第二百九十六話 兵站 その2
分からぬ時は人に投げるべし。
契約するなら弁護士に。
王国では、一度でも文書作成を代行すれば弁護士を名乗ることができる。
と、言うわけで。商会連合との間にブノワ・ケクラン氏を挟んで交渉を行ったところ。
「いろいろ書いてありますが、ざっくり言いますとですね」
縦軸として、「全行程丸投げセット」と「恭仁河限定セット」があると。
横軸として「輸送、積み下ろし、警備を分ける」か、それも一括の「よくばりセット」にするか。
「輸送はなるほど面倒だが。警備に関しては、我々でも担当できるぞ?」
「しかしですね。運送契約……特に水運は慣習法の支配が強く及んでおりますもので」
何かあった時の賠償責任だ、その制限だ、荷主と受け手の危険負担だと。
何も起きなくとも、船長と荷主、依頼人の権限関係だの。
そもそも船を雇うのか船長を雇うのか、船会社を雇うのかと。
極東の横領事件でも現れたところだが、水運は特殊性と専門性が強いため、「業界」がリーダーシップを握っている。
貴族とて、介入するとなればよほどの強権と犠牲を覚悟しなければならないところ。
「丸投げして責任も全て向こうに負わせるほうが面倒も間違いも少ないのです」
そこで言葉を切ったブノワ・ケクラン氏、窺うような目つきをこちらに見せた。
柔らかそうなその二重あごを、ぷにぷにとつまみながら。
「それに『よくばりセット』のほうが、その……バッファを余計に取ることができると言いますか」
リベートあるいはキックバックと言っても良いところだけれど。
マジ越後屋と悪代官。
国費の無駄遣いと言われればそのとおり、だが。
それも程度問題、多少のことなら見逃すのが王国社会……いや、貴族社会でありまして。
と、言いますのも。
食糧資材購入費以外の細かいところ……事務仕事やサービス業に該当するような業務は、基本手弁当なのですよ。必要な出費が急に生じた場合、それを出すのはカレワラ家なんです。お金をプールしておかなければ自爆営業……どころか、そもそも仕事が回らないんです。
だからブノワもキックバックやリベートではなく、「バッファ」と。そう口にし(てくれ)たわけで。
それに大商会のバッハとビートホーヴェンを出張らせておいて、任せるのが「恭仁河だけ」というわけにもいかない。「良好なお付き合い」に差支える。以後の仕事を受け渋られてしまう。今回はリスト商会をいっちょ噛みさせる約束もあれば、アマデウス商会に恩を売る必要もあるのだし。
「では『よくばりセット』で。バッファはどの程度作ります?」
女を口説く姿は滑稽この上なく、老人の前では頼りない五十前のブノワ。
だがこと商談となれば頼もしい限りであった。
「控え目に頼む。金に汚いと噂されては面倒だ」
俺はエドワードやイセンとは違い、采邑を持っている。
「バッファを多く取っておかないと、何かあった時に首が回らなくなる」危険がない。
それに今回は初の兵站業務、そちらの勉強で手一杯。仕事を通じて金儲けだの、商会や諸家との顔つなぎだの、そうした色気を出している余裕もない。
「承りました。よろず手堅く控え目にと。ご縁作りをしたものと、あちらはん方にはそうお考えいただきまひょ……とと、失礼を」
そして実際任せてみれば、こちらが凹むぐらいにスマートな仕事ぶり。前線には滞りなく武具兵糧が送られてゆく。
「お任せ」した警備に加え、カレワラ水軍を遊弋させれば二重の安全保障で事故も無い。
これは楽ちん、監査監督・書類のチェックだけしておけば良い……と思いきや、ちうへい・エイヴォンにどやされた。
「そんな訳ねえだろ、お頭? 80年ぶりに鶺鴒湖を往来する口実ができたんだ。操船の訓練がてら測量するぞ!」
先島村に預けていたあんへい・エイヴォンなど、すでに村周辺の地形水深を測量済みであった。
称賛の言葉を惜しげなく贈る。慣れぬ水軍指揮に嗄れ果てた声で。
そうしてぐるぐる回りながら碧渟城周辺に差し掛かるや。
向こうから彩り鮮やかな快速船が一艘。
「キュビの名を以て、ここから先の侵入はご遠慮いただきます。お分かりいただけると思いますけれど」
ベアトリクスさん、あなたが出張っていらっしゃいましたか。
まあね、鶺鴒湖は公海(?)ですけど。城周辺の測量は厳禁ですよね、そりゃ。
「……私が浄霊師であることも含め」
了解です。アリエルの投入は控えますとも。ヒュームにも探らせません!
しかし、あんへいもベアトリクスも。そしてエミールにクリスチアン。
5つ6つ年下の少年少女が、きっちり仕事を理解して実務を回して。
上の壁は分厚く、下の突き上げは厳しい。
楽ちんだなんて言ってもいられない、か。
ああもう!湖を渡る風の冷たいこと。
何だってこんな季節に戦争を起こすんだか。
(季節が関係あるのか?)
そうだなヴァガン。戦争だ。いつだって良い気分はしない、そうだったよな。
勝てるからって、仕事が入ったからって、少し浮かれてたかもしれない。
そして兵站の輸送が忙しくなるなか、兵員の移動も始まった。
王都と鶺鴒湖をカレワラ水軍で往復し、拾えるだけ拾って南へ送る。
「戦争特需で船賃が上がっちまって。歩いて行かなきゃならんところでしたよ。何とお礼を申し上げれば良いか……」
などと頭をかく兵士に、「気にするな、存分に戦って来てくれ!」と声をかけつつ、ふと思う。
カレワラ家の兵員輸送、民業圧迫になってないか?
「日頃のキャパシティを考えれば、物資輸送で儲けるのに手一杯のはずです」
ブノワ・ケクランの頼もしいこと。
根拠無き慰めだの、頭ごなしの叱咤だのとはまた違う、これが大人というやつですか。
……と、頼れる男がもうひとり鶺鴒湖を訪れた。
「ティムル? 君も戦場に?」
「道場剣術・街場の闘争。それだけでは不足を感じますのでね。ヘクマチアル一党が戦場を体験したことですし」
引き連れていたのはコニー・バッハを筆頭に、検非違使庁でもシンプルに「腕利き」の面々。
絡め手のヤスペル・メイネスや潜入捜査のペーター・ヘルマーなどは置いてきたようだ。
「王都を留守にして、そのヘクマチアルをどうするつもりだ?」
「ユースフは馬鹿ではありません。火事場泥棒などしようものならさすがに貴顕の目も厳しくなること、承知のはず。ムーサを検非違使庁に出向させてもらっていますし」
人質あるいは休戦協定の証人扱い、か。
後顧の憂いを全て潰して……。
「ご心配いただけるならば、予算と人員の拡充を是非」
そればかりは、俺の一存では決められない。
かわりにリベート……いや「バッファ」の一部を、お裾分け。
戦争って、何かと入り用になりますから。
「諸君なら心配ないと信じているが、死ぬなよ? 王都の治安に響いてしまう」
必ず帰って参りますと、ひと言残して歩み去る背中の大きいこと。
周囲の部下もあわせた一団、異彩を放っていた。
ばらばらと歩いていたベテラン兵士達が、目を見交わして後ろに集まり出すぐらいに。
「……そういう貫禄は、まだ僕らには無いなあ」
「財務官僚がベテラン刑事や兵士の貫禄を持ってどうすんだよイーサン」
まぜっかえすアルバート。
足りないところを補い合う、良いコンビだと思う。こっちも大丈夫、だろう。
そしてついに中軍、兵部卿宮さま……を船に乗せることは、無かった。
「申し上げにくいのですが、ヒロさん」
ベアトリクスから、挨拶があった。
挨拶をすべき事態であった。
鶺鴒湖から南の陸路、回廊地帯へと赴く際には誰しも船に乗る。
碧渟城、紫月城、大衙。そのいずれかに属する軍船に。
王室関係者であれば、近衛の船に、インディーズ貴族の船にお渡りいただくべきところ。
だが兵部卿宮さまは、碧渟城のキュビ水軍に座を移された。
「いくらお頭がメル閥、王長子殿下閥だったとしてもだぜ? 仮にも近衛の小隊長が、公達が、宮さまを蔑ろにすることなどありえないだろうが! お頭だってそこはずっと弁えてた、宮中に顔出さない俺だってそれぐらいのことは知ってるぞ、おい!?」
ちうへい、エイヴォン家にとっても80年ぶりの栄誉の機会。そのはずだった。
梯子を外されて、さすがに平静ではいられなくて。
「個人的にも仲は悪くなかった、そうだろ? ソシュール道場とか、どっちも武人・軍人ってところ、あったじゃねえかよ!……いや、これは失礼を。良い年した男が、ご令嬢の前で取り乱すなど……お頭にも申し訳が立たねえので、御前失礼します」
ちうへい、お前。連帯責任、分かってるだろうが。
カレワラ党を割る意味が無い。やるにせよやらぬにせよ、一丸とならなくては。
「この件につきまして、キュビ家氏長者より。宮さまお見送りのため、ぜひ碧渟城へおいでくださいと」
キュビ侯爵にはお見通し、か。
宮さまが南へお渡りになるまで、カレワラ党の幹部を引き止めておこうと。
兵部卿宮一党だけなら考えもするが、キュビ家まで相手取っての喧嘩はさすがに無理だ。
それにやるならまず目の前の使者から血祭りに……という話だが。
それがベアトリクスでは、さすがに手出しできない。
「お頭! こんなこと……」
「戦争中だ、ちうへい。敵は南嶺だ」
ああ。俺だって忘れない。




