第三百十三話 親子 その2
雅院はフィリアの局。
こちらには(タブーの関係で)アスラーン殿下はお越しにならぬのですけれど?
ただお茶しに来たかっただけでしょ、レイナさん。
そして千早から話を聞かされての第一声が、これ。
「あのさあ、ヒロ。何で直接私に言わないかなあ。不誠実じゃない?」
現代日本的に言うならば、結婚指輪を外して女性と会話していたかのような(もちろん「その気」は無いけれど)。そうした感覚の非難であった。
「小さくとも政局マターになりかねない。だから限られた人に、タイミングを図りつつ明かしているんだ。磐森とミューラー、双方の継承権を持つ子供と勘繰られたら面倒だろう?」
実際のところは、相続権を切り分けてある。
いま俺がぽっくり逝ったら、磐森の跡継ぎは養女のアンジェリカ・エイヴォン。
その旨、あちこちに話を通してある。
「広まれば、王都ではうるさくてかなわぬうえ――アエミリアさまからは、『メル家の下屋敷でどう? 千早さんを預かって以来、お母様の代わりを務めてきたつもりです』と、ありがたき言葉をいただいてはござるが――領地で生を受けることには、次期領主として地盤固めの意味もある。やはりここは、ミューラーに帰るでござるよ」
濁された、もうひとつの政治的な問題。
メル館に、メル家にお世話になりすぎると、極東での立場が弱くなる。
「それにしても、ねえ? 極東組であんたが最初に親になるとは思わなかったわ、ヒロ。何よそのぼけっとしたツラは。しっかりしなさいっての!」
「ぼけっとしているなら良いのです。話を聞かされた直後と来たら、立ち上がってそこらをぐるぐる歩き回って、ぶつぶつ言って。しまいには私達に『俺に何ができる?』ですから」
その情け無い姿に、社会常識の欠如ぶりに。
久しぶりに打擲を食らったのであった(ヴァガンは大いに頷いていた)。
男は何もできない、いや「何もしてはいけない」のだそうな。
王国の社会制度的には。
それはまあ、経済的に支えるとか、体の負担に配慮するとか、あるけれど。
基本的には女の仕事、「男は引っ込んでろ!」ということらしい。
だいたい貴族どころか領主ともなれば、経済的なことや休養も、全て千早で都合できる。
「まして生まれてくるのが『ミューラーの』ご領主様なら、ねえ? ヒロはもう用済みなのよ」
レイナの部屋に転がされていた恋文を思い出す。
いろいろ頑張ったつもりが、くしゃくしゃと丸められてポイ。
まあね? 男共などそんなもの。世界線の違いなど関係なく。
うすうす感づいてはいたけどさ?
「そこまでは言わぬでござるよ。なれど、さよう……父親らしくあってくれれば、それで十分」
優しい言葉に気を取り直す。
思わず声に力が入る。
「ああ、頑張るさ。仕事に励んで、出世して」
やりとりに眉をしかめたレイナ。「気持ち悪っ」と顔に書いてあった。
首を左右に振るフィリア。
「あまりガツガツした姿は見たくないでござるなあ。……ともかく、これよりメル家の下屋敷に向かい、荷を纏め挨拶をして後、ミューラーに帰るでござるよ」
それを聞いては、当然ながら。千早と共に馬車の人。
レイナのエスコートをほっぽりだして。
さすがに文句は言われなかった。
でも、馬車……で良いのかな。ほかに徒歩、輿、牛車、騎馬、船とあるけれど。
グリフォンで空を行けば振動はない。けど、冷えるかな。どうだろう。
どれが体に良くて悪いのか、いつ頃なら動いて良いのか、悪いのか。
そんなことすらさっぱり分からない。
これでは「引っ込んでいろ」と一喝されても仕方無いところ。
馬車にはスプリング、サスペンションが入ってはいるけれど。
それでもガタリと揺れるだけで、ついビクリと肩が動いてしまい。
しかし千早は怒鳴ることもせず、笑顔を見せて。
さきほどの言葉を繰り返していた。
「父親らしく、『あって』くれれば……それで十分。王都の政治は複雑怪奇、暗殺も横行しておるのでござろう? くれぐれも心されよ」
千早は母親を早くに亡くしている。
幼い頃から、いろいろと苦労があった。
「後れは取らないさ」
俺は大丈夫だ。
強くあってみせる。千早の前では、絶対に。
「隙の無い人間などおらぬ。出世などどうでも良い。左遷されてもようござる。が、生き延びること。恩義やしがらみがあっても、命は投げ出さぬこと。それのみ約束を」
約束、その儚さを俺は知るようになっていた。
必ず果たされるものではない。むしろ果たされぬことのほうが多い。
けれど、だからこそ。果たされぬかも知れないからこそ、約束を交わすのだ。
そのひと押しを、繋ぎ留める一本の糸とするために。
「『次に会う時までの』約束だ。必ず会いに行く」
太く、より確実なものとしたかった。繋がりの糸を。
だが千早は……やっぱり千早で。
あくまでも凛々しいまなざしを、こちらに叩き付けてくる。
「ならぬ」
ああ、そうか。
弱さを見せてはいけないって。
「見て来たでござろう、『こちら』の父親を」
日本人の感覚で言う、「昔の家庭」。
夫・父たる者、子女の教育に力を入れはする。
だがつきっきりになるのは母親、いや乳母やその夫、家庭教師に郎党たちで。
父親は大方針を決し、要所要所で指導を加えるのみ。姿を、背中を見せるのみ。
「こちらから会いに行くゆえ、待たれよ。生まれた子が、しっかり立って歩けるようになった時。再び王都にて」
また揺れが来た。
少しでも和らげたくて。肩を引き寄せ、手を握り締めた。
そして到着した、メル家の下屋敷。
懇々と「男の誠実」についてありがたきお説教をいただいたものであった。
「ヒロさんは浮いたところの無い方ですし、殿方にはいろいろあることも存じております。それでも、ここまで深き縁を結んだ女性を蔑ろにされてはならぬこと、よくよくご存知いただかなくては。どうもヒロさんは私たちが生きる制度をよく分かっていないようなところが……いえ、ごめんなさいね。血筋のことを言っているのではありませんけれど……いえ、お血筋のことを言うならば『王の影』カレワラ、隠れて何かなさるのがお上手なように見えて仕方ありませんの。いえ、これは褒めているんですのよ?」
上品なレイナと言われるほどに勘が鋭く、全てを何となく見通してしまう。
そして何より「おかん」属性の持ち主なのである。アエミリア様は。
「よろしいですか、千早さんを泣かせるようなことがあれば、ミューラーの郎党衆が、佐久間を中心にファンゾ衆が、天真会が、それはもう収まらない。だいたい私が許しません! 女の繋がりとは恐いものなんですからね!」
ですからその、浮気……は、前科がありましたねすみません。
ともかく、蔑ろにすること前提であるかのような言い様はですね。
「あってはならぬゆえ、かように厳しく、くだくだしく申し上げるのです!」
公爵閣下、何をされました?
一杯奢ってもらう権利があるように思われてならぬのですけれど。
母親代わりならではの、これぞ親心。
俺が、千早が、まだ見ぬ子にかける思いも親心。
立花伯爵がレイナを怒鳴った、それもまた親心。
待てよ?
もうひとつ、親心が……。
まあ良い、それは後回しだ。
「踏ん張りましたね、ヒロさん」
フィリアとふたり、千早を王都の外れまで送った。
グリフォンの「翼」にヴァガンを付け、万全を期して。
千早には笑顔だけを見せた。
「先頃の夏、天真会の総本山で。エルキュールとの勝負を控え余裕が無かったことは確かですが、言ってはならぬことを私は」
気にするなよ……と言おうとして。
ごまかされるフィリアでは無いことを思い出す。
「アリエルの気配には……フィリアなら、当然気づいたか」
当然、俺の心にも。
「死者が生者のあり方を、その人生を縛るのですか?」
その言葉が与えた衝撃に。
俺は、死者だ。
死者が生者と共にあって良いのか。
その衝撃は、この秋さらに重く俺に圧し掛かった。
死者が子を生して良いのか。
千早の、子の人生に影響を与えて良いのか。
ことに及んで後……どころか、この期に及んで。
ようやくそこに思い至った。
「千早さん、ヒロさんに告げる前に私に告げていたんです。その上で……『某は天真会会員ゆえ、何とも思わぬ』と」
輪廻転生を信ずる人々。
一度死んでも、新たに生を受けたならば生者である。
「『だがヒロ殿に告げて良いものか、またぞろ懊悩を呼ぶのではないか』と。……ヒロさんが生きていた世界には、幽霊が存在しない。死者は死者、こちらの世界ほどあいまいな存在ではないはず」
一歩向こうに踏み出すか、一歩こちらに近づくか。
幽霊は、そのあわいに存在している。
だからこそフィリアも千早も、「幽霊を人と思うな」と。
近いからこそ、意識的に遠ざけなくてはいけなくて。
しかし幽霊が存在していないならば。
死者と生者は、截然と線が引かれる存在で。
「よくぞ持ちこたえてくれました。千早さんの前で悩みを一切見せなかったこと、私からもお礼を申し上げます」
おかしなことを言うと思わなくも無いけれど。
フィリアと千早、やはりそれだけ特別の関係なのだと思う。
俺より先に大事を告げるほどに。
そのこと肌で感じてきた。
それでも、口にする気にはなれない。
ふたりだけの時は全てを委ねたいと、その姿を見せられるのは俺だけだと。
強くあることを求める、その千早の言葉だけは。
だから。
「父親になるんだからさ、俺も」
他に口にすべき言葉は無い。
「今さら」なのだ。
誰がダメだと言ったとしても、俺は押し通す。
生まれてくる子は人の子で、俺の子だ。




