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第三百二十八話 身勝手 その1



 「ここのところ怠っていた。……ひとり山に登り、冷えきった食事を口にする」


 軍人貴族の嗜みである。

 戦場で体調を崩さぬよう、寒暑に泥濘に、冷や飯マズ飯に親しむのは。

 


 「しかしいくら磐森領内でも、さすがにおひとりという訳には」


 そこでピーターとユルをお供に引き連れ、遮る枝を落としつつ杣道を行く。

 登山には少し早い季節だが、自然を相手の全身運動。

 汗が噴き出してくれば、日頃慎み深いピーターも地金を現さずにはいられない。

 

 「仲間はずれにされたアカイウスさんが何とおっしゃるか」



 「気にするな。アカイウスとは宮中で散々顔を突き合わせている。むしろたまには別行動を取らないと」


 ……気が詰まる。

 むき出しの感情をぶつけ合ってしまう。



 視界が開けた。山腹の見張り台に出たのだ。

 吹き付ける涼風に憂いも散じ心は晴れ上がり……体は冷える。


 グリフォンの背に積んできた着替えを取り出し、男三人裸になって汗を拭う。

 行軍演習と言っても千騎長の男爵がやること、どこか厳しさに欠けるのは仕方無いところだが。

 それは後日考えれば良い。今日の目的はまた別にある。


 そう、焦ることはないのだ。

 まずは一息入れて眼下を臨めば、広がるは……だんだらぼちぼち、まだら模様。

 時まさに農繁期、麦畑は青く田では畔塗りが始まっていて。


 「王国に比べればほんのちっぽけな磐森だが。こうして上から眺めると広いな」

 

 統一の取れない景色が――食糧自給の危機管理、作物の多様性を保つためと分かっていても――何もかも中途半端な現状を、改めてこちらに突きつけているかのようで。

 

 実際、農業に手をつけるならば土作りから始める必要がある。

 それだけでも数年、そこから結果を出すのにまた数年。

 ひと世代の単位でものを考えねば始まらない、それが農林水産業。

 そもそも手をつけるべきか今のままが良いのか、何をどう変えるのか。

 全て不分明、手探り状態では。ゆったり構える他に為すすべも無くて。

 

 行政とは継続的作用、当為から発想せよ……イーサンに中務宮あたりの顔が脳裏に浮かぶ。

 

 だからというわけでもないけれど。

 まず手を付けたのは、即効性が期待できる街道整備。

 そのうち述べる予定だが、カイ・オーウェンを中心に進めているそのプロジェクトには、地元に顔の利くユルが大きく貢献している。


 「私が……いや、俺が宮中で贅沢をしている間、ユルは磐森をくまなく巡ってくれていた。ピーターも留守の館をよく守ってくれた」


 愚直に顔を見せる、目を合わせ声をかける。

 村の百姓衆に、館の侍女衆郎党衆に。

 ふたりがしてきたことと言えば、ただそれだけの積み重ね。

 だがその積み重ねが、人から不安を拭い去る。

 

 「ここのところ、上ばかりを見ていた。その必要があった。だがそのせいで……いや、少しでも想像力を働かせていれば気づけるはずだった」


 ……なあ、ピーター。


 「極東に彼女がいたんだろう?」


 顔つきにまで現れている俊敏さ、血の巡りの良さ。

 街場出身の家名無しとは思えぬほど乗馬にも巧みで。

 万事がその調子であった。会った時から、とにかく器用な少年だった。

 人付き合いの器用さ……他者への気配りも欠かさぬ男で。

 そして実家は独立した商家と来れば、これは優良物件。モテないわけがない。

 


 気楽な外出とて景色に遊んでいた視線は、いまや伏せられていた。

 従僕のプライバシーなど、主人に聞かせるような話ではないから。

 主人もまた――いじるならともかく――踏み込むような話ではない。

 


 「具体的な話には至っておりませんでした。極東メル家に奉公に出る時点で全て済ませました。何の問題も生じておりません」


 「そのような話、ありませんでした」……そう告げて「主が下へ降りて来る」ことを拒否しても良い、はず。

 ピーターが見せたのは嘘をつくまいとする誠意か、それとも。

 ひと言告げずにはおれぬ、ある種の意地でもあろうか。

 

 「今後は、ご無用に願います」



 独身のまま一生を過ごす従僕も多い。

 「今後は無用」……前の彼女には触れるな、いや結婚の話などしてくれるなと。


 「聞けぬな。良い話があった場合には、必ず。……良い話が生じた(・・・)場合には、今度こそ気を回して(いじりたおして)やるから覚悟しとけよ?」



 それが領主だ。人君だ。家臣に勝手を押し付ける。

 その権限を振るうために、俺は山を訪れた。


 

 「ユル、お前も。……すまない、気づけなかった」


 つぶらな瞳が視界から消え、代わりに太い首だけを見せてきた。

 折るかのごとき勢いで俯いていた。


 「3人、主従と言うにはちっぽけだった。カレワラ後嗣とは名ばかりで、街場をうろついてる兄貴と弟分、そんな連中と変わりゃしなかったのに。……気づいてなくちゃいけなかったのに」


 「いいから、俺なんかに構ってる暇なんか無いだろう? 何なら落籍さ(ひか)せるか? よし、武芸者に喧嘩売って金稼ぐぞ」

 ……そんなご身分だったなら。ユルは、俺は苦しまずに済んだろうか。


 いや、いまの俺は陛下への献上品に大金を注ぎ込める身で。

 ユルのためならばいくらだって惜しくないというのに。


 しかしその強さ豊かさを手にした俺が口にできるのは、まるで正反対の言葉。


 「だがユル、いまの俺はカレワラ家の当主だ。アカイウスほか幹部衆には話をつけてある。……不問に付す。俺が『飲んだ』」


 飲むと決めた。意思を押し通した。


 「だからユル、お前も分かってくれ」


 身勝手な話だ。

 頼まれもせず弁護して、勝手に恩を売りつけておいて。

  


 「女を取るなら……カレワラ家を退転しなくてはいけませんよね。僕は金庫のお金に手をつけてしまった」


 だから! 横領の件は、俺が握り潰した。

 誰にも、何も言わせるものか。


 だけど……ユル、お前が惚れた女は……ダメだ。

 職業で人を差別をするつもりはない。転身できる……どころか、むしろ優れた経営者になることも多いぐらいだけど……。


 「応援してやりたい。だがお前を手放したくは無い。友達なら、ただの兄貴分なら『好きにしろ』って言うのがほんとうだけど……ダメだユル、行くな。留まれ。女は諦めろ」

 


 ちりりと。

 ほんの一瞬、殺気が生じた。


 ああ、そうだ。勝手だよな。

 自分はあちこちで好きにしてるってのに。

 付き合いの長い、友人か弟分かって男には「別れろ」って。


 「一撃、食らわなくちゃいけないはずなんだよ俺は。でもそれは……それもできないんだ」


 友達でも兄貴分でもない、主君だから。

 郎党の一生を、いや代々を抱え、責任を持つ存在だから。


 だからユルが発したその殺気を威圧して、霧散させる。

 そのくせ、友情に訴えている。



 持ち上げられていた、がっちりと太い首。

 ふたたびうなだれて。


 「店を開きたいって。そう言ってました」


 変わらないんだな、どこの世も。

 陽気に振舞ってみたり、いじらしさを演じてみたり。

 学費のために、親が病気だ、起業したいから、合わせ技で「親が倒産したから、私が立て直す」……そういう「キャラ」で売って行く。

 客も客でそれに乗ってみたり、本気で騙されたり。

 

 向こうも商売ビジネス、責められやしない。騙し騙されてなんぼの世界。

 それは俺も分かっちゃいるけど。ユルみたいな気の良い武術バカを……


 「嘘だってことは知っていました。本当だとしても、そりゃ無理だって」


 分かっていた!? そのくせのめりこんだ!? 

 

 「斧だって、刀だって、商売だって何だって、片手間じゃモノになりません。働きながら経営を学んで貯金するって言うなら、本当に真剣にならないといけないのに。彼女の仕事には金のためって割り切りが、プロ意識がありませんでした」 


 胸の奥から不意に沸いて出た、ライネン先生の言葉。

 「ユル、お前だってそれだけ斧を振ってれば人を見る目ぐらい……」


 何かに打ち込んだ経験を踏み台に、物差しにして。

 慣れない仕事に転進しても、黙々と取り組んで。

 靴をすり減らし汗を流し、たくさんの人を見て……。

 

 やはり手放せない。

 ――俺にはユルが、お前が必要だ。


 

 だがその機先を制されてしまう。

 気合負けしてしまう。身勝手の、負い目のぶんだけ。

 


 「ダメだって分かってて。ここだけの関係だからって思ってたのに。なのにはまり込んじゃって」

 


 そして足繁く通ううち、ユルはカレワラ家の金庫かねぐらに手をつけた。 



 ……郎党衆には給料の前借りを許している。

 「そういうもの」と言われ、カレワラ家でも採用した。

 幹部衆には、事後承認での裁量支出もちだしも認めている。経営上当然の措置だ。 


 だが昨年から、金の収支が合わなくなった。

 裁量による支出、その事後申告も受けていない。

 給料日が過ぎ郎党衆から前借りの返還がされても、なお数字が合わない。


 カレワラ家の会計から見れば、微々たるものであった。

 ユルの仕業と判明しても、その立場の重さ、仕事の大きさを思えば……「交際費」・「諸経費」と。ひと言そう告げてくれれば、誰も疑わない額で。

 その悪知恵を持っていないのか、悪知恵を働かす心を持っていないのか。

 黙ってくすねるほうが、嘘をつくよりだいぶマシ――理由があっての行いで、きちんと返しておくならば、まあまあ認めてやらんことも無い――王国には、確かにそういうところもあるけれど。



 「ヒロさまからもらった盾か、ライネン家を象徴する斧か、どっちを質に入れようかとまで……僕は」



 俺には気づけなかった、その焦燥。

 ピーターが気づいた。金を貸してやっていた。

 ……あるじに黙って、全てを飲み込んで。


 「申し訳のしようもございません」


 「構わない……むしろ、よく気づいてくれた」


 ユルのこころをピーターは理解していた。

 俺がふたりのこころに気づいたのは、ようやくその事実を知ってからで。



 「申し上げなかったのは、背信に類する行いです。どうか……」


 俺のせいで、アリエルの孫が現れたせいで別れることになった。

 たとえ僅かでも、その思いが胸に兆してしまえば。

 ……自分を許せなくなってしまう、それが従僕を名乗る人々だから。

 


 「構わないと言っている、ピーター。二度と詫びを口にするな」


 俺は詫びるわけにいかないのだから。


 理由にもならぬ、勝手な都合だ。

 だが主君である俺は、それを押しつけねばならない。


 三人、いつも一緒に行動していても。

 兄弟分のようでありたいと思っていても。

 

 おとなは、社会は、この国は。

 そういうわけにはいかなくて。



 「言ってくれれば良かったのに」と叫びかけて。

 いつもよりなおきらきらと輝くユルの瞳に言葉を失う。


 ユルも分かっていたのだ。

 自分が惚れた女には、家名持ちの女房は勤まらない。一緒になるならカレワラを捨てることになる。


 言えるわけがない。

 「別れろ」以外の言葉を俺が口にできないのと同じじゃないか。


 

 どうしてこうなった?


 微々たる額、そもそも調べなければ良かったのか?

 ユルだって分かっていた。実るはずがないって。

 何かの拍子に冷める、そういう恋だったんだ。

 調べず黙って待っていれば、何事も無く元のユルに、カレワラ家に……。


 

 (だめよヒロ、ためにならない。バレないとね、少しずつ少しずつ額を増やしていっちゃうの。恋の終わりなんて関係ない、横領ってそういうもの。マジメな子や気の良い子でもズルズル行っちゃうのよ)

 

 (俺だってユルの首を斬りたかないぜ。拳骨ひとつで済むうちが花だよな)


 (そうじゃない、朝倉。ユルの心を腐らせるって話だ。罪悪感と、妙な昂揚感と……そのせいでおかしな男になっちまう。ユルが後悔することになる……いや、後悔すらできずに開き直るクズになっちまうんだ)


 (まあまあ、みんなほら。この程度で済んで良かったよ。君臣ってのは親子みたいなもんだってアリエルもネヴィルもいつも言ってるじゃん? あたしだって親の財布からちょっとお小遣い前借りして画材買ったことあったし……ちょっと何その目!? もちろん反省したからね? 親には思い切りはたかれたし!)


 

 アリエル、ネヴィル……。


 (そうよヒロ。あなたの判断は正しかった)

 (何よりも家のため。そこを崩したら身の置き場が無くなるんだよ、一家の主は!)



 身勝手を押し通している俺も、すでに「主君」になっていた。

 だから毫も迷わず、調査の指示を出していた。


 そしてヒュームが探り出した。ヴェネットと共に。

 カレワラの家も、すでに申し分無く機能していた。 

 




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