第三百十七話 解れず、決せず その2
「その蔵人が真犯人である確証は?」
「自白に信憑性があった。後付けで、いくらでも状況証拠が出てきたし」
フィリアがこちらにつむじを見せている。
考え込んでいる証だが。この日、その光景を楽しむ時間は短かった。
こちらに向いたその目が尖っているのは無作法な視線をとがめたもの……とも言い切れぬ雰囲気で。
「『後付け』。つまり、ミカエルも推理によって到達したわけではない。出し抜かれましたか。戦場での冴えはどうしました、ヒロさん? 敵の思考様式をなぞるならば?」
ミカエルは同僚だ。それを「敵」と告げるのは、こちらの鈍さを刺激するため。
ご助言に感謝しつつ、改めてミカエルの考えそうなことを想像するならば。
「蹴落としたいヤツ、蹴落とせそうなヤツ。まずはそこから見繕う、か」
「その中から『絶対にあり得ない人物』を除く。……だいぶ絞られてきますよね?」
簡単な話であった。
突撃してみてハズレならば、「これは取り調べです。文句があるなら私に依頼したデクスター家に」で済ませられるのだし。
大事なのは犯人を捜すことでは無く、その結果をどう利用するか。
仕事は目的では無くあくまでも手段、か。
アレックス様もロシウ・チェンも、おそらくはそうして出世したのだろう。
「それで良いのかよ? いや、正解に辿り着いたんだから、それで良いのか」
俺は悪い意味で真面目に取り組んだ、取り組んでしまったらしい。
出し抜かれたのも当然……いや、待てよ?
「出し抜かれたのはミカエルじゃないか? せっかく犯人を突き止めたのに、その結果を利用できていない。おいしいところを持って行かれている」
ミカエル、誰を黒幕にするつもり……いや、そうすることで何を得るつもりだったんだ?
先の言葉ではないけれど、「絶対にあり得ない」のは王后(アスラーン/メル)閥と王妃(第二王子)閥。
自決した蔵人の派閥から普通に考えれば、黒幕は兵部卿宮さまだが。
ならば弾劾して点数を稼ぐか。
逆に中務宮さま、継承レースとは関わり無い大物トワ系を黒幕にでっちあげ、兵部卿宮さまに恩を売るつもりであったか?
「出し抜かれたのがミカエルだとして、出し抜いたのは誰です?」
辛辣であった。
ミカエルの話をする前に、フィリアには事の帰結を伝えてあったのだから仕方無い。
犯人が判明した旨、蔵人所へ報告に上がった夜のこと。
「なるほど。『黒幕はいない』、結構なことだ」
燭台の向こうには、深海を思わせる瞳の色。
炎を映して、妙に艶めいて見えた。
応じた蔵人頭エルンスト・セシルの顔は、どこまでも暗く沈んでいて。
「ならば予定通り。『法曹ご三家には再発防止のスキームを提示し、蔵人所の名義で陳謝する』。これで大事にならずに済む」
蔵人所の失態を、蔵人所としてカバーする。
件の判決文にハンコを捺した、別当個人の責任という色を薄めるべく。
次官である蔵人頭の責任を薄めるためにも。
それは良いとして。「予定通り」?
「インディーズの旗頭カレワラ家、王室に累を及ぼすまいとは見上げた心意気だ」
こちらが持ち込む結論など、ロシウ・チェンには初めからお見通し。
のみならず……俺のいないところで「枠組み」は完成済みで。
揺らぐ炎を受けても動くことの無い鉄面皮。イーサンは無言を貫いていた。
境界紛争問題の仕返しか? 俺は後からでも椅子を用意したつもりだがな?
「ええ、たいへんに結構なことです……が、その『枠組み』。維持できますか、どうか。さすがミカエル・シャガール君の推理は鋭く、『存在するはずの黒幕を、カレワラ学士が隠している』という疑念を抱かれております」
こちらは方針転換しても構わないのだ。
状況証拠は十分。黒幕まで踏み込むことも可能。
「ミカエルと組み、王長子殿下の名で黒幕を告発すると?」
「ヒロ君、それでは法曹三家が政治的対立に巻き込まれる!」
「君の流儀ではあるまい、ヒロ?」
炎が激しく揺らいだ。
皆さん、声に力が籠もっていらっしゃる。
「ええ、ロシウさん。対立を避けようとする私の流儀、先日ご指摘を受けたように甘いのかもしれません。思えば極東にあった時分から、それでよく叱られたものでした」
……征北将軍とサクティ侯爵に。
その父君が、この件では顔に泥を塗られかけたのだ。
「分かった分かった。……近衛府改革の件だな? 約束しよう、悪いようにはしない」
続きを促していた。
イーサンと違って、椅子を用意してはもらえないのが俺。
自分で持ち込む必要がある。
「メル公爵閣下の『抑え』はお任せください」
「……そういうわけだから、フィリア。ただ働きってわけじゃないさ」
ミカエルひとりがただ働き、か。
後が怖いな。
「しかし、父を説得できますか?」
「メルの顔に泥を塗ろうとした黒幕。総領閣下なら許してくれないだろうね」
ソフィア様はその若き日、深窓のお姫様から現場指揮官を経て、メル家の総領となった。
宮廷や他家との折衝をあまり経験せぬままに新都へと出向し、いまも強烈なリーダーシップを発揮し続けている。
それが悪いことだと言うつもりはない。十万からの兵を抱える大メル家、その本質は独立国家なのだから。陛下以外に恭謙の姿勢を見せるべきではない。
「しかし王都にある限り、メル家もいち公爵家。そう孤立できるものでもない。さりとて武を看板とする我ら、腰が引けてはただの田舎者。いえ、毛の足りぬ山猿扱いでしょうね」
フィリアは自嘲するけれど。
それでも、メル公爵ならば。説得のしようがあるように思えてならない。
性格の違いか、磐石の地位を誇る当主の余裕によるものか、年齢の違いか。
ソフィアさまほどには直線的でないから。
「何か思いついたその時には……口添えを頼みますフィリアさん」
ぷいと横を向かれてしまった。
いつもながら、かたちの良い耳。ぴくぴく動いている。
ここ雅院に出向させているカタリナが、そっと下を向いた。
何を掴んだものか、気になるところではあるけれど。
フィリアの関心はすでに次に向かっていて。
「他に顔に泥を塗られたのはバヤジットさんに、近衛府を代表する実働部隊長ティムル・ベンサムですか」
「ティムルは抑えられる」
少しばかり食い気味に返した言葉。
(自信があるなら余裕を見せなさい、カッコ悪い!)
アリエルには嘆かれてしまったけれど。
境界紛争を通じて、桂園管理の権益を近衛府に回すことができた。懐事情の苦しい検非違使庁にとっては福音のはず。
王都東郊の縄張り、「挨拶を受けていない」こともあるし。……いや、それはまだ隠し球だな。
いずれにせよ、ティムルは抑えられる。
ネヴィル・ハウエルの舌打ちが聞こえてくるのだから間違いない。
バヤジットか。
味噌をつけてしまったが、何せまだ若い。少々厳しすぎると思う。
だいたい、もとが王子様だ。実務に疎いことは恥とは言い切れない。
むしろおおらかで華やかであってこそ……と、それが世人の受け止め方。
立花家のレイナではないが、「細かいことをお膳立てしておかないほうが悪い!」と怒鳴ることが正当化される立場なのだ。
すると典礼方面で失地を回復すべきだが……そのための機会は……。
「また真面目に考えすぎている。『兵は拙速を尊ぶ』ではありませんけれど、思いつくのがあまり遅いようですと、ね?」
お茶が出てきた。
いつものように絶妙な存在感を纏ったカタリナの手から。
静かに会釈を見せるその顔、眼鏡の反射に隠された目の色。
掴んだものを教えてくれるつもりは無いらしい。




