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第二百九十七話 意趣返し その1


 不愉快な思いはしたけれど、とにかく今は戦時中。仕事に集中!……しようにも、商会に丸投げするだけの簡単なお仕事です。仕方なくちうへいの機嫌を取りがてら、水軍の調練に励む日々。

 兵員の輸送も終わり、あとは定期的に軍需物資を届け、勝報を待つばかり。ここ鶺鴒湖には波ひとつ立たぬ……はずが。


 怒鳴り込まれた。

 その血相、まさに前線帰り。戦場をうろつく餓狼の目。


 「兵站は、軍糧輸送はどうなっている!」


 慣れないことはするもんじゃない、アロン・スミス。我らも大概気が立っている。

 盾と壁の間に挟み込んだのはユルの温情だからな?


 「当方には遺漏無し。何があった?」

 

 何か怒鳴ろうともがくアロン。危険と見たユルがさらに強く挟み込む。アロンが息を詰まらせる。

 埒が明かぬと見たヒュームが気絶させ、郎党衆にその周囲を隙無く固めさせて後、遠間からカレワラ家の母なるしずく、鶺鴒湖の天然水をぶっかければ。


 「無礼な!」


 「無礼はどちらか!」


 いいから要件を言え、なっ?


 「近衛部隊に、我らデクスター一党に、兵糧が届いていないのです!」


 と、言われましても。


 「改めて申し渡す。当方には遺漏無し。君のことだアロン、こっちへ来るまでに確認してきただろう?……本当に、全く届いていないのか?」

 

 浅黒い頬を赤くして、アロンが俯いた。

 勢いで押し切ろうとしてダメなら、下手に出るほか無いところ。


 「規定の6~7割といったところです。飢え死にすることはありませんが……現状、各家各人のコネを用いて兵部の部隊から融通を受けているところ。しかしそれにも限度があります」


 やはりこちらには落ち度が無い。

 届けて後、現地部隊による配分のところでトラブルが起きているのだ。


 だがしかし、食糧が届かぬという事実は動かぬ。腹が減っては戦ができぬ。

 軍事活動中は、しっかり栄養を補給する必要がある。さなくばまともに動けない。健康状態が悪化し、ひいては悪疫の流行にまでつながりかねない。



 「兵部卿宮……さまの差し金だな!」


 ちうへいに再び火が点いた。まだギリギリ我慢できてはいるようだけれど。

  


 しかしそれにしても。中学生かよ。俺のことはシカト、イーサンをイジメって。

 でもおとなの世界でそれやられると、洒落にならないんだなって。


 そう、洒落にならないんだなって。

 洒落で済ませちゃいけないんだよなあ。

 俺たちは無力な中学生じゃなくて、おとななんだから。


 「ことはデクスター家の問題にとどまりません。前線にあるのはセシル家に検非違使庁、ほか各家からの将士。近衛府全体に関わる問題だと認識しております」


 本調子を取り戻したアロン・スミス。

 多数派工作を……対象の枠を広げ、カレワラ家も同じ穴の狢に取り込もうと動き出す。


 「兵部卿宮さま、近衛府を嫌っておいでか? 王室の盾・近衛府としては、少々切なく思わなくも無い」


 「何を悠長な! 追加の兵糧を、ぜひ! お届け願いたいのです!」


 「と言って、アロン。この戦、兵部省主導だろう? こちらで兵糧を送り届けても、現地で、配分のところで細工をされては解決策にならない」

 

 イーサンに何か腹案は無いのか? その意を受けて来たのではないのか?

 と、それはいくら何でも、俺の認識が甘かった。


 「あるじは各部隊を回り、士気の維持に手一杯。マグナムとおふたりで、戦略戦術も担当する必要がありますし……。アルバートさんは渉外に走り回っています。ベンサム大尉も民間からの買い付けに動いておりますが、民間の余剰穀物には限界があること、ご承知のところかと」

 

 そして無理に徴発すれば評判が落ちる、か。どうも発想がその……直線的ではないと言うべきか。

 どちらかと言えばやや脳筋寄り、もとい、武人らしき直心をお持ちの宮さまとは思考回路が異なるような気がする。誰の入れ知恵だ?

 

 ともかく。

 いずれにせよイーサンは、いやイーサンですら「動けない」。周囲を見回す余裕が無い。

 それが現場、戦場というものの厳しさだ。

 だからこそ「後顧の憂い無く軍人を前線に送り出すのが政・官の仕事だ」と。

 それこそ昨秋の戦で、イーサン本人が口にしていたところで。

 実際彼のおかげで勝てたのだから……今度は俺の番だ。俺の仕事じゃないか。



 「つまるところ、アロン。現地でできることは全て試みている。が、前線が兵部卿宮さま主導である以上、限界がある。そして俺の担当地域は粋華館まで、現地には手出しできない……それを前提に対策を考えれば良いんだな?」


 「どうかお願いいたします。くどいようですが、事はデクスター家のみの問題ではありません。近衛府の、カレワラのお家にも関わるのです!」


 まさか?

 兵糧が届かなければ、前線と兵站が対立すると。カレワラとデクスターを、あるいは近衛府を分裂させようと……そこまで考えているのか?

 

 それは正直、困る。

 検非違使問題、中隊長の件、あまり言いたくは無いが継承レース。

 全てにおいて、近衛府がバラバラでは……。


 (「バラバラでは」何だ? 何を考えている、ヒロ?)


 (責めてるんじゃないでしょうね、ネヴィル? そうよ、自分の「力」とするためには、まとまっていることが前提なの)

 

 そうだ、近衛府でまとまるためには……ああ!


 「ちょっと待っていろアロン、いや粋華館で待っていてくれ。特別便の兵糧が届いたら即、君が輸送するんだ。細かい指示は手紙で出す」


 アロンの論法から答えが出た。

 仲間の枠を広げるのだ。枠の外から、盤面からひっくり返す。

 政略は戦略の上にあるのだから。

 

 だがそれは、戦争に政治を持ち込む行いで。

 行動の性質、その一点においては、兵部卿宮と何ら変わるところが無い。


 軍人としては忌避したいところ。

 悪しき前例として活用されないようにするためには、どうすれば良い?

 俺が目立たず、狙いの人物が自発的に動いたかのように見せる、そのために。


 



 炭を燃す白煙たなびく中に鼻歌が響く。

 戦場ははるか遠く、ここは王都の北郊・シンカイ工房。


 「5ふりですと! ……ああ、塚原先生ですか。おめでとうございます」 


 作業着に浅葱色の直衣を被り応対に出てきたジーコ殿下の佇まい、まさに清貧。


 「ありがとうございます。ええ、この春より我が師・塚原が、正式に王長子殿下の侍衛として採用されましたので、そのお祝いに」


 シンカイ工房の刀は切れ味鋭いが脆く、実用には向かない。

 だがその刃紋の美しさ、にえにおいなどに風致と興趣があり、抜いて眺めれば時を忘れるほど……なのだそうな。俺にはまだ分からない。

 ともかく、美術品としては最高級。刀を得物とする貴族であれば、いや、刀術に縁が無くとも、一家にひと口は所蔵しておくべきものとされている。


 「ほかのご用向きは」


 「同じく師と仰ぐ先生が極東におふたり。また兄弟子にもひと口贈ろうかと思い立ちまして。さらに先ごろ、下僚の刀を斬り飛ばしてしまったものですから」


 真壁先生にはおもちゃにしか見えないだろう。

 だが松岡先生ならば存分に使いこなせる。その正統後継者と目すべきシンノスケにも。


 「ああ、ベンサム大尉ですか。そちらの大業物がお相手ならば、当工房の名折れにはなりませんね」


 ひたとこちらに目を据えるジーコ殿下。

 塚原先生の任官も、それどころか道場で起きたトラブルとも言えぬようなやり取りまで、当然のように耳に入れていた。

 シンカイ工房はただの刀鍛冶ではない。傷物変わり者が集まっては諸家への推薦を受けて去って行く政治塾であり、それゆえにこれまた一種のサロンである。だから貴族が競ってこちらの刀を求めるのだ。



 ジーコ殿下が口にした、「ほかのご用向き」。

 正直に切り出すべき時であった。


 隠しても仕方無いし、その気になれば閣議で辣腕を振るえるにも関わらず身をやつしているジーコ殿下のこと。秘密は守るし情報を悪用することもない。だから貴顕みなここに足を運ぶ。



 計画を打ち明けた。欠けたピースについて、教えを請うべく。



 「王妃殿下の動かし方をお教え願いたく。また、この計画が王長子殿下の声名を高めるものか貶めるものか、その判断に迷っております」


 俺の計画は例に拠って例の如く、陰謀と称するには小物臭い行動。

 いっそ大掛かりな陰謀ででもあれば、殿下の存在を強く印象付けることもできるかもしれないけれど。


 「名分を気になさる? いわゆる『欠席裁判』、兵部卿宮さまの不在に付け込むものと見られはしないかと? ふむ……大丈夫でしょう。アスラーン殿下は今のところ、むしろおおどかに過ぎると目されがちです。そのお名を高める行いにあたるでしょう」


 一面に刀を展示してある、薄暗い部屋。

 贈り物を選ぶためにふたりだけで立つことが人払いとなる。


 「王妃殿下のほうは……ふふっ」


 先に立っては刀を抜き、そして贈り物にすべき逸品を検めるジーコ殿下。

 表情を窺うことができぬどころか、その背中、姿すら半ば薄闇に紛れていて。


 「いえ、失礼をいたしました。こうした謀議は他人に、家族や腹心であっても、諮るものではありません。ヒロさんが正しい。しかし動き始めたからには、もう打ち明けても良い頃合でしょう。……ランツが知っています。彼に諮られることです」


 ああ、それと。


 口にしたジーコ殿下の目が、刀身に映っていた。

 背中越しに、刀越しに、こちらを見ていた。


 「政局、陰謀。裏から人を、情勢を動かすのは心楽しきものでしょう? だがヒロさんはいま、空恐ろしさをも感じていらっしゃる。だから私のところに来た。インゴットを5本も押し付けに来た。……私などに頼るか否かは別論として、その『畏れ』の感覚も、悪いものではありません」 


 感覚「も」悪くない、か。

 人ごとに違うことを言っているのであろうか。恬然と謀略に身を投ずることができる男に対しては、「その迷い無さが良いのです」とでも。


 もしかしたら、兵部卿宮さまもこちらで知恵を仕入れたのかも知れない。

 それを非難することはできない。兵部卿宮さまとて政局に身を投じているプレーヤーで、そしてここは中立のサロンなのだから。


 刀身の輝きばかりが目立つ一室を後にすれば、冬至を過ぎて少しずつ力を増しつつある陽光が目に眩しくて。


 やはり先に立って歩き出したジーコ殿下が語りかけていた。

 シンカイ工房に来るとて、供回りに連れて来ていたランツに。


 「全てお話ししなさい、ランツ。良い……いえ、あなたに合うご主君でしたよ、やはり」


 妙な褒め方をしない、か。

 訪れる人間に対しては、できる限りフラットに。


 いつものようにシンカイ氏の鼻歌が始まり、弟子たちが……ジーコ殿下も、挨拶も怱々に立ち去って行く。

 残されたランツと、ふたり。

 近くにあるカレワラ家の寮に……ソシュール道場近くの民家に立ち寄れば。

 ランツの身の上話は、小さな驚きを伴うもので。



 「私はもと、王妃殿下の付き人でした。従僕に近い立場です」


 身分がやや劣ると陰口を叩かれても、そこは王妃殿下。

 家柄が家柄ゆえ、ランツもそれなりの身分であった。

 レイナとエメ・フィヤードのような関係と見れば良いのかもしれない。殿下に比べランツのほうが年上だということを除けば。


 「殿下には早くから、内々の婚約者がありました。が、戦没されました。姫さま……いえ、殿下はそれはもう塞ぎ込まれ、泣き暮らす日々」


 (おいヒロ、それって……)

 ネヴィルが脳内で騒ぎ出す。

 そういうことになる。その後の心の動きを、ランツは知っていたのだ。


 「ご縁あって入内のお話が出たときもしばらくは渋っていらしたのですが、ある日突然その話をお受けになりました」


 少しだけ分かってきたような気がする。


 「その時から『子供』を捨てられた。……お美しくなられた、そうだな?」


 もう少し下世話な表現こそが正確な描写に当たると思う、けれど。

 艶っぽくなった、女を武器にするようになった。

 そして……何を決断された?


 だがランツは、その問いには答えてくれなかった。


 「もちろん、当時はまだ童女と言うべきお歳でした。殿下のご実家も婚約者のお家も、『まだまだ内々の、先々の話というだけのことですし』と。そこは王室はじめ貴顕の皆さまみなが認めるところ、すんなりと決まりましたけれど。……それでも両家の、いえお二方のやり取りに立っていた私には居場所が無くなり」


 清く幼い恋心。それでも王妃殿下にその過去があってはならぬと、自分が居てはならぬと。この男はそう決めたのだ。

 「己の居場所を小さく決めてしまっている男」、従僕とはそういうもの。


 そしていかなる伝手があったか、シンカイ工房に流れ着き。


 「王后陛下・王長子殿下閥のカレワラ家と聞いた時には、お世話になって良いものか迷いましたが」 


 「対立が激しくなったとき……そして『あづま帰り』の殿下が、先々代陛下のような厳しいお人柄であった場合に、いたたまれなくなる。その時のために、『いつでも辞められる短期契約で』と言っていたのか」


 間者でありうるはずがない。あまりにも正直で不器用な世渡り。

 俺たち貴族は、こういう男を何人生んでいるのだろう。

 こういう男を、何人傘の下に入れられるのだろう。


 そんな男が、このランツが。

 出奔を王妃殿下に、いや、あるじたる姫君に、告げたはずが無い。

 20年以上の歳月が流れていても、この男をあるじが忘れようはずも無い。


 ……そのランツが突然現れるインパクトを、俺は利用する。


 「手紙を書いてくれるか?……王妃殿下にとって悪い話ではない、きっと喜んでいただける。そのはずだから」


 そこを違えることはしない。

 約束するから。 




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