第三百十四話 ジョン・キュビの帰還
降格人事に笑顔を浮かべる人もある。
蔵人頭を外れたロシウ・チェン然り、少弁を外れたジョン・キュビ然り。
ここは近衛府、隊長専用ラウンジ。
話題は待ち人……中隊長代行の就任挨拶に来るジョンのことで持ちきり。
「近衛中隊長と弁官は兼任できないしきたりだからねえ」
と、これは有職故実に詳しいシメイ・ド・オラニエ氏の言葉。
王国では近衛府を「卒業」した者でなければ弁官には就任できない。
近衛小隊長や中隊長と兼任できる蔵人よりも、官僚としてはなおひとつ「格が高い」、それが弁官。
だが降格であっても、代行職であっても、近衛中隊長こそにと望む。
それが軍人というもので。
「ジョンさんはともかく、哀れなるはキュビ系近衛兵かな?」
ジョンが近衛府を去って後、エドワードを「親」と頼んだ人々。
ここで再びジョンに付くのは良いとして、代行職の彼は早々に近衛府を去る。
となれば、その後が怖い。どのツラ下げて再びエドワードに付けば良いのか。
政治とは、派閥とは、感情論なのだから。
「俺も20歳だぜ? いろいろ見てきたし……なんだ、『そういうものだ』ってことは分かってる。うるさくは言わねえよ」
珍しくエドワード・キュビ氏がしおらしさを見せれば。
イセン・チェン氏が踏み込み畳み掛ける。
骨折もすっかり癒え、なかなか好調のようだ。
「それじゃ足りないんだよエドワード君。かたちにしなければ伝わらない。ジョンさんと和解した姿をはっきり見せるべきだ。中流貴族、郎党と言われる人々の気持ちも考えたまえ。彼らが萎縮しては君にとっても損だろう?」
「キュビ四柱による氏長者決定戦がぼちぼち熱くなって来るんだろう? B・O・キュビ家の中で割れてちゃ、確かにお話にならないかもね」
「だがねヒロ君。何をせずとも領地を引き継げる立場の人々に対しては、どうしても思うところが出てくるのさ。ジョンさんとは付き合いの長い私も、そこには反発を感じざるを得ないぐらいだ」
何とも言えないヴァスコ・フェイダメル氏の目つき。不愉快であった。
ならばこっちも抉らせてもらうぞ? 論点を地滑りさせてな。
「メル本宗家の皆さま……フィリア子爵閣下も、御身に対するそうした反発心を嘉せられます」
ヴァスコがフィリアに積極的になれぬ・ならぬのにはそうした事情もある。
若き日のアレックス様や今のエドワードと同じ、「持てる者」への反感。
「おいヒロ君!……クソっ!」
「『逆玉の輿なんてクソ食らえ』。ヴァスコさんのその心根は買うよ。女の尻に敷かれる男よりはだいぶマシだと思うけどね」
フィリアへの反感というネタでエミール・バルベルク氏にも流れ弾を食らわせてやるつもりが、これは手痛い反撃であった。
「『尻に敷かれていない』なんて、声を大にして主張することでもないだろう? パフォーマンスのために浮気して婚約中の姫君と大喧嘩、ご実家とまで険悪になりかかるのもどうかと思うよ」
気安さからか、トワ系相手だとイーサン・デクスター氏も軽口が増える。
で、このテのやり取りに参加しないクリスチアン・ノーフォーク氏を見ては、お付きのウコン氏がやきもきすると。
近衛府は隊長専用ラウンジの、これが日常。
「郎党たちも迷惑していることだろうが……安心しろ、エドワード」
颯爽と乗り込んできたジョン・B・O・キュビ氏も先刻ご承知であった。
「私は上に乗るだけのお御輿、統括するのは事務担当の連中だけだ。現場のキュビ兵は全てお前に預ける」
「いや兄貴、事務担当のほうを俺に預けてくれないか? 蔵人所のやり取り……ミカエル・シャガールを見てたら、な」
「いい心がけだなエドワード」
「てめえもな? いい加減ひとつぐらい戦場手柄を挙げろや」
鼻を鳴らしてそびらを翻し、近衛府の練兵場へと歩むジョン・キュビ。
父侯爵閣下によく似たその姿、なかなかの見ものであった。
我ら小隊長も、各々あるいは容儀を整え背筋を伸ばし、あるいは肩を怒らせまた刀に反りを打たせ。中隊長の後を大股に歩み行く。
初秋の陽射しに辟易していた近衛兵、幹部の姿を見るや整列して直立不動。
ジョンも我ら小隊長も、その姿にひとつ頷きを返しておいて。
「中隊長代行を拝命したジョン・キュビだ」
定位置につくや、いきなり口を開いていた。
「ここ数年、近衛府には小さな緩みが散見される。諸君は軍人、皮膚感覚でその危険を感じているはずだ。大失態が起きる時の予兆に似ていると」
いきなりの叱声。
近衛兵たち、直立不動を崩さぬ。表情も変えぬ。
おのおの一箇の中流貴族、挙動に隙を見せることは無い。
だが不満は渦巻いている。ひとりひとりの反感は小さくとも、数百人以上に及ぶ近衛兵の「気分」が集まれば、それは大きなうねりとなる。
「軍人としての私に、とかくの評判があることは重々承知している。が、これで私は弁官であった。務めに遺漏もなかったと自負している。つまり近衛中隊長への降格人事は特に請われてのもの。不満を覚えるのは結構だが、諸君の中に適任者がいなかった、その事実も受け止めてもらいたいところだな」
何がお御輿かと。
頭から押さえ込みに来た漬物石であった。
「諸君には近衛府の業務、その明確な範囲と全体像を意識してもらいたい。就任に際し私も諸官庁と折衝し、改めて業務事項を精査し、明確に線引きできるところは引いておいた。現状、我らがカバーすべき業務は……」
まずは言うまでも無い、三衛小隊長指揮下での通常業務。
後宮を警備する、近衛。
王宮内を警備する、兵衛。
王宮と外部との「境界」を警備する、衛門。
雑務として。
輦輿の担ぎ手の監督。舞人・楽人。医師……などなど。
なお蔵人でもあるジョンは、蔵人所とも折衝を済ませていた。
兵站は蔵人所の担当、小隊長たちが自弁するのはその代行に過ぎぬと位置付けを明確化。
地方政府との関係では、従来通り一部の近衛兵を商都、鶺鴒湖畔の旧衙、立花領へと派遣する。
旧都は――奪還後の話だが――兵部省の担当と決まった。
総論を終えるや、そのまま小隊長の担当を発表してゆく。
「検非違使別当……『かみ』として命ずる。ヒロ、君は衛門の通常業務、シフトのローテーションを外れ、検非違使庁の『すけ』としてその業務に専念すること。これを前例とするかは追々話し合うこととする。エミール、クリスチアン、アルバートほか数名の衛門小隊長が検非違使担当を外れるわけではない。そのことも併せ申しつける」
3年前。21歳のジョンは「若手」であった。まるで押し出しが効かず、中隊長の椅子を奪うことができなかった。
だが年上の人々――マクシミリアン・オーウェルにオラース・エラン――が中隊長に就任し、そして去れば。またあるいは、昨秋の戦役で大怪我をした小隊長連中が去ってみると。
ジョンを抑えられるタマは、今の近衛府には存在していなくて。
しかも弁官経験者であるがゆえ、兵部ほか外朝八省との職掌関係を戦って。
その手柄を引っ提げての近衛府帰還であった。
「以上だ。近衛兵諸君の配属は後ほど小隊長から発表する。まずは各々その職掌に遺漏無きよう務めてほしい。ことに問題視されているのが暗殺未遂事件の多発とその未摘発である。特に心せよ」
ようやくジョンが話を終え、ひと息をつけば。
押さえつけられていた我ら小隊長、むくむくと反発の気配を起こす。
「担当業務をはっきりさせるんだろう、ジョン。我ら三衛府は暗殺を防ぐのが仕事だ。犯人探しは検非違使庁の担当業務、違うか?」
上からの一方的な押さえつけに、同年輩のコンラート・クロイツが奮い立つ。
このまま押されてたまるかと、中隊長相手にあえてぞんざいな口を利く。
「厳密に言うならば、検非違使庁の業務でもありませんよ。通貨と財産に関する犯罪が検非違使庁の縄張りでしょう?」
次男坊気質のアルバート・セシルも反発を見せた。
あるいは官僚らしく、責任を避けようとする心理が働いてのことかも知れぬ。
受けたジョンは、しかし。
コンラートにもアルバートにも目を向けようとしなかった。
「諸君には勘違いがあるようだ。線引きをするのは『守る』ためではない。線を引き終えれば空白地が見えてくる。余っているところを攻め取っていけない理屈は無い、違うかな? 業務と権限の奪い合い、それが我ら有司の本能だろう?」
弁官……文官として彼らの二歩・三歩先を歩んだジョンの威厳は相当なもの。
口では「有司」と言っているが、これは軍人の言葉だ。
俺と検非違使大尉のティムル・ベンサムに向けてのメッセージ。
会合を終えて後、隊長専用ラウンジの雰囲気は重かった。
いや、渋い空気が漂った。
「つまり、若すぎる中隊長が問題なのかな」
「いや、近衛府に関わった年数であろう。業務に精通する間があるかないか」
アリエルにして、大失敗をした。デビュー3年、19歳では任が重かった。
「アレックスさんにロシウさん、偉かったんだなあ」
(そうね。あたしじゃ敵う気がしない)
めぐりあわせだよアリエル。
どう動いても禍根が残る、そういう事件と邂逅したかしなかったか。
脳裏に浮かぶは桂花大輔の言葉、刑部少輔の官途、ネヴィル・ハウエルの人生。
能力が足りなかった訳ではない、日頃の行いによるものでもない。
その場の判断と行動が間違っていたわけでもない。
(簡単に言ってくれるがな。全て揃っていた、そのことは大前提だぜヒロ)
ネヴィルの皮肉な声が、自信に溢れた言葉が、胸に響く。
小隊長も中隊長も、本質的には同輩だ。
押さえつけられれば反発を覚える。
それでも押さえつけなければ、あるいは納得させなければ業務は回せない。
中隊長の権限強化、その提案者ジョン・B・O・キュビ。
「あるべき姿」を体現すべく、近衛府に復帰を果たしたのであった。




