第三百三十五話 プレゼント その2
「カサンドルを磐森に? 手を出すなよ、ヒロ」
これは我が上司、近衛大隊長たる公爵閣下……いや、そこなでかぶつ。
あなたに口出しされる筋合いはありませんけれど?
「アレックスのむすm……縁戚とて評判の美貌、いちど私も垣間見など」
いいから黙れ、な?
しかしそもそもこの人物、垣間見などできぬことで有名で。
図体がでかすぎるせいで月明かりを遮る、草を分ければ音が立ち虫獣が騒ぐ。
隙だらけの悪ガキじみたその様子がかわいいとか言われて結構モテるのだから腹が立つけれど。
「こんな時に客人? 立花伯爵閣下……が、案内も待たず上がり込んだと?」
耳早く腰軽く間合いを外す。案外軍人の資質があるのかもしれない。
と、そうじゃなくて。本当にお前らと来たらこの……。
相手は12歳だぞいいかげん落ち着けバカ共!
もういい、決めた。
「フィリップ。父親の君に代わり、このヒロ・ド・カレワラが確かに預かる!」
少し不満そうな顔を浮かべたメル公爵、何か思いついたような表情を見せ。そしてまた不満げに頬を膨らませていた。
この人も貴人なのである。ことが軍事にわたらぬ限り、基本は素直なお人柄。
だいたい心の動きを隠そうにも、あまりに大きな造作が邪魔をする。何を考えているかなど分明であった。
ヒロが後見人か……なら口説いて悪いことは無い……いや、そうしたらこいつの「義理の子」扱いだよなあ……。
「まあ良いか。いや、アレックスの姪に確かな後見がついたのだからこれは慶事だな。ともかく勅使殿をお迎えしている以上、宴だ宴!」
やはりどうにも憎めぬ。得なお人柄をしていると思う。
秋は月。
宴の合間を縫うようにして近づいてきた男の顔も、さやかに冴えていて。
「ヒロさんの夫人なら……とも考えていたのですが」
最初に俺を見込んでくれた男、フィリップ。
その気持ちは嬉しいけれど。
カレワラの次代当主は、アンジェリカとバヤジットの子。そう決めている。
「子ができても跡を継ぐ目が無いのでは、嫁がせ損だろう? 第二夫人として立たせるつもりならば、カレワラよりも格上の家と縁を結べる」
そのやり取りを耳聡くも拾いつけた姫君が、すいと近づいてきたから。
何をひとり合点したものかフィリップめ「ああ、そうでしたね。……ヒロさんの後見ならば、必ず良きご縁が得られるものと期待しております」などと笑顔を浮かべ、入れ替わるように遠ざかり。
夜半の月が雲に隠れたその間合いを図り、ふたりそっと席を外す。
「良いのですか、ヒロさん? 父を見ていれば分かります。男性はひとりに定まれぬもの」
相手は12歳ですよフィリアさん。
(いつまでも12歳じゃないのよねー)
(男ってイチから染めたがるんじゃないの?)
(やせ我慢も男の甲斐性だぜアリエル。それとピンク、お前はなあ……)
(実際大したやせ我慢だと思うぜ朝倉。持たぬものに惹かれるのが人情だ)
(カサンドルにあってヒロにないものって何だ? なあネヴィル、何だ?)
……なんか惜しいことしたような気になってきた。
「軍人貴族ならば子供は何人いても悪いことはありませんし。男子は特に」
ここのところフィリアが見せている、その憂鬱。
配下や郎党と言われる人々は、主君のそうした空気を敏感に嗅ぎ取る。
空気ばかりを読み取って、しかし憂鬱の中身には誤解があって。
だからカサンドルへの当たりが強くなった。
「ソフィア様の件、まことにおめでとうございます……そう申し上げるべきところでしょうか」
「いやらしい言葉づかいは宮廷御用達、メル家では間に合っています! でも実際、これを機に子爵領『里』(メル家の重要拠点。現在フィリアが預かっている)の返還を、ベリサリウスへの譲渡を申し出ることも可能となりました」
事実その旨を父公爵閣下に申し出ていたフィリアであった、けれど。
「この夏届いた、姉から父宛ての出産報告です」
ひょいとこちらに手渡してくる。読んで良いと?
その信頼と、懐かしの手蹟に思わず頬が緩むが……その同じ頬に走る痙攣を止めることができなくなった。
――子爵位を譲るなどとフィリアが申し出た場合は、お父様から止めていただけますよう。ベリサリウスはまだ4つ。6つ7つまではいろいろと分からぬところですし――
「先手を打たれていました。思えば私が姉の立場でも反対するところ。それはそうですよね」
外敵がいなくなれば内輪で殴り合う、それが武家の習いというもので。
そっと周囲に気を配る。
都大路の一等地、ここはメル家の上屋敷。
末の姫君相手に不埒な真似などさせぬよう意図的に膨らませた闘志が、あるいは陰に潜む殺気が、いくつも息づいていたけれど。
その実、誰を目標にするものか。
「人手不足の大メル家、一族のうちに私以上の駒――姉が使える範囲ですが――は無いものと、それぐらいの自負はあります。第一、姉はまだ総領です。当主ではありません」
声を潜めたフィリアは、本宗家の娘。限りなく幹に近い存在の連枝。
当主ならでは「剪定」する権限が無い……が、問題はそこではなくて。
予想いや確信していたところのものを、直接確認できた。
ソフィア様とフィリア、ふたりの間には緊張関係が生じている。
「従容として受け入れる? 名にメルを冠する以上、それは美徳ではありません。他家に指摘される筋合いでもない。……そもそも」
小振りな顔が近づいてきた。
彼女に緊張を強いている長姉によく似た顔が。
「あなたを信用しても良いのですか、ヒロさん」
繰り返されてきた問い。
今ならば、答えることができる。
「メル家に害を為さぬと約束はした。が、ソフィア様の意に従うとは言っていない。ためにならぬことは止めるさ」
ことこの問題に限るなら、フィリアの味方をすることがメル家のためになる。
俺はそう信じていたから。
「この期に及んで……! 私が聞いているのは!」
当然それも分かっていたから。
その細い肩を引き寄せた。耳元でささやいた。
「信じろ。それ以外の言葉を口にするつもりは無い。だが百の言葉よりひとつの事実……機会至らば、必ず証を立てん。ここに誓う」
突き放された。
金打をする間も、女神やアリエルの名を出す隙も与えられることなく。
そのまま背を向けている。
顔を見せてはくれなかった。
「まずは雅院のご即位、少なくとも太子宣下をいただくこと。我らのことはその後と?」
聞かれても良い……いや、メル家郎党衆に誤解されても構わぬ、誤解させておくべき内容を。
若手貴族らしく晴れ晴れと、華やかに。
ややあって、宴の音曲が途絶えた。
臼を転がすに似た響き……足音が近づいて来る。
おお、そう言えば。
赤ちゃんは音が出るおもちゃが好きだった。
歌舞音曲を得意とするアリエル、カレワラ家のイメージにも合う。
「贈り物はタンバリンに鈴、木琴の三点セットに決めたよ。練習不要、にぎにぎぺちぺちするだけで音が出るだろう?」
音が鳴るその部分に、丸く削った宝玉でも嵌め込めば立派に貴族の贈り物だ。
そう、次代を敵に回すつもりはない。いや、総領ご夫妻も。
「『カレワラより、変わらぬ友情を』。そう刻ませてもらう」
ようやくこちらに振り返った。悪戯な笑顔が。
「姉は知らず、私だけが知っているヒロさんの今の英姿。これは自慢できますね……いえ、機密としておきます」
郎党衆にはどこまでも誤解させておくに限る。
郎党衆に限らぬ。上から誤解させておくほうが楽……でもないか、これは。
近づく音が、タコ槌を大地に打ち付けるかの如きものへと変わっていて。
曲がり角の向こうから伸びるシルエットも、せわしなく前後しながら徐々に長さを増していたから。
「顔を腫らして陛下の御前に伺候する訳には参りません」
今宵はこれにて退散いたします!




