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第三百三十話 チェン家の人々 その3



 「ご心配は無用です。私の出身をお考えいただければ」


 整った顔で自信に満ちた言葉を放つ、その男の父親――リスト商会の先代会長――は、「傭兵の里」の行商人から身を起こしている。

 二代目のエドゥアルトは宝石商であると同時に、現代風に言うならばPMCの経営者でもある。

 会合を持ったこの日商人なまりが出ていなかったのも、つまりそういうこと。


 「ケクラン準男爵閣下の御身も無事です」


 襲撃があったと告げている。あらかじめボディガードをつけておいたとも。

 そこに意識の向かわなかった俺を、軍人貴族をさしおいて。


 少々、不愉快だ。


 ハサン殿下のお宅から左京郊外の自宅へ向かうところだったとのこと。

 王室居住区での襲撃を避けたあたり、襲撃者は良識(・・)をお持ちらしい。


 単なる粗暴犯ではない、そこが不愉快だ。


 

 背後関係として、いちおうチェン家を思い浮かべてみる。

 戦場に出てきたイセンの部隊を見る限り、よく鍛えられてはいた。

 が、あれは正規採用の郎党たち、いわゆる「正兵」。破壊工作向きではない。


 イセンを見ていても「それだけの男」……と言っては、からきに過ぎるか。

 メル公爵―ソフィア様型の、正統派用兵思想の持ち主ということにしておこう。


 だが、ロシウ。

 中務宮家令嬢・三席掌侍(ないしのじょう)ナディアをいなした手口。

 滝口を創設するという発想、そして採用メンバー。

 

 エミール・バルベルクあたりに比べても、もう一段……そう、「いやらしい」。

 王国貴族、トワ系に対する認識を少し改める必要があるかもしれない。

 


 ……視界の中を動くものがあった。

 エドゥアルト・リストが頭を下げている。

 どうやら俺は難しい顔を見せていたらしい。


  

 「襲撃にご不興を抱かれる、そのお心に感謝を申し上げます。……が、これは我々の問題」


 監視カメラも110番通報も無い社会。

 王都の経済界は実力行使をも前提として動いている。

 野蛮な田舎とされている極東・新都の平和な経済界を懐かしみつつ、帯同していたティムル・ベンサムに視線を送れば。



 「商人『ごとき』と蔑むつもりはない。が、己で身を守れる者にリソースを割く気にはなれぬ。お前たちも検非違使に借りを作りたくは無いだろう?」


 後々、「協力カネ」を求められるから。

 

 「だが身を守れぬ良民については、また別だ。右京の工場、お前たちはどう思う?」


 これがティムル・ベンサムの良いところ。

 金持ちから依頼があれば当然のこととして礼金を受けるが、だからと言って礼金を出せぬ者を見捨てはしない。



 「商人われらの理屈に従うならば、間違いなく襲撃があります。……いえ、私どもでは無く。彼らの『競合他社』によるものですよ? ただし――我らが襲撃された件についても言えることですが――さらにその裏が、背景があるかまでは存じません」

 


 「なるほど。……どうします、ヒロさん? 右京の工場を守っても、マッチポンプを疑われるだけかも知れませんが」


 言葉を切ったティムル、すぐに笑顔を見せていた。

 ゴーサインを俺の目に見出して。



 だからどうした、王都の民を守るのが検非違使庁の仕事だ。

 襲撃を疑われるよりはマッチポンプを疑われるほうがマシだ。犯人を捕らえれば真相は判明する。


 ……俺は、どちらの心を我が目に映していたのだろう。

 





 真新しい木の香に交じって、目に沁みる煙の臭い。

 右京の工場に駆けつけた時には、すでに火の手が上がっていた。



 エドゥアルト・リストにブノワ・ケクラン、ティムル・ベンサム。

 彼らと会合を持っていなかったならば、間に合っただろう。

 だがそのことを悔いる気持ちは無かった。

 

 俺は俺の仲間を、いや「配下」を守らなくてはいけない。

 右京の工場を守るべきは、気を配り心を傷めるべきは、イセンだ。



 ……などと、物思いをするいとまも与えられればこそ。


 検非違使連中、またたくまに暴徒を鎮圧していた。

 そのままの勢いで、襲われていた者たちをも縄にかけていく。

 

 「事情を聞かせろと言っている。……連れ去って運河に沈めるつもりだろうって? 無礼な……よし分かった。そこの庭先で事情を聞く。お前たちの目の前だ。ただし口を挟むことは許さん」



 そして連れて来られた、いや仲間たちから押し出されるようにして出て来た男が、興奮冷めやらぬといった調子で一部始終を述べ立てた。 



 「声が大きいな」


 体も大きかった。

 栄養状態の悪い右京では稀有と言って良い。

 年若いながらリーダー格に推されるのも当然か。


 棒切れを手に、賊に立ち向かっていたらしい。

 仲間の期待にみごと応えた、か。



 「工場なんざうるさくて仕方無いっすからねえ。そういう、えー、閣下? も。さっきからの怒鳴り声、ハンパ無いっすね」



 言葉づかいはなっちゃいない、か。

 ……良かった。

 

 「戦場なんざ騒がしくて仕方無いからな」


 返した俺の言葉に、目を丸くしていた。

 戦場を知らない、そこで手柄を立てようなんて考えたこともない少年。

 ……ますます、良かった。


 「同じなんだよ。人間、どこにいてもやってることなんか」

 

 偉いやつが大声を張り上げ、できるやつが仕事を回す。

 そうでないやつは頑張るしかない。頑張ってりゃ良いことがある。

 


 「そう言ってくれるのはうれしいっすけどね? やっぱ違いますよ。賊が襲ってくるって、閣下はあらかじめ気づいてた。だから間に合った」

 


 「俺じゃない。仲間の貴族さ。立花典侍(ないしのすけ)さまってお方だ」


 相手が貴族なら、その名を出して賞賛するのがフェアな振舞いだ。

 相手が平民なら、名を出す必要などない。


 だがレイナが生き、立っているその場所は一視同仁の立花家だから。

 いや、少し違うか。

 ……目の前の少年が、その名を聞くに相応しい相手のように思えたから。



 「それだけじゃない。ウチの連中は襲われても逃げることしか考えてなかった。工場を守ろうって気が無いんだよ。まだ疑ってんだ。でも逃げちゃだめなんだ。浮かび上がるためには、信じられなくてもしがみつくしかないんだ。……そうだろう、みんな?」


 ……あ、ダメだ。

 やっぱり俺は、この少年に……


 「閣下……イセン様とケンカしてるんだって? 俺達が目障りだって」


 名を許しているんだな、イセン。

 


 「お前らが目障りなわけ無いだろう? イセンには焦るなって言ってるだけさ」


 分かっただろう? お前たち自身でも。



 「だよなあ……いえ、そうっすね。もっとしっかりした工場にしないと」


 仲間に背中を見せ続けたお前なら、お前の言葉なら。

 必ずイセンに届く。


 そうだよな、ジャック。ジャック・ゴードンよ。



 

 さようなる被害者への「事情聴取」とは一線を画するのが、犯人の「取調べ」。

 ……そのはずが。なぜか同じ地平にある事象のように思えてならなかった。

 

 

 「お見逃しを! 勝手に商売をしている輩がいるから懲らしめて来いと、えーとその、えらいさんから! 家に老いた母がいるのです」



 「嘘でしょうな」


 ティムルに言われるまでもない。

 右京の環境では、老人になるまで生きることが難い。

 


 「魔が差したんです! 身重の女に金を持って帰ってやりたくて!」



 「こちらは本当かも知れませんね」

 

 真実ならば、母子も命の危機に瀕する。

 ……が、だから許すという理屈は立たぬ。

 

 隣に立つティムルは、ずっと前を向いていた。

 脇目を使うこともなく、こちらを見ていた。


 「検非違使レベルで判断すべき問題であろう?」


 「ご立派です」


 「この状況を変えようとしているイセン・チェン君に贈るべき言葉だな」


 ガチガチに固まった行政組織。

 予算も人員も限られる中、誰しもできる仕事は限られていて。

 背伸びとは、地に足をつけて初めてできることだから。

 


 現に駆けつけてきたイセンの、重心の浮き上がりぶりよ。

 

 「君が指図したのではないんだろうね?」


 その言葉の上滑りぶりよ。

 


 「俺を嫌ってるワーリーさん、な? 『カレワラ男爵はマッチポンプをするような男ではない』と。滝口のマルコ・グリム、な? メル家の軍師だ。知っているだろう? 彼の口癖は『策はすべからく単純明瞭たるべし』だ」


 赤くなって俯いていた。


 「頼むよ、イセン。しっかりしてくれ」


 右京おひざもとを見たいと言うなら、足元を。


 お前の……何だ、真善美は、ワーリーに劣るものではないのだから。

 その知性は……マルコとはまた別種の驚異なのだから。 






 装束を着替えても、香を焚いても。

 髪に移った匂いそればかりは消しようが無い。


 汗と、煤と……人いきれが醸す酸っぱさと。

 およそ後宮には相応しからぬ雑味を纏って伺候すれば。

   


 「ヒロよ。何を見て来た」


 イセンだけじゃない、か。

 説教されるべきは。


 「検非違使庁の監督役・衛門担当小隊長として、右京の騒動を鎮圧してまいりました」


 誠意なき回答に、秀麗な頬が皮肉に歪んだ。

 続く言葉を求めていた。


 「イセン君はあれで良いのでしょう」


 今のままである「ならば」、出世はどこかで頭打ちになる。

 だがあいつは、それを甘受するだろう。


 ……そう言い返すのが、精一杯。

 「ぼくの考える正義」、「ぼくの考える国益」。

 そこに囚われている点は、俺も変わらない。

 



 「君の志望」


 切り口上に寒気を覚え顔を上げれば。

 吸い込むかのごとき眼光と対峙することになる。


 「イセンと似たところがあるかと思っていた。が、違う。『下』に対する情において通ずるところはある。が、志のありどころはそこに無い」



 「問わぬのか、何によって知ったかを」と。

 深い海の色を映した瞳が語っていた。


 問うまでも無い。

 この事態を作出するほど、ロシウは卑しくない。

 策を弄することによりチェン家の「奇兵」を、その一端を。俺とティムル・ベンサムにつかませるほど愚かでもない。


 状況を予測し、放置していただけ……それをどこかから見ていただけだ。

 ロシウはケンカを買う体で、こちらを測っていた。

 


 「その全貌、いや浅いところすら私には見えていない。が、安心した。何を思っているにせよ、君が我らの『規範やくそく』を踏み外すことはないだろう」



 それを学び取る……いや「嗅ぎ取る」ために、身につけるために。

 時に一歩引き、時に一歩を踏み出して。

 どうやらロシウの眼鏡にも適ったかと、安堵を覚えれば。



 「だがな?」


 再びの切り口上。

 なにゆえか、寒さを覚えることはなかった。


 「君の志望が何であれ、そのざまでは『成らぬ』。無力を嘆く暇があったら力を借りろ……いや、言い方が悪かった。それでは君の耳には誤って聞こえてしまう」


 むしろなにゆえか、燠火おきびのごときものを身の内に覚えていた。


 「利用しろ。使いこなせ。引きずり回してみせろ。……同輩を、上長を」



 ロシウ、あなたは。

 ひとに殴りかかっておいて、火をつけておいて。 


 「逃げるのですか?」


 それは許されないだろうと思った。

 この時期に都の外に……政局の外に出るのは、明らかに「逃げ」だ。



 「近衛中隊長であったならば、喜んで身を投じたかもしれぬな」


 再び皮肉に歪む頬。

 分かっていることを言わせるな……か。


 身は若く、その地位は閣僚に比べ軽くとも。

 政策・政局の結節点に当たる頭弁とうのべんの地位は、時期によってはあまりにも危険で。

 そしてチェン家は――祖父を早くに亡くし、父が自重を強いられているいまのチェン家は――リスクを負うことのできる時期に当たってはいないから。

 


 「ロシウさんは……閣僚の皆さまの予想よりも、『その時期』は早まると?」


 頷いていた。


 「高みの見物をさせてもらう……今まで誰にも明かさずに来た、名人ロシウの予想だ。情報料は高くつくぞ?」



 何を要求してくるつもりやら。


 「その情報料をてこに、ロシウさんを引きずり回せばよろしいのでしょう?」


 これに類するリークを、煽動を、発破を、追従を……誰に、何人に仕掛けているかは知らぬけれど。

 ならばあなたは見ていれば良いさ、ロシウ・チェン。




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