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第三百三十四話 見えぬところで その2



 「『君命もだし難けれど、なお今しばらくの猶予をいただきたく』……ふむ?」


 竜顔がこちらに向き直る。

 発言を――公式の返書ではなく、私的な会談において尚侍ないしのかみが口にした内容の報告を――求めておいで、だが。

 

 「『国務に励む祖父ならびに兄に代わり、侯爵家を落ち着かせて後』との仰せ」


 亡くなったのは、尚侍の父。

 彼女の祖父は閣僚、兄は若手官僚であったから。


 「叔父君のデュフォー男爵閣下は……王都に帰還したばかりでもあることですし……」


 男爵はいわば分家、本家に乗り込んで取り仕切ろうものなら反発が生まれる。

 いや、すでに反発が生じていた。弔問客に対する挨拶、案内、お茶出し……接遇そのひとつひとつにすら、ふたりの担当者が出て来る。牽制を始める。

 侯爵家のその醜状を陛下のお耳に入れて良いか迷い、言葉を濁せば。


 陛下の目が傍らに、秘書長あるいは官房次官とも言うべき蔵人頭に向かう。

 応じてリーモン子爵、こちらにひと言。


 「近衛府は陛下と王室の皆さまのためにある組織だ」


 気を使う相手が違う、ね。

 失礼いたしました。

 

 「尚侍さまにおかれては、続けて『祖父と兄に頼れぬことは承知しております。が、叔父にこの家を任せて良いものか、その判断がつきませぬ』との仰せでした」


 はっきり口にしてこその、尚侍そのひと

 陛下のお顔がようやくほころんだ。


 「デュフォー侯爵から朕に願いが出されていることについては?」


 明言はなかった。が、侯爵その人と侯爵家の様子を見るに……。


 「勘付かぬようでは、近衛中隊長など任せられませぬ」


 蔵人頭どのに躊躇の間を潰される。

 陛下の前とて畏まり言葉を飾り、非礼無きようあい務めていると申しますに。


 「ヒロ。近衛中隊長は国王たる朕の、武における側近である。地位は低くとも文の側近・蔵人頭と並ぶ存在だ。ことが国政の枢要、家政の隠微に及ぼうとも配慮は無用。……朕の目として、見たところをそのままに述べよ」


 理解した。遠慮してはならない。

 それならば。


 「尚侍さまも仰せのところでありますが、侯爵家は割れていました。故伯爵閣下の長男を推す者、弟の男爵閣下を推す者、そして日和見です。しかし何より不可解であったのは、デュフォー侯爵閣下のご意思が見えぬところでした」 


 当主、デュフォー侯爵がリーダーシップを発揮すれば一発で決まるはず。

 孫と次男の間で迷っているようだが……だからと言って、外部に裁定をゆだねるなど。醜態、恥さらしなのは侯爵閣下ご自身で。

 優柔不断なその態度と、仕事で見せる毅然たる姿と、そのギャップに戸惑った。



 「何のための当主かと怒鳴りつけたいところかな? その若さで一家を切り回す身としては」


 ご容赦ください、陛下……と、口を開く代わりに頭を下げたけれど。

 ますます理解できた。

 「近衛中隊長とは朕の側近」というそのお言葉。

 国政から私生活まで、その機微、親幸……お題目ではなく、字義通りの扱いを受ける立場だと。


 「いや、若い世代は亡き奥方を知らぬのであった。これは責められぬところ……デュフォー侯爵、婿養子なのだ」


 それなら全て納得がいく。

 婿養子では当主になれぬ。家督相続に口出しする権利も無い。

 生前、家の実権を握っていたのは侯爵夫人だ。

 夫人が亡くなられて後は長男の故・伯爵が仕切っていたはず。


 ……だが、それならそれで問題がある。


 「お待ちください。それでは侯爵閣下が陛下に裁定を求めること自体……」


 越権行為、どころか侯爵家内部で謀反を、外患誘致を起こしているに等しい。

 その請願を受け入れ裁定を下してしまっては、お家騒動を陛下が奨励しているのと変わらぬではないか。



 「前頭弁さきのとうのべんの言葉通りだな。そういうところ、卿は信頼できる。筋が通っているか否か、法の精神古礼の精神に照らし妥当か否か、その検討を忘れない……それでも朕が裁定を下すための『筋』、適法性の建付けを組み上げてみたまえ」

 

 政治は法の上にあるから……と、そうしたスジ論によるばかりではなく。

 権威を見せつけ権力を振るう……と、そうした必要性によるばかりでもなく。

 

 「侯爵はもと零細王室の出身。あまりの美しさに今は亡き夫人がその若き日ご執心を起こされて、な」

 

 陛下のお顔には、優しさ懐かしさを想像させる表情が浮かんでいて。


 「結婚する前、礼法の家庭教師を務めてくれていた。結婚後も面倒を見てもらったものだ」


 即位されて後も、当初与党の少なかった陛下を支え続けた……か。

 

 侯爵閣下、陛下にとって盟友なのだ。

 その友が困っているから助けてやろうと。

 

 これは……スジ論など言い募っている場合ではない。

 陛下は介入すると決断されたのだから。



 「では……まずは、国王陛下であらせられることを理由にできなくはありません。しかし反発が予想されます」


 それはガバガバの理屈だ。

 「国王は国のオーナーだから、国で一番偉いから」、「何でもできる」。

 大問題だ。貴族達の支持を失う。何のためのしきたり・約束・慣例法かと。

 無視するようでは、以後陛下のご意思が無視される。あるいは曲解される。行政が回らなくなる。

 このスジが使えるのは、緊急事態に限られる。

 

 「ゆえに尚侍さまのご夫君であるという筋を用いるのではいかがでしょう」

 

 それでも苦しいけれど。

 だが当主であった伯爵の娘から請願を出させるならば、いちおう形にはなる。

 おそらく彼女も、その筋を通せるだけの根拠……伯爵の遺言か何かを確保しているはず。それぐらいの「政治」、尚侍ならば朝飯前。




 「やはりニルスはダメか、ヒロ」


 あえて触れずにいた、尚侍の兄の名。リーモン子爵から指摘された。


 そう。問題はそこなのだ。

 ニルスが父伯爵の喪主を務め、葬儀の舞台裏で権力を掌握すれば良い。

 いや、生前すでに継承のレールが敷かれていたはず。

 ニルスさえしっかりしていれば、陛下を煩わす必要が無いのだ。



 「そろそろ近衛府から外すべきであると、申し送り事項に」


 役無し近衛小隊長、ニルス・デュフォー。

 近衛府から外す、少納言コースに乗せることは規定路線であった。 

 

 問題はいつ乗せるかだけ。

 閣僚の孫と言うことで、ギリギリまで我慢されていたけれど。

 誰かのところでタイムリミットが来る、それは風船爆弾リレーの如きもの。


 マクシミリアン・オーウェル、バヤジット・ホラサンの頃はまだ猶予があった。

 またニルスの父伯爵が存命であれば、遠慮なく少納言に回すことができた。

 ニルスの子・伯爵の孫に期待すれば良いから。伯爵が閣僚になる頃には、期待の……いや、標準レベルでも良い。若手に育っているはずだから。

 

 「異例ではありますが、今しばらく近衛府に留めおくか……」


 しかしそれは近衛中隊長として、責任の放棄にあたる。

 ニルスもさらし者になってしまう。



 「近衛府から外すなら、少納言に回ることになると? それは、男爵が当主の地位に近づくことを意味するな」

 

 展開を的確に予想した陛下。

 首をかしげ、改めて視線をこちらに向ける。

 

 何の意図も感じられぬ、ただの視線。

 その何気なさが恐ろしかった。


 ニルスを近衛府から外す。

 それは近衛中隊長の職権職務を遂行するに過ぎない。

 だがそれが侯爵家内紛の解決に直結する。

 陛下がお持ちの高権、その代行となる。


 分かっていたから、侯爵は口にした。「陛下にはよしなにお伝え願いたい」と。

 俺の口添え次第で、あるいは俺の職権行使の行方次第で、侯爵家の未来が変わるから。


 機嫌を取ったのだ、侯爵は。その威厳を損なわぬギリギリの範囲で。

 60代・従二位の閣僚が、20歳・正五位の機嫌を。 


 「いかがいたす? 近衛府の内部人事は卿の専権である。朕も軽々には口を挟めぬ……それが伝統、古礼の精神」 


 

 内容と違い、その口調は軽かった。

 大きな政治決断を繰り返してきた国王陛下にすれば、それは日常茶飯事で。


 だが俺にとって、これは大きな決断で。

 内部人事は中隊長、任免レベルは蔵人頭……などと、そんな逃げを打つことなど許されぬから。

 

 

 「ニルス・デュフォー君をさらし者にはできません。侯爵閣下、尚侍さまのご評判にも響きましょう」


 権臣の孫だから、寵姫の兄だから……無能のくせに、居座ることを許されると噂されては。

    

 「いえ、私の一存です。それでは軍府たる近衛の統制を取れません。近衛府から外します」


 近衛府改革は、そのために行った。

 伝統の中隊長に代わり内部で中将を名乗る、それはただの組織いじりではない。


 だが……ユルをかばった俺が、大したしくじりも無い部下を指弾するのかと。

 独裁下にあるカレワラ家と寄り合い所帯の近衛府と、違いはあるけれど。



 「近衛府を離れるならば、後の処遇は私、蔵人頭の仕事ですね。外朝に回すならば中弁、エルンスト・セシルが判断することとなりましょう」 


 一大決心であろうと日常茶飯事であろうと、決まってしまえば後は事務。

 慣れた手続を口にするリーモン子爵、その言葉はさらさらと流れ行く。



 「どの官職に回すのが良かろうな? ニルスの人となりは?」


 

 俺の決断が、侯爵家の跡継ぎを決めてしまったと。

 その事実に、重さに向き合うのに必死で。

 それでも陛下とリーモン子爵のやり取りの中に存在する逃げ道に気づき、ようやく顔を上げることができた。

 

 ――蔵人頭あるいは中弁が、ニルスを重要な官職に就ければ――

 彼のキャリアは続く。侯爵家の後継者として、家内でイニシアチブを握り返すことも可能となる。

 


 「私はここ数年、王都を離れておりましたゆえ。間近に接していた中隊長殿?」


 蔵人頭の口調は――意地悪するでも、試すでも、助け舟を出すでもなく――どこまでも通常業務に対するもので。

 改めてこちらを見る陛下の視線にも、何の感情も浮かんではいなくて。


 あくまで近衛中隊長に、俺に委ねると。

 それをすべき、そうすることが許される立場だと。

 至極当然として、ふたりが俺に告げていた。

 



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