第二百九十八話 思議すべからず その4
俺が提案したのは、つまるところチャリティコンサート、あるいは炊き出しフェスティバル。
「ヒロ君……貴族たちにとっては意味がある。民にとっても慶事であることは間違いない。それは分かるがの? 我らとしては不安もある」
「暴動、略奪につながると?」
それは無いと確信していた。
李老師も首を振っていて……では何か違う不安でもあるのかと思い、その顔を覗き込めば。
それは老師の罠、いや悪戯で。
返って来たのは、やけに精悍な笑顔。最初っからこちらの意図に賛同していたらしい。
「昨年の民乱をどう見るかの?」
「人口規模、密度に比して被害……いえ、乱の規模が小さかった。それが救いではありました」
組織立った叛乱ではなかった。
明確な意図を持って抵抗していた者はごく少数。暴徒も発生したけれど、大多数は右往左往するか、あるいは立ち竦むばかり。
「立ち上がる、抵抗する。……いや、そもそも不満を抱くほどのゆとりすら持ってはおらぬのやもしれぬ。余裕が、元気が、体力が無い。民乱を煽動した者はそこを見抜けなんだ」
新都と王都・右京はあまりにも違う。
新都の人々は生活できていた。最低限の余裕と理性があった。
「それでも天真会は右京もまた社会のひとつの実相と見る。そしてつながろうと試みる」
俺は、「自分は貴族だ」と。庶民とは違うんだ、それどころか郎党衆や中流貴族とも違うんだと。
そうせねば、肩肘張らねば生きていけない、それも事実だけれど。
「権威で身を飾りながら、浮かれてやしないかと気に病んで。まるで自分というものがありませんでした」
ヒロはどっちの味方なのよ、か。
まさに象徴的だよな。
「次に私が口にすること、分かるであろ?」
一言一句同じということなど、あろうはずもない。
ズレも含めて、「分かるであろ」と。そういうもの。
「思議すべからず、でしょうか。まずは動くこと」
何をなすべきか。
たぶん、その発想がそもそも間違っている。
自分の外にあるものに範を求めても仕方無い。
何をやりたいか、だ。やりたいようにやることだ。
この件に首を突っ込んだのも、元はと言えばそれじゃないの。
夫婦の……他人のことなんか、考えたってわかりゃしない問題なんだから。
右京の問題にしてもそうだ。すぐに解決できるものじゃない。
そちらに注力するつもりもない。俺には今、他にやりたいことがある。
……それでも、試してみたいことはある。
マリアには右京の民を相手に、思い切り歌ってもらおう。
たとえ呪いであっても、歌うことこそがマリアの「やりたいこと」なのだから。
チャリティコンサートの準備は、「加害者」の男に押し付ける。賛同者集めに頑張ってもらう。マリアにストレスを感じさせたのだから、その発散に責任を負うということで。
しかる後、治療を兼ねて暫時極東への「島流し」と。
マグナムにはそれで手打ちさせる。
活き活きしたマリアの姿を見れば許すさ、夫婦なんだから。
考えるのも迷うのも、やりたいようにやってから。その後で良い。
そして西堂で行われたチャリティコンサートには、貴顕も姿を見せていた。
マリアの歌は遠出してでも聞く価値ありと、評判はすでに広まっていた。
「これが神に憑かれた者の異能か。使いようによっては危険だな」
背後から、低く寂びた声。現れた影は尋常な体格を示すもの。
そのまま緩やかに歩を進め、俺の右に並ぶ。こちらを……そう、測っている。
キュビ侯爵とふたり、並んで話をするのは初めてのことだった。
「西海にも異能者は多いかと存じます」
それこそエドワードの側近、キルト・キュビも。
「有効な使い方に対する研究が進んでいない、そう思われてならぬよ」
「使い勝手の良いものではありません。神の都合に振り回されますので。千の兵に、軍略の正道に勝るものではない、そのこと断言いたします」
そう、神様次第なのだ。
だから案の定、チャリティコンサートで暴動は起きなかった。
マリアの異能は「共鳴」。彼女がリラックスし楽しんでいるならば、群集にもそれが伝染する。攻撃的な気分になることなどありえない。
「異能者とは苦しみ多いものと聞くが。見事なものだな、彼女は」
「苦しみの程度、それは環境しだいかと。社会の側で受け入れてくれれば、異能者の側も折り合いを付けるべく努力します。そしてマリアはその模範と言うべき人物。私の知る限り、能力の制御に最も長けた異能者です」
会話が続くかと思いきや、沈黙が流れた。
何事かと頭が回り始めたところに、斬りつけるがごとき声。
「自重は大事だな、何事につけ」
右にある顔が、こちらを向いている。
気づかぬ振りで、マリアを見詰め続ける。
現場に政局を持ち込んだ例の件、俺の仕業と見破られた?
それともかまをかけているのか?
「ベアトリクス嬢から聞いた。兵部卿宮さまを船に乗せた我等に対し、カレワラ党は強く反発していたと。……何の手打ちもなくその怒りを自重して私と会話を交わせる君も、マリア女史に劣らず見事なものだ」
抜かったー!
いや、慌ててはならぬ。そうだよ、キュビ家もやらかしてくれたんじゃないか!
「ええ、ご自重いただきたかったところです……兵部卿宮さまには」
「確かに、あそこまでされてはな。君が怒りを抱いて何かしたとしても、咎め立てはできぬところであった。自重せず宮さまを乗せた我らキュビ家も、何も言えぬであろうな」
そのまま背を翻していた。
日頃ならみるみるうちに遠ざかる……はずが、この日はなぜか、その姿がなかなか小さくならなくて。
「『自重は大事』、お教え心に刻みます」
「いや、構わぬさ。……それぐらいでなければ面白くない」
最敬礼していた頭を上げれば、また別の人影が近づいて来るところであった。
「オラースさん……」
この度はおめでとうございます、そう言わなくてはいけないのに。
言葉が続かなかった。
オラース・エランとは、もう少しだけ共にありたかった。
射、楽、舞、礼法。この男から学びたかった。
「そういうことになったよ、ヒロ。……サラも来ている」
少し離れたところにある桟敷を振り返っていた。
俺はあえて目を逸らした。
「微妙に腹立たしい。が、マグナムのように怒りを顔に上せることのできる年でも身分でも無い」
「サラ……さんとの間には、何も」
「何も無かった、それぐらいは分かるさ」
こういうのはその、少々気まずい。
面を伏せていると、笑い声が降って来た。
「ヒロ、君には私が勝ち逃げしたように見えているだろう? 弓術、舞楽、人交わり。だが私も君に勝ち逃げされたような気分なのだ」
何が?
武術は多少劣っていたとしても欠点とはされぬ。それが公達だ。
軍略についても決して見劣りしない。オラースにはツキが無かっただけのこと。
驚いて上げた視線は、オラースが見せていた白い歯に吸い寄せられてしまった。
「何も無かったからこそ、思い出として君はサラの心に残り続ける」
反論し難い、絡むようなセリフ。
真顔で言われれば不愉快極まりないけれど、オラースが見せていたのは笑顔だったから。
「舅御……ミーディエ辺境伯閣下はめんどうなお人柄。婿養子の気苦労は、なるほど輝かしい思い出にはなりにくいかもしれませんね」
「王都にあった頃はそうでもなかったが。アレックスさんとは仲良くなれそうな気がするな」
オラースはその若き日、アレックス様の向こうを張っていたロシウ・チェンについていた。
こんな形で「友」になるとは、思いもしなかったであろう。
「クロウ家の婿・マグナムも数年内に極東へと帰ります。サラの配下クリスティーネ・ゴードンの夫ノブレス・ノービスも、それは哀れな婿養子ですので。ぜひ声をかけてやってください」
「魔弾の射手だね?……挙がる名はことごとく軍人、それが極東か」
そう。舞だの楽だのと言ってはいられない。
近衛府の楽人が幾人か、下向にまでお供すると言い張って聞かないらしいが。
…………彼らだけでは無かった。
もともとこのコンサート、マリアの歌で右京の人々に笑顔を、復興の気力を……という意図があったのだが。
元気が出過ぎたのか、マリアに対する好感が盛り上がったためか。
このコンサートの後、右京の民の一部が極東への移住を申し出るようになったらしい。
これまで天真会がどれほど努力しても果たせなかった事業が動き始めたのだ。
「老師、そこまで?」
「そうなってくれればとは思っていたの。西海への移住は何をエサにするかの」
マリアの歌に加え、宮中の華・近衛中隊長の下向も、良い宣伝になった。
それはまた後日の話として…………。
ともかく。
辺境伯の婿は、舞だの楽だのと言っていられないのであって。
「極東は戦続きと聞くが、掛け値無しの実力が問われると思えば悪くもない」
家格が低い、その一事ゆえに軽く見られ苦労の多かった男。
その荷を降ろした今、気力はますます充実していた。
「こちらにおいででしたか。奥様がニコラス家、キュビ家ほか、お友達のご令嬢がたにあらためて殿を紹介したいと仰せです……ご歓談中のところ、カレワラ閣下には失礼を」
わだかまり無く立ち上がり、一揖を見せたオラース。
しばし見詰め合い、笑顔を交わし、そして。
そのまますらすらと歩み去って行った。
「やっぱりいい男だなあ。ヒロ、お前が憧れるのも分かるわ。弟分だったんだって? 勝ち逃げされちまったか」
そうだなティナ。
お前の言葉遣いが変わるぐらいにはいい男だよ。好みのタイプだろ?
「安心しろ、かたきは極東でとってやる。お前を兄貴分にしてやるからな?」
最後までそれかよ!
まあいいさ、みんなやりたいように、自分らしく。
たぶんそれが一番だ。
西堂:王都最南端、羅城門の西隣にある天真会の支部。 モデルは西寺です。
 




