第三百二十話 おもてうら その1
廊下の角を曲がったところで、後ろに気配が立った。
並んで話しかけてくる。
「なあヒロ。お前の次、誰だと思う?」
「同期なら、イセンだろうな。その次がエドワードか?」
翰林学士の件だ。
こういう話は臭いところでするに限る。
「お前の期は『当たり』だな、ヒロ。少納言コース送りの奴が出ない。エミールやクリスチアンあたり、本人はともかく周囲がやきもきしてんだろうなあ。早いとこ翰林学士から蔵人のコースに乗せたいだろうに、同期の『お兄さん』たちがつっかえてる」
「エミールは15、クリスチアンはまだ13。ロシウさんですら蔵人になったのは18歳なんだ、焦る必要ないさ」
話しかけてきた男が鼻から息を漏らす。皮肉かよと。
ちょうどその18歳なのだから仕方無い。
「その後に回される俺の気にもなってみろって」
生臭い話には積極的な……いや、本人の性向とは言い切れないか。
イーサンの代理人として、ヨゴレを演ずるアルバート・セシルであった。
「早けりゃいいってものじゃないだろ? 実際顔出してみてそう思ったよ、俺は。蔵人連中のレベルについて行くのは骨だ」
本来、R25のポジションだと思う。
吏務を「叩き上げ」に丸投げするにせよ、10代半ばでは。
とても蔵人の相手など務まらない(公達は、そこを家の力で対抗するが)。
「デクスター伯爵閣下……イーサンのお父君のお言葉が理解できたところさ」
若い頃、何もできぬまま出世してしまったと。
響きが帯びていた苦さ、いまも耳にこびりついている。
「20歳前後・官僚生活も4~5年経ってから翰林学士になるのがお勧めだと? 庶民育ちでも仕事の意味が分かるってわけだな?」
はいそこアリエル、暴れない。
しかしアルバート、なんだってそこまで安い挑発を?
ひょいと首を捻れば、向こうもこちらに視線を投げていて。
「そして分かったところで、蔵人所を追い出される。再び官署をたらい回し」
さすがトワ系・セシル家の御曹司アルバート。
蔵人所について代々語り継いできたに違いない。
覗いてしまえば、その魅力に取り付かれる。離れ難い思いを抱く。
いつか自分も、できるだけ早く蔵人にと、仕事に熱が入ってしまう。
「近衛中隊長は蔵人を兼任するのが慣例だろう?」
もし就任できたら……なんて、余計なひと言。
時期は別論、当然そこに座るものとして振舞うのが公達だ。
「その時まで待てるのか? 有力な家が蔵人を『飼っている』中、メル家や立花家経由の二次情報で満足できるのか? カレワラ家ご当主どの?」
「何が言いたい?」
「我らセシル家の縄張りは?」
謎かけか?
いいさ、乗ってやる。
「港湾関連……産業インフラ周りだから民部省。軍港も多いから兵部省、そのあたりだろう?」
「式部省の外局・散位寮を縄張りにしてるお前だ。知ってるだろ? 縄張りってのは独占じゃない」
「実務を担当する『じょう』・『さかん』クラスに、息のかかった人材を送り込める。業務に当主の意思を反映させることができる。……が、その程度でもある。国家の業務であることを意識し、公正に務めるべし。それが『お約束』」
「そして『お約束』を破れば『友達』がいなくなる。誰でも知っていることさ。だから港湾警備、軍事目的の運用……これまでも軍人連中に譲るところは譲り、協力してきた」
ああはい、これは朗報か。
「極東で見てきたよ。メル家、征北大将軍府とうまくやっていたな」
譲り合いか叩き合いか、そこは難しいところだけれど。
セシル家が交渉と妥協を、つまりは政治過程を重ねていたことは事実で。
「裏返せばいくら軍港でも、軍人だけで切り回すことは認められないってわけさ。港湾からセシルを排除するなど、許すわけにいかない。正当な主張だ。それを独占だの私利私欲だの言われてみろ」
専門家を抱えるセシル家無しでは、港湾業務が滞ってしまうというのに。
「分かっているさアルバート。縄張りの維持、それも正当な公務だ」
いま兵部卿宮と最も鋭く対立しているのは、セシル家なのである。
恩と威を示すため、地盤を固めるため、宮さまが子分を優先的にポストに就けているせいで。
「……だが、うちの親父殿はまだ態度を表明するわけにはいかない」
按察使閣下は、「カレワラから見て失格か」と口にしていたけれど。
それ以前に失格認定を下していたのはセシル家であった。
「それはデクスター家も同じこと、か。まだ態度を表明する時期じゃないな」
イーサンと心中覚悟のアルバート、お前もな。
「されど我が親愛なるお兄さまの立場は明確だ。極東でも親しく接していただいてたんだから、当然だよな」
現任蔵人頭のエルンストが、アスラーン殿下派につく決意を固めたのだ。
「蔵人所の情報が欲しければそちらを頼れ」か。
立花やメルよりは正直に、フィルターオフで伝えてやると。
それにしても、うらやましい。
「親類縁者、特に兄弟がいるってのは強みだな」
エルンストがひとまわり以上も年下の俺に、頭を下げる……つもりにはなれないはず。その必要も無い。俺は派閥の領袖でも何でもないのだから。
「よろしく」と言うのも憚られるぐらい立場に差があるのだ。だから弟に話を持っていかせる。
臭い話をするところで為すべき用を済ませ、足を踏み出すならば。
それは相応しき話題というものがある。
そう、例えばうるわしき友情について。
「ああ、それと。フレデリクな、元気にやってるか? 一度遊びに来いって伝えてくれ」
連絡係のご指名ね。
フレデリク・タレーランを外交に使ってることも把握済み、か。
「北の戦争で軍官僚を務めあげて帰って来た。怪我もしてない。……サラと言い、お前らの世代も『当たり』だったな」
近衛府ではなく、学園の同期だが。
極東の思い出、お互いに忘れられるものじゃないだろう?
ぼんやり顔なりに、視線に誠意を込めてみれば。
アルバートも、多少は正直な気分になったものか。
「……こないだの示威行為。俺は気が晴れたが、閣僚連中はご機嫌斜めだ。気をつけとけよ?」
対立が激化すれば、腰の重い老人も態度を決める必要が出てくるわけで。
若僧に煽られて動くなど片腹痛かろう。
「ただのお出迎え、これ以上何かするつもりはないさ。俺たちも暇じゃない」
戻って本題に入るぞ、アルバート。




