第三百二十二話 よい話 その1
20歳(中身28歳)になった俺。
この年最初に取り組んだ、いや去年から取り組みつつあった話が、波紋を呼んでいた。
「お頭、どういうつもりなんだ。俺は聞く権利がある!」
「不満か、ちうへい」
「良い話だ。いや、最高の話だ。奥も喜んでる。感謝しなくちゃいけないんだろう。だが意図が分からない」
14歳になったアンジェリカの元に、男が通い始めていた。
按察使騒動をきっかけとして。
現代日本の感覚では早すぎるけれど。こちらの世界ではまさに婚姻適齢期。
問題は、通っている男であった。
「第一夫人という扱いは受けられない。バヤジットさんはいずれ、もう少し家格の高い家から正妻を迎える」
髯面の中に光る、アリエルによく似た眼差し。
呆れの色を浮かべていた。
「ごまかすなよ、お頭。分かってる。それ込みで最高の話だって言ってんだ!」
誰に見捨てられたとて、アンジェリカひとり養えないエイヴォン家ではない。
カレワラ不在の間、川筋を押さえていた。船手を維持する経済力を持っている。
「カレワラ養女のアンジェリカに子が……特に男子が生まれたらどうすんだ?」
後から俺が妻を迎え、子が生まれたとしても。
その実子にカレワラを継がせることは難しくなるだろう。
俺が迎える妻が王室出身者だったりすれば、さらに話がややこしくなる。
……全て承知の上だ。
「そうなれば最高だと思ってる」
髯面が近づいてきた。
「おいお頭、腹割って話そう」
それで震え上がるかよ。俺はお前の手下じゃない。
「当主に腹割らせようってなら、まず自分から腹を割れ。カレワラ不在の80年、エイヴォンは成り代わりを考えていた。そうだろう?」
調べはついているのだ。その間ずっと、復帰運動を続けていたと。
「だが俺が、アリエルの孫が出てきてご破算になった。……責めるつもりはない。成り代わりと言えばひと聞き悪いが、支族として復権を目指すのは、当然どころか称賛さるべき話だ。だいたいちうへい、お前血統なら俺より良いだろ?」
80年前の追放当時、アリエルの弟がすでに養子に入っていた。
先々代陛下の御世ではあったが、婚約は破談にされずに済んで。
その子は大不況のさなかにあった零細王族に大金を積み、妻を迎え。
そして生まれたのがちうへいで。
ちうへいも零細王族から妻を迎え、生まれたのがあんへいとアンジェリカ。
代を重ねてたゆむことなく、復帰運動を進めていた。
……血統の重要性を踏まえた上で。
「身内」のネットワークがあちこちと繋がっているから「信用」がある。
家庭教育の質も保証されているだろう、危なげが無いと受け止めてもらえる。
だからこそ、血筋定かならぬ俺は色眼鏡で見られる。
縁談にしても、「将来性を見定めてから」と思われがちで。
「力ある当主が宮廷で地位を築いてこそ、家の格は決まる。お頭、あんた瞬く間に縄張りを作り直した。カレワラの力に見合った、小さいけれどガッチリ維持できる外局だ。上の覚えもめでたく近衛中隊長は確実、おかしなことがなけりゃ局長級まで一直線。家中はみんなお頭を認めてる」
内に、外に。カレワラ家は力を見せつける必要がある。
王国に、宮廷に足がかりを作るべく奮闘しているのはそのためだ。
「だからこそ、いまのカレワラに欠けている最後のピースを埋めるんだよちうへい。アスラーン殿下が即位されれば、アンジェリカの子は王弟の子、次代のカレワラは最高の血統だろ? 完全復権だ」
「アンジェリカを政略結婚の駒にするのかよ!……って、当然だよな、そんなこと」
それこそエイヴォン家がこの80年重ねてきた努力のはず。
――ぽっと出の俺に覆されて、納得できるはずがない――
三代苦闘を重ねた男と、アリエルの悲痛を背負う俺と。
腹を割ると口にはしても、互いに言い出せるものではなくて。
だから。
口には出さず、俺ひとりで計画を立て。結果だけを押し付けた。
腹が割れないなら、俺のごまかしに乗れよちうへい。
「その通りだ。選択肢なんてものはいつだって限られてる。式部卿宮や兵部卿宮のほうが良かったか?」
そのクラスを相手にするなら、第二夫人の座も難しいところであったが……。
「ふざけんな! バヤジット様の足元にも及ばねえよ! 陛下がさっさと臣籍に落とすわけだ。ほっといたらアスラーン殿下と人気を二分しちまう。……ああそうだ、何度でも言ってやる。最高の婿なんだよ! 娘の男親としては感謝してんだ!」
式部卿宮や兵部卿宮とて、相当の男ではある。
カレワラとの関係、「家の都合」により嫌悪が先立っているだけのこと。
だが昨年の春、鶺鴒湖。船にバヤジットを乗せたちうへいは、その人柄を高く評価していた。
素直で快活。バヤジットは魅力的な少年なのだ。
エドワードに言わせれば「並んでいると俺はチンピラ、イセンは小役人、イーサンは石像でヒロは庶民に見えちまう」ほど。
「でもウチはアスラーン殿下閥だろ?」
「血統ってのはそういう話とは無関係だろう? だいたい、バヤジットさんは後継レースから降りている。あくまで、ほぼ最高位の『臣下』なんだ。関係者全員から好ましい目を注がれてもいる」
最初に降りたがゆえにこそ。
ちうへいの言うとおり、まさに陛下の慧眼だ。
「きっかけを作ったのは俺、それは事実だ。だが恋に落ちたのはバヤジットさん、受け入れたのはアンジェリカ。それぞれ興味を示さないなら話を進めるつもりはなかった」
「アンジェリカが嫌うようなら無理はさせなかった、か。わかってるさ、それがお頭だ。妙なところで甘ぇ」
まあね、甘いってのは自覚してるさ。
招いておいて一室にふたりを監禁、周囲をカレワラ精鋭で固めるというやり方だってある。
「でもやっぱり、ヒロ・ド・カレワラ……いや、ヒロって男が俺にはわからねえ。自分の子に家を継がせたくはないのかよ。自分のことも駒扱いしてるように見えるんだよ」
駒。いざとなれば切り捨てることのできる存在。
さすが一家を背負ってきた男だ。よく分かってる。
「当主ってのはそういうもんだろ? カレワラの当主なら、どうあるべきか。どう振舞うのが相応しいかって。そう考えるもんだろうが! それが家を背負う、預かる当主だろうが!」
「預かりものってのはよ、お頭。生まれながらにご当主様で、家の全ては俺のものって考えてる『王様』に自省を促すための言葉だ。あんたが使って良い言葉じゃねえ! 『預かりものを次の管理者に引き渡しました』って逃げ道になる!」
思ったより鋭いなあ、こいつも。
いや、違うか。
ちうへいの関心は、危惧は、ただひとつであると。それだけのこと。
「当主は常に次代を考える責任がある。再興……いや、新規立ち上げされたばかりのカレワラ家、俺の代は一人の才覚で切り回してみせるさ。だが次はどうする?どうやって統制取るんだよ? 血統ってのはそれだけで家を支配できる最強の正統性だ!」
「ごまかしやがったな? 『アンジェリカの子に家を押し付けて、また逃げるつもりじゃねえだろうな』って言ってんだよ!」
ようやく腹を割ったか。
めんどうだよな、貴族ってのは。いや、おとなってのは。
「逃げないさ。ああ、逃げない。絶対に逃げない。だからこそ、そのために、固められるところは固めておかなきゃいけないんだよちうへい!」
「てめえ何考えてる」
腹を割るさ、俺も。
「何があっても、何ならお前が危惧するように俺が逃げても。最悪死んでも。アンジェリカに男子が生まれてりゃ絶対に立て直せる。そのためのバヤジットさんだ! 80年前の悲劇だけは繰り返さない。絶対に次に繋ぐって言ってんだ!」
「それを口にされたら、何も言えねえな。実際、最善の手段なんだろうよ」
アリエルの悲劇、カレワラとエイヴォンの絶望。
それ以上に重いものは、俺とちうへいの間には無い。
「当主だからって……いや、何でもねえ」




