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第三百十九話 端切れ その2


 「これが宮さまのご趣味です、カレワラ閣下」


 落ち着いた声、年配の女性であった。

 宮さまの奥方に間違いあるまい。


 「お招きに預かり、光栄です」


 「声を潜めることはありません。ああなったら宮さまは何も聞こえませぬから」


 スポーツで言う、「ゾーン」であろうか。

 説明するその口ぶり、小さな敬意と大きな呆れと、謙遜と。

 まざりあっているところ、いかにも奥様らしき物言いで。


 同じく御簾の内、少し離れた所にあった小さな気配が急に大きくなった。

 この感じ、憶えがある。昼寝から覚めた子供だ。

 するとその側にある気配が子供の母親、刑部少輔の大姫さまであろう。


 暴れ始めた様子に、サヴィニヤンも気づいた。

 案外と目ざとい……いや、思えばこの男は昔から、御簾の内にある気配を……。


 「こちらへおいでなさい、和子さま」


 ぽいぽいとお手玉を始めれば、御簾をくぐって膝の上。


 「いつも助かっております、前少納言さま」



 「いえ……笑っていただけるのが何よりの喜びです」

 

 サヴィニヤンには、笑ってほしいひとがいる。

 近づくことを、自ら拒んでいる。



 「宮さまも常々、『喜んでもらえれば』と。口数の少ない方でしょう? 何が楽しくてああしているのやら、じっと絵に向かわれて。昔は途方に暮れたものです」


 奥方の言葉を受けて、改めて目を向ければ。

 刑部卿宮さま、赤い布の端切れをためつすがめつ眺めていて。

 どうやらお求めの色味が少なくなりつつあるものか。

 仕方ないと言わんばかりに青い端切れを小さく切り取って、別の部分に縫いつけていた。



 「反物を贈ろうとお考えですか、カレワラ閣下?」


 ジーコ殿下が笑顔を見せる。

 先回りされるのには慣れているが……どうも照れくさい。


 「あまり喜ばれぬのですよ、宮さまは。その、端切れを絵にすることをお好みで。新品の反物を好き放題に切り取っているお姿、拝見したことがありません」


 と、これは刑部少輔。


 廃品利用……などと口にしては、失礼にあたりかねぬけれど。

 何となく、気持ちは分からなくもないような。


 「出入りの商人が、ならば端切れをと。店にあった物を持ち込んだのですが。日ごろ温厚な宮さまが顔を真っ赤にされて、叩き出されてしまいました」


 善意かもしれないけれど。そりゃまあ、失礼にあたりますわね。

 どこか少し、バカにしていなかったとも言えないような。


 そもそも芸術家って……何かこだわりの強そうな感じがあるし。


 (男の裸しか描かないヤツとかな?)

 (失敬な! 刀を振り回すしか芸が無いくせに!)


 その程度で済めば良いのだが。

 刑部卿宮さまも、難しいところのある人のようで。

 真意を聞き出すことが「罰ゲーム」になってしまうのは切ないけれど。



 「連れ添って30年になりますかしら。最近やっと、お心が分かるようになりました。いえ、宮さまのつぶやきをひと切れひと切れ繋ぎ合わせただけですけれど」


 奥方様の声は明瞭であった。

 消え入りそうな声……を「作る」ということをせぬ人のようで。


 「覚えておいでですか、ジーコ殿下? 私たちが若い頃、王都は不況の只中で」


 呼びかけられたジーコ殿下は50代。

 刑部卿宮様は40を少し過ぎたところ、立花伯爵とほぼ同年輩。

 奥方様、年上とは聞いていたけれど。かなりの姉さん女房らしい。


 「珍しく手に入った反物を、お母様が衣に仕立てられたのだそうです。それはそれは嬉しそうなお顔をなさって、宮さまにお見せになったと」


 幼児はいつだって母親を見ている。

 母が怒れば泣くし、悲しめば怯える。笑えばこの上ない幸せを感じる。

 

 「私たちは、どうも細かいところに気づきませんけれど……童の目線は低うございましょう? 笑顔を見るにつけ、衣にしてもらえず床に散らばる端切れが、なにやら哀れに思えたのだとか」


 「後片付けする」という発想を持っていないあたり、いかにも貴人・王室の女性ではある。

 だがしかし……そんなことを非難する気にもなれぬ。

 息子の、童の贔屓目を差し引いても、とびきりの笑顔を見せていたに違いないのだから。


 「切って、繋ぎ合わせて、お花の絵にされたとのお話でした。子供の工夫に、その優しいお心に、お母様は大喜びなさって……でもその後すぐ、流行り病いで亡くなられてしまって」


 ほのぼのした話であったはずが、少々、その。

 こうした打ち明け話を聞いて良いものかどうか。

 やや腰が浮きかけたところに、強い声。


 「どうぞお聞きください、カレワラ男爵閣下。宮さまへのご厚意、刑部少輔さまより伺っております」


 もとは成り行きに過ぎなかった、そのはずなのだけれど。

 物のはずみ、勢いの然らしむるところ……そういうものは、止めようもないものらしく。

 

 「宮さまは御年12にして成人の儀を迎えられました。私は嫁き遅れも良いところでしたけれど……お母様のおもかげを求めておいでだったのが、幸いだったかもしれません」


 添い臥しに立ち、そのまま夫婦へと。

 母親代わりのように日を過ごし。


 「老いた父母を心安らかに送ることができたのも宮さまのおかげ。いまは刑部少輔さまと大姫さまがいてくださって、孫のような和子にも恵まれて」


 ますます母親のようになってしまっている。

 人間関係というもの、これもいまの俺にはどうにも分からなくて。



 「あら、余談に流れてしまいましたわね」


 奥方様、分かっていて告げている。

 「親を早くに亡くした」ことになっているカレワラ男爵。

 聞かせておくべき話として、狙い打っている。


 この人も、かなりのしっかり者らしい。

 いや、仮にも閣僚・外朝八省のトップを務める宮さまの奥方なのだ。



 「話を戻しますわね? 宮さまが手に取られるのは――私たちふたりの妻や和子、親類縁者、あるいは侍女に従僕――身近な者を喜ばせた反物の端切れに限られるのです。私どもの笑顔、その幸せな記憶。布の絵画に、ひとつひとつ大切に縫い付けて」


 一拍を溜めて後、力強い言葉が耳を打つ。

 

 「留めるのだと。失ってなるものかと。そう仰せでした」



 何を仰せになりたいものかと。頭を下げ、その真意を測っているところに。

 ジーコ殿下の助け舟。

  

 「若い頃に比べれば良い時代になりましたね、奥方さま」


 「そうですわね。私ども零細……いえ、刑部卿を任される宮さまは、王室全体から見れば有力な部類ですけれど……零細王族は、贅沢など望みません。平和とささやかな日々の幸せを願うばかり」



 刑部卿宮の奥方が何を伝えようとしたのか、全てを理解できたとは思わない。

 だがひとつだけ、受け止めておかねばならぬ事実がある。

 

 「いまの御世に、その施政に。皆さま、好ましさを覚えておいでなのですね」


 それ即ち、現政権の宰相と称すべき中務宮の支持者が王室には多いということ。

 比するに、アスラーン殿下。前征北大将軍にして、その舅はメル公爵。

 経歴を見れば不安を覚える人々が出るのも当然のこと。

 近くにあってお人柄に触れている者には、気づきにくいところであった。


 「雅院にもお届けすべき貴重なお話を伺うことができました。この後も良き世が変わらず続くことでしょう。我ら官吏も心してあい努めます」 


 文化政策、王室との関係、距離感など。

 「約束」したのは、代替わりの後の話だが……それでは足りない。

 殿下の政策・行動として。近いうちに、かたちにしなくては。

 


 「これは翰林学士殿の心強いお言葉!」


 サヴィニヤンが?

 俺の官職を盾に取り、念押しをする?


 「あ、いえ……かつての私にはまるで見えて来ないお話だったものですから、ついその……あの頃は皆様に迷惑をかけていたのではないかと思うと、今さら冷や汗が止まりません」



 赤くなるサヴィニヤンに、ジーコ殿下は柔らかな目を送っていた。

 シンカイ工房の展示室で見せる、鋭く冷たい眼差しとはまるで違っていた。

 

 「今ならば、お手玉を投げながらでもお分かりになる。おとなになられましたか。いえ、現役を離れられた傍目八目というものでしょうね」



 「やり直せるものなら……いえ、繰り言でした」


 戻って来た。迷いが無いからこそ。

 サヴィニヤンの望みとはただひとりの笑顔、それだけだから。


 「ヒロさん。甥のアベルを。どうか、お願いいたします」


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