第三百十三話 親子 その1
「おーい! 『奥』に書類持って行かなきゃならんのだけど!」
蔵人所に声が響く。
届け先がいずれ役所であるならば、下僚に「頼んだ」で済むところだが。
後宮の「奥」は、その。
女官の皆様方が待ち構えていらっしゃるもので。
よく働きよく遊ぶ風流公子が出入りする蔵人所。
「ハイヨロコンデー!」と手が上がるかと思いきや。
案外そうでもないようだ。
そもそも聖上のハーレムであるゆえに、入場許可区域と入場資格が限られる。
そんなところへもってきて。
「アテクシの局(事務棟)に、六位蔵人さまを? まあ! そのようなことをなさっては困ります。わざわざお届けくださらなくとも、是非にこちらから伺いますものを。次回からはくれぐれもどうぞよろしくお伝え願います」
「あら、大切なお客様でありましょう? おじゃまでしたかしら。わが主のところには以前、頭弁さまがおいでになって。お相手が四位ともなれば、応接にそれは心を砕いたものですわ」
そういうややこしい事態になりかねない。
ゆえに「緊急でも無い限り、あちらの局には誰を、こちらの局には彼を」
と、まあ。おおまかなところが決まっているのでありまして。
「どこの局かはっきりしてくださいよ」
と、後輩の蔵人から当然の声が上がり。
「いや、定期異動の直後で、人員の出入りもあっただろう?……ともかく、立花典侍さまのお局だ」
後宮(奥)の入口である。
純然たる事務官、聖上の愛妾でも無いから余計な気を使う必要も無い。
なんだ、いちばん気楽な局じゃないかと思いきや。
「あそこはなあ……あちこちの局にお勤めの女官たちが立ち寄っておしゃべりしてるから」
「そうそう。棚卸しが厳しいんだよ。やれ服のセンスがなってないの、お歌の返しが拙いだの」
と、曇った顔が並んでいる中に。
気楽なツラをぶら下げているのが混じり込んでしまえば。
「これはカレワラ閣下、お手すきでいらっしゃる?」
「おお、ご縁浅からぬ仲でしたな。ではお願いいたします」
仕事をサボり責任から逃れ功績だけをかっさらう。
さてこそ彼らはデキる男・蔵人なのである。
そして訪れた立花典侍サマのお局は、珍しく静かであった。
いや、人の気配が少ないだけか。むしろ口論の気配がある。
これは良い。
見慣れた顔……お勤めの女官殿に「お取り込み中のようですね。こちら蔵人所からの書類です。典侍さままでお願いいたします」とか何とか早口で告げ、背を翻したところが。
「ご縁浅からぬ方をおもてなしもせずお帰ししたとあっては、あるじに叱られてしまいます」
説法師の剛力により、袖を捕らえられてしまい。
「典侍さま! 蔵人所よりカレワラ閣下のおいでです!」
返って来たのは主にあらで男の声音、それも聞きなずんだ。
「おお、ヒロ君か。ちょうど良い、入りたまえ!」
立花伯爵である。口論は親子喧嘩であった模様。
なるほど親御さんの訪問とあれば、それはまあ。
喧嘩どころか会話が始まる前に、お使いに来ていた女官たちも退出しますわね。
失礼しますよっと御簾をくぐれば。
それでもレイナ、いちおうは几帳の向こうに身を置いていて。
それにしても相変わらず、散らかってるなあ……って、おい。
そこの紙、男からの文! レイナ相手となれば必死に頭絞って歌作るんだから!
さらしものにしちゃかわいそうでしょ!
そっと目を逸らしたところを、伯爵閣下に見咎められる。
「気になるかね? いや、誰しも未練というものはある。ひとたび……」
「ひとたび」なんなのか、それを口にすることは許されなかった。
几帳が揺れる。
「バカなこと言ってんじゃない! あのねヒロ、いくらあたしが片付け下手だからってそこまではしないから! それ親父に見せてたの!」
「そういうことだ。まあ見てみたまえ」
だからさあ!
恋文を親や元カレに回し読みされるって……お前ら鬼か!
見るんですけどね。
それは王国貴族筆頭・「王の友」立花伯爵閣下と女官の高峰・「奥の七英」立花典侍さまのご命令ですもの。しかたないね。
最高級の薄様、透かしに花が織り込まれている。
どこまでも派手やかな地に記されているのは、踊るが如き細手の文字。
凝りに凝ったお歌。
こういうことをする男は、ふたりぐらいしか思いつかない。
ひとりはシメイ・ド・オラニエ。大ふざけにふざけている時。
もうひとりは……大真面目にやってのけるんだよなあ。
「誰だか見当はついているようだね。そう、問題は目的なのだよ。おっと、『秘めたる恋心を明るみに出すなど、あまりにむごい』とか、そういう発言は求めていないからね?」
「さすがお父様、学士殿のまめやかなるお心映えをよくご存知ですわね……ヒロ、『典侍さまへの情熱が昂ずるあまり空回りを見せてしまったのでしょう』なんてのも無し! ふざけたこと言ったら許さないからね?」
逃げ道を塞がれてしまった。
でもさあ……あんまり正直に言うのは。
「良いから言え!」
へいへい。それなら申し上げますよ。はっきりと。
「売名行為」
伯爵が噴き出し、典侍が怒り出す。
「もう少し言い様ってものがあるでしょ! じゃあ何か!? あたしは客寄せの珍獣か? ふざけた男の添え物か?」
「怒鳴るものではないよ。これは玲奈が悪い。いや、なるほど。一言以て蔽うならば、これは『売名行為』そのものだ」
「口説いても良い」女官の数は限られる……いや、結構多いな。
だが官位・権力の観点で言えば。末席典侍のレイナは奥でも二番手にあたる。
そして栄えある一番手・筆頭典侍は、口さがない女官によれば「処……」もとい「恋を知らぬ」とか、「不……」もとい「情熱に欠ける」とか。そんなことを言われるほどに恋とは縁遠く見えるお方であるゆえに。
風流で話題になりたいならば、レイナとの噂を立てるのが一番なのである。
「あちこちから口説かれまくってるあたしだからシャレになるけど、ヘタな女官にお文を出してこじれたら面倒なことになる! いえ、もうあちこちで火種になりかかってんの!」
さらりと自慢されたが、それはともかく。
「だいたい『表』での噂を聞いても、一事が万事この調子。動きすぎなのよコイツは! 有能な者ほど、立てる波風も大きくなる。何か起きたらどうすんの!……いくら陛下が笑顔をお見せになったからって、なんで抜擢に同意したのよ。諌めるところでしょ!」
親子喧嘩の再開である。
歌詠みに何より大事は直心……素直な心であるからして。
その道の名手である立花親子、俺が同席していても取り繕ったりせぬのである。
(取り繕う必要があるほど存在が重くないからでしょ?)
うん、黙ろうかピンク。
「慌てふためく蔵人たちの姿、見ものであった。珍しさに、日ごろ御眉の晴れ間とて無い陛下も思わず笑顔を浮かべられた。その事実は何より重い」
あの時の焦りを忘れ、こちらも思わず頬が緩んでしまったけれど。
「忘れたか玲奈。我ら立花は『王国の友』に非ず、『王の友』だ。観るべきは国政では無く王の心である」
油断した途端に重い一撃を放り込んでくるからこの親子は恐い。
「王の心を思えばこそ。その負担を軽くするために、国政の誤りをそっと嗜める。それも『王の友』たる立花の務めでしょ?」
なるほど共に一理あると、腕組みをしたところ。
見計らったかのように、親子がこちらに振り向いた。
えー、その。
「事務官としては貴重な人材、昇進は時間の問題だったろうとは思います」
口にしてみて、疑問が生ずる。
だがなぜあのタイミングで、と。定期異動で昇進させても良かろうに。
レイナの言葉もひっかかる。なぜわざわざ波風立たせてから引き上げるのかと。
伯爵と目が合った。が、逸らされた。
几帳の向こうに首を振り向け、怒鳴りつけていた。
「半人前のお前に何が分かる! いまだ王の友たらぬお前に!」
言うて立花伯爵も40を迎えたかというお年頃。
王室三巨頭を除けば、閣僚の中では圧倒的に「若輩者」ではあるけれど。
「なら『次世代の王』に会いに行ってくるわよ! エスコートしなさいヒロ!」
さらなる若輩者には、他に返すべき言葉も無いのである。




