第三百二十九話 人事案 その2
「何だヒロ、それぐらいのこと……次期中隊長の人事権は尊重せねばならぬが、君の地位と近衛府に対する貢献を思えばたやすかろうに。で、どの『役』に就けるのだ?」
現任中隊長、ジョン・キュビの言葉は拍子抜けするほどで。
いやこれ、明らかに笑いを堪えている。
「雅院の帯刀先生はどうかと」
アスラーン殿下の宮殿、「雅院」の警備隊長である。
雅院は「王宮内・後宮外」に位置しているので、組織論的には兵衛小隊長の組下にあたる。
衛門小隊長の組下にある検非違使大尉ティムル・ベンサムとはおおよそ同格だが、外回りでないぶんだけ「品のある」職務とされていて。
それだけの重職ならば、ウマイヤ公爵家にもご満足いただけるであろうと。
「ウマイヤ公爵家から雅院の警備隊長を出す。それをヒロ君が推薦する……か」
分かっていますともイーサン君。いかにも派閥取り込みっぽいってことぐらい。
だから難癖つけられるだろうと、根回しが大変だと思っていたわけで。
ところがこちらも拍子抜け。
端正な鼻から息を吐き、苦笑を見せていた。
「僕に妹がいたらと、そんな気分になるよ」
おい、それって……。
なんだキモチワルイ。ここは叩くとこだろうが!
視界の片隅に、揺れ動く影。編み込みのドレッドヘア。
まばらに覆われた艶やかな褐色の横顔から皮肉な声が発せられた。
「妹がふたりいたら、だろう?」
イーサンが苛立ちを顔にのぼせる。
クリスチアンは滅多なことではツッコミを入れぬのだが……口を開けばその切れ味は鋭くて。
だがよくよく思い返してみれば、イーサン以外にツッコミを入れているところを見たことが無い。
付き人も含め、ノーフォーク家ではデクスター家の若君ひとりを仮想敵とみなしているに違いあるまい。
「適齢期の妹がいないってのも、時には強みだよな。慌てずに済む。その点クリスチアンとこは妹をどうするつもりなんだ?」
代わりにアルバート・セシルが切り返してやっていた。
デクスターやノーフォークともなれば、娘の嫁ぎ先の第一候補に挙がるのが国王陛下、あるいはその後継者で。
だから「妹がふたりいたら」という言葉が嫌味にもなる。「ひとりならヒロに嫁がせるわけにいかないだろう?」と。
ただそれを口にしてしまえば、「そういうお前んちは誰に嫁がせる……誰を陛下に推すんだよ」と。
何を言うにも難しい、このままでは会話の袋小路だが。
利かん気の強い少年が、正論もて正面突破。
「その辺にしておけって。本題に戻るぞ? 俺は異存無し。家格といい力……経済力、兵力といい、ファン・デールゼン家なら雅院を警護するに十分だ。ウマイヤ公爵家のバックアップもあるんだろう?」
派閥やら後継者レースやら。そういう問題を無視できるなら、異論は出にくいはずなのだ。
「エミールに同じ。メル家代表としてはウマイヤ家と聞くと思うところ無きにしも非ずだが」
低く響く声は、今月王都に到着したアルノルト・ヴァルメル小隊長22歳。
ヴァルメル男爵の嫡男だ。やや遅咲きの近衛府デビューだが、数合わせを利用した箔付け……つまりは「海外留学」ぐらいのノリである。
「賛成する代わりというわけではないが、ヒロ。屋敷を探しているんだ。メル家上屋敷の世話になるのもいいかげん気疲れだから」
父に比べてやや口が軽いのは、いまだソフィア様の圧力をまともに食らう地位に無いからかとも思われる。
「城壁の内側で王宮に近いところには空きが無いぞ? 北郊がお勧めだな」
俺の影響下に置けるし……というのは冗談として。
ソシュール道場に近いこともポイントだ。人材登用も兼ねての遊学だろうから。
「屋敷を買うって? 簡単に言うなあ。良いじゃないか主家のお世話になっておけば」
「これだからケツアゴは! ヴァルメルっていやあ領邦貴族の男爵家。それも湖城イースと集積基地オネスの代官だぜ? 金には苦労の無いご身分なんだよ!」
ケツアゴは関係ない。
関係ないが、「どうでも良い属性」で叩いておけば、間抜けを咎めてもカドが立たない。
コンラート・クロイツ氏、照れ隠しに指摘されたチャームポイントをぽりぽりと掻いていた。
「そう僻みなさるなエドワード君……飲み友達が増えるのは結構なことだ」
数年で極東に帰るアルノルト氏にたかる気満々のシメイ君。
あんまり「面白い遊び」を教えすぎるなよ?
ソフィア様にいろいろ言われるのは俺なんだからな?
でもまあ、ともかく。総意はとれたか。
「通してもらえるんだな? あとはイセンあたりの同意があれば。蔵人所か?」
「通るに決まってんだろ。謙遜も過ぎればイヤミだぜ、カレワラ権中将どの?」
エドワードめ、この春から内部で運用され始めた呼称で何か言い出した。
「お前が言うかよエドワード・B・O・キュビ権中将どの? 兄上が中将どので弟がその副官。武門の誉れでありますなあ」
睨みあう視線の先にある、赤い眉毛。
片方だけぴくりと吊り上がったかと思えば、すぐに定位置へと場を移す。
その下にある目の色、いわゆる青眼。
開かれた口から流れ出たセリフは、皮肉の色など一切帯びてはいなかった。
「マックスさんの後が、キュビ家と縁の深い征南大将軍殿下の弟君。次にトワ系のオラースを挟んで、またバヤジット。その後の二期がジョンと来た。ここのところキュビが続きすぎている」
得たりと続くはアルバート。
「だ、そうだぞ? 我らトワ系の代表・デクスター権中将どの?」
「トワ系は先例主義さ。征北将軍閣下を先行させた前頭弁閣下の先例に倣いたいところだね」
新体制が安定するまでは御輿に乗る気になれない、ですかそうですか。
鼻に皺を寄せようかと思ったその時、視線がこちらに集中した。
――ヒロ。君しかいないんだよ、次は――
「秋以降の内部人事なら、ご自由にどうぞと言うわけさ。ファン・デールゼン家の若君に限らず、事前の合意を取り付けておきたいというなら、みな喜んで。それぞれの主張を放り込ませてもらうけどな?」
半ばはそんな気もしていたけれど。
「人事ってのは、ギリギリまで秘密にするものだろうが。バレたらどれほど妥当な案でもぽしゃらずにはいられない、違うか?」
俺の目が無くなるだろうが。
それならそれで良いけどな? 今後は少し「危ない」時期に入っていくし……。
「カレワラ権中将はこう申しているが、では私ジョン・B・O・キュビは誰を次の中隊長あるいは中将に推薦すれば良いのかな?」
「キュビ系への風当たりを考慮し、私エドワードは謹んで辞退いたします」
「不肖イーサン・デクスター、いまだその器にあらず。父・祖父からも固辞せよとの意向です」
「だいたいこれは近衛府の雑談だぜ? 発令された人事案を明らかにするものではないよヒロさん」
そして再び、年に見合わぬ落ち着きと渋みを帯びたジョン・キュビのひと声。
「君はいま一つ、情熱に欠ける。早めに言い渡して準備期間を設けるべきだと、蔵人所と……閣僚の某閣下から言われていてね」
風流への情熱はなはだしき伯爵閣下ですね、わかります。
まあ良い。受けるさ。
予想よりは少し早かったが……いまの俺なら、やれる。
でも、この間は。
少々その、照れ臭い。
「お、イセン。ちょうど良かった。近衛府の人事だが……」
お前ら何をニヤニヤ見てやがる!
あとで逐一突つき返してやるから覚えとけよ?
「ああ、異存無い。こちらからも提案があるんだが、みんな少し良いか? 近衛府への物資納入業者の件だが。新規参入を一件、認めてもらいたいんだ。主に小物・軽工業品で、品質はもちろんチェック済みだ。他にもいろいろな意義が……」
志は買う。だが悪いなイセン。
「俺は賛成できない」
気分を害したそぶりも見せない。
お前もタヌキに……腹が据わってきたな、イセン・チェンよ。
「僕は理由を述べたよヒロ君。何がどういけないか、君も説明すべきだ」
正論だよな。俺もそうしたい。
だけど……現代日本で得た知識……から導かれた、直観なんだよ。
説明しづらいけど、賛成できないんだ。




