第三百二十四話 吉祥? 凶兆? その3
「見慣れぬ獣と出会った? 吉凶の判断をお求めですか? ……ああ、後宮司に配属された件でお悩みでも」
(占いの依頼か? 一度の足踏みで気が弱るかよ、日ごろ偉そうにしてるやつが。左遷とも言えないだろうに)
「既にご出世をお済ませになられた陰陽頭殿の大度には敬服いたします」
(そりゃ、これ以上出世できない奴には分からないだろうがな)
にらみ合っていても仕方無い。こうした時こそ、愛らしいマスコット。
式神と呼べば良いのか、紙人形がお茶を運んできた。
バカにできぬ重さの茶碗、中の液体をこぼさぬ精密なコントロール。
コーワ・クスムス、中年にさしかかってなお霊能の腕を上げていた。
「表芸の依頼ですよ、陰陽頭どの。見慣れぬ獣が山から下りて来た……そうした年の天候は?」
陰陽師の本業は天文・暦法である。天気予報も含む。
「だから私邸ではなく王宮、陰陽寮をお訪ねになった?」
「ええ。クスムス殿はもちろん、この方面にことのほか造詣深きテラポラ殿のご意見も伺いたく」
テラポラ家当主は、霊能を持っていない。
そして霊能を持たぬ陰陽師は学問、数学・物理・天文に詳しいと決まっている。
幼き頃より一党総出で叩き込み、長じてはそれに己の一生を賭けるのだから。
その陰陽助・テラポラ氏の傍らには、年端も行かぬ少年が座していて。
こちらが見せた好意に応ずべく、にこやかに紹介してくれた。
「これなるは権助、マサキ・ダツクツです。クスムスを中心にテラポラとダツクツ、三家が中心となって陰陽寮を回しております」
「ではダツクツ殿にもご意見を伺いましょう。天候の資料はありますか?」
少年らしく、マサキが軽やかに立ち上がる。「持って参ります」と口にして。
その姿を追うかのように首を廻らすことで、コーワ・クスムスの視線を避けた。
「お若い」
「マサキの父は長患いの後昨年亡くなりました。今は我らが指導しております」
代替わりは昨年、ね。
やはり俺が王都に来た後のこと。
「『つなぎ』を立てなかったのですね? 彼の叔父上、先代のご兄弟。子福者の皆さまなら、優れた霊能者が必ずいらしたでしょうに」
霊能持ちは、全人口のおよそ一割。
10人の子を作れば、ひとりは霊能者が生まれる……その期待値に賭けるのが、王国の陰陽師。
マサキ・ダツクツ少年も浄霊師であろう。霊気の集まり具合を見るに。
「当家の、我ら一党の継承に口出しなさる?」
子福者と言えば聞こえは良いが。
実のところ、「手当たり次第」と揶揄されているのが陰陽寮の人々。
……だがナーバスにさせてでも、確認すべきことがこちらにはある。
「民間の陰陽師のお話を伺いたい。陰陽寮に来たもう一つの理由です」
「陰陽師は国家資格。野良を陰陽師とは言いませぬ。我ら知るところ無し」
イケメン度50/100点のコーワ・クスムスが見せていたのは、相変わらずとらえどころの無い顔つきで。
何かといわくが付いて回る陰陽師の元締め、腹芸はお手の物なのだろうと思わされるけれど。
だがその言葉は嘘だ。
天真会、聖神教が「把握していないこともないが、手を出しにくい」霊能者は、確かに存在している。
陰陽寮すなわち世俗権力の庇護下、あるいは管理下にある連中だ。
「私、ヒロ・ド・カレワラの命を名指しで狙ったと言っても?」
不意を突かれて、その薄い顔が歪む。
やはり、知っている。
「かばい立てするか? 陰陽寮一丸となってカレワラ当主を亡き者にすると?」
16の年、王都に来てすぐの秋だった。
ユースフ・ヘクマチアルに命を狙われた。「死霊術師のヒロ」と名指しで。
その冬のこと、ユースフは「俺を目の敵にする者がいる」と。
霊能者を邪魔に思う者は……宗教界で無ければ、「同業者」であろう。
そう思って王都の「業界勢力図」をじっと眺めていたのだが。
天真会か聖神教でなければ、陰陽師。
在野の霊能者は、まず他に見当たらないのだ。
いつの間にやら、テーブルの上には紙人形の一個大隊。
両手を広げこちらに行進の構えを見せている。
愛らしくもいじらしく、そして気味が悪い。
ぺしゃぺしゃと、その湿った音。鼻や口を塞ぐつもりか?
「ここは王宮内、死者を出せば穢れだぞ? 話を聞きに来たと言っている」
「我らを敵に回して……!」
「陰陽寮の実力は知っている。下手をすればヘクマチアル以上に厄介だ。上流の『ご内緒』に糸を張り巡らせているのだから」
先日の鍼治療、そこで見た風景を思えば。
日ごろはうるさいおとなたちが身を委ねきり、リラックスした顔を見せていた。
……誰しも「柔らかいところ」を持っている。
健康に不安を抱える、高齢の顕官。
跡継ぎに恵まれぬ嫡男とその妻。
「お渡り」無きを憂える、後宮の女官たち。
彼ら陰陽師に、占いやまじないを頼んでいる者が幾人あることか。
「それでも、だ。そちらが口にしたように、いまの私は後宮権大夫。妙な陰謀でもあれば、摘発するのが仕事だ」
惚れ薬だの子宝の薬だのと称して、後宮に毒物でも持ち込まれたら?
まじない……厭魅の類は、法で裁きようが無いだけに私的な対立の原因となる。陰に回った手段ゆえ、反発も陰惨。暗殺にまで至る怨毒を撒き散らす。
「誰が彼を呪っている」と噂を流して漁夫の利を得ようとする者まで出た日には。
「ゆえにこそ陰陽寮では野良の陰陽師を取り締っている。我らもまた王国に忠を誓う官吏、妙な薬など処方せぬ。貴顕の秘密を外部に漏らすこともありえぬ。ただでさえ妖術使いか何かのように疎まれがちなのだ、野心のために霊能を用いることは無い。その信用を築き上げてきた」
――死霊術師なら分かるでしょうに。
そのひと言は、まさに吐き捨てるかのように発せられ。
「それでもなお疑われるか? 『王の影』カレワラの帰還、我ら素直に受け入れたではないか。そちらが開けた業務の穴、その一部を埋める長年の尻拭いに文句も言わず。今さら我らに難癖をつけ、縄張りを荒らそうなどと……」
80年、皆が苦しんでいた。
カレワラに苦しめられた人々も含め。
「言うつもりは無い。……が、不服を抱いた者が一族内にいなかったか? 『王の影』の名を、陰陽寮の看板にせんと欲する者」
意味を知りもせず。
王の影、それは諜報でも暗部でもない。
「縄張りを守るためではなく出世のため……いや、陰陽師の格と地位を上げるために霊能を用いようとしていた者のことだ」
霊能を利用するくせに、陰陽師を蔑みもする上流貴族に怒りを抱いた者。
ユースフに、同じ匂いを嗅ぎ取った者。
「2年前の上巳禊、虫騒動。テラポラとクスムスはカレワラを、この私を見定めたのだろう? 排除の必要は無い、住み分けられると」
その結論が出たゆえに、陰陽寮の主流派から危険視された者。
「ダツクツの先代。長患いならば、一族の内に補佐がいたはずだ。しかし死後、一族で話し合って放逐した。違うか?……おそらくは相当の霊能持ちであったにもかかわらず」
そのことを、一年黙っていた。
三年前、暗殺未遂の暴挙に出たことも見て見ぬふりをしていた、おそらく。
カレワラの負い目、陰陽寮の陰の実力……もろもろ配慮のうえ、不問に付そうと。こちらは破格の提案をしているつもりなのだが。
湿度を感じさせぬ足音が近づいてきた。
今日のところは、これまでに。
「お手数をかけたね、権助どの。……来月中には東国の資料も届けよう。キュビ家にも呼びかけたから、おそらくは西国も。異変があればの話だが」
「ありがとうございます。東国は王国に属してから日が浅いので、データが揃いきっていないのです」
「渡せる情報は全て渡す。……そちらも、そのつもりでお願いしたい」




