第二十四話 美少女と野獣 その2
放課後になった。
千早は、またいつものように女子に囲まれている。
と、ヴァガンが現れた。
物陰から千早を見つめている。
声をかけるまでも無く、千早も気づいたようだ。
ヴァガンの方を振り返る。
目が合ったヴァガン、嬉しそうに顔を輝かせながら、前へ出てきた。
純真な笑顔だ。しっかり見直してみれば、確かに十代の顔である……と思っていたら。
「千早ちゃん!」
「ちゃん」は無いだろ!そのカッコで!
思わずツッコミを入れそうになるのを、辛うじてこらえる。
……が、千早を取り囲む女子たちは、そういうわけにはいかなかった。
叫び声が上がる。
「へ、変態だー!」
「千早さん!」
「助けて!」
女子たちは、ここぞとばかり、さらに千早に身を寄せる。
千早としても、ヴァガンに話しかけるどころの騒ぎではない。
「落ち着くでござる。彼の者は変質者ではござらん。」
「そこをつかまれては身動きが取れぬ。」
「これ、どこを触っているでござるか!」
これがあの伝説の建造物、キマシタワーというヤツか。
いずれにせよ女子たちは、千早を中心に団子となって、ヴァガンから遠ざかって行く。
その様子を眺めていたヴァガン、悲しげな顔になり……。
後ろを向くと、再びすごすごと引き返していった。
あまりにも物哀しい背中を眺めていたら、なぜかふと思い出された言葉があった。
「おとなの体に、こどもの魂が入っている。……どんな子供であっても、おとなの教育、しつけ。そんなご大層なものでなくとも良い、『おとなと一緒に暮らした経験』が必要なのだよ。それがないと、得られぬ感覚がある。……我らが慮るは、心根の善し悪しのみ。」
!
あれは、社会から疎外され続けた、若き日の「大ジジ様」の姿なんじゃないか!?
「フィリアや千早と出会えなかった俺」の姿なんじゃないか!?
居ても立ってもいられなくなって、駆け出していた。
「ヒロ殿?」
千早の声が聞こえたような気がしたが、今はそれどころではない。彼だ。
角を曲がったところで、追いついた。
「ヴァガン!」
ヴァガンが振り向いた。驚きに目を丸くしている。
「あんた……誰?」
「俺の名前はヒロだ。千早の友達だ。」
「千早ちゃんの……友達?」
「千早に用事があるんだろう?」
ヴァガンがうなずいた。
「会いたかったら、やらなくちゃいけないことがあるんだ。」
「本当か?」
「ああ、本当だ。俺が教える。」
「ありがとう……。こっちへ来てから、誰も何も言ってくれない。ただ俺を嫌って避けるだけだ。どうしたらいいか、分からないんだ。」
同級生たちを責めるのは、酷であろう。
入学したての13歳が18歳に、中1が高3に、何を教えるというのだ。
常識や社会習慣をまだ身に着けていない相手に、どう接しろというのだ。
そのまま1年過ぎてしまえば、きっかけを失ってしまう。
ましてこの学園は、「何かをつかむ」ために来るところ。人に構っていられる余裕がある者は少ない。
ヴァガンと共に、寮へ帰る。
聞けば、最近のヴァガンは寮にもほとんど帰っていないということ。
演習場の一角にある畜舎で、兄弟であるグリフォン達のところで、寝泊りしているのだそうだ。
「ヴァガン、それじゃいけないんだ。俺たちは人間だ。グリフォンじゃない。人間の群れの中で生活するんだ。」
「老師も、そう言っていた。だけど……。」
どうしていいかわからない、そういうことだ。天真会と違って、そこまでのフォローができる人間は、ここにはいない。
まずは風呂だ!
日本人として、そこは譲れん!
だがしかし、寮の二年生から、ヴァガンを風呂に入れることを拒否された。
「クラスメートでもあり、同じ寮に暮らす仲間でもある。いたずらに拒否するつもりはないけれど……、分かるだろう?」
今のヴァガンは、風呂に入れるには、あまりにも汚れすぎているのだ。
「確かに……仕方ありません。」
だが、それで引き下がるつもりは無い。
そのまま俺は3階に上がり、寮長のシァオ・ファンに尋ねた。
「大きな金ダライはありますか?」
シァオもすぐに察した模様。
「一階の物置にいくつもある。使用を許可しよう。」
「ありがとうございます!」
ヴァガンを寮の庭に連れ出す。
排水溝があって、できるだけ外からは見えにくい一角。
そこへ風呂で湯を入れた金ダライを、運び込む。
そこからがひと苦労であった。
まず、単純に頭から湯をかける。
湯の色が変わらなくなるまで、何回かけただろう。
次は、アカすり。
今着ているランニングシャツとステテコは、これ以上着ていて良いものではない。そのままタオルとする。
こすりはじめると、出るわ出るわ。
また湯の色が変わらなくなるまで、何度でもこすり、流す。
ヴァガンにも、体をこすらせる。
このころになると、クラスメートも何をしようとしているのか、分かり始めたようだ。
上級生たちも、寮の窓から様子を見ている。
マグナムが、湯を風呂から運んできてくれるようになった。
どうやらキレイになった。
ヴァガンは非常に恰幅が良い。お腹がドンとせりだしている。
グリフォンと一緒に、動物性タンパク質豊かな食生活を送っていたから。
「俺が兄貴でボスだから、俺がたっぷり食わないと、あいつらも食ってくれないんだ。」とのこと。
当然、体脂肪率が高いわけで、洗い流すと「つやつや玉子肌」が現れる。
そういうわけで、キレイにすると、案外と若く見える。
頭もひげも、とにかく何度でも洗う。
どうにかキレイになった。
その場でひげを剃り落とし、髪の毛も適当に短くする。見た目は二の次だ。後でどうとでもできる。
完成!
後ろを振り返り、上級生たちに問う。
「これなら……」
「ああ、OKだ!すまん!手間を取らせた!」
「ヴァガン、これからは朝と晩、一日二回風呂に入るんだ。必ず石鹸を使うこと。」
……動物と接しているし、脂性で汗っかきみたいだから、という事は言わないでおく。
「グリフォンや動物たちは、石鹸のにおいが嫌いなんだけど……。」
「人間は風呂に入るの!千早に嫌われるぞ!」
「それは困る。分かった、動物たちには話をする。」
「それと、女子が嫌がったときは、絶対に近寄らないこと。」
「それは知っている。さかりの時期でもないのにメスのコロニーに近づくオスはいない。そんな恐ろしいことをするバカはいない。」
だから素直に引き下がっていたのか……。
この認識は訂正すべきかどうか、迷う。天真会に丸投げだな。
「そういえば、なんでヒロは平気なんだ?……ああそうか、ヒロは子供だからか。子供はメスのコロニーにいるもんだよな。」
なんだろう、この微妙な屈辱感。子供はお前だ。
「常に服を着ること。」
「着ていたぞ。」
確かにそう言われれば……。いや待て。
「上下それぞれ、最低2枚ずつ着なくちゃいけないんだ。俺達には毛皮がないからな。」
「そうだったのか!それは知らなかった!」
こうしたやり取りを見ていた2年生たちが、しみじみとつぶやいていた。
「そうか、そこからだったのか。子供みたいなもんだったのか……。」
「5つ年上だから、何をどう話せばいいかと……。」
「今後はお願いします。」
「分かった。ただ、困ったことがあったら……。」
「ええ、私に聞いてください。私から千早、それでも分からないことは天真会へと報告します。」
どうやらヴァガンも、人がましく暮らせるようになりそうだ。