第二百九十九話 貨幣 その3
ティムルから聞かされた話を、フィリアに伝えれば。
「わかりました。が、それを私に話す意味は? 通貨高を目指すメル家としては、王国通貨の信用が毀損されるのは歓迎すべき事態とも言えそうですが」
王国貴族の俺は解決に向けて動く必要がある。お互い分かっているところ。
だからそういうジャブは無視させてもらいまして。
「即座に根本から解決することはできないだろう? 諸事情あるけど、そう、単純に偽貨の生産拠点が敵地に存すること、それもひとつの理由だ。いま王国がかりに南嶺に攻勢をかけるとしても、目標とすべきは東ではなく西……再び奪われた旧都になる」
続けてください、フィリアの目はそう促していた。
ティムルの話を聞かせ「傭兵の里」の言葉が出た、その時点で用件の概要など分かっているくせに。
やりとりをお望みですか? ならばこちらもご要望にお答えするのみ。
「ご父君、メル公爵閣下は若くして名将だったんだなって思ってね? ご趣味が囲碁だというのも頷ける話だ。その布石を拝借したいと、そういうことだよ」
跡取りにエッツィオ閣下を推していた連中は戦場しか見ていなかったのだろう。
いや、あの人もただの戦争屋ではないが。人材の集め方ひとつ見るだけでも。
「メル家の皆さんに共通するチャームポイント……それは悪戯な笑顔だと俺は思っているんだけど」
悪戯好きのメル公爵。
罪無き悪戯も悪意に満ちた布石も、頭の使い方は同じ。意想外からの嫌がらせ。
子供の頃からそれを奨励されていたに違いない。名将……嫌がらせ上手を育成するために。
「31年前の荒河夜戦は一気に決着をつけることのできる戦だった。だが湖城イース攻囲戦は長期戦にならざるを得ない。後背を固める必要がある。だからその時期、今から二十数年前。閣下は山中の里を相手に婚姻政策を採った。ウマイヤ家と王国への牽制の意を込めた。それこそまさに悪戯だろう?」
メル家の背後・西隣は、北に陸続きのサシュア州、南に海と曾根神楽河を挟んでイゼル州だ。
サシュアは湖の水運に恵まれ、農地も広がる王都の台所。イゼルはサシュアから見て南東、山地を越えた先にある。やはり穀倉地帯が広がっている上に、海路メル家との貿易拠点のひとつにもなっていて、こちらも豊かな州である。
王都に隣接してもいるサシュア。その知州は地方官としては例外的に高位で、上流貴族もその地位に就きたがる。
だが南嶺との間に平坦で長い国境線を接し、船でひと漕ぎすればメル領に至るイゼルの知州には実力者が就任する。ふたつの重職、「おいしい」のがサシュア知州であり、「やりがいある」のがイゼル知州というわけ。
そうした重要二州を睨むのがウマイヤ領。
西にサシュア湖沿岸を守備し、東にイゼル平野をバックアップする軍事基地。
両州と提携して南嶺、メル家への押さえを担当しているのだ。
そして(王都―サシュア―)ウマイヤ―イゼル、その経路の中央に存するのが山中の里。
だからメル公爵(当時は征北将軍)はモンテスキュー家やシャープ家にも並ぶ最有力郎党のひとつ……王宮へも出入り可能な中流貴族の格を持つグリム家に山中の里の女性を迎えたのだ。「切り」の一石として。
女性の子息……マルコ・グリムは、現状フィリアの配下である。
「アスラーン殿下と姉さまの婚姻により、王国とメル家はさらに融和的な関係になりました。サシュア、イゼル、ウマイヤに『嫌味をつける』必要はありませんよね?」
大戦を終え、極東の安寧を手に入れたメル家。
いまその本領は、王国に背中ではなく顔を向けている。
当時打ち込んだ布石の意味は小さくなった。
戦死したダミアン・グリムの代わりに弟のマルコ・グリムを取り立てはしても、その所属ラインは本宗家・ソフィア様ではなくてフィリアであるというところにも、それは現れている。
「山中の里としても、融和は悪くない話。だがメル家内部の政局では傍流に押しやられたようにも見える。だからフィリアの名でマルコを滝口へ……陛下のお側近くの地位へと抜擢した。不安を与えぬために」
そうした現状にある山中の里の、マルコ・グリムの協力を得たい。
それが俺の「用件」。
山中の里と傭兵の里は盟約のようなものを結んでいると聞く。
したがって「傭兵の里」の名を俺が出した瞬間に、フィリアもマルコ・グリムの顔を思い浮かべたに違いないのだ。
用件など分かっているくせにとは、そういうこと。
「偽造通貨の生産拠点・『根っこ』を叩くことは、今はできない。だから経路となっている傭兵の里で堰き止める。あるいは少なくとも、流れを絞らせてもらう。そのためにマルコの……フィリアの力をお借りしたい」
「山中の里は、『王国通貨の信用を守った』という手柄を挙げるわけですね?」
確認したフィリア、再び冒頭の問いに返ってきた。
「寄り親のメル家としてはその妨害をするのと、手助けをするのと、どちらが得だと思いますか?」
話を迂回させた功名に、ひとつ発見があった。
フィリアがそこまで見越しておしゃべりに持ち込んだ……とは、さすがに思えないけれど。
「『メル家として』ではなく、フィリアとしてはどう思う? 『何かのため、誰かのためという言葉を借りねば決断できぬ、それは卑怯』だと以前伺った身としては、さ」
ソフィア様の元を離れ、王都に移ってきた。
そのせいかフィリアにも「メル家の娘」でありつつ「個人」としての立ち位置が色濃くなってきた。ドミナやインテグラのように。
「ヒロさんも嫌がらせ上手を名乗れますね。現状、私個人にとってどちらが得かは……正直、『見えてこない』ところです……けれど。どちらを選びたいかと言われれば明確です」
考え事に俯いていた顔。くすんだような暗さを帯びていたけれど。
こちらの挑発を受けて跳ね上がった。
「通貨偽造などという小細工、政略的意義は小さい。マルコさんではありませんが『策はすべからく単純明瞭たるべし』。下策の片棒を担いで王国との関係を悪化させるよりは、王国貴族との友好を図るほうが良いでしょう。……それに」
厳しく寄せられていた眉根が、ぱっとほころんだ。
「ティムルさんの、ヒロさんのお気持ちです。『気に食わない』『かくありたい』。大切なことですよね。自分で口にしておきながら忘れていました。感謝いたします……」
明るく澄んだ微笑。
うん、やっぱりフィリアにはそれが似合う。
「逆ねじを食わせてくれた、そのことに」
ナマ言ってすんませんっしたー!
曾根神楽河:長良川と木曽川。
イゼル州:伊勢。三重県。
サシュア州:近江。滋賀県。
山中の里:甲賀。
ウマイヤ領:栗東を中心とした地域。「馬と言や栗東」……失礼いたしました。
傭兵の里:伊賀。
が、モデルです。




