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第三百二話 異世界ブランド物語 その1 (R15)

 

 気だるく、しかし心地良い疲労を覚えるなか、ひと息ついて。

 互いの消息を尋ねるゆとりが生まれたのは、ようやくその後のことだった。



 「ミューラーはどんな様子だった?」


 「順調に回ってござったよ。それがしなどおらぬ方が良いかも知れぬと思えるほど」



 ……なら、しばらく王都こっちにいられるな。

 足元を見られるような気がして、素直にそれを口に出せずにいたけれど。

 俺の小ささを、千早はその率直さで軽々と超えて行く。


 「忙しかったのは、縁談への対応のみにて」

 


 苛立ちを覚えたのは率直さを欠く己に対してか、千早の告げた事実に対してか。

 分からぬから、関心が無いかのように装った。


 「何十件と来ただろう?」


 「憎らしい! 妬くふりだけでもすれば良いものを」



 ああ、そうだね千早。

 妬いてやるよ。いや、誠実さを――いま見せられる限りで――示すよ。



 「俺たちは……こっちで言う『結婚』、できるか?」


 俺も千早も、ひとりの独立した男女だけれど。

 だがこの王国で「独立している」とは、家の当主であることを――経営者、いや何百人何千人の生活を抱えている支配者であることを――示すわけで。

 嫁入り婿入りとは、彼らを見捨てることを意味する。

 

 「一時的なものではなくて、制度としての別居夫婦。ありうるか?」


 夫はカレワラ家の、妻はミューラー家の当主。しかして両家は別個独立の家。

 通る……通せるだろうか。


 

 「天真会の流儀に従うならば、当人同士が認めているなら夫婦でござるな。愛情の面で弛みがあるように見えても、家の共同経営者。その絆は強うござるゆえ」


 極東にあった頃の俺ならば、「こっちの社会はそうみたいだね」と肯定していただろう。

 だが今では千早の小さな嘘が――嘘ではなく、それを千早の希望であると、希望のせいで生じた認識の曇りであると、そう思うことは俺のうぬぼれであろうか――見えてしまう。

 

 省かれた、「そしてそれを周囲が認めるならば」のひと言が。


 財力、兵力の点で「それなり」の規模を持つふたつの家。

 「格」を持つカレワラ家と、「格をかなぐり捨てて動ける」ミューラー家と。

 何の制約も受けずに結びつくことを、周囲は許すだろうか。


 スペイン継承戦争のように――そこまでおおごとではないけれど――強烈な横槍が入ることは目に見えている。



 ミューラーを捨てろとは言えない。

 捨てずに添おうとは断言できない。

 その道筋が見えぬ中で示す誠意など、かたちばかりで実が伴ってはいないから。

  

 

 「『別居でも夫婦』。一見誠実にござるなあ? だがヒロ殿がそれを口にするのでござるか? しかるべき身分の姫君を迎えねばならぬ身で」

 

 放たれたのは、当然の恨み言。


 「無理でござる。ならば某とて考えぬわけに行かぬではござらぬか」


 拗ねたように面を伏せた。

 髪に鼻をくすぐられる。



 「縁談、受けたのか?」


 聞いて良い身ではないけれど、聞かずにはいられなくて発したひと言。

 終える前にぱっともたげられたその面は、華やかに輝いていて。

  

 「すべて、小次郎に断らせてござるよ。『当家のあるじ千早・ミューラーは、さる公達の思われ人にて』などと申し向けるさま、実に誇らしげにござった」


 アランではなく小次郎に?

 聞き返そうとして、とどまった。

 怒りに燃える糸目が思い浮かんだから。


 「思われ人」……「恋人」ではあるが、「愛人」に近い意味合いをも持つ言葉。


 「我が主を、天真会の姫をないがしろにするか」と。アランならそう反応するだろう。

 しかしミューラー家一方の重臣たる佐久間小次郎は誇らしげで。


 そして千早は、主体性を委ねるかの如きその言葉に艶めいた笑顔を見せていた。

 「思われ人」の響きが帯びる官能に愉悦を覚えていた。


 だから。

 

 ふたたび圧し掛かった。

 小さな悲鳴を上げ、かたちばかりのあらがいを見せる肢体に引き込まれて行く。




 たゆたいの中から意識を取り戻した千早に、秋に伝えられなかった思いを、春に教えられた思いを告げる。


 「俺はさ、好きになれないんだ。一方的ってのは」 


 先々のことは、それとして。

 今の俺たちに必要なことだと、そう思っていた。

 


 だが千早には千早の思いがあった。


 「外にあって武人の名乗りを挙げ、軍の指揮を取る。領地にあって主君を張る。常住坐臥、その全てにわたって『主』でござろう? ふたりだけの時は全てを委ねとうござる……このような姿、ヒロ殿にしか見せられぬ」


 みたび圧し掛かりそうになるのを、かろうじてこらえた。

 引き起こし、膝の上に乗せて向かい合う。多少強引に振舞ったのは、機嫌を損ねぬため。

 

 「ヒロ殿が望むのであれば」


 身を預けてきた千早が、耳元で囁いた。

 



 「打太刀と仕太刀にござるか。片方だけでは成らぬと。共にあい勤めてこそ」

  

 コミュニケーションである。その一環として、体を使うパートも重要ではある。ゆえにそういう説明もあるとは思う、けれど。

 意識を取り戻した千早の口調の固さに、今さら恥ずかしくなったかと思わず笑ったのが悪かった。

 

 「暴発男爵をかように変えたは誰にござるやら! こちらが縁談を全て断っている間に!」 


 ……肩周りの関節を極められたのは、この時であった。



 

 「しかしヒロ殿も、良かったのでござるか? 秋の戦、兵部卿宮さまにアスラーン殿下の件、偽造通貨……某に話してしまって」


 いくつかは、まずかったかもしれない。

 いや、千早を信用しないということではなくて。

 宮廷とはあまり交渉を持たぬ地方領主である千早を巻き込むべきではないという、その意味合いにおいて。


 「『閨にあると、男の口は軽くなる』。このことにござるか」


 身を以て証明した事実だけに、否定できないけれど。

 口が軽くなったならば、ついでのこと。


 「千早だから……千早だけだよ」


 ……肩周りの関節をさらに痛めつけられたのは、この時であった。


 


 「もうひとつ、ブノワ・ケクラン準男爵がヒロ殿に持ち込んだ話……某にも、ということでござるが」


 痛みに脂汗を流しながら頷きを返せば。

 涼しい顔がそっぽを向いた。


 「共同経営とは……愛が弛む時に備えて?」



 バカなことを言うなと伝える、その代わりに。

 痛む肩を伸ばし、しなやかな背を引き寄せた。

  


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