第三百五話 ちっぽけな (R15)
(本気で望むなら、かなえてあげられるよケヴィン。でも金持ちになりたいんじゃなかったのかい?)
「違うんだ。やっと分かったんだ。金じゃない。俺は……カッコ良くなりたかったんだ」
俺は何も知らなかった。知るチャンスが無かった。
カッコ良い男って言ったら、花街の男伊達だったんだよ。
金をばらまき、女に囲まれ、VIPルームへ案内される。
そういう男は、たいていケンカも強くって。
「だから……エルキュール兄さんもヒロの大将も、そうだとばかり」
でも付き合ってみて、違うんだって。
「金も女も思いのまま。だけどその地位を全然惜しいと思ってない」
果たし状が舞い込めば、当然のように槍一本振り回して殴り込む。
空からお姫様の危機を見れば、数十mの高さを物ともせずに飛び降りる。
俺にはできねえって思い知らされたよ。
肩を押さえうずくまりつつ叫ぶケヴィン。
大股に近づいたエドワードが、その頭を掴んで引き起こしていた。
「ケヴィンって言ったか? お前やっぱアホだろ」
泥酔した次の朝、喉が渇いて目が覚めるだろ?
その時のことを思い返してみろ。
エルキュールもヒロも、槍の素振りや走り込みをしていた。違うか?
「カッコ良いヤツってのはな、ケヴィン。守りたいものや欲しいものがあるヤツのことだ。そのために努力してんだよ。意地張ってやせ我慢してるもんなんだ。それを何だ? ヒロやエルキュールが無欲だって? てめえは泣き言まで無欲、いや無意欲だな。無気力だ。救いようがねえ。だけどな……」
千早が、フィリアが。
背後にある朝倉が、アリエルがネヴィルが。
エドワードの言葉に頷いていた。
「アホでも無気力でも、横着でも意地汚くても、今のお前は嫌いじゃない。カッコ良いと思うぜ?」
髪を掴まれ、無理やりに持ち上げられた貧相な顔。
その頬が紅潮していく。目に力が籠もった。
(どうする?)
「一生のお願いだ可能性の神様! 俺をカッコ良くしてくれ。男にしてくれ!」
(その願い、確かに届いたよケヴィン。だけど僕が男にするんじゃない。君が男になるんだ)
声が響くや、ケヴィンがどす黒い塊へと変化した……と思いきや。
現れたのは、青黒き鎧武者。
(なるほどねえ。君が思うカッコ良い男の姿、それかい)
海竜の鎧に身を包んだ男が、大太刀を抜き放った。
本堂の下へと飛び込んでゆく。
(不摂生に悲鳴を上げている身体の能力を急に引き上げたんだ。……五分と保たない。絶対に乗り越えられない。確実に死ぬよ?)
「分かってる! でも俺は見たんだ。エルキュール兄さんの背中を、大将の背中を、カエル面の背中も! 死ぬかもしれない、それでもほしいものや守りたいものがある、か。……こういう気持ちだったんだな?」
いい事を口にしつつ、着地に失敗していた。どこまでも締まらない。
刀の取り扱いもまるでなっちゃいない。気合声にもならぬ悲鳴を上げて、ただ振り回すばかり。
だが、それでも。
「助けに来たぜエルキュール兄さん!」
その姿は、笑顔に迎えられていた。
エルキュールは確かに笑っていた。
しかしようやく刀の扱いに慣れたと思いきや、動きに精彩を欠き始める鎧の男。
息切れしている。
一歩を踏み出そうとして、止められた。
「エルキュールは敵なのでしょう?」
「一世一代、男の意地だぜ?」
その間にも眼下の鎧武者は、俺の鏡像は、ケルベロスにのしかかられていて。
「もう動けない。俺は、男ケヴィンはここまでダメなのか?」
(今さら何を。自分でもダメだって知ってたじゃないか)
「やっぱカッコ悪いまんまか……いてえ! この犬っコロ、あちこち噛み付きやがって。なんだって顔がみっつもあるんだよ気色悪い」
(その鎧なら大してダメージ通ってないはずだよ? 大げさだなあ)
魔犬ケルベロス。
本や伝承でその名を、その姿を知っていると恐れを抱くけれど。
知らなきゃただの犬っコロには違いない。
知恵や知識は、時として人の歩みを妨げる。
それによく見ればケヴィン、攻撃の半分以上をかわしている。
そういや敵意には敏感だったっけ。
「一生に一度の意地ぐらい通してみせろ! お前には見切りの才があるんだぞケヴィン! ろくでなしでもそいつは神様、もらった力も本物だ!」
見切りが良すぎるから、すぐに諦めてしまうのだ。
何でも良いからとにかく励まして、粘らせれば!
おうよ俺は天才だと、調子の良い返事。
ケルベロス……犬っコロを引き剥がし、ふたつみっつ殴りつけている。
「そうだな大将。お願いして……ちっぽけだけど努力して……ひとから初めて認められて。そしてもらった力だもんな」
初志貫徹って、な?
「エルキュールの兄貴! クソ犬を取り押さえたぞ! ……ああ、そうさ。感じてるだろ? 俺の魂は抜け掛かってる。もうもたないんだ。頼むよ」
鎧武者が、海竜を模したその顔が、天を仰ぐ。こちらを向く。
ケヴィンの顔は見えない。見えないけれど……確かに笑っていた。
「こういうの、カッコ良いだろ? 『俺ごとやれ!』って」
その背中目掛け、伸びてゆくものがあった。
ほれぼれするほど真っ直ぐな刺突。
「……望みどおりだ。ありがとよ、神様。それに大将。エルキュールの兄貴」
二匹の犬に挟まれて。
ドブネズミ……いや、人間が、ひとりの男が串刺しになっていた。
あまりにも絵になる姿。
美しかった。カッコ良かった。
抜け出した霊は、幸せそうな顔で丸くなっていた。寝言をダダ漏れにして。
「あんたが母ちゃん? 初めまして、ひでえご面相だな。そりゃ俺もこうなるわ。お迎え?……分かってるよ。でももう少しだけ、いいだろう?……母ちゃん」
見事な刺突だよエルキュール。迷いも躊躇いも無いんだな。
確かに人を超えてるよ、そのメンタル。
神でも悪霊でも、挑む資格があるんだろう。
だけどそのボロボロの身体じゃあ、なあ?
「引導を渡してやる必要がある、の」
李老師がつぶやくが早いか、エドワードが飛び込んでいた。
今なら槍を使えぬと見て。
だがエルキュール、巨大ハンマーの打ち込みを受け止めていた。
そのまま槍を横に薙ぐ。
腹を殴られたエドワードが吹き飛び、岩肌に激突した。
軟らかいもの――ケルベロスとケヴィンの死体――に殴られたのが幸いしたか、息はあるようだが。
合わせりゃいいのにバカが……って、無理だよな。
俺もお前も、エルキュールもケヴィンもバカだ。
「朝倉!」
伸びてくる槍の穂先。
長巻の切っ先で、霊気の刃もて受け止める。
膠着したところを、くねり撃ちしてきた。横薙ぎへと槍の動きが変わる。
物打ちで、刃で受ける。受け止めきれない、吹き飛ばされる。それは想定内。
悪いなエドワード、受け止めてもらって。
フィリア?
って、誰だお前? ハーモナイザーからうっすら立ち昇って……。
いや、どうでも良い!
「フィリア!」
エルキュールは撃ち込みの姿勢を維持すべく、効かぬ左腕を大きく広げていた。
朝倉が、幽霊と俺が、右の大外から撃ち合いを挑んだ。
押し戻すべく右に片手で槍を薙げば、体が、正中線が開く。
凝集した高密度の霊弾が飛び込んで行った。
過つことなく鳩尾をめがけて。
エルキュールの顎が上がった。
誰も見たことのない光景。
「千早!」
養父レイ・ソシュールの希望通りに。
武人の本懐を遂げさせるべく。
エルキュール自身に並ぶ、そして彼が対決を求めてやまなかったアレックス様にも並ぶ、天才によって。
開いた喉に、棒が突き入れられた。
間髪入れず幽霊が飛び出す。
中空で身体を捻り、着地していた。
己の肉体……魂の拘束具だったものから槍を奪い取りながら。
妙な笑顔と、怒りと、興奮が綯い交ぜになった表情。
武術を学んだ者ならば誰でも知っている。
遅れを取った時の顔。「もう一本!」と口を開くその直前の表情。
軋む身体を無理に動かし、指を差す。
対峙するエルキュールの背後へと。
もう俺たちでは相手にならない。
試練を経、ディアネラをケヴィンを犠牲にし、自らの身体を捨ててまで人の域を超えたならば……相応しい相手があるだろう?
どんな化け物が出てくるか、いかほど禍々しいものかと。
半ば期待、半ば恐れを抱きつつ。
千早とフィリアに扶け起こされながら目にしたその霊体に、俺は息を呑んだ。
怒りに燃えている。重く大きな気配であることも間違いない。
だがその霊気は、あくまでも気高い黄金の輝きを帯びていて。
中央に立つ姿は、知る顔と瓜二つであった。
肉体から解き放たれたエルキュールもまた、その姿を認めていた。
一驚の表情を浮かべた後、狂気すら感じさせる最高の笑顔を見せていた。
天にも届かんばかりの気合声を上げ、飛び込んで行く。
槍が交差し、大地が震えた。
「どうするのです? あの大穴へ押し戻せば良いとは聞きましたが」
「エルキュール殿の霊に加勢するでござるか? しかしとても近づけるものでは……」
ふたりは迷っていたけれど。
エルキュールとの闘争を終えたその時、俺は勝利を確信していた。
「なあフィリア。ハーモナイザーから気配、感じただろ?」
「ええ。強い意思を感じました」
「ボケ老人……だったのでござったな、確か。目を覚ましたということは」
おそらく、この神霊大合戦に縁ある人物だったのだろう。
そしてもうひとり、眠っていた人物の気配を俺は感じていた。
「そういうわけで、千早。俺をぶん投げてくれ。……あの気配へ、黄金の修羅のもとへ」
「信ずるでござるぞ?」
千早はいっさい疑いを容れなかった。
それがふたりの信頼関係。
結構なことではあるけれど。
ちょっとは躊躇してくれても良いんじゃないかなと。
宙を飛びながら、俺はそんなことを考えていて。
「この時のために、北からはるばる俺のところへ」
でもどうして、あんな不幸な出会い方をしたんだろう。
……いや、考えても分からないことは考えないに限る。
ここは天真会の総本山だもの。
「行け降霊杵!」
ちっぽけな人間が投じた、ちっぽけな擂粉木。
ふたつの大きな霊気は、その気配にまるで脅威を感じていなくて。
神に迫る存在だろうが、悪魔と呼ばれる大物だろうが、霊には違いない。
で、ある以上。
降霊杵に当たれば、必ずこける。
黄金の修羅と丈高き武神。
もつれ合ったまま、大穴の中へと落ちていった。
トワ系の哲理も正しいと思う。
人が関わるべき問題ではない。彼らの戦いは。
と、余裕をかましている場合ではなかった。
膨大な霊気が一気に穴へと落ちていけば、そこには強い流れができる。
読み誤ったか……と思いきや。
穴に落ちかけた俺の体は、青黒き鎧武者にほうり上げられていた。
「いい夢見てたのに、そばで大喧嘩始めやがって。だからエルキュールの兄貴はダメなんだよ。俺がいなくちゃ、な。……これで恩は返したぜ、大将!」
そのまま男は落ちていった。いや、自ら飛び込んで行った。
ありがとう、ケヴィン。
文句無しにカッコ良いよ、今のお前。
だけどさ、死霊術師ってのは幽体離脱しやすいんだよ。
そもそも俺の霊は自前の身体からぶっこぬかれて、作られた身体に後から突っ込まれた代物だし。
身体は穴の上に放り投げてもらっても、霊体が。
……まあ大丈夫か、ミケの首根っこは逃さず掴んだ。
アンジェラとハルクは大喜びで飛び込んできたし。
天才ってのはつくづく業が深い。
すぐに衝撃が来るはず ――いや、それを感じることもないのかな―― なのに、いつまでもどこまでも落ちていくみたいだ……。




