第三百三十九話 都の女たち その2
それでも最初の外出は、当たり障りの無いところ。聖神教女子修道会の本部であった。
ちょうど後宮の筆頭典侍・クレシダ様も修養中のシアラ殿下に用向きがあるとのことで。後宮は「奥」のご依頼により、送迎を承ったのである。
中隊長がそうそう王宮を離れて良いものかと思わなくも無いけれど。
近衛府の小隊長諸君はみな俊英。割り振られた仕事をおのおのソツ無くこなしているため、統括役の中隊長にまで仕事が回ってこない。
おかげで後宮に宿直する日でも無い限り、時間に余裕が生まれていた。
女子修道会総本山も、その立地は東川沿い。
警備と移動の便を思い舟行するその道すがら、御簾の向こうでクレシダとフィリアが会話を弾ませていた。
「霊気の凝集、また『練る』という作業工程について、シアラ殿下からご相談を受けたんです。『法則性があるように思われてならないのです。数式化できないものでしょうか』と」
「その変化の推移、あるいは霊気の総量……クレシダ様におかれては、データを得る機会というわけですか」
「私が取り組んでいる数学は、どうも綺麗な理論を上から及ぼせるものではないようです。データを集め、下から力業で計算を組み、結果を比較する……その過程で式や法則を見出すという手法で挑んでいるところです」
聞こえてくる鼻息も荒いが、大丈夫だろうか。
「データを寄越せ」「先に数式を立てろ」なんてことにならなきゃいいけど。
何せ学者は我が強いから。
我が強いと言えば、もうひとつ。
聖神教女子修道会の総本山は、カレワラ家に対していまだ冷淡であった。
いいかげん許してくれても良いじゃない……と、アリエルなどは半ばキレ気味ではあるけれど。
ともかく船着場を降り、ご一行には牛車にお移りいただき。
こちらは馬上、秋風に鬢をなぶらせながら歩を進めることややしばし。
宗教施設とて門こそ開放されているものの、その周囲に鉄柵を隙間無く廻らした聖堂が目に大きく映り始めた。
厳格なる構えそのままに、聖堂でありながらここは牢獄。鋼鉄の処女の園。
当然男子禁制ゆえ、皆さまには門前にて牛車から下りていただき、武装した修道女たちに護衛を引き継ぐのがスジではあるが。
警備の打ち合わせにて、責任者からはこんなことを言われていた。
「近衛中隊長閣下を門前払いするわけには参りません。典侍さま、雅院女蔵人さまを衆人の目に触れる門前にてお車より下ろすようなことも」
こういうところ、天真会に比べるとやはり権威主義的。
宗教施設なのだから、「門を潜れば主の前に平等である!」とか言っても良かろうと思うのだが。
ともかくそうした理由によって、嫌われ者のカレワラ氏も、聖堂敷地内は正門そばにある瀟洒な建物への立ち入りを許された。
周囲をぐるりと武装修道女に囲まれ、今度は我ら紳士が軟禁状態である。
「職務上の必要が生じた折には突破いたしますので、悪しからず」
野太い声で怖いことを言い捨て窓の外を窺い、ふんと鼻を鳴らしている。
カイ・オーウェンは不機嫌であった。
かりにも近衛中隊長、連れの一人も無しと言うわけにはいかないが。
「あくまで男子禁制が大原則ですので」というわけで。
いつもの側仕え、ユルとピーターは聖堂向かいの休憩所に足止めされていた。
「気楽に過ごすのも、たまには良いだろう」
あのふたりも若いのだし。
「ええ、おかげで私が貧乏くじです」
主君に侍る栄誉を貧乏くじとは言ってくれるものだが。
カイは業務スケジュールを調整させられたのだから仕方無い。
それも事前の打ち合わせで決まった……いや、決められてしまったこと。
「アカイウス卿は……そのう、独身でいらっしゃいますでしょう? ここはぜひ、カイ・オーウェン卿に」
既婚者である以上に、年齢を考慮されたに違いない。
修道女に手出しをせぬ安牌、ジジイ扱い。
知らぬうちに餓狼扱いされているアカイウスにも聞かせられぬが、カイが腹を立てるのもそれは当然。
「奥様が元・修道女という信用があるからさ」
などとなだめれば、そこはおとなの男。
苦笑しながらも観察の成果を口にのぼせていた。
「しかし妙ですね。見張りの修道女が外を向いている」
建前としてはおかしくない。
「お迎えした客人・近衛中隊長殿の御身を守護し奉る」ならば、外を向くのが自然である。
「しかし男性嫌悪に近い感情を持っている者も多いでしょう、女子修道会には」
這い出して修道女に悪さをせぬかと、こちらに睨みを利かせているはずでは?
ことに我らは80年間にやらかしたカレワラ党ですよ?
と、まあ。……それもひとつのスジではあるが。
「知らぬか、カイは」
案の定、外が騒がしくなって来た。
「近衛中隊長殿にお伝えすべき大事、これあり!」
「○×子爵家よりのお文を預かっております。直接にお渡しせねば」
さすが宗教家と言うべきか、これだから宗教屋はと言うべきか。
「なるほど、大事か否かは主観によります。子爵家出身ならばお文を持っていてもおかしくはない」
神の家で虚言を弄するシスターなどいるはずがないのである。
そのための神学であり、僕たる修辞学&論理学なのだから。
我らの接遇に当たっている修道女も、そこは慣れたもの。
なりは質素だがどうやら高位聖職者、司教クラスであることは間違いない。
皮肉にも一切動じず、後輩たちに慈愛の目を見せる余裕をお持ちなのだから。
「売り込みが押し寄せてくると。そのための布陣でしたか」
いかなる待遇にてもあれ、鉄柵で囲われたこの牢獄から出て社会復帰を。
あわよくば近衛兵とお近づきに。
ヴェロニカの如く、あるいは彼の妻・カタリナの如く。
俺の情報も――割り込む余地のある新興の家、修道女を雇い入れた実績アリと――王都を乱れ飛ぶ女性達のお手紙ネットワークにより伝わっているからこそ、だろう。
ヘクマチアル家あたりとは異なる、これがカレワラ家の威光である!
「ご主君がおもてになるところ、初めて拝見いたしました」
悪かったな。どうせ俺はフツメン、近衛府の公達連中には及ばないよ……
「が、雇うならば背を向けている人々をこそ推薦したいところです」
騎士技能持ちのカイ、目尻を下げていた。
彼女たちが護衛対象に見せるのはあくまでも己の背中のみ。
押し寄せる敵(?)の足を払い盾もて押し返し。
修道女たちに大怪我をさせぬよう配慮しつつ、決して一歩も譲ろうとせぬ。
「顔をお出しにならないでください!」
室内に控える修道女に叱られたが、時すでに遅し。
噂では無く、確かに近衛中隊長がここにあると知られてしまった。
攻勢に一段と圧力が増す。
室内から予備兵力が投入された。さらに盾陣を展開していく。
「見事なものです。あなたが指揮を?」
「光栄です。しかし私は信仰に一生を捧げた身……」
まさかそっちの意味で目尻を下げていたのか?
カタリナに言いつけるぞ、カイ。良いのか?
落ち着き払ったあの姿のまま、表情ひとつ変えず眼鏡だけ光らせて殴りかかってくるんだぞ?
ピーターが怪我させられたこと、知らないだろう?
ほら、早速剣呑な気配が……後ろから?
手薄になった背後を突く修道女がある?
……いや、防衛の配置に隙は無い。
ニンジャ技能持ちが草木に紛れ、あるいは天井に潜んでいる?
……いや、技能持ちに育てるほど手をかけた娘を修道院に捨てるはずが無い。
朝倉を引き寄せ、振り返る。
妙な雰囲気になっていたお二人も立ち上がっていた。
「間取り。ふた部屋で間違いないな? 隠し部屋は?」
「あ、はい、その。ありません。この先にはふた部屋あるばかりです」
まだ遠いが……それにしても、妙だ。
室内はもとより、外の草木、また天井。そのいずれでもない。
だが確かに、気配が存在している。
修道女がボウガンを構えた。
カイが蹴破った扉の向こうへ迷い無く発射する。
(ちょっと、仲間の修道女でしょ!?)
(そうとは限らないからよ)
(修道女でも、ここまでするヤツは困り者だ)
「クリア!」
盾を構えて飛び込んだカイが、見た目にそぐわぬ素早さであちこちを蹴立て突き立て、大音声を放つ。
やはり妙だ。
勘付かれたことに反応していない。
動揺を隠し、あくまでも気配を小さく保っている?
就職活動の修道女ではなく、これは手練れかもしれない。
事前に聖堂敷地に潜入し、待ち伏せていたのか?
残る部屋はひとつ。
無言でカイに手を振る。下がらせる。
責任感から先に立とうとする修道女を目で制する。
壁をすり抜け確認に向かおうとするジロウを、ヴァガンに押さえさせる。
ノブをそっと引く。扉の陰に身を隠しつつ。
上下の蝶番を斬り飛ばし、扉を隣室へと蹴り込む。
木屑が立てる煙の中、悲鳴が上がった。
やはり曲者は女。修道会に潜入していたか!?
……反撃が来ない。
扉の下から悲鳴……どころか泣き声が聞こえる。
間者とはとても思えぬ、その手応えの無さ。
「シスター・××!」
聞き逃したけれど……大事なのはそこじゃない。
ただの修道女だと!?
「その気配の消し方、どうやって!」
何やら薄汚れていた。土まみれ。
見えていたのは上半身のみ。
「穴掘って来たのか!」
地上にも天井にも気配が無いはずだ。
しかし叫んでしまっては、栄光の近衛中隊長の権威も形無しである。
詳しく問い質せば、人目につかぬ植え込みから、2年を費やし20mほどを掘り進んだとのこと。
そして今日こそチャンスとばかり、そっとトンネルを抜けて頭を出したところ。
その上から扉を叩き込まれたって……首、大丈夫か!?
「ただ外に出るのでは意味がありませんでしょう?」
「寄る辺無き身、売り飛ばされるか再び修道院へ連れ戻されるか」
ごそごそと這い出してきたのは3人。
砂まみれの姿に似合わぬ、丁重な口調。
「だから来賓控え室に向けて穴を掘ったのか。結構な戦術眼だ」
来ているのが近衛中隊長……軍人だということも考慮したに違いない。
この作戦を見れば怒るか、笑うか。関心を引けず無視されるということは無い。
「落盤防止、なかなかしっかり考えたものだ。素人仕事だろうが、よくもまあ」
建造物には目の無いバルベルク系のカイ、早速穴を覗き込んで壁から天井から叩いていた。
「その工夫に、時間がかかったんです!」
「トンネルが崩落したら元も子もないですから!」
女手だけで力仕事・土木作業を2年。
落盤の恐怖に怯えつつ、互いに秘密を固く守って、か。
これは負けだ。
「ああ、就職の口を利くよ」
「口外しては困りますよ? 近衛中隊長殿の名誉に関わります」
防衛側のシスターも心なしか嬉しそうだったけれど。
そこはきっちり反論させてもらう。
「笑い話にするならば構わない。こちらは宗教団体、客人の護衛に失態があったとて大きな不名誉にはならぬはず」
シスターがため息をひとつ。
「そうでしたわね。……それにしても今後の対策、いかがすれば良いのやら」
対策を教えてくれるなら、自分たちの失態と認める……ですか。
案外あっさり引き下がるものだけれど。
(近衛中隊長とどつきあえる立場じゃないわよ、司教クラスは)
(女子修道会が近衛中隊長を……近衛府を嘲笑った、名誉に傷を入れたとなれば、おおごとだ)
その重みを自覚するのであれば。
「空堀でしょうね。水を張ってしまうと不愉快な事態が起こりますので」
負けっぱなしというわけには行かぬのである。
近衛府の沽券にかけて。
シスターと呼ぶも愚かな、少女にしか見えぬ一行のリーダーは身を翻していた。
窓から外へと手を振りまわす。
「タッチダウン!」
「地下トンネル?バカじゃねえの!?……うるさいそうだよ負け惜しみだよ!」
「ちょっと!私らを紹介するのも忘れないでよ! 陽動してあげたんだから!」
修道院を後にし水上に身を置いても、熱の冷める気配は訪れなかった。
船中、御簾の向こうで交わされる激論をまとめてみたところ。
どうも二次関数、y=ax^2という要素があちこちに散見されるように思われる、とのこと。
いわゆる「詠唱」や「溜め」を行う時間の2乗に比例して、あるいは霊能と言われるもの――その数値化は困難だが――その2乗に比例して、霊力が作用するように見えるのだそうな。
「霊能の強い者はますます強い力を発揮する、か」
「世の中およそそういうものではありますけれど」
金持ちのところには大きく金が集まってくる。
兵力の多寡は、戦闘状態に入って時間が経過するほど加速度的に開いて行く。
「政治で言う支持率。支持者の数にも、そういうところはあるかもね」
「『あれが潮目だった』と気づいた時には、もう大差が開いている……ですか」
などと、すぐに応用の話をしたがるのが俗人の悪い癖。
俺もフィリアも、ついそちらに寄りがちだが。
今日の事件を思えば、これは仕方無い。
「弱い者、数で劣る側、経済力を持たぬ人々。対抗するには工夫が必要ですか」
「あそこまでされてしまっては、ねえ」
なお、霊力と二次関数についてはもうひとつ仮説を立てることができそうだ。
「大事なことを思い出させてくれました。軟禁されていても、劣勢でも、出遅れていても。手段などいくらだって存在する」
気力の充実具合、その2乗に比例するのではないかと。




