俺たち貴族って、カネの話をあまりしないだろ? だからたまには勉強と思って、ついでに遊び心でちょっとばかり投資しただけさ。いや、買い相場だってことぐらいは皆も分かってただろうし? 俺も儲けるつもりは無かったんだけど? 予想外に当たって財務処理がもう忙しくてさ。つれーわー、かーつれーわー」などと、貴族仲間に先見の明を自慢したかったわけでもない。

 

 一月にも少し触れたが関係省庁、付き合いのある家々、「おともだち」の皆さまには全て情報を連絡済みで、フィードバックも受けていた。みんなで幸せになるつもりだったのだ。

 その証に、新都のソフィア様からも素敵なお手紙をいただいている。


 「天真会のシオネさんによる天候予測もあり、極東は問題ありません。…………海沿いの地域は、例年並みの作柄でした。山間部、北ほど影響が強かったようです。…………しかし北方三領(ミーディエ・ギュンメル・ウッドメル)またエッツィオでも十分に備えができていたとのこと。ヒロさんの提言に私から()感謝を申し上げます」


 一族のご連枝に貸しを作る、もとい「サクティ・メル名産の穀物をご賞味いただく」機会を邪魔してしまったらしい。でもま、この筆致は微笑んでいらっしゃるゆえ問題なし。ないはずだ。そうあってくれ。

 そうそう、味と言えば。マグナムからもひと言。


 「中央政府に物納する? なら古米と新米、どっちにするんだ?」


 言われてみれば、というヤツだった。

 「農家のせがれだった頃には考えてもみなかったぜ」という言葉にしみじみ共感を覚える。

 古米って、籾殻もみがらつけたまま保存しておけばかなりいけるし、ねえ? 炊く際の水量調節にぶれが少ないから、個人的には新米より美味いと思う(農家のせがれ並感)……ってのはさておくとしても。少なくとも、不作の年の新米より上質なことは確実で。

 でも国王陛下に、政府に納めるとあれば。やっぱり「今年の実り」に意味があるのかな、なんて。


 「納税ぶんについては新米を少々、あとは古米で。供出をお願いする余剰穀物については新米で良い」


 しかし顔つき合わせたイーサンの返答は、毎度のことながら明快であった。


 「制度の趣旨から考えたまえ。陛下のおんもとへ上げるものだよ? 『今年の実り』は少量でも名目として絶対に必要。だが基本は上質なものを選ぶべきだ。対して余剰穀物は飢饉防止のために放出するのだから、質は問わない」


 「……と、何でも良いから裏付けを、スジを立てておくことが大事だって?」

 

 なるほど、裏スジが大事なのかあ……などと言いさした幽霊なかまのひとりが、別の幽霊にやんわりと指摘を受けて真っ赤になっていたけれど。

 

 「そういうことさ」


 俺がなるほどと思ったのは、ドヤ顔は隠すものではないなと。

 生真面目なイーサンにして、ビシッと決まってるんだもんなあ。



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