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第三百三十二話 あしもとの影 その2



 後宮は奥の各地に存在する「長屋」。

 その一室に住まう女官を、フィリアとふたり訪れる。



 「この人形に見覚えは?」


 非礼は重々承知の上、切り口上を叩き付けた。

 まだるい挨拶など無いほうが良い。

 

 証拠はあるのですか?……と、その言葉。

 覚悟の上であること、また受け答えの想定をしてきたことも知れるけれど。


 「強弁はお勧めしません」


 「拷問にでもかけます?」


 甘い。やはり後宮には、奥には向かぬ。


 「蔵人所で閲覧許可を取り、イオ様……三席典侍(ないしのすけ)様ご実家周辺の地図を新旧二枚、広げるだけのこと」

 

 ヒロ・ド・カレワラ氏がためつすがめつ見比べるだけで良い。

 肩口から覗き込めば、当然の事実が見えてくる。

 「敷地拡張とは、すなわち近隣の屋敷を買い取ること」と。

 

 「証拠も拷問も不要。ミカエル・シャガール君あたりが『事件の真相』を組み立てて(・・・・・)くれます。私としては、そのほうがよほど面倒が無い」


 加えた余計なひと言は、孫子言うところの「囲師のけ」。

 返答を、逃げ道を、狭める罠。

 

 女官の目がフィリアに留まった。

 ご理解いただけたようで何より。

 体目当てではない。篭絡されるつもりもない。


 「雅院女蔵人頭フィリアさまにお出ましいただきました。三席掌侍ナディアさまでも、末席典侍レイナさまでもなく。その意味を考えられよ」


 後宮の女官に告げる……表ざたにする気はない。

 


 「……聞いていただけますか?」


 断る。

 いまは悪意に触れたくない。

 聞いて抱え込む余裕が無い。


 「告解ならヴィスコンティ枢機卿猊下を紹介します」


 フィリアが小さなため息をつく。

 「その手」を使う気など初めから無かったくせに。

 自ら話を聞き、同情するふうを装いつつ。恨みと弱みを利用して間諜に仕立てる……その技術を、俺もフィリアも持ち合わせてはいないのだから。


 「この人形は手ずから火にくべられよ。ここで見届けますゆえ。なお、愚かなことはお考えにならぬこと。この上『奥』に穢れを生じ、両陛下にご迷惑をかけられることのありませぬよう。職権を以て……お願いします」



 ……「逃げ道」を感じさせることができたかどうか。


 「全て、ご存知なのですね」


 「事実関係については調査済みです」


 この女官、イオ様ご実家の隣で生まれ育った。

 昨夏のこと、イオ様のお局から声がかかった。部屋付き女官にならぬかと。

 断るも、繰り返し勧誘され。やがてお宿下がりにより立ち消えとなった。


 彼女の実家が買い取られていたことは、その後に伝わった。



 動機にも想定はついていた。

 同じような立場の零細王族、ご近所の幼馴染。

 片や見出されご出世を遂げられ、ご寵愛を受けお子を授かり。


 それだけならば我慢もできる。「人は人、自分は自分」。

 

 だが帰るべき家まで奪おうと言うのか。

 幼馴染・友人のはずが。主従になることを強いるのか。

 「栄え」を、眼前で見せびらかそうというのか。


 

 それは、すれ違い。

 


 若くして子を授かったイオ様は不安で仕方なかった。

 幼馴染が傍にいてくれればと願った。


 屋敷の拡張は後見人・ワーリー氏の主導。

 典侍の地位を思えば必要な措置、そこに悪意は無くて。

 しかし元王族のおおらかさ、近所の人間関係など思いもよらず。




 

 「全て解明できたとして、どう始末をつけるのです?」

 

 長屋に乗り込む前、それがフィリアの問いであった。

 

 「人を殺してはいない。火を付けたわけでもない、けれど……」


 「ここは後宮、呪詛魘魅の類が忌み嫌われることは知っているでしょう? 通らぬ話です。それにおそらく……」

  

 手を挙げて制した。

 憂さ晴らしの犯罪は性質が悪い、それは確かなところ。

 だがフィリアまでそういう話に思いを廻らす必要は無い。




 「犬猫を嬲ったり火遊びしたり……そういう連中と同類です。いつかおおごとになる」

  

 ティムル・ベンサムにはそう言われていた。かつて聞いた覚えもある。


 「場所柄、女官でしょう。ならば『奥』に任せ、『あちらの流儀』に乗せるのがお勧めです」


 一身上の都合により退職。

 王宮を出て後、消息不明。

 

 「妙な仏心を出すことはない――と申し上げては、お若い閣下の反発を買いますか。こう言っておきましょう――よほど気をつけないと繰り返すぜ? あんたその責任を負えるのか?」


 屍霊術師の子供に向き合った時と同じ状況。

 俺は忙しくなる。余計な重荷を抱える余裕は無い。

  


 

 回想に眉をしかめれば、フィリアの声に呼び戻される。


 「ヒロさんの参考になりそうな言葉を私は持っていません。王室と違い、メル家は末流が少ないものですから」


 目を上げれば、そこにあったのは寂しげで……誇らしげな笑顔だった。

 

 「『我は第何代当主○×・メルが八世の裔、殿軍に一臂を添えん』……祖父や父が現役だった頃、しばしば耳にした口上であると」

 

 困難に立ち向かう。

 メルの末裔は、そのプライドに縋る……いや、なけなしの血筋・立場を元手に「賭けに出る」ことができた。


 しかもこの賭けにはどう転んでも負けが無い。

 「惨めな人生」(本人の主観に過ぎないと、俺はそう叫びたいけれど)、せめてその仕舞いは華々しく。人々に強烈な印象を、記憶を、敬慕の念を植え付けて。

 そして本領の奥の院、睡蓮咲き誇る池のほど近くに名を刻んでもらえるなら。


 ……零細王族と、どちらの境遇がより残酷なのだろう。

 


 「だからこそ、近年の本領は許し難かったのです」


 「過渡期なんだよ。平和な時代のメル家をどう作るか、どう過ごせば良いのか。それが分からなくて戸惑っているだけさ」


 「北賊があり、王国との緊張関係も忘れてはならぬのに? メル家はふたつの大国に挟まれています……いえ、いま口にすべき問題ではありませんでしたね」



 そう、いまはその話をする余裕が無い。

 重荷を抱える余裕も無い。


 だが同じ痛みを、後悔を繰り返すつもりも無い。





 

 「改めて王室の戸籍を調査し、末裔の生活状況に配慮を……と?」


 空の色を映す瞳が興味深げに見開かれた。

 王のありようが「当然」ならば。半ばは通った、はず。



 「『総領息子』ならでは為し得ぬ提言です。陛下の威厳を冒すこともなく、王室の皆さまの支持……いえ、『次代への期待』も膨らみましょう」

 

 耳ざわりの良いバラマキにもいろいろある。

 これが例えば右京の救貧政策あるいは産業活性化策など「国政」に対する提言ならば、権威権力への介入・挑戦と受け取られかねない。

 だが「家政」ならば。仮に陛下のご不興を買っても、「親戚のおじさんおばさん」、あるいはそれこそ「奥様方のネットワーク」によるやんわりとした仲介にも期待できる。

 

 「調査費、政策立案費、また実現のために設立する基金への初期投資。全てメル家にお願いできるよう、内々に」





 そう。

 スポンサーは物分かりの良い御仁であった。

 


 「根回しは……いや、不要だな。この件は」

  

 福祉政策。耳ざわり良く賛同しやすい案件ゆえ、各家それぞれ基金に寄付をしてくれる。

 王長子の提言。逆らい難い案件ゆえ……同上。

 明確に対立している者以外は。


 「寄付を渋る貴族、金額の点で遠慮が過ぎる貴族。政敵と言って良いな?」


 莞爾、なる言葉がぴたりと当てはまる笑顔。

 湿度の高い話をしているのに、何だろうこの愛嬌は。


 「気楽に構えることよ。命を取られる訳でも無し」


 物心付くや付かぬのうちから2000kmの軍旅に付き合ってきた男。

 基準が明快に過ぎるのはそのせいかと。


 「命に関わる事態、腹に据えかねる理不尽。迫られれば貴様とて身の滅びと引換えに王都を灰燼に帰すぐらいのことはするだろうに……何だ、自覚が無いのか? 間違い無くやるぞ貴様は。だから我らが――トワも含めた王国貴族みなが――信を置く。その言葉に耳を傾ける気にもなる」


 ソフィアにも……いやフィリアには特に、その気楽さが、余裕が無い。覚悟は決まっているくせにどうしたわけやらと。

 つややかな髯をしごきながら天を見上げていた。


 愛嬌。

 メル公爵にあってフィリアには無い、その違いに思いを馳せていると。

 公爵閣下におかれては穏やかならぬ思いを抱かれたものか。

 話が元へと戻って行く。


 「我らは互いに競い、甘え、利益を分かち負担を押し付け合う間柄。もっと面厚かましくなれ。ツケを他人に回してしまえ。政局・権力……もう火遊びを覚えても良い頃合いだぞ?」


 ロシウ先輩にアレックス様、そして今またメル公爵閣下。

 言葉は違えどみな同じことを勧めてくる、その不思議……いや、不思議でも何でもないか。

 

 「なんだその顔は? 火遊びが炎上したら? 鎮火するか焼け死ぬか、いずれにせよ回したツケが帰って来る、それだけよ」


 火遊び、ね。


 「アエミリア様が、『イオ様のお邸にもご一緒できない』と嘆いておいででした」

 

 振り下ろしてくるかと思っていたこつ、飛んで来たのは想定外で。

 危うく身をかわせば、意表を突けたことに満足を覚えられたご様子。

 子供のような満面の笑み。


 このノリ、この愛嬌。

 ソフィア様やフィリアには無いんだよな、確かに。

 




 「だがヒロ、我が一族とは、王室の範囲とは。どこまでを指すものであろう?」


 メル公爵とのやりとりを伝えれば。

 アスラーン殿下はますます乗り気になっておいでで。


 「それを決めるのが新制度ということになりましょうゆえ……『よきに計らえ』と、殿下から口にしていただきさえすれば」


 「あとはトワ系がやってくれる、か」


 引きずり回す、ツケを回す……とは、おそらくそういうことだが。


 「なるほど卿の立場であれば、職務とは個別の事件を捌くことではない。上長の意図を形にし、細部を下僚に委ねること。……が、具体の一件が存在していることもまた事実」

 

 お前はどう対処するのかと、淡い水色の目が心配そうにこちらを窺っていた。

 後宮司における型どおりの対応により、己の心を傷つけるのか。

 抱えきれぬ重荷を背負い、守らねばならぬ者と共に溺れるのか。

 

 ご憂慮には及びません。

 引きずり回し、ツケを回します。

 いままで散々やられてきたぶん、これぐらいは。

 




 「我ら立花の末裔はねえ……適当に飲んだくれて陋巷に果てる者も多いし。どうにもならなければ領地に流れ着いてくる」


 こう言っては悪いが、その。

 怠け者ばかりが住み着くと、生産力……以上に、風儀と言いますか。社会の底力的なところに悪い影響がありそうですけど。


 「勤勉、剛健、生産性、立身出世、コスパ、金儲け。それが社会の全てであるなら、これほど貧しくみすぼらしい話もあるまいに。他の選択肢、道徳、人生観。だらしなく、あまりに甘く見えても必要なのさ。それを社会に、王国に示し続けるのが我ら立花の存在意義である!」

 

 毎度詭弁のようでいて、確かにそうだとも思わせる。

 オサムさんの演説は性質が悪い。


 「だいたい、およそ人たるもの、ごろごろしているようでも何かせずにはいられぬもの。心配は無用だよ。……しかし何かねヒロ君、その起伏に乏しい表情は。私を相手に腹芸をしたところで何も出ないよ」


 存じておりますとも。

 それでも……安心と感動を顔に出すのは照れ臭いのです。


 「人をひとり、預かっていただきたく。競争や虚栄心、出世などと言ったものとは無縁の世界にあってこそ本領を発揮できる人です」





 そして俺にも、払わねばならぬツケがある。 


 「雅院より茶菓をいただきましたゆえ。ご一緒にいかがかと、まかりこしました」


 90過ぎの老人が、ぷうっと頬を膨らます。

 喜びを顔に表すのが照れ臭いのだろうけれど。 

 

 こちらは正直に感謝申し上げます、ハサン殿下。

 「巻き込まれる側はどうなる」。

 そのひと言のおかげで事件は解決、アスラーン殿下のお役に立つこともできました。



 「巻き込まれた分だけ、周囲を巻き込む台風の目になれば良い」。

 とりあえずそれはひとつの回答になる、と、思う。



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