第三百三十話 チェン家の人々 その1
「焼け野原になった右京では再開発が行われているだろう? その一部で産業振興を試みたんだ」
近衛府一同の顔を見回すイセン。
「右京に投資して、国家に益するところがあるのかと。彼らに職業教育を施したところで、担税力を有するようになるのかと。みなそう言っていたな?」
その顔は、得意げであった。いや、輝いていた。
「この軍手を、革ベルトを見てくれ。右京の住民、その多くは流れ者だが、逆に元を正せば農業、商業、工業……中途半端でもノウハウを持っている者は多いんだよ。産業を興すことができれば、働き手の受け皿があれば」
ああ、そうだな。
この世界に来てから、幾度も経験してきた。
箸にも棒にもひっかからないように見えても、チャンスがあれば。
受け入れてくれる人さえいれば。
……俺も含め、みんなそうして浮かび上がった。
立派だよ。
生まれついての貴族・名門チェン家の男が、良くぞ。それに気づいてくれた。
だがなイセン、入れ込みすぎだ。
政策じゃない。いまのお前に、俺は賛同できないんだよ。
……これは、日本にいた頃の話だ。
「子供心に、初めて印象に残ったニュースは何だった?」と。
大学のゼミで、そんな質問をされたことがある。
バブル世代に聞いてみると、プラザ合意の円高を挙げる人が多かったそうな。
小学校への登校直前、お茶の間で流れている毎朝のニュースはそれだったと。
氷河期世代の多くは、天安門事件やベルリンの壁崩壊を挙げたという。
「よくわかんないけど、なんかすごいことが起こってると思った」って。
ゆとり世代が地下鉄サリン事件、俺たちさとりはニューヨークの航空機テロ。
ずっと上の世代は、あさま山荘事件。
もちろん他にもあったけれど。
誰しも、「なんだかわかんなかったけど、印象に残ったニュース」というものがあって。
これが中学生ぐらいになると、いろいろ意味が分かり始める。
俺が目にして忘れられなかったのは……あるコンピュータメモリ会社のインサイダー取引事件だった。
いや、インサイダー取引事件を通じて知った、ある会社と官僚の関係であった。
逮捕された経産省の官僚は、台湾や韓国の企業に押されている日本の現状をどうにかすべく、いち企業を必死で「育成」しようとしていたのだとか。
それがなんだって、インサイダー取引へと繋がったのか。
もちろん犯罪だ。擁護するつもりは無い。
ひと言で切り捨てるなら、「公私混同」なんだろう。
でもいま俺は、事件から見えた別の問題、その実感が分かるような気がした。
彼の主観では、ひょっとして。最初から最後まで、「国のため」だったんじゃないかって。
「公」を蔑ろにして「私」の利に走ったつもりは無かったんじゃないかって。
(インサイダーの件については、私利私欲であったろうけれど)
ただただ、「ぼくが考えるさいきょうの国益」に凝り固まって。
ヘタに有能で勤勉だから、「ぼくが考える国益」に自信があるし、周囲もツッコミようが無くて。
結果、財務が甘くなり経営が傾いてゆくその企業に最後までこだわって。
これがもし、「ほどほどに企業と癒着して甘い汁を吸おう」とか、「産業を育成すれば手柄になる、出世できるぞ」とか。そういう俗物根性が強かったなら、見えたはずなのだ。
「あ、この会社ヤバイわ。そろそろ縁の切り時だ」とか、「あー、いまの経済状況で韓国台湾の企業とケンカすんの無理筋みたいだわ。よし、『この会社わしは育てとらん』。でも恨まれるのも面倒だから損切り・方向転換の面倒だけは見てやるか」とか。
それができれば、傷も小さくて済んだんじゃないか?
私利私欲じゃなくて、「国益に」与える傷の話だ。
「私」を滅して「公」に奉ずる、そのつもりでいるほうがむしろ危ない。
それが、知識から導かれた……俺の直観だ。
「公」を見定める視点が偏っていると、あるいは関わるうちに偏ってしまうと。
行動の結末は結局、「私」へと収斂していく――「関わった者はただひとり国益と主張するが、傍から見れば不合理な我意に成り果てているもの」を通そうとする――だけのことになってしまう。
クールジャパンもそうじゃないか?
「我々の推すこれこそが『公益の視点から』、『推進すべき』価値観・コンテンツだ」って。
その視点がクールじゃないから――って、それじゃあただ茶化しているだけか――むしろ、判断を下すというその行為自体が、すでに「公共性」すなわち「みんなの共感」を欠いているから。
だから可能性・発展性の無い方向へと「育成」してしまう。
これがまだしも「ガチでおいしい天下り先作っちゃる!」って意識だったなら。おかしな価値判断を排除して、「売れるもの」を意地汚く押し出していたならば。
……って、それは現代日本の行政では不可能だけど。
でも、どう説明したらいいんだよ。
「例の、コンピュータメモリ会社の件」って言葉を使わずに。
だいたいこれは、俺の直観に過ぎなくて。論拠もデータもありはしないのに。
ああもう!
「イセン。……見劣りはしないが、そのレベルの製品は各商会の取引先、あるいはお抱えの工場ならどこでも作れる。あえて推す根拠が無い」
勝ち目の薄かった、いや、あったのかもしれないけれど、不幸な景気後退で傾いたコンピュータメモリ会社を、不自然にごり押しするのと変わらないじゃないか。
王国に今ある商会、現存している工場は、すでに安定した製造・取引を繰り返していて。信用だって得ているのに。
右京の、申し訳ないが中途半端な技術で作られた製品に、それを納入させることに、何の国益があるんだよ。
「根拠ならある。膨大な人口を抱える右京の復興、経済振興のモデルケースにできる。経済が回れば治安も安定するだろう?」
「納入先が近衛府である必要は無い。まずは商会や貴族に取引を持ちかけるなり、資本提携や後ろ盾を頼むなり、そっちが先のはずだ」
背伸びやごり押しをしても、仕方ないだろう?
下駄を履かせて無理をしても、いつか転ぶぞ?
転んだ時立ち上がるためには余力が、バッファが必要だけど。右京にはそれが無い。破綻すればそのまま治安崩壊につながりかねない。
焦って良いことなど、何も無いだろうに。
好奇心の女神から、相当な転生ボーナスをもらった俺だって……一生を武術に捧げたエルキュールとどうにか対峙するまでに7年を要した。
カレワラ家の後継者という「バカじゃねえの」としか言いようのないセレブな地位をもらっても、それを馴染ませ周囲と……お前の兄さんあたりとまともに小突き合いできるようになるまで、5年を要した。
それだって普通に考えれば、「ほんのわずかに」5年、7年だぞ?
右京の民はどうだ? 特別な能力も、社会的信用も、何も持っていない。
チェン家の庇護があったとしても。5年やそこら足腰鍛えないでどうするよ。
彼らにいま必要なのは、一度の失敗があっても破綻しない体力づくりだ。
実績によって内に自信を持ち、外に信用を得ることだ。
「王国政府以上の大口取引先がどこにあると言うんだい? まずは食い込ませて、少しでも基盤を安定させ信用を得なくては始まらない」
「結果、王都郊外の工場その他の現有勢力に不自然な過当競争を強いることになるな? 上向いてきた景気の中折れリスクになるぞ」
右京にこだわるな、囚われるなイセン。
お前は王国中央政府の官僚だ。
今ある国を、社会を。平らかな目で眺めてくれ。
……視界の片隅で、アルバートがイーサンの袖を引いていた。
親友の「忠言」に、イーサンが笑顔で応えていた。
「関わるな」・「ああ、そうだったね」。
そうだろうとも。彼らは矢面に立つ必要など無い。
ヒロとイセン、「いま頑張らなきゃいけない奴ら」に、やらせておけば良い。
「それを言うなら腰折れだ、ヒロ君……北郊の産業地域は、君が面倒を見ているんだったか?」
放言・失言・いいまつがいはご愛嬌。優れた政治家に必須の資質だ見逃せバカ!
(そこじゃないでしょ、恥ずかしいわねえ)
ああそうだよ。これと言った利益は吸い上げていないが、俺は彼らの重石に、顔役になっている。北郊が不況に陥ると俺の仕事が増える。それは事実だがな?
「右京への投資資金は、チェン家が出したのか?」
投資の回収は当然の余禄だよなあ?
認めたくないだろうが……「そういうところ」をお前も意識してくれよイセン。
私利私欲で良いから経済的合理性を意識さえしてくれれば、「冷えた判断」ができるから。
お前の事務処理能力は認めてる。頭が冷えてりゃ判断を間違うはずが無い。
その上での施策なら、喜んで賛成してやるから!
「ロシウさんは何と言っている! あの人の見立ては!」
言ってはならないところだと、これまでずっと自重してきたけれど。
「兄は関係ないだろう!」
イセンが初めて声を荒らげた。
冷静になってもらいたかったはずなのに、俺はなぜ……。
でも、踏み込んでしまったからには。
「一族郎党は――日ごろは叩き合い争っていても――外敵に対しては最も親しく、力強い味方になる。それが王国貴族の常識だろう? 身近な兄上を説得できず、外部の人間を説得できると? 有力な政治家のバックアップ無しで、成算が立つと?」
論理的だなどとはお世辞にも言えない反論だったけれど。
ついにイセンが、視線を落とした。




