第三百二十六話 中務宮家 その2
「人形の件、解決したものと見て良いのか?」
後宮司は中務省の外局である。
ロシウともども、中務大輔と中務宮さまから報告を求められるのは当然のなりゆきで。
「いえ、犯人はいまだ不明です。が、別の災厄を未然に防ぐことには成功いたしました」
三席掌侍ナディアの功績である。
15かそこらで後宮の警備を手堅くまとめていることでもあるし。抜けているのかいないのか、正直よく分からない子だと思う……などと上から目線で思うあたり、俺も確実にオッサン化している。
そしていま俺は、そのナディアの父君からご下問を受けている。
これまでも面識ぐらいはあったけれど。
面と向かって業務報告をするのは初めてのことで。
中務宮マフディ殿下、当年32歳。
内覧を許された(独占的な裁可権を有する)いわゆる「宰相」が存在しない今上の御世において、それでも60代・70代の重鎮を差し置いて筆頭閣僚と扱われている王室の実力者だ。
聞くところによれば、「配慮の人」だとか。
その言葉だけでは、いまひとつ印象がはっきりせぬところはあるけれど。
あまりナディアには似ていない、穏やかな表情。
メル公爵や法曹家のような「いかつい」感じが無い。
こうした「特徴を捉えづらい」タイプは、大概手強いものと決まっているのである。塚原先生に……それこそ可能性の神もまた然り。
「権大夫の身にありながら、現場に出て悪霊退治とは。やや軽率に過ぎはしないかな?」
地位に相応しき行動を……と言われましても、その地位こそが問題で。
大夫・大輔が部長級ならば、権大夫は審議官級ということにでもなるだろうか。
だが言うて不人気外局の権大夫は、そのレベルにはないはずで。
課長級からは一歩前進したのだろうが、まさにいわゆる「中二階」。
何かと身の振りどころが難しい立場ではある。
みなさま言いたい事をおっしゃるのも、そのゆえか。
按察使大納言は「まだ現場に出て経験を積むべきだ」
立花閣下は「もっと『遊び』を持て」
ロシウは「どつきあいを通じて、仲間内でも『政局』を意識せよ」
で、中務宮さま。「現場を少し離れてみては?」
どうせいと?
……やり過ごすべく頭を下げるも、それで許されるはずもなく。
「権大夫よ。この国……王国は、いかにあるべきと思うか」
またこれ、ざっくりしたご下問を。
「その……庶民が乱を思わずとも済む程度には暮らしが立ち行き、家名持ちが明日に希望を抱くことができ、貴族が上長を必要以上に憚らず……継承に血と涙が流れぬ、そのような国であればと」
まじめに、そうあれかしと願ってはいるけれど。
まるで具体性が無いうえに、総花であることもまた確かで。
「聞き方が悪かったか」
ご理解いただけたかと、そう思ったのが甘かった。続く言葉の厳しいこと。
――だが諸君が日ごろ大きな議論をしていないこともよく分かった――
「おかしな話だと思わないか? 王国の子供達は将軍に宰相に、天下の武芸者に博士になるぞと息巻いている。少年もまた然り。根拠無き年少の客気、されど愛すべき志だ。しかるに諸君はどうか。十代も半ばから、『各州に常備軍を』、『王室に補助金を』、『地方行政について、政策統括機関の設置を』……官途に就けば『駒牽の、国営牧場の運営方針の見直しを』、『警察組織統廃合の再考を』、『近衛府の改革を』……」
呼び出してのご下問であるゆえに。
当然のこと我ら同期の「来し方」は、改めて精査されていて。
「具体的に過ぎる。職務に対する誠実さの証であるとは分かっている。しかし若者ならば高論放談、あって然るべきではないか」
でもそれいわゆる、「最近の若い者は……」ですよね。
ただ何が困るって、「時代が違う」って陰で言い返せないところ。
貴族制社会では身分の断絶が大きいだけに、世代の断絶というものが比較的に小さいから。
「諸君はやがて将軍に、卿に尚書に大学士になる。この国のかたちをどう思っているのか? 王長子殿下……いや、あえて名で呼ぼう。アスラーン殿下と君は、この国をどうしたいのだ?」
まさにそういうところなんだよなあ。
「私のような閣僚も、諸君のような公達も、『陛下のお側に、国政の枢要にある貴族ではないか』」と。そこを突かれますと。
「それどころではなかったこと、理解しているつもりだ。君の年ならば祖父が陛下のお側に仕え、父が省庁の幹部として辣腕を振るい、その傘の下にあるべきところ。3世代の仕事――領地を経営し、兵を鍛えて戦場に出で。役所仕事に励みながら縄張りを作り、後宮では華のある振舞いを――ひとりで背負えば余裕も無かろう」
ご配慮までいただいてしまうと、逃げ場がないのであります。
しかし中務宮さま、思っていたタイプとは違っていた。
言葉数少なく、相手の解釈に任せるような人物かと思いきや。
これはどうやら政論家タイプ……なのか? 決めてかかるにはまだ早いけれど。
「では経歴に即し、君の経験豊かな分野において問おう。北賊をどう見る?」
「その国力、王国とメル家を足したものに匹敵します。あるいは上回るかもしれません」
そうしたご質問ならば、喜んで。
積極的にコミュニケーションを取るタイプなのかな。
そして得た情報をもとにあちこちへ「配慮」することで、政治的影響力を増してゆく……とか?
「今後の方針は?」
「ご存知かと拝察いたしますが、極東は積極攻勢に出る意図を持っておりません。侵攻されれば防ぐ、それが基本方針です。そして防げるというその一点において、メル家では確信を抱いております」
北の長城、ウッドメル大城にグウィン河、ティーヌと湖城イース。
三重の防衛線で敗北を続けても、サクティメルの大平原でひと戦。
最後に巨城レイ・グアンがある。引き付けて伸び切った腰を叩く。
「では我ら王国中央政府は、南嶺のみを相手にすれば良いわけだな? 勝てるか?」
「局地ごとの戦では勝てます。が、滅ぼせません。侵攻・国境線の前進にすら困難を伴います」
「軍人の実利主義だな。現有勢力のみを見ている。まず慧眼と言うに相応しかろう。……だが問いはここからだ。『では南嶺とは、絶対に滅ぼせぬものであるか?』」
絶対にと言われると、自信が無い。いや考えたことが無い。
いま現在「滅ぼせます、征討しましょう」などと阿呆なことを言い出す者が出ぬよう、牽制することばかりを考えていた。
「軍人は現実の、眼前の状況しか見ない。それが良いところでもあるが……しかし20年・30年を経てもなお、征討は――進撃・占領は――不可能かな? さらに言おう。政治家ならば、征討『すべきか否か』から考えよ。是とするならば、その方針を達成すべく政策を組み上げるものだ。……いや、それぐらいのことは分かっているか」
存在と、当為。
軍人は前者に立ち、政治家は後者に立つ。
それぞれ履き違えてはならない。教条主義の軍人と理想無き政治家?大惨事だ。
「20年の後、君は40歳。熟練の将軍だ。50になるアレクサンドル・メルを、あるいはリチャード・キュビを総司令に、君にエドワード、ウマイヤ将軍にマックスにウォルターに、おおそうだ、ここにあるバヤジット……他の若手も成長していることだろう。それぞれが万、十万の軍を率いて各地から南進する。そのための財力を、好況のいまから20年かけて貯蓄する。何ならもう10年かけても良かろう。……そして領土を広げ、国威を耀かす。王国はそうある『べき』とは思わぬのかな?」
先に立つのは、当為。理想。「べき」。
個別の政策とは、そうした目標に沿うべく下に積みあげられるべき過程であると。「べき」を達成するために、さらに何をすべきかであると。
公共政策とは目的と手段の連鎖からなるピラミッド構造……教養学部でかじった記憶がある。ハーバート・サイモンだったか。
継承権者が、その視点からものを考えているならば……そうか。
「兵部卿宮さまの、それが抱負ですか。……ああ、だから南嶺、萩花の君も。20年の後にそれを『させまい』と……双葉島を、後背地を確保しにかかった」
立場を異にしていても、兵部卿宮の俺を見る目に憎しみの色が浮かんでいたことはついぞ無かった。
厳しくはあったけれど……思えばあれは、優れた軍人・武人がいないか、探し見極めようとする目つきで。
実務レベルでは少々お粗末な動きをしていても、政治家としては大きな夢を見ている人物。
それこそが、国の形を目標を示すことが、「王の仕事」だと?
「そして中務宮さまは、それを『すべきでない』とおっしゃるのですね? 20年の後、軍人のプラグマティズムの目にかない南嶺征討が可能になったとしてもなお、『なすべきでない』と」
戦という博打に出るのではなく、国力の重みにより圧倒しようと?
南嶺征討はさらに百年の後に任せるべきだと?
「あ、いえ。それでは……」
そういうことではない。それではいまだ「当為」に至っていない。
中務・兵部卿、両宮の抱負への考察として足りていない。
南嶺を滅ぼすべきか南嶺と妥協すべきか……その選択よりも、さらに高次に踏み込まなければならぬはずだ。
なぜ滅ぼす/妥協すべきなのか。問われているのは……。
「そうだ。それではまだ低次にとどまっている……分かってきたようだな? 君はどう考えるか、アスラーン殿下はどうお考えか。南嶺との関係は大論点だが、それも一例に過ぎぬ。各種の問題について、『どうあるべきか』から。数十年数百年の規模で、国家の単位でものを考えてほしい。その癖をつけていきたまえ」
後継レースが始まらぬではないか。征南大将軍殿下も帰京されるというのに。
と、そんな締めのつぶやきまでが冷や冷やものであった。




