第三百四十三話 月下美人 その2
「あの晩以来、メル家のご一党も探し物をされているようですが」
刑事となるために生まれてきた男が轡を寄せてきた。
思いきや、ひょいと飛び降りこちらの手綱を絡め取る。
「仮にも検非違使大尉が、いっぱしの貴族が何の真似を」と制する声を待ってもたげた顔に貼り付いていたのは、妙に浮ついた笑み。
「左京は一緯二経。二緯三緯に大邸宅を構えるお歴々の別邸が並ぶ地域です。出入りする部外者と言えば商人に芸術芸能関係、広げても医師や職人。身許はみな明らかです」
なにせ通うに利便良く、治安も最高と来ている。近衛官舎の斜向かいだもの。
そして目と鼻の先ゆえにこそ、近衛府の外局・検非違使庁も躍起になっている。
で、あれば。今は苦労していても、彼らは必ず犯人にたどりつく。
ティムル・ベンサムが笑顔で放り込んできたのは、踏み絵だった。
フィリアとの私的な友誼と、検非違使庁・近衛府の公務と。メル家への配慮と、インディーズ軍人の連携と。いずれを優先するかを問うていた。
「リョウ・ダツクツという男だ」
「俺がやる」と、フィリアには大見得切ったけれど。
ここまで詰められていては……全うに職務を遂行されていては、告げざるを得なかった。
「中将どののお志、承りました。私が突き止めたことにしますのでご安心を」
俺が漏らしたと知れては角が立つ、それは確かなところ。
部下に手柄を配ってこその軍人貴族、それも身に沁みている。
だがこれは、あまりにも……その、腹立たしい。
そのリョウ・ダツクツを、ティムル・ベンサムは大々的に手配した。約束通り。
名が割れ、顔が割れ、生活圏まで明らかになっては、どうしようもない。
「似た男を王都北郊で見かけました」
「スレイマン殿下のお邸にも出入りしている模様」
聖上陛下の覚えめでたき近衛中隊長の元には、何を言わなくともご注進が集まるのだから。
「容疑をお聞かせ願えますでしょうか」
甥のマサキ・ダツクツ少年までが青い顔を見せに来た。
衛門小隊長のアベルを介して。若き苦労人どうし、交友があるのも頷ける。
「表向きは騒擾の罪、内実は私の個人的な怨恨だよ。恥ずかしながら」
なお食い下がろうとする少年の前に、フィリップ・ヴァロワが立ち塞がる。
柄にも無い俊敏さを見せたと思ったら、口調は逆に重く粘つきを帯びていて。
「表向きにできぬ余罪があるのだ。ダツクツ家、また陰陽寮に類を及ぼすまいという中隊長閣下の配慮、分からぬものかな?」
権柄づくで少年をねじ伏せる役を演ずるのも部下の仕事。
伝統と栄光の近衛中隊長はプリンシパル。ファルスやヴィランを演ずることは許されぬらしい。
「中隊長殿ひとりの腹でご決断くださるとは(近衛府プロパーで行けますね?)」
「総指揮をお願い申し上げます(現場に出ないでください)」
「実働は我ら検非違使にお任せを(捕り物の手柄は回してくださいよ)」
近衛兵たちの軽口は全て、ティムル・ベンサムのそれと同根。お追従の皮をかぶった脅迫に近い請願だった。
暑苦しさにせめて秋風でも浴びるかと窓を開ける暇もあらばこそ、またも来客。バヤジットが似合わぬ憂い顔を浮かべていた。
「母の腹心・次席掌侍から言伝てが。『リョウ・ダツクツなる者、スレイマン殿下に対し非礼あり』と。厚かましき願いだとは思うが、何せ身内ゆえ……」
「消せ」ですか。次席掌侍さま、見切りの良いことで。
A・I・キュビ家が視界に入ったことで、数件起きた暗殺未遂事件のうち端午の巻狩については想定がついた。彼らあるいはスレイマン閥と考えれば辻褄が合う。
聖上陛下を狙ったわけではない上に、はじめから未遂に終わらせる意図だった節もある。それゆえ表立って騒ぎ立てる気は誰も起こしていないけれど。
「自白」してこちらの懸念を解消する代わりに、追及を断ち切りに来るとはね。
「なお、次席掌侍の言葉には続きが。『なおご懸念をお持ちならば、局にて申し開きをいたします』」
……「食う」度胸が無いなら提案に乗れと来た。
ティムルと言い近衛兵と言い、どいつもこいつも厚かましい。
(義父上から叔父上に格上げだねヒロ君)
陛下の「兄弟」、この上なき名誉……って、やかましいわ!
(ピンクの言うことなんざまともに取り合うな。やることはシンプルじゃないかヒロ、殺すだけだ)
(珍しく気が合うな朝倉。そうだ、軍人貴族が家紋に侮辱を加えられたんだぞ)
(暗殺未遂事件も何もかもおっかぶせて、『後継レースの平穏のため、近衛中隊長の職権を以て手を下しました。全て闇に葬ります』。で、スレイマン閥に恩を売るわけね?)
悪くはない。シンプルに正解だとすら思う。が、どこか気に食わない。
リョウ・ダツクツは俺に強い敵意を抱いている。身の安全のため、殺すべきだ。
犯罪者でもある。王国の治安維持を司る近衛中隊長として刑に処すべきだ。
それでスレイマン閥にも、部下たちにも恩を売れることは確実だが。
何かこう、受け身と言うか。
都合よく扱われている、主導権を握られているようで。
……振り回せ、ツケを回せ、か。
ロシウ・チェンの囁き。近頃つくづく耳を突く。
それに、肝腎のフィリア。
確実に殺す気であったなら、最初から俺を呼んでいたはず。
あるいはマルコか、武装侍女あたりを引き連れていたはず。
「話は済ませました。次に会うときは敵だと告げてあります」
例の如き断言の後には、しかし留保がついていた。
「けれど……近衛府で、中央政府に対する犯罪者として追及されているならば、メル家としては関与を控えます」
こちらを見上げる目、見たことの無い色を帯びていた。
信じているのだろう。
リョウ・ダツクツのことを。捕らえられ刑死しても、過去――何があったかは、俺の知るところではないけれど――を口にする男ではないと。
俺がそれを追及する男ではないということも。
だがその目が、その色に浮かぶ諦めが気に食わない。
どうも、ね。
何もかもが気に入らない。




